マインドフルネス瞑想 Part9
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part8
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1519401863/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ >>238
怒りがみえているっていうのは、大変なことなんですよ
みえてないから、殺人やその他傷害事件が起こるわけですから
でも心を自分の心を観るのは、とてつもない恐怖であることは
よくわかるんです。
自分が全てさらけ出されるから、普通は拒否されますから
醜い部分があからさまになるから >>245
他と切り離されても尚、普遍の自己として存在し続ける実体です
見つかってないですよね?
もしかしたら肉体のどこかに、いや、肉体と遠く離れたところにあるかも知れないけど
見つかってないですよね?
貴方は何か心当たりありますか? >>245
おまえの問いは全部俺のことだぞ
我こそが唯一神 お釈迦様ですら私という主体的な存在はないって言いましたね
お釈迦様ですら幻影に過ぎなかったのです
悲しいですか?
自分が幻でしか無くて悲しいですか?
僕は全ての苦しみから開放されました
だってなにも失うことが無いってわかったからです
もうおっかなびっくり生きなくて良いとわかったからです >>247
>他と切り離されても尚、普遍の自己として存在し続ける実体です
誰がそれを実体であると定義してるの? >>251
「私と思い込んでいる幻」を認識しているのは誰なの? >>252
私と思い込んでいる幻がです
どこまで行っても幻なのです
だからお釈迦様は
「そんな不毛なことに執着するな」って教えたんです
貴方がこれまでどんなに苦しい人生を送って来たのかしりませんけど
やっぱり「貴方」は幻なんです
それを受け入れて楽しくやりなさいよ これ横で聞いてる分には面白いだけだけど本人は真面目に問うてるんだよね? >>253
>どこまで行っても幻なのです
幻がいくら語ってもその内容は幻だな
だから君のレスは全て幻
あるクレタ人が全てのクレタ人は嘘つきであると言ってるのと同じでパラドックスに陥っていることに気づきなさい >>255
私の言うことは幻ですよ
そして貴方の言うことも幻です
私も貴方も実体は無いんですから
私は私が幻でしか無いことを知っています
だから幻と言われても「そのとおりです」としか言えませんし
それで満足です
貴方は実存だと思いこんでいるから苦しいのです >>256
>私の言うことは幻ですよ
これで話の全ては終わりだわ
その後のレスは全くの蛇足
幻なのだから
厳密に言えば一行目も幻であるから蛇足なのだが循環論法というパラドックスの好例としての価値はあるとは言えよう 非二元で全ては幻って言い方よくしてるけど、幻だときちんと理解できてないのに言葉で言うのはやめなさいとも言われてるよね
幻ってのは幻かどうかじゃなくて、現実と幻とそのどちらもの概念がないことだから
幻って言いたくなるときはと多くの場合幻というものが存在してるというこだわりになっちゃってるんだよね
現実があるというこだわりが幻があるというこだわりに変っただけ
現実とか幻とかそういうのが丸々どうでもよくなることが幻ってことなのに >>213
ブッダにせよマハーシサヤドゥにせよ
メソッド語り始めちゃうのは同じ。「俺切れてないよ」はわかったからそう動揺すんなって >>258
> >>256
> >私の言うことは幻ですよ
>
> これで話の全ては終わりだわ
いや、そこで相手の言うことが幻だって認めちゃうの?
いままでの主張の骨子からいって、そこは「あなたは幻じゃありませんよ、こうして話しているのは誰?」って頑張るとこじゃね?w >>262
なんでレスを見ただけで本で得た知識だとわかるんですか? >>261
>>229で発言したことは幻であり現実ではありませんでした
で終了ということ 幻という表現はこの世界では沢山使われるんですが
幻自体は問題になりません
幻に拘ってしまうのが問題なんです
死んだ子供 友人 彼女に似ている 目で追ってしまう その人のことを思い出してまた悲しくなってしまう
「似ている」だけだとわかっているのに何かがまた発生 生起してしまう
幻だとわかっていることと それに拘っていることは全く別の事象 カテゴリ違いの問題なんですよ メンタリストDaigoのチャンネル見て所謂「脳の筋トレ」だと思って始めた
将来の事とか過去のトラウマとか現在仕事で受けるストレスを受け流して散った気を戻す訓練みたいな感じ
ずっと憂鬱な気分で胸がつっかえてたけどまだ意識しないといけないとはいえ楽になってきた
まだ2週間15分ずつくらいしか出来ないけど続けるとやばいの? 幻のことをインドではマーヤーという。
宇宙の根本原理ブラフマンは個人の本体であるアートマンとまったく同一であり、ブラフマンすなわちアートマンのみが実在し、
それ以外のいっさいはマーヤー(幻)に基づき、あたかも幻影のように実在しない。
マーヤーを実在と見なすことを無明という。
ブラフマン(アートマン)のみが真実であり実在であり(一元)第二の実在はない(不二)、この説を不二一元論という。
不二一元論によると、日々の瞑想の継続により、
自己の内側にある不必要なものを浄化することができ、心は平安と静寂に包まれながら、
外側では本来の自己の能力が開花され、日常をより力強く、快活に日々楽しく生きることが出来るようになる。
そして自己の浄化が加速するにつれ、心(マインド)から一切のエゴと様々な二元的な考えを取り除き、宇宙(梵)と我々(個我)の本質がひとつであることを体現する。 >>269
瞑想指導の先生から、感情やストレスを受け流すというのは抑圧されているだけだと聞いた。
瞑想はその抑圧され蓄積された感情の源(潜在意識)まで降りて行くからいきなり長時間やるのは危険で、一日10分くらいから徐々に増やしていきなさいと指導されたよ。 仕事関係で朝とか不安感が強いんだけど、こんなときはどうしたらいいかな 呼吸を見るのはアーナパーナ?抑圧になる?
