阿含宗という宗教293
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霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
■阿含宗関連サイト■
考察資料の総合案内「agama考察室」
http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
http://agama.zouri.jp/kakoindex.html (1〜100まで)
http://agama.zouri.jp/kakoindex2.html (101〜200まで)
http://agama.zashiki.com/kakoindexmenu.html (201〜239まで)
※ 以降は5ch(旧称 2ch)が転載防止策を講じたのもあり、転載できなくなっているのもあり、239で処理を中断しています。
※ なので、まとめサイトとしての agama考察室での過去ログ閲覧は239までとし、
※ 以降はネットで見たい掲示板のタイトルを検索して探して見ることをお奨めします。
過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
http://agama.zouri.jp/kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC
http://agama.jounin.jp/ >>504
で、今でもワダゲバのシモベ
なのかい? >>504
ワダ尊師に三礼。
>>https://i.imgur.com/fF3tSYm.jpg
この方が2代目教祖か、まだついていく信者がいるのか。
最近、更に邪霊格があがって見えるのは私だけか?私が知ってた頃より
ゲス化して見えるが、近々、大事件起こしそうな顔にしか見えない。
でも、信者から見れば大聖者に見えるんだろうな。
つくづく洗脳は恐ろしいと自覚しますね。ほんと辞めて良かった。
504さん、昔は昔、今は今、
早く足洗った方が良いと思うけどな
ワダゲバ好きなら仕方無いけど・・・お節介でゴメンよ。 批判する激論も当時を過ぎて見られなくなったのかしら。あのあれ。 梵字ペンダントネックレス【不動明王】(カーン)
http://blog.livedoor.jp/s5937b9-shitoafirieito/archives/9847042.html
梵字の源流は、ブラーフミ文字と呼ばれる古代インドで発祥した文字で、その後、サンスクリット語を表記するために造られた文字になり、
様々な変遷を経て、仏教の文字観と結びつき、平安時代、特に空海、最澄が伝来させた仏教(密教)の伝来とともに、悉曇文字として日本に伝わりました。
その梵字(種字)一文字で神仏を表し、お守りとして身に着けることで、悪しき人間は良き方向へ、よき人間は、より良き方向へ導き、
持つものに様々な功徳を与え、災難から救ってくださるという神聖なパワーを持っているといわれています。
梵字の事を分かりやすくいえば、各、仏、菩薩(ほとけ、ぼさつ)様を表した文字なのです。
その中で生まれ年(干支)によってきまる守護尊を表したものが守護梵字です。
※酉年生まれではない方でも、不動明王様がお好きな方は、身に着けても構いません!
>>514 写真は不動明王の種字、カーンですね。正確な音はハーンになるよし、
昔の日本語では音の不足が有ったらしいですね。
さてこの不動種字は日蓮宗の南妙法蓮華経を真ん中に書き記す曼荼羅にも
書き込まれております。
とは言うモノの、明らかなる誤字と言う情けない実態があります。
日蓮が梵字を書けなかった?弟子も書けない?其のまま間違い通して800年。
是は以前にも指摘しました。
ひらがなで表現すると、<あ>と<す>の字形ほども違うのです。
どうにかしないのが今更の御宗旨なんでしょう。
>>515さん
弟子による伝言ゲームかもしれませんねw また、悉曇ではなくそのものに意味があるのかも知れませんし。わかりませんし興味もないのですが…
それよりも「『釈迦は桐山靖雄を出現させるために現れた』と書いてあるが、 実はわたくしもそう思っていた。自分からは言い出せなかった…とご霊諭出した自称仏教系の開祖はどうなのでしょう?
「あ」と「す」の字形どころではありません。これで釈尊直説を言う開祖なのですから
>どうにかしないのが今更の御宗旨なんでしょう。
どうにもできないのが今更の御宗旨、残務にしか見えないアゴン宗。>>515が現役信者さんの投稿でしたら他の宗旨批判は控えたほうが良いと思います。 丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。
しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、
「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、
各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、
上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、
「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、 去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。 >>513
>ワダ管長猊下
>念力の護摩成就するか!🔥
> https://i.imgur.com/kgKkwyJ.jpg
↑↑↑↑↑
ワダ猊下の被り物って 頭襟のつもりなのかぁ?
変な赤色系だが 梅干し被っているみたいだねw
梅干しババアを意識しているギャクなんでしょうか?
早く念力の護摩成就してほしい。
そして阿含宗完全二代目管長に就任してもらいたい。
おめでたいですwww
で、完全仏教阿含宗完全後継者管長ゲイカになって
大僧正になって 大阿闍梨になって 世界にワダ猊下の教えを
発信してもらいたいです。期待してますよ ワダ管長ゲイカ様。 現在の岩波仏教辞典が発行されたのは平成元年ですよ。その辞典に「向は修行の目標、果は到達した境地を示す」とあるわけでね。深山ユビは過去30年間、この向と果の意味を理解することがなかった。お笑いですね。ま、批判派全体ですが。 「向は修行の目標、果は到達した境地を示す」とはさ、預流向は預流が修行の目標、一来向は一来が修行の目標、不還向は不還が修行の目標、阿羅漢向は阿羅漢が修行の目標、ということだろ。これほど明快な辞典の説明が分からない頭なんて、お笑いだろ。 修行の目標というからには、到達していないから目標なのであって、到達してたら目標になり得ないでしょ。だから一来向は一来に到達していないのよ、分かる? 向と果の対とは、到達していない者と到達した者との対ということだね。深山ユビの説、預流=預流向+預流果、であるならばさ、預流向と預流果を区別する意味がなかろう。分かる?
向と果の意味がなくなるさ、分かる? 『自動車運転免許証』を取得したいなら自動車運転教習所に通い、
教習課程を終え(4段階あった記憶がある)仮免、を終えねば
都道府県自動車試験場にて本試験を受けられない。
この教程を向と果の例える判り易い。
だが然し、たとえ話ではない成仏法と言うべきか、1番目から4番目まで、特に
最後の本試験の監督官は誰なのでしょうか?
詰り、私が言いたいのは其の域に達して物を言う人が現れずに、妄想と
勝手な事ばかり言い合う、空っぽの口喧嘩がこのスレッドである。 >>524
まさに正解!
いい事を言いなさる!
