ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 42
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ACIM(A Course In Miracles)「奇跡のコース/奇跡講座/他」とは、
純粋に非二元論的な霊性(スピリチュアリティ)の教えのひとつで
NYのコロンビア大学医学部の助教授だったヘレン・シャックマン博士が
7年間に渡りイエス・キリストから来たとされるインスピレーションを書きとめ
編集・校正し出版された本です。(現在では25の言語で出版されています。)
ACIMはテキストとワークブック、教師用マニュアルの3つから成り、
実践を通じて真理の悟りにたどり着く事を目標としています。
JACIM
http://www.jacim.com/acim/
前スレ
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 38
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1494430576/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 39
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1502976262/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 40
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512471805/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 41
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1516363259/ でもコースでは、レッスン1見ているものには、何の意味もありませんwwとくる
え〜ってなるww
まぁ確かに人間には何の意味もない雲の形や星の並びにまで
意味を見出そうとする性質がある、
亀の甲羅のヒビで吉凶を占ったり、目に見えるもの、聴こえるもの
周りで起こっていることに自分なりの意味づけをする
それが時に大問題を引き起こすこともある、ってどんどん明後の方向に行くなww
コースのレッスン2、わたしは見るものすべてに自分にとっての意味を与えています
レッスン3見えるものをわたしは理解していません。…に続く
物の見方(見え方)考え方=理解の仕方で世界の見方=世界観が変わる
その世界観に安住してしまうと、見えているもの以外見なくなる
この世界観が対立すると争いが起こる、コースは良くできているよ
だけど知に偏り過ぎると…愛の方が置き去りになるのかもね
だから「愛のコース」になるわけだ、スピリチュアル的な言い方だとハートが閉じてしまう
コースにだけ凝り固まると、ものの見方の固定化に繋がるし
大事なのは頭というか理屈じゃない、コースにも何もかも置いて(コースにある概念も)
神の国へ向かうとあるし、概念もエゴの一部だから、概念いや観念だな、、を
超えないことには「天国」には逝けない、天国の扉は頭にはないのかも
いやあるか解脱って頭頂のチャクラが開く…いやその前に愛といっても
恋愛とかの愛ではなく、無条件の愛、アガペーの方ね、ハートを開かないと
悟れないんだわ、仏教(の一部?)の教えにも通じるわ わかり難い表現になった、前記の
>見えているもの以外見なくなる
というのは、世界では実に多種多様な事が起っている、コースでは何も起こってないと
いうけれど、そういう見方もあるなww
そしてそれぞれの事象が複雑に絡み合っている、そことここがで繋がっているとか
逆に分断しているとか…??兎に角色んなことを読み取れる
ところが頭の老化、固定化が起ってしまうと、同じものしか観なくなる
ピックアップできなくなるってのかな
一種の怠慢なんだけど、見たいもの以外は受け付けない、なぜなら
それは自分の世界を脅かしかねないから、世界に安住できないから
若い人はひとつの事象から色んな物事を引っ張ってくるよな、ああそういう見方もあるのかと
既知の概念に凝り固まると、違う見方ができなくなる
だから思考の外に時々出る必要がある、=瞑想だね 世の中の変化に適応しつつ、心を穏やかに保つためには
エゴの牢獄から抜けて、天国(神の国)で休まないともたないよな
体力がある頭も柔軟な若者ならいいけど
年取ってからハードワークしようと思ったら絶対必要だ
適応力が強いというか、芯が強い人っているんだよ、見た目関係ないね