ボディスキャンをすればいいのかな?
いろんな宗派でいろんな解釈、いろんなやり方があってわからなくなってきた ブッダのアーナパーナでも、ティクナットハンのマインドフルネスでも、
体の安楽を感じながら、とか体を楽にしながら、というフレーズが出てきて、
それって抑圧なのか?やらないほうがいいのか?などと思ってしまう マインドフルネスを知らない人がやる「受け流す」は気にしないようにしてるだけだから抑圧になるかもね
マインドフルネスは違う
というか、気にしないように「する」んだからマインドフルネスとは反対か やってみて効果があるかないか試すしかないわな
気になるなら指導者のいるとことろでおしえてもらうか
かといって指導者がちゃんとしてるかどうかわからんし結局のところ自分に結果が出るまで何もはっきりしない
時間があるならいろいろ本読んでいろいろやってみるのがいいんじゃないの ちゃんとした本に書いてある事を書いてある通りに素直にやってみるのが一番なんだが…
レシピをいろいろ工夫してマズメシ的なコースに入っちゃう人ってほんといるからなあ ただ身体感覚を追い続けるだけなんですけど
難しいのかな? ゴエンカ師のところでは身体の感覚を順番に観るだけだね
スマナサーラさんのところの呼吸を感じる方法は、
ゴエンカさんのところだとサマタになる?
それに、ティクナット ハンさんのところだと、身体を楽に、幸せを感じて、とか、感覚を作るというか、サマタなのかなと思うことが 感覚を追い続けるだけって本に書いてあっても
真面目な人ほど、感覚を追うんだ、集中しなきゃ駄目だ、何で自分はできないんだ、ああっまた気が逸れてた、次こそ…次こそ……グッタリorz
とかやりがち >>275
安楽に 安楽な状態で... その場合の安楽は抑圧ではないです
寧ろ日常でどれだけ心身が硬直しているか実感する機会になる確率の方が高い気が....
是非挑戦して下さいませ
一番向いているのは休みの日の寝起きなんかが代表的です ・舌は上のあごに掛けるのである。
息は鼻から通じさせるべきである。
唇と歯は相い付けるべきである。
眼はまさに開くべきであり、張っても微[ほそ]めてもならない。まぶたで瞳を覆ってはならない。
うなじが背中から違ってもならない。
鼻からの息は通じるに任せて、喘がず音も出さず、長くもなく短くもなく、ゆっくりでもなく急ぐでもない。
身と心をともに調えて、身体を挙げて数回欠気して、内外を放ちゆるくするのだ。
(道元『辨道法』)
https://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/5f6c3e0c68ce3273e94adc590ae30d6b >>276
そうだね。
例えば失恋の場合、普通の人は趣味とか仕事とか旅行とかほかのことやって失恋の苦しみを紛らわせるが、
マインドフルネスの場合、失恋の苦しみに伴う想いなり感情なりに正面から突っ込む感じ。
普通の人から見たらマインドフルネスの方がしんどく見えるけど、想いや感情を乗り越えるには結局逃げずにしっかり観るしかないんだよなあ。
逆に普通の人の受け流すやり方だと、怒りや悲しみや恨みがいつまでも潜在意識に残ることになる。 >>284
ありがとうございます
なんとなくその感覚わかります。平静に体の緊張を見ること自体に安楽な土台が感じられるというか
試してみます >>285
舌は上のあご?前歯?につけろ、
眼(のまぶた)は半眼にしろ、っていうの、
言ってるの曹洞宗だけじゃない? こんな事書いたら、また気取った物言いしてんじゃねーよって言われんのかな
先に謝っとくわ。ごめんねごめんね〜 >>288
曹洞宗以外の仏像も半眼だよ
奈良の大仏の毘盧舎那仏
鎌倉の大仏の阿弥陀如来
広隆寺の弥勒菩薩像
金剛寺の大日如来像
有名な仏像はみな半眼で瞑想している
タイやミャンマーの仏像も瞑想しているものは殆どが半眼 まあそらそうなんやけど
半眼で瞑想するのお勧めしてるのって実質的には禅だけやで チベット仏教基本半眼
ヒンドゥー教目は開いたままか半眼で瞑想
あるいは軽く閉じて瞑想 出来るところでやっていけば良いのではないかと
少なくともその時間は今に居るはずですから >>294
お勧めっていうか半眼の指示があるかどうかね
閉眼か半眼かって特に指示無し、つまりどーでもいいってのが普通で、あえて指示があるときは閉眼じゃない?