だからこそ阿含宗には仏教を語る監督官、
あんたの言う本試験の監督官は一人もいねえの。
わかったかよ ハゲの田舎ジジイ。
空っぽはアンタだよ。
頑張って因縁診断氏やら本山護摩護摩同士をめざすんだぞwww
ゲラゲララw >>524さん>>525さん
ほんとですよねー
桐山さんが其の域に達して物を言う人であったらこのスレは立っていなかったですよね、残念です。 >>523 神も仏も名無しさん 2018/07/02(月) 17:45:53.75 ID:WydIK75r
>深山ユビの説、預流=預流向+預流果、であるならばさ、預流向と預流果を区別する意味がなかろう。分かる?
だから別に区別なんかする必要ないんですよ 。
物事には何でもこうとかがあるのは当たり前じゃないですか?
向とはただ漠然とこうなったらいいなあと思うことではありませんよ。現実にそれに向かって何らかの生活努力をすることです。
あなたのように不毛な能書きを垂れているだけでは何もなりません。
向を続けていればいずれは果も得られるんだから 別に分ける必要はないんですよ 。
あえて分けてみたとしてもそれに線引きなんかする必要ないんですよ。 意味がないんですよ。 >>524 神も仏も名無しさん 2018/07/02(月) 18:22:30.92 ID:UWXy3d3z
>だが然し、たとえ話ではない成仏法と言うべきか、1番目から4番目まで、特に
>最後の本試験の監督官は誰なのでしょうか?
>詰り、私が言いたいのは其の域に達して物を言う人が現れずに、妄想と
>勝手な事ばかり言い合う、空っぽの口喧嘩がこのスレッドである。
それはその域に達するということは 、 どういうことを目指しているのか ?成仏法と言うが、 成仏とはどうなることを言うのか?
それがはっきりしなければ監督官も何もありません 。
あなたの好みの問題と言うか 、そんなものに付き合う必要はない。
あなたは宝生さんだと思うのだが 、私が先日デールカーネギーの「道は開ける」を ちょいと紹介したところ、あなたは道徳などと笑った 。
これを読んでああ、あなたは本当に人生で苦労したこともない甘ちゃんなんだなとわかりました。
また本当に苦労している人に親身になって相談を受けたこともない人だなと分かりました。
単に漫画を読んで楽しむように、桐山本の世界に安っぽい感動みたいなものを得てしまった人なんだなと分かります。 >>528 諸氏の如く、日々を詰まらない論議に費やす間に
美味しい美味しい事情はどんどん進んでいるのだ。
清潔で美しい人生ってあるものだと言う実感が、とうとう
判らん人は、答案を前に苦吟する ああ残念賞在るのみ!
とっくに君らは乗り遅れたか、何処のバス停留所に待って居るのか知らんがね。
せめて般若心経を三千巻読誦する程の気概が在るかな、期間は30日で好いらしい。・
このヒントが判るかどうかが信仰と俗物人生の分かれ道、是は慈悲で記入したものさ。
これを書きながらTVで桂歌丸師匠の訃報を聞く、師匠の生前のお言葉。
『人はね生きてる内は苦労するべし、そうでなきゃ死んでから苦労する』
師は生前に霊能的な素質を十分活かして居られた、坊さんになられても明師になったと
私は感ずる次第、ここに改めて冥福をお祈りします。
>>529
ここは阿含宗批判スレだよ。意味不明だよあんた。
自分教は別でやりなよ。桐山さんはもうお陀仏になったの。
問題はその後釜の連中がインチキやめて全部変更して
宗教になるかということよ。今はホレ、インチキ宗教ビジネス
だべよw
歌丸さんの話なんか関係ねえよ。
基地外だなw F田(怪)F田(改)F田:
怪しく無色、色、欲を考え、
大涅槃に思うにも、
火の中にありて火でなく、
火において火に消されず,
火の実体に火の自性なく
涅槃堺に勝止息なのか、
図書の不明にしても
火界定とすると
梵天と三十三天の因縁に
疑問する。 阿含の星まつり修法地
阿含宗バス乗り場
バラバラ遺体両脚切断部遺棄現場
😵祟りか!
😨呪われているのか!
😖土地浄霊結界が破られたのか!
😱★魔の怨念トライアングル★😰
https://i.imgur.com/Cdj1Lrx.jpg
民泊バラバラ殺人
京都山林バラバラ遺体遺棄
https://brandnew-s.com/2018/02/28/kondosakisan2/ 四双八輩は釈迦の教団のエリート層ではない。釈迦の教団そのものが四双八輩だということだよ。経典で釈迦がそう述べている。四双八輩が我がサンガ(samgha)だ、とね。サンガの中には聖者に到達していない者が居ること、当たり前だろ。 四双八輩は釈迦の教団のエリート層ではなく、釈迦の教団そのものが四双八輩だと理解する頭が必要だね。経典を読んでそれが分かる頭ならば、仏教辞典を読まなくても四双八輩の仕組みは理解出来る。ダメな頭は仏教辞典を読んでも理解出来ないし、深山ユビみたいにな。 四双八輩も理解出来ない者が、成仏法の議論など無駄なことだ。分かるわけない。 >>534 神も仏も名無しさん 2018/07/03(火) 18:37:29.93 ID:KsKyZO3E
>四双八輩は釈迦の教団のエリート層ではなく、釈迦の教団そのものが四双八輩だと理解する頭が必要だね。
その通りだよ。何を言ってるの?エリート層って何?
釈尊の教団は どんな階層の人でも 誰でも 実践できる教えを説いているのです。
だからエリートでなくても、その実践者は尊いのです。 阿含経に説くところの聖者とは、ちゃんと定義があってね、三結煩悩を断ってかくかくしかじかが聖者だと説かれているの。預流向はその聖者の定義に到達していないのだよ。深山ユビはそこまで考えが及ばないわけだね。可哀想だけどもさ。頭の問題だね。 >>537
おまえはインチキ仏教モドキの邪教信じてる哀れな盲信者の
分際で何を騒いでいるんだよ。
おまえはシュダオンでもなければシュダオン向でもない
桐山邪教信者だろうが。阿含宗の会員で桐山さんW田さんの
信者なんだろ(笑)
そんな奴がよく言うよ。
四双八輩であるはずねえだろう。
おまえさんは釈迦如来直説(実際には直説なんてやってないけど)
を標榜して詐欺まがいの宗教ビジネス展開している
いかがわしい団体の狂信者だということよ。
事実はそれだけやねwww >>537 神も仏も名無しさん 2018/07/03(火) 21:47:06.39 ID:Ux/JWnP6
>預流向はその聖者の定義に到達していないのだよ。
違うんだよ 。聖者でない奴は預流に向かってない奴なんだよ。
向かおうという気もないし、理解していないし、理解しようとすらしないし、実践していない奴なんだよ。
理解して、あるいは理解しようと努力して実践している人はもはや聖者へ
の流れなんだよ。
聖者が完成者でないからです。 準爺はどうもならないな。むしろ昔より悪くなっている。
本人には全く自覚が無いようだが。
阿含宗で教わることや常識で考えてもわかることがわからず、人を罵倒し持論だけを何度も述べている。
自分教唯一の狂人だから仕方ないと言えば仕方ないが、自分が狂っているのもわからないとは。
●●は死ななきゃ治らない、ってかwww >>537 神も仏も名無しさん 2018/07/03(火) 21:47:06.39 ID:Ux/JWnP6
>阿含経に説くところの聖者とは、ちゃんと定義があってね、三結煩悩を断ってかくかくしかじかが聖者だと説かれているの。
じゃあ逆に質問しましょう。
もっともあなたがこちらの質問にも答えるフットワークというか対応力を示す脳の機能は完全に壊れたと見ているから、
質問だけして答えずに同じことを繰返し述べるしかできない哀れさを世間に示すことになるだけだが。
アゴン宗でもシュダオンは身見、疑惑、戒取の三結煩悩を断つことだと示してます。
私はこれを読んだ時、たったそれだけでいいの?と思いました。
もちろんたったそれたけでよいのですが、アゴン宗的にはなんか全然しっくり来ない。
アゴン宗は何を以てシュダオンに達したと評価するのですか?