見た目がゴリマッチョでも心が弱い人いるからな、番長と呼ばれた野球選手とか
逆にナヨナヨして見える人でも芯が太い人いるし
自分も芯が細いww方だから、自分じゃウドではなくて竹だと思ってたが
水分が抜けた竹はしなやかじゃないなwwいつの間にか婆になってしまった…
神の水が必要なんだ、天国はこんこんとわき出る泉があるんだよww そこ=天国ね、にたどり着きたいけれど、理屈だけじゃ辿りつけないんだわ ゴールデンウィーク盛り上がってるな
\(^o^)/ >>501
年相応の常識を重視してないから嫌いなのか
年齢に縛られない自由さが羨ましいのか >>511
―┼‐ ノ / | --ヒ_/ / \ヽヽ ー―''7
`」 ┼, 二Z二 レ / /´レ' \ ―7 ̄} | ー-、 /
(__ (|フ) (__ノ _ノ ∨` ノ / / _ノ \_
─┼- / | ‐┼- | ー|―
─┼─ | \ レ /  ̄Tー / ノ -─
(二フヽ \/ _ノ (二フ\ ヽ_ノ / 、__
i';i
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||V|| /⌒彡
_ ||.I.|| /⌒\ /冫、 )
\ ||P|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ `./⌒ i ` /ゝ _,,..,,,,_
||\`~~´ (<二:彡) \( > ('\\ ./ ,' 3 `ヽーっ
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄\`つ ⌒ _) l ⊃ ⌒_つ
.|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| `'ー---‐'''''" >>501
人の表面的な部分は受け入れようが受け入れまいがどうでも良い。
その部分は仮面のようなもので着脱可能などうでもいいものだから。
ほら、誰でも電話が掛かってきたらいきなり声が変わったり性格が
変わったりしてないか?それと同じだ。
それは役者が役に従って架空の人物を演じているのと同じだ。
その演じられている人物は本当はこの世には存在しないが役者が
リアルに演じるからあたかも存在するかのように見えてしまう。
電話の向こうの人はあたかも誠実そうな良い人が居るかのように
思い込んでしまう。しかしそんな人は最初からどこにも居ないのだ。 >>514
> >>501
> 人の表面的な部分は受け入れようが受け入れまいがどうでも良い。
> その部分は仮面のようなもので着脱可能などうでもいいものだから。
>
> ほら、誰でも電話が掛かってきたらいきなり声が変わったり性格が
> 変わったりしてないか?それと同じだ。
>
> それは役者が役に従って架空の人物を演じているのと同じだ。
> その演じられている人物は本当はこの世には存在しないが役者が
> リアルに演じるからあたかも存在するかのように見えてしまう。
>
> 電話の向こうの人はあたかも誠実そうな良い人が居るかのように
> 思い込んでしまう。しかしそんな人は最初からどこにも居ないのだ。 >>518
ごめん操作間違って引用レスになっちゃった
気にしないで 50女の件
レスありがとう
でもさ、たとえばエステサロンみたいな職場で客にひどいタメ口だったり先輩への返事にウィスとか、
ナンダコイツとしか思えない
コース的には自分が狂っているんだろう、判断してるとかね
でもさー…のエンドレス
先輩として厳重注意したいとこだけど
わからないので丸投げノータッチでいいですか それは仕事上のことなんだから厳重注意したらいいよ
何度も指摘されてるように、赦しは内的作業であって、
社会の中での常識的な在り方や言動を放棄するものじゃない 冷酷で高圧的で意地悪な波動の奴よりはまし
人を傷つけてないし >>522
社会の中での常識的な在り方や言動に囚われていては、
どこまで行ってもこの世界が「幻想」になる事はありません。 赦しがただの内的作業でしかないなら、
よくあるリリースメソッドと変わりありません。
が、ACIMはそんなレベルをはるかに超える真理なのです。 幻想世界はうまく出来てるよな
本質は罪悪感だから本質は生老病死の四苦だが
苦しみだけだと逃げ出すので娯楽、快楽も用意してある
自我の絶対逃がさないという執念を感じる そうだよな、自我の防衛システムが堅牢で、何重もの防衛ラインを敷いてるから
恐れと罪と罪悪感のドラマは終わらない、
自我ってのはどこへも向かってない、この幻想世界もどこへも向かってない
子供の頃砂浜に行くと砂のお城つくった、得意だったんだ、やった!良くできた!
