>>26
>  このように、 宗教・哲学・文学・民話 などのすべてが、魂 =「我」があるという立場で語られてきました。
> 私たちは数千年の間、「魂はある」という思い込みの 世界で生きてきて、進化してきたのです。
>  ですから、 私たちの頭の中や遺伝子は、お釈迦さまが語られる「無我」を理解できるようにはなっていないのです。
> 一般常識的な立場では、無我を理解することはできません。「私たちには無我を理解できるだけの知識能力がない」ということです。

半分は合ってるが、半分は間違ってる、だから50点だな。
昔から、人間が永遠不変の魂を想定して信じてきたというのは、確かにその通り。
いや、もっと正確に言うと、人間は死後に存続する意識(魂)という概念を持つことで初めて動物から人間となった。
それまでの我々の古き祖先たちというのは、死んでしまった家族の遺体を埋めることはあったが、
それは死を忌み嫌うものであり、また病死の伝染を遮断したい意志などの顕れに過ぎないだった。
しかし、やがてこの祖先たちは自分たちの家族が死ぬとその遺体を手厚く葬る行為をするようになる。
花を手向けて、死後の生活に困らぬようお供えを捧げ続けるようになる。
これらは明らかに、死後の生存を想定したもの。
だから、人間は死後の魂という概念を持つことで初めて猿から進化したというのです。
〜これはとても有名な学術的な定説としてある。