もちろん三結を断った瞬間初めて聖者の仲間入りをするのであり、それまではボンクラで聖衆などと呼べないことになるのだそうだが、
そもそも三結を断つ教えもカリキュラムも無いではないですか?
その教義とは三結煩悩そのまんまです。
しかしその問題は別に詳述しなければならないが、(これまでに深山さんにより何度も詳述されてきたが)、とにかく修行目標の中に三結断が無いのです。
あるのは因縁解脱くらいで。因縁解脱と三結断って、なんの関係があるのですか?
アゴン宗では何を以て三結断のシュダオンと認定するのですか?
肝心のその指標が無いではないですか?
これでどうして聖衆になれるのですか?
三福道は成り立たないではないですか? 御仏:ますおでなう。
こうしますと、ヴェ―ダて"の
帰納と演繹いうに難しいけど、
理論性に、水の理論及び息の
理論且つ火の理論を、
ミラクルの池に魅せたかもしれませんネ。
普通、自然に法則は帰納であり
越えて演繹でしょうけども https://togetter.com/li/1234227
タイホ劇を躊躇する警察
○○組の配慮を考えているのか
○○団はコーフクと縁を切るだろう
ハッパの売人はガイジン多い
コンビニで買い物するようにすぐ買える
今は遺伝子組換の良く効く物もある
>>532
阿含宗聖地サヘトマヘト訳有物件激安価格? 般若心経を30日、で三千巻読誦詰まり、日に百巻読み上げる。
100分間程度の所要時間を考えると実行し満行可能である。
是を判り易く例えると、自動車教習所の第一過程、直線道路耳側40キロメートルに
速度を上げ、滑らかに減速し大きな曲線道に進入する初心者程度の修行である。
行の祈りは心解脱成就、因縁解脱なりとも、行者の意向に任せる。
上は苦行に属する、家庭で充分行える筈ですがね、やる人はやる、やらない人は
良き機会を得ることは無い。
桐山師は、信者、信徒に過酷な行をさせる御方では無かったのが、ちと残念でありました。
<諸君にきついことやらせると、皆が辞めちゃうでしょ だからねぇ>云々とこぼして居られた。
会員が必ず習う、護身法の作法を云うならば、昔の修験道でこの法を習うには試験的前行として
先達が一万遍の般若心経を読誦という掟を課す流派もあったと聞く。
(立川に本部を置く真言系某宗教団体では、一般会員に護身法は伝授していない)
わたくし自身は修験道と無縁故,語る事は出来ないので今現在は知らず。 今ようやく思い出しました。
妖怪ヨル公。
1.5 来補さんを私は1.5 来豚さんと呼ぶことにしました。
しかしそれが最後でなくまた別の呼び名を私が考え、私だけが使うのがあったけども、何だったけな?と思いました。
それが妖怪ヨル公でした 。
もはや預流向ネタしか語れなくなっているからです 。
これは意地になってそのネタしか語らないのではなく、もう本当にそのネタしか語れない脳味噌になっているということで、かなり危ない状態です。
しかしそれは彼の責任でありこちらには何の責任もない。 そこで 妖怪ヨル公さんが ヨルコーネタを 書いてくるので、 それに対するレスではなく、やはり時々は預流、シュダオンの条件、三結を断じることについて おさらいもした方がよいと思います。
三結の内容の前に、預流とは読んで字のごとく流れに預かるということです。
この流れとは聖者の流れとされています。 しかしこの流れに預かるという言葉自体が 向を意味すると言っても過言ではない。
流れに乗って向かうということです。 つまり終着ゴールではない。
これがスタートであり これから自分で オールを漕いで流れに乗って聖者に向かうということです。
完成された聖者が ふんぞり返って 聖者の行進のごとく街を練り歩いて沿道の人たちに 功徳を授けるとかそんな話ではない。
預流向・預流果などと言うが、預流自体が向なんです。 三結断じてシュダオンです。
そこで最も重要なのはこの三結の内容を理解するということですね。
結というのは煩悩ですから三つの煩悩、克服しなければならない煩悩です。
身見、疑惑、戒取です。
まず身見は我見とも言われるが、しかしそれは世間で言うところの独り善がりに陥るとかそういう意味ではなく、
人間の体と言うか存在そのものが不滅の霊魂のごとく存在すると考えることです。
ところが仏教ではこういう考え方を間違っているとするのです 。
これを煩悩としているわけです。 霊魂を信じることが何が悪いんだ?と言われるかもしれませんが、とにかく仏教ではそれは間違いだと 示しているのです。
執着の煩悩を離れれば 、この身は死んで後も再生されることない。つまり未来永劫に継承される霊魂を否定している。
ところが阿含宗はどうでしょうか?
