『中論』第一八章

四 内面的にも外面的にも〈これはわれのものである〉とか〈これはわれである〉とかいう
観念の滅びたときに執着はとどめられ、それが滅びたことから生が滅びることになる。

五 業と煩悩が滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。
ところでそれらの分別思考は形而上学的議論(戯論)から起こる。
しかし戯論は空においては滅びる。

六 もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、
「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、
無我なるものも無い」とも説いた。

七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。
真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。

八 「一切はそのように〔真実で〕ある」、また「一切はそのように〔真実〕ではない」。
「一切はそのように〔真実で〕あり、またそのように〔真実〕ではない」。
「一切はそのように〔真実で〕あるのではないし、またそのように〔真実〕ではないのではない」

九 他のものによって知られるのではなく、寂静で、戯論によって戯論されることなく、
分別を離れ、異なったものではない―これが真理の特質(実相)である。