マインドフルネス瞑想 Part9
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part8
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1519401863/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ 俺もトイレの電気の消し忘れとか、今さっき食べた食事わからなくなったり、
小学生の算数レベルの足し算引き算とか間違うこと多いよ
おそらく、生来のADHD傾向が顕在化してるのと、多量の飲酒による脳萎縮に加えて
加齢による脳機能低下、ひょっとすると認知症も出てるかも知れない
マインドフルネスノーマター >>339
ちょっと上でも書いたような気がしますけど 現在 今 というのが問題です 今というのは0秒なんです 急ブレーキ!で世界最高峰のドライバーが反射で反応して0.1秒後半でしょう
0.1秒はもの凄く長い時間なんです
屁理屈っぽい話をすると0秒に限りなく近くになるにつれて思考 判断する時間がなくなります じっと観ているだけしかできなくなります 次々と次の0秒がやってくるからです
0秒はたぶん無理だと思うんですが 深まっていくと瞑想中 時間が超超スローに流れるようになって音楽が細切れに聞こえたり指を一本動かすのに8つも10も細かい動き(気持ち悪いw)をしていることがわかる瞬間がきます(個人差あり?)
こういう変態的なことに挑戦していると 車のドアを開けっ放しでも 気にしない人生を送れるようになりますw 必要があってお金を貯めてた人が、貯金が趣味になっちゃった感… もうなんでもマインドフルネスのせいにしてりゃあいいよ 俺の母親は70過ぎだけど、最近は今言ったこともすぐ忘れるようになってきた 寺院なりサンガなりで、修行を積んでいる人間が、
作法を忘れました、しくじりやらかしました
「えへへ、マインドフルネスの成果ですね。えへへへ」
こんなん、通用するのw 大学のマインドフルネスの公開講義で、脳科学の先生(名前忘れた)が呼吸に集中するなどの一点に集中力を研ぎ澄ますタイプの瞑想法は、あまりやり過ぎると注意分割機能?だかが衰えるので注意不足や記憶力低下が起こると言われておられた気がします。 >>353
熊野さんの講義ですかね?
一点集中型っていうのは熊野さんの分類によるサマタ系の瞑想を指してのことですよね
そういうこともあるんですかね、あるかもしれませんね
注意分散型の瞑想とではまた違いがあると思いますが
いろいろ不確か、不確実な点がありますので、あまり突っ込みませんです 熊野さんはマハーシ式を含めた「一点集中」型をサマタ、
注意分散型をヴィパッサナーって言ってるし
マハーシ式を実践してる人たちは自分たちの流派をヴィパッサナーって言ってるし、
多分、単純に言葉の問題だけじゃなくてもっと深い部分でも見解の相違があるように思うんですけどね >>354
確かその先生です。
あまりサマタやヴィパッサナー、マハシ式などの流派には触れず、あくまで臨床の話がメインでした。
注意集中は呼吸に意識が向きすぎて周りの何も聞こえない、匂いもわからないような状態。
注意分割は呼吸に意識を向けながら、思考や身体の感覚や音や匂いにまで意識を広げるというやり方だったと思います。
何年か前のことなのであまり詳しい内容は覚えてませんが、過度の集中の危険性は何度も強調されてましたね。 >>357
>注意集中は呼吸に意識が向きすぎて周りの何も聞こえない、匂いもわからないような状態。
その先生はそのまでの状態になったことがあるのか?w 「sati(マインドフルネス、念)」の意味は
「憶えていること」「思い出すこと」
「注意すること」「気をつけること」です
その反対の「憶えていないこと」「忘れること」は
「失念」と言います 自我が薄れていく段階で忘れっぽくなるのは有るだろうな
自己が失われる恐怖から開放されて浮かれている状態
その先に進むと慈悲の心が芽生えて全体のために生きようと覚醒する 一点集中したら人によっては禅定とかサマーディとか言われる状態に入っちゃうでしょ
状態によっては他の一切が何もわからなくなったりするよ
呼吸じゃなくても何かに本当に集中できたらそうなったりすると思う
日常生活的には危険だけど、その状態を知るためにやってるひともいるし一概に危険で済ますものではない気もするよね
普段の生活の中ではそうならないようにしたほうがいいと思うけど >>361
それはいわゆるゾーンというやつだすな
スポーツ選手や芸術表現者などはゾーンに入れていつもの自分とは違うパフォーマンスが出ることがあるようだす
そういう自分もゾーンかどうか分からないだすが楽器演奏してて乗りが自分なりに極まってくると
リズム隊の演奏がゆっくりに聞こえリズムの表裏を細かくとらえられた経験がなんどかありその時の演奏は多分良かったと思うだす
瞑想ではなかなかそこまではないだすが
いつも思うのは最初は呼吸はランダムでも10分20分と瞑想を続けているうちに呼吸が整ってきて