死んだら 魂魄地に留まってなどと言っている。
魂は天に昇り魄は地に留まる。こういう中国の考え方を示すのですが、仏教ではそれを否定しているのです。
阿含宗は更には霊障などと死んだ人間が不成仏霊となって子孫縁者に祟り 、これに対峙して退治しなければ幸福は得られないなどと説く。
ものすごく霊魂に執着 している。つまり身見の煩悩の極致と言ってよい。
だから身見を離さない 阿含宗の信者は 絶対にシュダオンにはなれません。
身見を離さないということは、釈尊の教えを利害しない、信じない、疑っているということです。
つまり三結の疑惑の煩悩も離さないでいる。
そして解脱供養とか霊魂に関わり、霊魂のことを常に考え、霊魂退治などをする。
つまり釈尊の教えとは真逆の宗教的儀式、宗教活動をする。
つまり三結煩悩の戒取も侵している。
見事に三結煩悩を後生大事に離さない 阿含宗の信者がシュダオンになることは絶対にない。 ところで私は桐山さんもシュダオンの条件として三結を断つことを示しており、その三結とは身見、疑惑、戒取だと解説しました。
これを最初桐山本で読んだ時、 え?これだけでいいの?と違和感を感じたと私は >>542で書きました。
これはどういうことかについて説明しましょう 。
三結の身見、疑惑、戒取のは内容からして理解認識の誤謬です。
知性の問題です。 感情の問題ではない。
つまり理解認識の誤謬を 正せばよいのです 。
正しく理解すればいい。間違った考えを捨てて釈尊の教えをよく理解して信じればよいのです。
それしか説いていません。
今となってはそれがスタートの預流の条件であることは 本当にもっともなことだなあと理解できます。
なぜならば物事はなんでも間違った考えを持っていてはダメなわけです。
まず正しく認識することが必要です。 それが第一条件ではないですか?
例えば殺人鬼アングリマーラの例があります。 彼は間違った考えを植え付けられていたのです。
だから彼に求めることはまずその考えは間違いだよと認識させることです。
何が正しく何が間違っているのかそれを正しく認識させることが大事であり、それなくして預流のスタートなんてことはありえません。
しかし阿含宗の教義においてはこれはおかしいんです。 桐山さんはわかっちゃいるけどやめられない、 これが人間の一番の問題であるとしています。
わかっちゃいるけどやめられない、わかっていてもできない、この人間の矛盾性が人の運命を悪くしているのであり、
これの克服なくして 人は因縁解脱などできないと説くのです。
分かるということは理解認識ということですね。
しかし桐山さんは理解認識したところで それでもやめられない ことを 問題とするのです。
しかるに三結を断じるとはその理解認識を正しく持つということだけに過ぎないではありませんか?
これは桐山さんのわかっちゃいるけどやめられない という話からすると 何の役にも立たないことになります。
つまり教えの無力、教えの限界ですね。
三結を断じるというのは教えです。教えを聞いて教えを正しく理解するということです。
もしシュダオンというものが、桐山さんによると青いオーラを発するような なんか すごい聖者になることならば、これはおかしいじゃないか?
なんで教えを聞いただけで、 それを理解しただけでそんなところまで行っちゃうのか?
あれほど口を酸っぱくして教えの限界を教え以外の方法で打ち破ることを提唱して来た人が。
つまりそれまでの桐山教学と 矛盾するのです。
桐山さんがそれまでに説いて来て、 阿含宗 になってからも変わらず説き続けている因縁解脱と三結はどういう関係にあるのか?
説くのは相変わらず因縁解脱だけ。三結断なんて解説だけで、断じるような教えも実践も説かない。
関係ないからです。くっつけることが不可能だからです。
桐山因縁解脱教義と仏教の三結断教義とは 矛盾します。 ♪「妖怪ヨル公ッチ」♪
♪ウィッスッ!
ヨル公 ヨル公 ヨル公 ヨル公
ようかいでるけん でられんけん
ヨル公 ヨル公 ヨル公 ヨル公
ようかいでるけん でられんけん
ヨル公 ヨル公 阿含にヨル公 桐爺大事
妖怪 妖怪 妖怪 ヨル公ッチ!!
ヨル ヨル 公 公 ヨル公 基地 基地
ガイ ガイ 妖怪 ヨル公ッチ!! 釈尊の四沙門果の教えと、桐山因縁解脱は対比できるのか考えてみましょう。
もちろん釈尊の教えは煩悩解脱であり、無明無知から脱することで、現世で災難不幸を防ぎ、幸福な人生観を味しめる因縁解脱なんてあれません。
因縁解脱を願うこと自体不当な欲望であり、それは煩悩です。
しかし桐山さんは四沙門果、シュダオン、三結断を誤りなく解説してしまった以上、それまでの因縁解脱修行のステップの中でどう位置付けるのか?
例として、アングリマーラを題材にしてみましょう。
彼の殺人を桐山流刑獄の因縁という運命とみなし、この忌まわしい運命から脱するのが最大の命題という話です。
そこで釈尊の四沙門果のステップで考えると、三結断ったシュダオンになる、預流からの道ですね。
この際預流向だの預流果だのどうでもよい。預流向がボンクラで預流果で初めて聖者の流れだろうがどうでもよい。
この預流にも相当するアングリマーラの第一歩は先師から吹き込まれた殺人の教えはとんでもない間違いだったと頭で理解することですよね。
三結断もこのレベルの話でしかないのです。
でしかないなんて書いたが、これは言葉のアヤで、この正しい理解認識は絶対欠かせないものとわかりますよね。
アングリマーラの解脱への道の第一歩はここから始まる。煩悩解脱であろうが、過ぎた過去はどうにもならないか、せめて未来の運命は変えようと志す
桐山因縁解脱であったにしてもです。
だから釈尊の四沙門果の理解認識の誤りをなくす三結断の預流というステップは本当にわかりやすく、道理です。
しかし桐山因縁解脱の教義ではそれは大した進歩でもなんでもないのです。 桐山因縁解脱は教えの限界を説きます。
どんなにご立派な教えを聴かせても、悪い因縁があったら結局その悪い因縁の星の導くままの運命をたどらねばならない。
理性知性ではどうにもならない。教えではどうにもならない。運命を変えられない。
教育も道徳も無力であり、悪い因縁の星がある者は、特殊な成仏法の力に頼らねばならないのです。
桐山さんの酒税法違反、偽ビールの逮捕も、桐山さんによるならば、あれは防げたようで実際は防げず、不可抗力の運命だったのだ、
この悪因縁は成仏法という言葉の教えを超えた神秘の力が必要だったと弁明したのです。
じゃあ殺人は悪であることを正しく理解認識する段階ってのは、それは絶対に必要ではあるけれども、まだまだ何にも運命を変えるステップにも
進んでいないことになる。桐山教学においては。単なるオシエです。
だから三結断の正しい理解認識レベルを聖者の第一歩に据えるのは、釈尊の仏教、あるいは世間の道徳では絶対にそうであっても、
桐山因縁解脱の世界では屁の役にも立たないステップとなり、聖者の入り口にするには、桐山教学からしてもおかしいのです。 刑獄の因縁でなく、ガンの因縁も考えてみましょう。
現代においてはガンもまた生活習慣病とされます。
つまり予防も可能です。
食生活や生活習慣の改善でガンをも防ぐ努力。
皆さんはこれを因縁解脱と思って、迷信でもない合理的な話などと理解してませんか?
違うのです。桐山流ガンの因縁は、その因縁がある限り、その努力も長続きせず、努力もできない環境になり、結局はやはりガンになるという運命論なのです。
つまり桐山因縁なんてここでも偽物とわかる。
単なるオカルト運命論の脅しと、特殊成分を含んだ薬を処方しないと治らないと脅す悪質な霊感商法の宗教詐欺です。 【幸福の科学】大川雲母、教団永久追放!?
https://togetter.com/li/1186290
映画「さらば青春、されど青春。」に出演した筈の、「幸福の科学」の看板女優の一人、「雲母」がスクリーンから全面削除されている。
所属事務所の一覧からも抹消されてしまった。
アリプロからも、教団からも一切、詳細は語られていない。
教祖三男・裕太氏の妻であり、看板女優の一人でもある彼女に、一体、何が起きたのか!?
ARI Production http://aripro.co.jp/talent/
http://aripro.co.jp/talent/kirara/
ここは、すぐよくなくなりますよと誘ってきて現実は、障害をなおしてもらうために行ったのに治ったこともなし。その上父母にもひどい影響
が様々でてきてみんな早死にしている。 横変死の因縁のような 不慮の事故災害に巻き込まれる 運命も考えてみましょう 。
確かにこういう不慮の災難に遭遇するというのは自分の責任を超えてますのでこれが運命であるのかないのかというのはわかりません。
しかし全く防げないのかと言うと、そんなこともなく、 やはりそれは注意をするとか、君子危うきに近寄らずではないですけれども、
そういうところに行かなかったりとすることによって避けることだって可能なわけです。
交通事故死だって減っているのです。
それはやはり法律を整備するとか車などの技術を開発するとかそういったことによって交通事故死は減っている。
つまり 運命ではなくやはり何らかの努力によって防げているわけです。
ところが桐山因縁というものはこれにもケチをつけるわけですね。
それは確かに いろんな法律やら技術やらが整備されて減ったとしても、横変死の因縁を持っている人間は他の危険と縁ができるというわけです。
全くああ言えばこういうの根拠のない言いがかりですよね。 ともあれ人生というものはやはり自分の行いが中心になります。
自分がどう行動するかどういう意志決定をするかということにかかっているわけです。
それを超えたものもありますが、やはり自分の行動選択が基本となります。
そこで仏教は 己の主は己しかいないと 説くわけです。
どこまでも自己責任を問いて、 他の原因にすることを認めない。
それが自己確立です 。自己確立してこそ浄らかな道を選べるわけです 。
それを桐山因縁は自己の責任というものを認めず、自分の中の赤の他人だの霊障だろうと言って、不可抗力の運命なんて話に持っていく。
もしそんな不可抗力の自分というものがあったら何で仏教はそれに言及しないのでしょうか?
桐山さんは霊障があったらもう修行どころではないと言っています。
だからまず霊障を解いて 修行をする環境を整えなければならないと説いています。
しかし仏教ではそんなことは説きません。
ただ単に三結を断じる というように、教えを理解して実行する、まず教えを理解するということを第一歩としてそれが 聖者の道としています。
妖怪ヨル公夜さん。預流果に至らない 預流向は聖者じゃないとしても別に構いませんよ。
そんなことはどうでもいいことですから。
それよりも聖者の域にある預流果ですらそのように教えを理解したという状態でしかないのです。
これは桐山因縁論ではそれでは救われないはずなんです 。
霊障なんかがあったらどうするんですか?霊障を抱えた人が聖者のはずがないではありませんか?
それとも霊障は教えを理解すれば解けるとでも言うのですか?
だから三結断のシュダオン預流果は聖者の域にあるとするのは、桐山因縁解脱の否定の証明なんですよ。 死刑執行されました。
(-人-)。。南無阿弥陀仏。 教祖の遺骨をどうするか検討中だそうです。
阿含宗はお手本にされるでしょう。 頭を冷やす必要もない。仏教辞典を素直に読んで理解することだよ。「向は修行の目標、果は到達した境地」←岩波仏教辞典。向は目標を示しているし、果は到達を示しているのだよ。たから、向と果は全く違うのだよ。それさえ知らずに議論しているお馬鹿さん 釈迦は、四双八輩が我がサンガであり、聖衆である、と宣言している。で、聖者の定義も、三結断じてかくかくしかじかと、釈迦仏教でははっきりしている。だけど、いかに釈迦が、我がサンガは聖衆と宣言しても、信徒全員が聖者に到達しているわけがないだろうさ。 釈迦は、サンガを凡夫衆というわけがない。サンガには阿羅漢や不還や一来などの聖者が居るわけだからね。で、サンガを聖衆と、ひとまとめに呼んだのさ。だが、サンガの中には聖者に未到達の凡夫僧・世俗僧が居るわけだよ。当たり前だろ、それが預流向なのだよ。 聖者に未到達の僧が、凡夫僧・世俗僧と呼ばれることは、岩波仏教辞典の「僧」の説明にもあるだろ。預流向は聖者の流れに未到達の者なのさ。向とは未到達を示しているわけよ。未到達だから辞典では、目標と説明しているのだよ。 預流向は預流に未到達、一来向は一来に未到達、不還向は不還に未到達、阿羅漢向は阿羅漢に未到達、ということなのだよ。向とは未到達を示しているのだよ、目標を示しているのだよ。なのに、阿羅漢向は仏だと妄言を吐く深山ユビ、救いようがないだろう 預流向は聖者に未到達、というようなことも分からず、桐山師の教えも理解出来ない者が、批判派もそうだが、麻原某みたいなインチキ教にはまるわけだね。勿論、批判派全員が麻原某レベルだというわけではないよ。 間違えやすいが、アビダルマになると、四双八輩の定義は、凡夫→預流向→預流→一来向→一来→不還向→不還→阿羅漢向→阿羅漢の流れで成仏するとされた。九段階の境地とされたわけです。 阿含経に説く四双八輩は、九段階の境地ではなくて、5段階の境地です。1預流向(凡夫)→2預流(一来向)→3一来(不還向)→4不還(阿羅漢向)→5阿羅漢、という5段階です。深山ユビは、名称だけで考えるから間違うのです。 オウムの松本智津夫の死刑が執行されたと発表されましたね。
かつてアゴン宗に在籍し、超能力やら求めた松本ですが、アゴン宗がインチキだから、辞めてその後オウムを立ち上げたわけです。
だからオウムの生みの親とも言われています。
しかしやはりオウムの殺人とアゴン宗の関係は直接的には無いと言える。
そこで松本智津夫の運命、因縁について考える。
彼には非常に重い刑獄の因縁があったことになりますね。
アゴン宗の因縁教学によるならば、これは信者は絶対に否定できない。
そしてかつてアゴン宗で因縁解脱千座行をしていたという松本のこの凶悪な因縁を桐山さんは見抜けなかったことになる。
しかしそう考えるより前に、これって本当に運命なの?と問いたい。
刑獄の因縁があったから、その因縁は特殊な成仏法でなければ解消できないからこのような事件が起こり、このような結末となった。
アゴン宗では、そういう結論にしかなりませんよね。
桐山さんはかつて法話でこう言っていた。
罪を憎んで人を憎まずと言うが、罪や人を憎まず因縁を憎む、と。
不可抗力のウンメーなんだから仕方ないという無責任な話になります。
こんなものは世の中に百害あって一利もありません。 >>564->>571
貴方、前にいたヨル公さんではないですね?「前より酷い」とコメントもありましたが違う人ということがわかりました。 四双八輩の仕組みさえ理解出来ない頭は、何を言っても虚しいですね。阿含経での聖者は、三結を断じてかくかくしかじか、と聖者の定義は明快です。預流は三結を断じてかくかくしかじかの聖者です。預流向は三結を始めとして断じていないし、聖者に未到達という意味なのです >>574
間違えたw
>>542の質問に答えられんの? 歴史的な大雨 。
これは破滅のカルマなんでつか?
松本智津夫の怨念なんでつか? オウムの子らは真似しないで下さい。
💀教祖の骨を本尊として拝む💀
https://i.imgur.com/YonIaJ6.jpg 教祖の骨を本尊として拝む
それは釈迦が元祖だろ。
仏教徒なら見習えたまえ 仏教辞典に「向は修行の目標、果は到達した境地」と、明快な説明があるにもかかわらず、深山ユビは30年も理解せず、預流向は聖者だと言い張って頑迷に無駄な抵抗を続けた。その頑迷さはオウムの麻原某と似たようなものだ。 祈るって意味がわからなかったんだけど
フィリピンに行ったらわかったよ。
街の騒音が凄すぎて静かな所にありがたみを感じる。
みんな静かな所で心を落ち着けたいんだよ。 >>581
ほらね。皆さん、私が>>542で書いたとおりの反応でしょう。
しかしこれは仕方がないんです。
これが彼の今の脳機能の限界ですから。 あのさ、いまの宗教って円周率の暗記みたいだね。
どこまで覚えられるかって。 >>581
>オウムの麻原某
『wiki 阿含宗より抜粋
1995年(平成7年)、オウム真理教事件が発生。教祖の麻原彰晃(松本智津夫)は元阿含宗信者であった。阿含宗とオウムは信者の取り合いをしていたこともあり、他にも早川紀代秀、林郁夫などが阿含宗の元信者であった。』
アゴン宗との縁が無かったら別の人生だったのかも。
アゴンの因縁解脱って何?
貴方の様になること? 浅原焼香が信者一同向けの講義をするらしい場の映像が度々TV放映される。
其れは焼香氏は赤紫の法衣を着用、安座し、奇妙な手踊り風な所作を繰り返す場面である。
此処まで書くと、あれだなと判る人も多かろう。
焼香氏が其れをやる様になったのは、わたくしも参加した伝法会、不動法の伝授以後と断言
する、あの奇妙な手踊りの元ネタは細かく説明するなら、不動結界所作の真似事。
アレほど奇妙奇天烈、大袈裟な動きは絶対にしない。
身口意三密が整わない事が一目瞭然。
罰当たりな事に、わたくしと同時に習った誰かが浅原と親しく交際し教えたに違いない。
密教の行法を素人に安易に伝授するなと、非難される専門家の方々も多かろうと思います。
わたくしが考えるに、素質ある人が挑戦するに足る宗教的課題を密教の行法は秘めています。
もっと先に進めば、祈祷をなして人々を救済する宗教家の出現も有り得ましょう。
先ず阿含宗に縁が出来、阿含に納まらずとも、社会世間の為に働くべく
猶更次に進む前途有為な青年の出現を期待しております。 京都府大雨特別最大級警報!
命を守る行動をして下さい、破滅のカルマです、
破滅のカルマを断つ阿含の成仏法まだー? 松本→麻原彰晃→空中浮遊
堤→桐山靖雄→念力護摩🔥
「この場で空中浮遊してみせろ!」 田原総一朗は麻原彰晃に迫った、
麻原彰晃は
「こんなところじゃできない」と答えたそうです。
桐山靖雄も信者から
「念力護摩を焚いて見せて下さい」とよく迫られていました、
やはり桐山も
「急にはできない」と答えたきり一度も焚かずに死んでいきました。
桐山を手本にしたのが麻原彰晃。 桐山靖雄は護摩法要大好き男でした
というより桐山靖雄には護摩法要しかなかったのです
だから
いつでもどこでも海外でも海の上でもどこでも焚いた、w
生前桐山は自分の新刊をベストセラーにするため布教だと信者に10冊から100冊まとめて買わせていた
そしてまとめて買った信者にご褒美に色紙にサインして授けていた
『桃栗三年柿八年
俺は一生
護摩を焚く、靖雄』
こんなに護摩を焚くのが死ぬほど好きだった桐山靖雄が何故念力護摩は二度と焚かずに死んでいったのか?
念力護摩を焚けばこれ以上の布教大イベントはないはずだ、
何故か?
焚いたら種明かしがバレちゃうからだよ笑www 桐山靖雄は生前よく法話で話してたよ
たくさんの信者の前で
「麻原彰晃の空中浮遊あれは嘘っぱちだから、畳の上をぴょんぴょん跳ねてるだけだよ、本当に彼が空中浮遊できるのならわたくしは彼の弟子になる」
ってね
自分の念力護摩は本当だが彼の空中浮遊は嘘っぱちだということらしいね笑w >>586神も仏も名無しさん2018/07/07(土) 00:27:32.03ID:SIaCjqw+
>もっと先に進めば、祈祷をなして人々を救済する宗教家の出現も有り得ましょう。
>先ず阿含宗に縁が出来、阿含に納まらずとも、社会世間の為に働くべく
>猶更次に進む前途有為な青年の出現を期待しております。
阿含宗に入って加持祈祷で世間の人々を救う??
オウム事件の被害者や死刑という不幸も、宝生創価さんの手にかかると
阿含宗と自分の信仰を宣伝する材料でしかないようだ。
さすがは宝生さんらしい下劣な書き込みで、桐山さんとそっくりです。
と誉められて、うれしいでしょう?
>131 :神も仏も名無しさん:2016/06/12(日) 19:18:58.08 ID:30KiKGQp
>オウム事件とは一切無関係なり。
131は二年前に宝生創価さんが書いた内容です。
桐山さんは『オウム真理教と阿含宗』という本まで書いているのに
一切無関係ないはずがあるまい。
宝生さんの妄想脳はこれだけではすまない。
四年前には次のように書いている。
>209 :神も仏も名無しさん:2014/02/27(木) 19:33:20.49 ID:hMcwFP/i
>ここに一つの事実が在る、オウムに走った元アゴンの幹部信者に死刑判決を受けた人物は居ない。
今回、死刑になった人で「元阿含宗信者」は、はっきりわかっているだけでも二人いる。
だが、宝生創価さんの「脳内事実」では死刑判決を受けた人はいないそうだ。
過去にこうやって何度も愚かな事を書いて、批判側から反論されても、
頭の隅もかすめることないから、また586を書いた。 オウム事件の時の桐山さんの反応も宝生創価さんと同じで、
「他人の不幸は蜜の味」と「無責任」を絵に描いたような反応だった。
信者さんで知らない人は『オウム真理教と阿含宗』を読んでみるといい。
当時、私は信者だったが、この本は読んでショックだった。
なぜなら、桐山さんはまるで他人事のような態度だったからです。
教祖の麻原だけでなく、オウム幹部に元阿含宗信者がいた。
オウムは一時期は「阿含宗の同窓会」と言われたほど、信者が大量に流れた。
少なくとも直接指導をしていた林郁夫に対して桐山さんは重大な責任がある。
単なる教祖ではなく、人の運命を見抜く目を持つ超能力者なら、
将来の大量殺人鬼を目の前にして指導できなかった自分を反省するべきでしょう。
だが、そんな言葉は一言もなく、自分を裏切り見捨てた林郁夫の末路を
憐れむような口調からは、ざまあみろという本音が見え隠れしていた。
桐山さんは、ご宝塔を疎水に投げ捨てた信者が悲惨な死に方をしたとか、
自分を批判した僧侶が地獄に堕ちたとか、
自分の乗る馬車を引いてくれるロバは前世で自分を迫害した人間だなどと、
恨みや復讐心が強烈な人だった。
桐山さんの真似をして、オウム事件を他人事のように、あるいは逆に
被害者であるかのように思い込むのは自由だが、それでは何も見えてこない。
四年前に井上死刑囚が手記を発表したので、私は信者さんたちも読むように勧めた。
読みましたか?
今となっては彼の遺言のようなものです。
四年前に書いたことをもう一度引用しましょう。 「私の大きな過ちは、解脱とは何か?独学で求めていく中で出会った阿含宗の
「霊性の開発による社会革命」という言葉によくその内容を吟味しない
ままにとらわれてしまったことであったと考えます。」
(「オウム死刑囚井上嘉浩の獄中手記」、『文藝春秋』2014年2月号、155頁)
「しかし当時十五歳の私はそれを真に受けてなんとかしなければと情熱に
かき立てられました。ところが阿含宗の中に入ってみると、
私には肝心な霊性の開発ということが欠けているように思われ失望しました。」
(「オウム死刑囚井上嘉浩の獄中手記」、『文藝春秋』2014年2月号、156頁)
井上死刑囚のこの文章に、信者さんたちも苦笑いしませんか。
「肝心な霊性の開発ということが欠けている」という言葉に
「そうではない」と言える信者さんがいるなら、ぜひ名乗り出て、反論してほしい。
信者さんたちの多くは内心同意せざるを得ないはずです。
霊性という言葉をお題目のように唱えているが、その霊性を確立した人物とは
W田さんを筆頭とする法務部や大先達様たちのこと?
井上死刑囚の失望を笑える信者も元信者もいません。
霊性だけでなく因縁切り、霊障解脱、超能力開発など実現した人を見たことがありますか。
その頂点にいた桐山さんは因縁丸出しで、霊障解脱の予言は馬鹿外れして、
超能力者なのに脳も身体もヨレヨレ状態だった。
桐山ゲイカは80歳代にして愛人から裁判に訴えられた。
桐山さんの霊性開発とは霊が抜けていたらしい。 「「グルが間違った道へ導くことはない」と信じ、自分では考えてはいけないと言い聞かせました。
今から思いますと、考えないことは人間をやめることであったと思います。
考えるなと教えられた教団内では、全てにおいてグルの意思が正しいという
答えに決まっています。その中では「正しいことは何であるか」と
自分で考えることの不安は消えますが、代わりに自分で悩み成長する可能性も
また消えました。そして他者に意見を求めることもなく、
他者の立場に立とうする配慮すらなくなりました。」
(「オウム死刑囚井上嘉浩の獄中手記」、『文藝春秋』2014年2月号、156頁)
信者さんたちは「自分は狂信などしていない」と思っています。
だが、実際の阿含宗の信者とは、何の根拠もない話、つまり桐山さんの主張を
そのまま信じているケースがほとんどです。
それどころか、最近はW田さんの霊能力まで信じている!
釈尊が護摩を禁止したのを知っていますか?
ここでそれを何度も指摘されても信者さんたちは護摩木を書き続け、
星まつりに参加して、中には山伏コスプレや位階をもらって喜んでいる。
シンガポールで護摩を焚き、また11月にもミャンマーで護摩を焚くそうですね。
これだけ明瞭に釈尊が禁止したにもかかわらず、阿含宗はむしろ積極的に護摩を焚く。
法律を守ると称して、積極的に万引きをしているようなものです。
それは信者さんたちが脳味噌を御供養しているからできるのです。
「グルの意思が正しい」という井上死刑囚の記述を笑える信者は一人もいない。
あなた方は「桐山ゲイカの意思が正しい」と信じているから、
現実を指摘されても受け入れない。
オウム時代の井上死刑囚と同じで思考停止しているからです。 「このように麻原は自分のアイデンティティとして、自分自身のことを
様々な予言書に記されたハルマゲドンを起こすことで、人類を滅亡から救済し、
新たな世界を創る救済者であると信じていました。」
(「オウム死刑囚井上嘉浩の獄中手記」、『文藝春秋』2014年2月号、170頁)
麻原の事ではなく、このまま大半が桐山さんにあてはまる。
桐山さんも地球壊滅を予言して、自分こそが人類救済のメシアだと宣言した。
1999年、2010年と二度にわたり地球壊滅を唱えながら、馬鹿ハズレしても、
口を拭ったまま、素知らぬふりで、何一つ自分の発言に責任を取らないまま死んだ。
麻原も地球壊滅に何も責任をとらないままだったが、
死刑という形である意味で責任を取らされた。
これは桐山さんだけの責任ではなく、信者さんたちもアゴン宗にいる限り同罪です。
今でも桐山さんの風評流布を信者さんたちは支持し、手伝っている。
海外での護摩や土地浄霊などすべてそうです。
信者さんたちは今でも無責任な行為を続けている。
宗教だから何を言おうが法律的には裁かれない。
地球壊滅など根拠のない霊的な脅かしをする宗教をカルト宗教と言います。
阿含宗はこの意味では立派なカルト宗教です。 「それなのに私は他者の苦しみを背負う菩薩であるとうぬぼれ、
他者のためにとの口実で何でも自分たちの都合の良いように考えるようになりました。」
(「オウム死刑囚井上嘉浩の獄中手記」、『文藝春秋』2014年2月号、175頁)
信者さんたちは上記を読んでいて、自分の自惚れを見透かされたようで
恥ずかしくありませんか。
私は恥ずかしい。
信者さんたちは、世間の人たちが気がついていない霊障のカルマを
オシャカの成仏ホウに基づいて霊的に浄化していると信じている。
激しく苦しんでいる霊障のホトケを成仏ホウで助けていると信じている。
先祖を助け、家運を盛り上げ、家族を助けていると信じている。
あるいは霊障のカルマによって引き起こされる天災や人災を
護摩によって減らし、世の中を助けていると思っている。
だが、しているのはただの焚き火で、死者がどうであるか、
死者がどうなったかは何も知らない。
ただ「他者の苦しみを背負う菩薩であるとうぬぼれ」ているだけです。
オウムとそっくりですよね。
実は増えた煩悩は自惚れだけではない。 「また他者の生活を実感しようとせず、真理を知らない無意味な
生き方をしていると見下していました。」
(「オウム死刑囚井上嘉浩の獄中手記」、『文藝春秋』2014年2月号、173頁)
世間の人たちはオシャカの成仏ホウを知らないし、神道やキリスト教や
ユダヤ教にはオシャカの成仏ホウがないから、自分たちが手助けして
あげているのだと自惚れている。
その自惚れから生じるのか侮蔑心です。
信者さんたちも世間や他宗教を「真理を知らない」人たちだと「見下していた」いる。
見下してなどいない、と言うなら、では、どうして土地浄霊する時に
神社に「神道には成仏ホウがない。この境内は霊的に不浄だ。自分たちが
霊的に浄化してあげよう」と正直に話さないのだ?
キリスト教やユダヤ教にも、「あなた方の神の力では霊障のカルマを
断ちきることができない。オシャカと桐山ゲイカでなければ無理だ」と
どうしてはっきり言わないのだ?
もちろん、そんなことを言ったら護摩を焚かせてもらえないからです。
口先では、言っても理解できないなどと言い訳をするが、
それは他人を理解できない馬鹿だと言っているのと変わりない。
オウム信者時代の井上死刑囚と同じです。
信者さんたちが阿含宗でしているのは独りよがりの焚き火であり、
その修行の成果は、慢心と侮蔑心という煩悩の増大です。
仏教では減らし無くすことを目的としている煩悩を、
仏教を名乗り、修行と称しながら、逆に増やしている。 「それなのに私は、神秘体験による特別な人間なんだとうぬぼれました。」
(「オウム死刑囚井上嘉浩の獄中手記」、『文藝春秋』2014年2月号、174頁)
信者さんたちは、「批判側が何を言おうが、阿含宗は奇跡を起こしているのだ」
「私は自分の体験によってアゴン宗に本当に力があると信じているのだ」と
反論するかもしれない。
だが、その前に上記の井上死刑囚の告白を読んでごらんなさい。
オウムも神秘体験と称する奇跡体験を売り物にしていた。
神秘体験が嘘でない証拠に、潜入したジャーナリストが同じような神秘体験をしている。
奇蹟的な体験などどこの新興宗教にも転がっていて、
信者は、だからこの宗教は正しい、と同じ事を言う。
信者さんたちに井上の文章で着目してほしいのは、
「うぬぼれていました」
という一文です。
阿含宗が正しいとか、自分の信仰は正しいと信じている大きな背景の
一つが、この自惚れ、慢心です。
信者の多くは自覚はないし、自分は自惚れているのだろうかと疑いすらも持たない。
理由は簡単で、頂点にいる桐山さんやW田さんが自惚れの固まりみたい人で
その下流にいる信者は洗礼を受け、元々慢心の強い人はいよいよ強くなる。
だから、信者さんたちは周囲の先達を見てごらんなさい。
何の力もないのに異様に威張っている連中のなんと多いことか。
『阿含宗報』388号で、「僧階」と「教階」と称する位階をもらって
喜んでいる人たちがまさにそうです。
この人たちは霊的な力など何もないばかりか、欲望や執着や無明が
他の信者よりも強いのだから、仏教的な目から見たら、より解脱に遠い人たちです。 四双八輩の仕組みを理解出来ずに40年、預流向は聖者のはずだとまだ考え中 【あ〜あ、連載中止】 漫画家、アニメーター、急死
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/iga/1530765185/l50
世界教師マイトLーヤは原発と死刑の廃止をもとめています! 「向は修行の目標、預流とは聖者の流れに入ること」←岩波仏教辞典。←この説明に逆らって幾星霜w、その頑迷さは麻原某と同じレベルだね。もっと柔軟性を持つ頭が必要なのです、深山ユビくんはさ、アレフには入らないでね。 釈迦仏教では、凡夫(預流向)→預流(一来向)→一来(不還向)、という流れで成仏するわけだが、この仕組みを理解出来ない深山ユビの場合は、そのスタート地点にさえ立てていないわけです。 凡夫が己を預流向だと自覚して、預流に到達しようと修行をする者が預流向なのです。しかし、深山ユビはその仕組みさえ知らず、己を預流向だと考えたこともない、よって預流に到達しようと修行したこともない、それはただの凡夫で、深山ユビの場合は預流向ではありません。 釈迦仏教での聖者とは曖昧なものではなくて、三結断じてかくかくしかじかと、その定義ははっきりしている。かくかくしかじかの中身をいくつか挙げると、「極七往返必尽苦」がその一つ、七回以内の輪廻で必ず成仏します。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています