ご隠居の経験と決意には大いに共感できるところがある
俺もご隠居のような経験をしていたら医学を志したかもしれない
お題目より現実に命を救える力というのは無力な自分に希望を与えてくれるしね

一方で、この前もちょっと触れたけど、医学というのは命、そして身体を
計算可能・説明可能なものにすることを目指すわけだよね
そうでないと現実にある程度の確度をもって命を救うことはできない

近代というのは総じて身体、広くは自然を精密に計算可能・説明可能なものへと変容させる過程であって
それによって知を力へと変える過程でもあるわけだよね
本来比較できない労働が比較可能・計算可能なものへと形成され
資本制生産様式へと編入されるのも近代の一側面
そもそも時計の生産・普及と近代的労働の形成というのは密接に関係しているしね

で、自分たちはこの近代のシステム、近代の精神が極限に達したような社会で生きている
生活を時計によって計算された時間で分割し、管理する
労働も金銭に換算されて計算される
自分の身体のリスクを計算し、保険をかけ、病気の罹患率を確率的に把握する
自分の身体や精神を計算し、管理しなければ、生きていくのが難しいのが現実だよね

宗教というのは近代的なるものから、近代以前の身体の在り方、精神の在り方に
目を向けるひとつの契機になるんじゃないか
ご隠居の宗教批判はよく分かるけど、こういった側面から宗教を見てみるのもあながち無駄とは思えないよ