とはしゃいでる間に波が来て総崩れ、またはどっかの悪ガキが来て蹴散らされるww
自我の見る夢であるこの世とはそういうもの… 神=力の源から離れているという信念があるから孤軍奮闘する
(しているつもりになる)
状況をなんとかコントロールしようとするも、上手く行かずに無力感に苛まれる
どうにもできない自分にふがいなさと罪悪感を感じる、その無力感や罪悪感を
周囲の人間に投影して、互いにそれやるものだから、ある時落とし穴にはまったような
絶対に人間関係を含む状況から自分の立場(置かれている位置)から
抜けられないような錯覚に陥る、まるでピンで留められたかのように
現状から、人間関係から逃れられない、そして益々自分は無力なんだという信念を
強める、自我は消滅したくない、目覚てしまったら消滅してしまうと信じている
自我ってのは堂々巡りしている、ただ本気で出口を探してはいない
これに気付いた時愕然としたねww
自我は偽の出口を用意することまである(宗教に救いを求めるとか)
自力でやらねばという強迫観念と、自力ではどうにもならないという本心と
出来ないのは意志が弱いからだと自分を非難したり、周囲の投影して誰かを非難したり
無力感に直面すると、耐え切れず誰かにすがろうとしたり、
互いに互いに足を引っ張り合ったり、非難し合ったり、エゴが見る人間関係は
どんどん苦しくなっていく 自分はもう疲れ果ててしまった、どうにかしようという気力も湧かないほどに
こうなったらすべて委ねるしかないww
状況をコントロールできないと諦めた 自我の目で現象を見る限り、分裂したりまた寄り集まったり
どっかの党みたいにww、争い、足を引っ張り合い(内部でもww)
互いに互いを非難し合い、そういうのから抜けられないんだわ
エゴはエゴを守るためには何でもする
例えば仮面(ペルソナ)を被る、本当の自分を隠すために
エゴのプライドを守るために、誰かを攻撃する、戦争になることすらある
エゴを守ろうとすると、どうしても視野狭窄になるのね
大きな視点を持てない、だって上記のような下らない葛藤や諍い、下らない闘争
足の引っ張り合いに明け暮れる、そんなことに
エネルギー使ってしまうから、最善に向かうどころか何も見えなくなる
半分意識が眠ったままの状態で、夢遊病者のようにどこへ向かっいるかもわからず
下らないプライド
…ひいては自我を守っている、その結果どうなるか?次々問題が増えていくww
力の源と繋がっている人もいる、彼らは自分のエゴではなく本心の方を信じている
ACIM的に言えばスピリットか?神の子としての自己、魂(霊魂とは違う)、本質
真の自己…等々と言われるものと繋がっている
彼らは欲得のためでなく、下らないプライドのためでもなく
正義(仮、いや笑)のためでもなく、国家のためでもなく(偽りの信念)のためでもなく
↑のようなエゴ、エゴを定義するって難しいww
エゴではなく本心から動いている、誰も想像つかないやり方で前人未到の地を行く
本心から行動できる人は勇気がある、開拓者でもある さて生きてる間に、本心と繋がる=正しい心に戻ることができるかな? すでに戻っているし以前からずーっと繋がりっぱなしらしいよ。 ウソも100回繰り返せば真実になるよ、
ましてやウソでもないらしいし。 お前ら難しく考えすぎ
思い出すってだけだよ
神の記憶は自分の中に確かに眠っているから、
掘り起こしなさい だから〜掘り起こすのが大変なんだって、玉ねぎの皮みたに剥いても剥いてもww
中には命そのものである、私たちの魂(スピリット)…霊魂ではない
神に直結する自己、それを本質、真我(全知)等々と呼ばれる核があることは
実感としてもわかっているのだけどね、ああACIM的に言うなら「神の子=キリスト意識」
その思いこそが本当の思い=本心なんだけど(正しい心)
それを覆うように闇というか影が、その部分が(間違った心)であるエゴ
このエゴの防衛システムを理解しないと確かに、玉ねぎの皮増えるわww ACIMは心理学として捉えているよ、元々著者ヘレン・ジャックマンは心理学者だし
自我がいかに自分を欺くかを理解する上で非常に役に立つけれど
「光のマインドフルネス」って本の第四図〜第五図への橋渡しにはなると思うけど
(※興味のある方は一読されたし)
知に傾き過ぎているきらいはあるかもね、これ凄くすよくできているし
