>>964
ネク座よ、まちこは、まずカトリックのペンダントは蛇=サタンになった
イエスを崇めている偶像崇拝だと非難したのだ。
それで詰問されると2年後の2015年にまちこが今度
モーセの青銅の蛇を引き合いに出して「蛇のように挙げられた」と言い訳しは
じめた。

一方、天旅の市川喜一は
1.十字架の上にかけられたのは人間の罪そのものであった
2.罪というサタンの実体が十字架に掛けられ、裁かれ、暴露されているのです。
と言っている。
イエスが、罪のそのものだと言っていない。

十字架にかけられたのが
 肉的にはイエスの身体だが、
 霊的実体としては「人間の罪そのもの」「サタンの実体」だと言っている。

それはなぜか、ここからは霊的な話だ。
イエスが受肉し人なって、人として十字架で受苦したのは、
われわれ人の為に、われわれ人の罪をリセットする(贖う)ためだからだ。

イエスが十字架にかかるという【手段】を用いて
人間の「罪そのものであるサタンの実体」をリセットしたんだ。

まちこは、それを
十字架でイエスが蛇になった。サタンの性質になったと主張し
ネク座は、正教、天旅、改革派、ルーテルらを誤読し続けている。
あほうのネク座は悔い改めて、まずカトリックの入門講座でカテキズムを学べ。
正教でも聖公会でもルーテルでも日本キリスト教団の連長でもOKだ。
福音派と聖霊派とはやめておけ
スィートコーンと枝豆の名に置いて命ずる