>>962
ネク座よ、出版社のせいでも 著者のせいでもなくて
おまえさんの読解力がないためだ。

まず第一に正教は霊的感受性が高い神学の系譜を継承している。
そこでイエスの十字架の受苦について「正教入門」においては、
1.肉的な受苦…肉体の死よりも
2.霊的な受苦…霊的な死がより神学上、重大だと説いているのだ。

そこでまず
0.イエスは無罪であると押さえる(これは天旅の市川も改革派もルーテルもみんなが押さえている)
その無罪のイエスがなぜ「罪となり」「呪い」(パウロ 2コリ5:21 ガラテア3:13)なったのかを
考えるのだ。
正教では特に肉体死の受苦よりも、
霊的な死=『神から離れること』が霊的につらいと、苦しいと考えるのだ。
この【霊的な死】とは二性持つイエス・キリストのうちの「人性」における霊的受苦のことだ。
「ゲッセマネの祈り」でのイエスの苦悩が始まりであり、
「エリエリ」という十字架上の呻きが最後である
神から離れるという精神的な苦痛が、正教入門に言う「霊的死」であり、
この「苦悩」はイエスが、われわれ人間に【なり代わって】味わって下さったことによって
それを我々が見上げる時、
1.まちこのように「十字架のイエスが蛇になった、サタンだ」とみるのではなく
2.私の罪であるサタンの性質が、イエスの十字架によって打ち砕いて下さった
 なんとありがたいことだ、主よ感謝しますとなる霊的に神性な事柄なのだ。

誤読も大概にしておけ