呼吸が整ってくると同時に心の波風も静まってくるのは感じてるだす むかし武術の大会で優勝したことがありましたが
その時の状態は、ゾーンと言うべき状態でした
しかしゾーンをどう生み出すかがわからなかった
何十年も探してきましたがけど
どうも
それに近づく方法は瞑想にあるようです。 ピアノの練習をしているとき、指の動きが一本一本全てみえる状態に
遭遇しています。
ものすごいスピードで動いているのに
スローモーションで動いている様な感じです。
その時は思考が止まっているというか、思考が邪魔をしないと言う状態で
非常にクリアではっきりみえているという状態 心理学から見たら禅定=フローみたいね
フロー (英: Flow) とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。
ゾーン、ピークエクスペリエンス、無我の境地、忘我状態とも呼ばれる。
心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。 続きっす
チクセントミハイが見たところによれば、明確に列挙することができるフロー体験の構成要素が存在する。彼は8つ挙げている。
1明確な目的(予想と法則が認識できる)
2専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
3自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。
4時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
5直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
6能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
7状況や活動を自分で制御している感覚。
8活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。
3と4なんか特に、このスレでも言われてることに似てると思うが 366.
心理学をやっている場合ではない。
それは宗教ではない。
なんでか。 当方心理学を専攻しとりますが、サティ(気づき)がなぜ有効なのかは未だはっきり解明されてないようです。
メタ認知機能とか注意機能とか使ってそれらしい解釈もできますが、臨床ではメタ認知療法では寛解しなかった精神疾患のケースでもマインドフルネスは有効性が見られた。
まあ心理学的に見るとブッダは史上最高の腕のいいセラピストですな。 >>368
失礼、ここ宗教板だったね。自重しますです。 369.
ブッダはセラピスト、か。
それならば、金儲け、ができる。
宗教とは何か、理解していない。
だからして、心理学になってしまう、のだ。 うーん ゾーンは似ているけどちょっと違うんですよね 同じような集中状態なんですけど ちょっとポジティブなんです 動作に自分の思考は介在しないが気持ちは介在するというか
対戦相手なり 何かの動作なり自分以外の対象がある
ノリノリって感じです ただゾーン状態で不二一元が起きたこともあるんで関係ないとも言えないけど
大きな違いはそれまでの自分という感覚に対して 疑い 違和感を発生させて足腰をガクガクさせるかどうか ということだと思います
ゾーンのスーパー能力発動だとせいぜい ねえ 聞いて聞いて! 昨日こんな状態になって相手の動きがスローに見えたの! すっごく不思議だったよ!で終わってしまうので ここでゾーン体験をした人だけの話になってしまうんですが 体験をした人は 昨日のことのように覚えている人も多いと思います
ゾーン中に自分で体を操作していた 思考で自分を操っていた感覚は希薄ではなかったですか? 動作が勝手に起こっていたのではないですか?
日々の瞑想でも 日常生活でも良いんですけど その時と違いがあるか確かめてみて欲しいんです 歯ブラシを手に取る時 テレビの電源をつける時 家の鍵を閉める時
よし 歯を磨くので今から手を動かすぞ と決意してから手を動かしているのかどうか ぼーっとしながら家を出て鍵を閉め忘れたと思ったけれど 実際は閉めていたことはなかったか 長時間やるとうっ血の痺れで立ったらがくがくなるけど 無意識で何かやってるのはマインドフルネスじゃないよな
そこから脱却するのがマインドフルネスであって 光らない物・音が出ない物・動かない物
電気系統を持たない物 車の運転は無意識だよね
全ての感覚にマインドフルネスしてたら絶対に事故るわ >>377
確かにそうなんですけどねw
いやー なんか嬉しいな なんでだろw
それでは何にマインドフルになるのか という問題があります 実際心身で起こっているのは風を感じつつかつ 何かを思考しつつ 手を動かしつつ 足を動かしています まあ内臓も動いてますよね 眼球も忙しく動いています
意識が同時に全部を観られれば 全部を同時に観察できます ですが実際は瞬間瞬間には一つしか観察できないんです
本当は数え切れないことが心身で起こっているのに....
