>>331
セブン!
この私との付き合いはもう何年になったと思う。
修行と僧侶を何年やってる?
どうして、まだ解らんのん?...。

>「涅槃」が、「境地」なれば、自動的に「無我」だろ? とw

いやいや.それは逆でしょ!
「境地」であるからこそ、逆に無我(アートマンは無いという意)ではないことが明白なのであって、
だからこそ、自動的にアートマンを浮き彫りにしてる、と。

「境地」というのは人の精神や意識の状態を意味しており、その意識レベルのことをいってる。
そんなことは何も今更、パーリ辞書を開かなくたって正しく学んでいれば常識ですから。
であれば、涅槃を覚知している意識がアートマンなのは自明だと思うが...。
涅槃を覚知する意識が煩悩塗れや仮和合の意識であったり、
五蘊の意識であったりする筈がないでしょ。
ゴータマは、五蘊を悪魔であるとさえ述べている。
ならば、その涅槃を覚知している清浄なる意識、
恒常な涅槃に常住する意識がアートマン以外にないことは必然。
ただ、ゴータマは迷信的なバラモンたちの手前があり、
自らアートマンということを説きたくなかっただけのこと。
だから、アートマンについて聞かれれば無記の態度を採るのです。
まったく「無い」などは一言もいっていない。
いつも、アートマンでないものに対して、それらはアートマンに非ずと述べただけ
(だから「非我」こそが意味合いとして正しい)。

まっ、セブンの良いところはなかなか生真面目なところかな...。
まるで“奈良の薬師寺管主”などとはエライ違いだ!!!!
あそこは15年の旅行のときに拝観料があまりに高くて断念してる。