キリスト教の黙想とか閉眼だし
ヒンドゥーは開眼なの?俺の知ってるヨーガ系の人達は閉眼だけど… 指導書の多くは、眠くなるなら開ければいいし気が散るなら閉じればいいなどと結構柔軟だね。
ラリー・ローゼンバーグの本には、そんなこと(目を閉じるべきか開けるべきか)で問題を起こすなと書かれていてハッとした思い出がある。 そうだよね
開眼か閉眼かを指示してくるのはあまり無い印象、つまりどうでもいい要素
歩行瞑想は開眼、観想は閉眼ってやり易さに合わせるのはあるだろうけど 足の組み方とか印の結び方も宗教や宗派によってまちまちだね 自分の頭の中の雑念をラジオを聴くかのように観れるようになってきた。
この意識状態いいね、自分を外から眺めてる感じ。
ふと怒りが湧いてきても、おお俺怒っとるなーみたいにひとごとみたいに受け止められる。
人に言ったら離人症とか思われそうだから何も言わないけど、自分でも瞑想状態と離人症の区別がはっきりついてないんだよなぁ。
瞑想修行が進めばわかってくるのかな? このスレの住人って頭でっかちでgdgdばっかゆーてるけど、ヨガくらいやってんの? なんでこのレスの流れで理論武装がどうたらとかw
誰がバカなんだか >>301
その状態をこのスレでいうと病気扱いされちゃうけど、それでいいんだよな多分 >>309
私の知っている先生は若い頃からその状態が普通だったんで 人類全員が同じだと思ってた 違うと知った時ほんとに驚いたと言ってましたよw
私も大昔に最初に座った時には自分のおしゃべりの激しさに初めて気づいて笑ってしまいましたけど 今は あ 音に気づいた あ 怒りに気づいた あ 思考に気づいたという感じです
もっというと体という乗り物に観察する意識が乗っていて 勝手に色々動いたり反応したりする様子をただ眺めている感じの時も増えてきましたよ
あんまり心配なら専門外来受診を勧めますが 離人症を見分ける医者は少ないだろうな という気もします どのくらい瞑想したらそんな感じになれるのかな
感情はあっていいけど感情に巻き込まれないようにしたい 瞑想始めてからすごく怖くなったよねって知人に言われてびっくり(知人は俺が瞑想始めたこと知ってない)
自分としては以前より苦しみ減ったと思うんだけど >>311
>>310書いてる人は、文体と内容からみて>>199だと思うんだけど ラーフラ、捨の瞑想を深めなさい。というのも、捨の瞑想を深めれば、ラーフラ、どんな怒りも消えてしまうからです。 捨の瞑想・・^^
最終的には自分なる者をも捨てる^^ 自分なる者・・^^
そんなものなかった^^
でござる^^ 究極には一切をも捨てる・・^^
「空寂清浄」の境地やな・・^^ なぜ捨てられないのか・・^^
考えるのもいいかもしれん^^ 分別してるから捨てられないんやで^^
なんて言ったら・・^^
おまえらちんぷんかんぷんになるから・・^^
ここまでとしとくか^^ >>310
どうもそういうことが、普通は出来ないらしい
おしゃべりが止まったとき、うるさいラジオのスイッチをブチッと切ったようになりますよ
シーーーーーーンと、なんだこれはと その時、あたかも心が静かなピーンと張り詰めた湖の湖面の様な状態
恐ろしく静かとでも言うような マインドフルネスの客観視ってトラウマ忘れるための方法みたいに言われてるけどどこまで忘れれるの?