ということは 意識して観察しているのは 観察しやすいごく一部 または任意にこれ!と決めた一部を観察していることになります 観察さえ一部しかできないのに全ての動作を意識して行えるか?という新たな疑問ができるわけです >>379
車の運転は半分は無意識かもしれんだすな
ヴィパッサナーで脳内実況中継しながら運転するのは疲れてしまうので長くはできないのは確認しているだす 交通事故って無意識の運転中に起きてることが多いんじゃないか >>382
だから半分は無意識ということだす
全くの無意識だったらそりゃ事故ります
自分がした運転中の実況中継は
前車との距離15メートル
前車との距離15メートル
カーブミラーを前方に確認
対向車を発見
前車のナンバープレートの番号は〜
カーブミラーの横を通過
周りの木々は枯れている
対向車はスピードを出している
こういった実況を「休みなく」、口に出さずとも脳内で言葉を使ってするもので10分もしたら疲れてしまっただす
あと丹田呼吸に浸ったまま運転するのも危険だす 車の件はそこにこころを置くというか
気をつけるというか
じゃないかと >>383
そんなラベリング要るか?
なんかずれてるような気がする。ちゃんと指導者いる? 15メートル
15メートル
カーブミラー
対向車
7830
通過
枯れてる
スピード
こんなラベリングを運転中ずっとしててごらん
運転中ぼっーとすることもなく運転に集中できるだろう マインドフルネスストレス低減法では
発進の前に瞬間的に呼吸を意識する
運転中は運転と運転している自分に注意を集中する
ラジオは聞かない
それくらい 意識も無意識も両方必要
ポイントはそれを統一する「何か」。 >>369
メタ認知療法には慈悲が必要なんじゃないでしょうか ホオポノポノはシンプルでやりやすい
無駄な議論よりクリーニングを優先するぜ >>383
あえて文章にしたためにそういう表現になってしまってるのかもしれませんけど 「思考」の領域が多いですね
それが実際に起こっているなら相当疲れそうです 見ている 見ている 信号を観た 右足で踏んでいる 右手に力を入れている
対向車線を観ている 標識を観た 体に緊張が走った(スピード違反に気づいて) と私なら実況中継するんですが
ちょっと工夫して何かに影響を受けて五感と思考が発生した 瞬間にだけ注目してみて下さい
ただ思考が煩い初期の間は確かに 何かをみたら ガーっと思考が文章のように自走することもあるかもしれませんね
人によって相当違いがあるようですから >>395
何言ってんの? ここマインドフルネス瞑想のスレだから >>396
そこに書かれている全ての動作は別にラベリングなしでもサティを入れられそうな気するのですが、わざわざ実況中継する必要あるのでしょうか?
ラベリングを否定するわけじゃないのですが、私の師はラベリングを行わずサティを入れるやり方なのでちょっとその辺の必要性がわからないんですよ。 陳那
「直接知覚が概念化構想、いわゆる分別を交えない知であり、
これが正しい認識の根拠であり、正しい認識の手段である」
つまり・・^^
受想行識を捨てろと・・^^
う〜〜〜ん^^
おまえらにはちんぷんかんぷんか・・・^^ >>399
あなたは受想行識を捨てられますか?
まだ捨てられていないなら、あなたは実際に十二因縁のどこでサティが入りますか?
あなたの修行は清浄道論に定義される智慧のうちどこまで得ていますか?
あなたは預流果以上ですか?それ以上だとしたらどの段階ですか?
あなたはなぜ、おまえらにはちんぷんかんぷんだと判るのですか? 『色蘊は空寂なり』の清浄なる句義、是れ菩薩の句義なり。
『受想行識蘊は空寂なり』の清浄なる句義、是れ菩薩の句義なり。 受想行識を捨てられますか?
捨てろというより・・・^^
色・受想行識に執着するな・・^^
と言ったほうがよかったか・・・^^
捨てろということは執着するなということだけれどもね^^ その肉体と受想行識を「自分のもの」だと思うから苦しみが起こる。
だから、その肉体と受想行識に執着するな。とゴータマ・ブッダは説いたという。
http://blog.livedoor.jp/kazusa69/archives/50827784.html
う〜〜ん^^
ブッダちゃんと考えがおなじや^^ 五感による直観で生きていくようにしろ・・^^
これは・・^^
肉体と受想行識に執着せずに・・^^
「直接知覚が概念化構想、いわゆる分別を交えない知であり、
これが正しい認識の根拠であり、正しい認識の手段である」
直接知覚のこと言ってると思うんだけれどもね・・^^ 「テーラワーダ仏教のヴィパッサナーの瞑想の基礎も、唯今の動作だけに意識を集中
させて、できる限り受想行識という認識作用が起きないようにする基礎訓練である。」
分別により虚妄の世界に入ってしまうからな・・^^ 【非思量】
仏語。すべての相対的な観念を捨てた無分別の境地。座禅の要とされる。
〘仏〙 人間の立場からする思考を突き抜けた心の在り方。
唐の禅僧薬山惟儼いげんが、座禅の際の心の在り方を問われて答えた言葉。 簡単に言えば・・^^
いらないものはどんどん捨てろと・・^^
究極には一切をも捨てろということだな・・・^^ 723因縁果 ◆d........o 2018/04/28(土) 18:08:25.54ID:9r4TjTsy
かかるむほんなどをたくまんと、おもいいたす最初の一念は、たばこの煙などのごとくにして
、きわめてかすかなる、ただ一念の妄想なり。
この一念の妄想を、わざわひの本ぞと知らずして、ひたと思いかさぬる故に、はては一天に
みつる雲のごとくにして、いよいよ思いやめがたし。
その最初の一念のとき、やれ妄想よと、あきらめ知りて、胸の内にて消さん事は、
何よりもってやすき事なり。
724因縁果 ◆d........o 2018/04/28(土) 18:09:31.70ID:9r4TjTsy
妄想もまた、これに似たり。
最初の一念の時、はやく思い捨つべし。
一念心をひるがえせば、無始久遠の妄念も、刹那があいだにはるるなり。
このことわりをわきまえて、夢の妄想を思い捨てて、さとりの心にもとづくべし。
この妄想を思い捨てて、第三の想蘊をこえて、さとりの田地にいたるべし。 >>410
とりあえずその興奮したら連投しまくる自我と
承認欲求を捨ててみては? ライフハッカーさんから残念なお知らせきてるで
(2014年8月17日の記事の再掲載)
https://www.lifehacker.jp/amp/2018/04/what-is-mindfulness-and-why-is-everyone-talking-about-it.html
米紙『ニューヨーク・タイムズ』は、創造性や洞察力のためには、ぼんやりしたり空想にふけったりすることが必要である可能性を紹介しています。
またこの記事によると、高度にマインドフルネスな状態は、「潜在的学習」(無意識のうちに、新しいスキルや習慣を学ぶこと)における効率の低さと相関している可能性があるようです。
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だってさ。
ぼんやりする時間て敢えて必要?
俺は座るか風呂入る時間あったらそれで良いけどな〜 非思量
http://www.joshukuji.info/hishiryo.html
坐禅中の考え事は、対向車線を向こうから来る車だと捉えて、
流れているままにしておきましょう。
そちらに注意をとられると、脇見運転をしていることになり、ひどい場合事故につながります
今している呼吸に注意を向ける(観つづける)というのは、脇見運転をしないように、
気がそれないように、なおざりにせず(不放逸)、注意深く気をつけているということ。
今やるべきことは、今この瞬間に起こっていることに気づくということなのです。 >>417
>>402の質問に何一つ答えていない。
あなたにあるのは外部から得た知識のみで自ら修行で内面から得たものは何一つないと。
そういうことでしょうか? >>414
日付みりゃわかるけど、何年前の記事だよw
このスレにも何度貼られたことか.。飽きた >>398
結論をいうと別にどっちでもかまわないと思います
私も色々試したんですが ラベリングやマナマハリシ師のように自分 私 を気づきの中に入れる利点は 常に意識を正気をしっかり保つ効果なんだと思いました
観察も慣れてくるとダラダラと新鮮な気持ちがなくてもできてしまうので 常にしっかりハッキリ気づきを保ちやすい
感覚的にいうと何かをする前に自分でポッペタをパチンと叩いてから よし! 次もパチンとやってから よし! という感じ
ただ進んで深まってくるとそのへんはあまり重要ではなくなってくると思います このスレ見てても、瞑想やってる人ってメンタル崩壊してる人が多そう >>418
>>402さんかな?
ちょっと気になったんで質問
>>398のラベリングしない流派ってパオ式のこと?
それともゴエンカ式? マインドフルネスで「気づき」に相当する英語は awareness だが、
この語は「(〜への)意識があること」というニュアンスで用いられる。
つまり、マインドフルネスは、今ここ(にいる自分)を意識することが中核となる。
が、「気づき」という訳に引きずられて、
今まで見えていなかったものがふと見えてくる小さな発見こそ
マインドフルネスの肝だと勘違いしている人がたまにいる。
小さな発見に喜ぶことも悪くはなさそうに思えるが、
この勘違いで間違った瞑想を行い、人生を悪くした人を一人だけ知っている。
その人は、自己の利益のために嘘をついてもよいのだという「気づき」が入ってしまった。 ちなみに、サティ(sati)を「気づき」と訳す人がいるのも、
sati が英語圏で awareness または mindfulnes と訳されたことから来ている。
しかしサティは本来「忘れないこと」「思い出すこと」すなわち記憶を意味する言葉で、
そこから「注意すること」という意味でも使われる。
「朝 雨が降っていたので傘を持って出たが、昼晴れたので置き忘れてきた」人は
「サティが足りない」ということになる。
仏教的には「法」を忘れないことがサティになる。
「サティを入れる」というのはほとんど意味が解らない。
この「サティを入れる」という言い回しも、サティを小さな発見と勘違いさせる要因となっている。 時々コテつけてキチガイみたいに連投するのもよそうよ 知り合いから教えてもらった副業情報ドットコム
暇な人は見てみるといいかもしれません
グーグルで検索するといいかも『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
SIGBQ 好ましい好ましくない等がゆるやかになったりするのについては、ただ見る以外にも
苦(好ましいことがあると執着が起こる。その好ましいことが壊れそうになると執着のぶん苦しみが起こる、など)や
無我(完全にコントロールできるものはない。ある程度できても最後は破綻する、などいろいろ)等の日常の観察、
理解も上座部だと使っているような気が。
仕事で何度も破綻している(と言うと大げさだけれど)のを見ていれば、新しく予想外の何か(破綻)があっても
なんか普通に対処できるというか。
それだけでも感情の上下が穏やかになっていくような感じの気がします。 >>423
タイのルアンポー・ティエンの教えです。
日本ではプラユキ・ナラティボー師のお名前を良く聞きますが、私はタイ在住の時期にバンコクでパイサーン師の法話があったのでそこで彼から指導して頂きました。 >>427
非人格的かつ無限定・無属性のブラフマンのみが実在し、現象界は迷いつまり無明によって仮に現れている「幻(マーヤ)」
に過ぎないことを悟らないとこの手の妄想はいつまでたっても起こりうるよ
それを悟るためにはヨーガによる瞑想が必要 >>432
タイってホテルにテーラワーダ協会の本おいてあるからテーラワーダかな
と思っていたよ。
でもスマナサーラのとこはマハシ式だよな…
人によって違うのかね?? >>432
チャルーンサティの人か。
チャルーンサティだとどこで砂泥は言ってどんな感じになるの? >>435
砂泥は言ってじゃなくて、
サティ入って >>432
http://www.mahasati.org/manual_selfawareness.htm
なんかここ↑をみると
10日で名色を得、(定ってことかな?意味がよくわからんが…)、
だいたい1年(最短1日最長3年)で苦滅に至る、って事みたいだが、実感としてどんな感じ?
どうでもいい事だがチャルーンサティて、別にダンスでもいいんじゃないのかコレ? 教理、学理はどうでもいい
こういうところにいって生きるのが楽になったとかの答えが欲しい どこかにいくのではなく
ここにいるのがマインドフルネスだから
どこかに行って幸せを得ようとする考えならば
マインドフルネスじゃなく違うことやった方がいい こんなとこで聞くより本やネットででも調べて一週間でも自分でやってみたらいいのにって書込みが多いな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています