>>947
罪の報酬は死です。
神から離れる所以です。

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この応答不能性は、神からの分離の自覚を生じさせます。
すでに見たように、人に関する限り、この分離は永遠に続きます。
神からの永遠の分離は、永遠の死を意味します。
これがキリストが「味わわれた」死でした。
ハリストスが「死に至るまで従順(フィリップ゚2:8)」であったと言うとき、
この言葉は単に肉体的な死だけを指しているのではありません。(中略)
受難の真の意味は、その霊的な受難においてこそ見いだされなければなりません。

 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである(マタイ26:38)」という
ゲッセマネでの主の言葉をどれほど重視してもしすぎることはありません。
この瞬間、イイススは霊的な死の体験の中に突入しました。
主は、この瞬間、ご自身を人間のすべての絶望と霊的な苦痛に同一化しました。
この同一化=分かち合いは、
主が私たちと肉体的苦痛を分かち合われたことより、
はるかに重要なことです。

カリストス・ウェア主教「正教の道」より
http://www.orthodox-jp.com/george/msj2.htm