釈尊の視点から、ヒンドゥー教を少し考えてみよう。
ヴェーダーンタ学派はシャンカラの「不二一元論」を継承している。
かれらはブラフマン=アートマンという主張をしている。
 
ブラフマンは現象界(物質現象と生命現象)のことであり、
アートマンは人間存在の実体のことである。
かれらは、この二つが同一であり、本来等しいものだと考えている。
 
ーー 釈尊ならどう突っ込むかを想像してみよう。
あなたがたは、ブラフマンを体験したのか、アートマンを体験したのか。
体験した上でそれらが同一だと主張しているのか。
それともそう考えただけなのか。 → 恐れ入りました。 m(__)m