ちょっとしたことにしか効果ないのか
それとも例えばトイレにスマホとか財布を落としたみたいなどう頑張っても忘れれないようなことまで忘れれるのか >>327
ただ 観察を続けていると心のおしゃべりがかなり少なくなっても何かを感じていたい 新たな強い刺激が欲しい 空っぽ 無になりたくない という衝動が 意識 無意識に常に湧いてくるのがわかります
それが悪いということはないと思うんですが そういう衝動もおしゃべりと一緒で観察する必要があります
繰り返す思考行動パターン 考えるのも恐ろしいので通常は滅多に現れない秘めた恐怖 などなど
いっぱい観るものがあります うんざりするぐらいw >>329
マインドフルネスで極限まで到達した場合は たぶん自分が人間だということを忘れるんじゃないでしょうか という冗談は置いといて...
正確には気にならなくなる 思い出すのが難しくなる感じだと思います 私の例で恐縮ですが 車を駐車場に止めて用事を済ませて戻ってみると 見事に運転席のドアがバーンと開いたままでした 閉めることを忘れてたんですね
またこの記憶もあやふやです どこの駐車場で何の用事だったかはもう完全にわからなくなっている
個人差は大きいでしょうがある瞬間を起点にしてそれ以降の体験 記憶は希薄になるような気がします
ある瞬間以前の記憶の方が問題です 多くはそれがトラウマの場合が大きいでしょうが それはしつこいながらも気にならなくなります ドアを閉めるのを忘れるってマインドフルネスとは真逆なような トラウマの対処は忘れることではなく観ることだと思うな。
あるリトリートで過去のトラウマ的な記憶が鮮明に現れて、その日ほぼ一日号泣して、翌日以降は思い出しても気にならなくなった。
これを指導者なしでやるのは危険かもしれないけど、たぶんいつかは覚悟を決めてその感情と向き合わない限り生きてる限り永遠に追いかけてくると思う。
例えば家族の葬儀とかで悲しむ素振りも見せず気丈に振る舞ってる人ほどあとあと酒に溺れたりしていつまでも囚われてるし、逆に人目もはばからずギャンギャン泣きわめく人ほど短期間であっさり乗り越えているような気がする。
たぶん日本人は前者のタイプが多いからリアルタイムでは感情が抑圧されまくって瞑想時にその感情が噴き出す感じがする。 トラウマの直接の解決は完全にハッキリ観ることだとは思うけど、観れるような人はこれまでに観えてるだろうし、
観たくない観られないからトラウマなんだろうから、今までとは違う余程の決意と真剣さでやらないとトラウマ解決まではいかないだろうね
そもそも怖れから観ることを避けてるそのプロセス自体がトラウマだから、観れれば解決されるし、
観れない観るのが嫌なものは多かれ少なかれその人にとってトラウマだろうし
ハッキリ観ることができない人は客観視で地道にやってくものかも
客観視でもそのうちハッキリ観えて来るだろうし >>331
どこがマインドフルネスで極限まで到達した、だよw
ただの注意欠陥障害か健忘症だろ
それ車のドアだからよかったもののガス器具とかだったらヘタすりゃ死んでるだろ >>332
ほんとに謎です 自分でもw
原付のメットインもパカーンと開けたままが何度もある
感覚的には自分に意識が集中して外のことが目に入らないというか 外に意識を向けるのが疲れるというか 煩わしいというか
でも仕事は遅刻することなく行けている 不思議だ
>>336
そこは本当によくわからないですよね
まあ聞きおよぶところによると ある人は数を数えることが難しくなったり 動作が極端に遅くなったり 変化の前後にはそういう状態になるエピソードがあるようだけど
そこまでじゃないしなー という感じ 集中が極限になって本当にいまのこと以外一瞬前のことも忘れてしまうんでしょ
忘れてしまうというかいまの一瞬のこと以外自分の中になくなる
普通のマインドフルネスの状態じゃないよね やるべきことやってないんだから現在に集中出来てないと思うんだけど ただ今に気づき続けていると
時間がものすごく早く過ぎ去っていくように思える
集中しているからだろう
ただ、集中しているという感じは全く無いのだけど 七慢 しちまん
1.慢まん 自分より劣っている人に対しては自分が勝っている、とうぬぼれ、同等の人には、自分と等しいと心を高ぶらせる。
2.過慢かまん 自分と同等の人に対して自分が勝っているとし、自分以上の人は自分と同等とする。
3.慢過慢まんかまん 勝っている人を見て、自分はさらに勝っている、とうぬぼれる。
4.我慢がまん 自負心が強く、自分本位。
5.増上慢ぞうじょうまん 悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、おごり高ぶる。
6.卑慢ひまん 非常に勝れている人を見て、自分は少し劣っている、と思う。
7.邪慢じゃまん 間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思う。 お日様の高いうちからマンマンマンマンえろくさいスレだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています