まだやってたw

やっぱり紛糾の源はキリスト論に帰着するという気がする
まちこの発言にちらほら見えるように、もしキリストが少なくとも十字架上では神性を有していなかったのなら
キリストが罪の性質になることもサタンの性質になることも筋が通ってしまう
キリストが罪を犯すことさえ可能になる
ただし今度は神性が生じたり滅したりという神性の定義上あり得ないことが起こっていることになって
こちらで矛盾してしまう
当然異端説になる

正統キリスト論に基づけば、当然十字架上でもキリストは神性を持つ
キリストの死は人性における死とされ、神性は保存される
正統キリスト論に難点があるとすれば、これではあたかも合体ロボが人性のみを切り離したような塩梅で
どうにも受難のリアリティが希薄になってしまうこと

おそらくネクザさんが挙げた>>350っていうのは、受難のリアリティを救い上げるための
神学的着想なんだろうと思う
神性を保持しながら贖罪の完全性を全うするための謙卑、しかも最大の謙卑の在り方と
解釈できるからね

結局問題は、まちこ神学が正統キリスト論を基にしたプロテスタントの受難論を背景に持つのか
それともまちこ発言にちらほら見られる十字架上キリスト人間説(復活後神化説)に基づくのか、
ってことに帰着するんだと思う