「キリスト神話は、罪の自覚とそれにもかかわらず赦されてある
人間という洞察を象徴しつつ、同時にまたキリスト信仰を救済の条件
とするエゴイズムをも内包している。それはキリスト神話の成立時点で
すでにそのようなものであり、今日においてもなおそうであり続けている。
これはすべて表象を絶対化し、その絶対化された表象に固着する自分を
正当化しようとするエゴイズムである。人間のエゴイズムを克服する
ために生まれたはずの宗教、命を生かすためにあるはずの宗教は、
それ自体が宗教エゴと化して命を殺すようになった」(上村静)。