捉え方は角度変えると色々ある、それこそ形而上学、神秘主義、仏教から派生した
マインドフルネス、わたしの先生は神道系の人だったけど
言葉はもちろん、ニュアンスは違うから、パッと見は全く違うもののように見えるんだけど
本質的なこと、というか向かう場所は同じ、玉ねぎの皮の中ww
自分はエゴではなくて、本質の方なんだという実感、閃きの瞬間がないと
結局概念だけの理解になってしまう、まぁそれでも十分なんだろうね
だって、玉ねぎの皮は剥いてしまえば少なくなっていくけれど
エゴってのはどんどん増えるから、これを減らすだけでも十分っちゃ十分 だからACIMは時間の節約、千年の時短になる、
香咲さんがどっかで書いておられた、エゴが問題を使って罪悪感を増やしている
なるほどなと〜と、罪悪感が増えるってことは問題も増えるわな
これを業(カルマ)と見る捉え方もあるよな、つまり光を取り巻く闇は放っておけば
増える、闇は恐れ、罪、罪悪感、わたしの師匠は((嘘))と言ってたな
嘘は何をつくるかシャドー(これも心理学用語)、ペルソナとかねww
これらもエゴの防衛システムのひとつだ
エゴが抱える闇が問題をつくり、問題をややこしくし、最善から遠ざける
ひとつ問題を解決すると、別の問題が控えていて、もうねww
問題のない人生なんてないんじゃね?と思ってたけど…そうじゃないね
「神の計画だけがうまく行きます」ワークブックのレッスン71
さて、闇は幻想でそもそも存在しない、存在しない幻想に振り回されないために
学ぶしかないんだけど、概念にどっぷり浸ってそこから出られなくなると
他の宗教と同じになる罠wwそれがエゴの罠 エゴには問題が必要なんです❗w
エゴにはやる事が必要なんですよ❗w
エゴには目標が必要なんです❗w
エゴには解決することが必要なんです❗w
エゴには進歩向上進化が必要なんですよ❗w 私事ですが一昨日に肉親が亡くなりました。
もっとあれこれやってあげていればよかったという後悔と、
いろいろ迷惑をかけ続けてしまったという罪悪感が
凄まじい勢いで私自身を責め立てていて潰されそうです。
こういう時、普段どれほどテキストを読み込んでいて、
ワークをやって[いるつもり]でいても、
本当に無力なものですね、本当にもう何も手につかない。
気がつけば食事も一昨日からまったく摂っていなくて、
今やっとの思いでネットに繋いでこれを書いています。
人間とは何と儚い生き物なんでしょう。
ほんのつい数日前まで、いつものように会話もしていたのに。
人に対しての赦しよりも自分を赦すことが
どれほど難しことかを今本当に心の底から実感しています…。 >>545
すごく大量に見えるけど、全く存在してない
人生のどこかできっぱり見切りつけるべき幻影 >>546
私も以前最愛の彼女を亡くしました
三度大泣きしました。
しかし
とても悲しくはありましたが
とても多くを学べました。
愛のレッスン
赦しのレッスン
聖霊よありがとう。 だから誰も亡くなってないし無くなってない、と言われても
この現象界がリアルに見えるうちは、人間的な感情があるからね
臨死体験にもいろいろあるけど、アニータ・ムアジャーニさんの
喜びから人生を生きるって本おすすめ…
てかさ、わたしには魂の座、ハートのチャクラ辺りに意識を集中すると
その人の魂の汚れ具合?が見えるのよ、いや魂自体がは汚れも傷つきもしないのだけど
それを覆っている闇というか影(実体のないもの)というか層になってる
これが比較的薄い人は、いわゆる善人、安心して付き合える人
魂の光が全く見えないくらい真っ黒な人もいる、サイコパスとかソシオパスと呼ばれる人
光が溢れるように周囲を照らしている人もいるね
それと頭頂のチャクラが綺麗に回転していると、ああこの人は悟ってるか
それに近い人だなとわかる、というかハートがどす黒いww人は上位チャクラが
開いてない、逆に開いてたら異常 神道ではこれを罪・穢れ、と呼ぶんだろうね、仏教ならカルマ、いやカルマを否定する
仏教の方が多いか、ヒンズー教の概念か?カルマってのは??
心理学ならシャドー、影の人格と言われる…普段は思いやりがあって優しい人でも
酷く疲れていたり、気分が沈んでいたりする時、意識レベルが下がってしまう
そうすると無意識の領域に隠れている陰の人格が現れる
短気で怒りっぽくなったり、本来は思慮深い人なのに短慮になったり…
人間体調に左右されてしまう部分は必ずある、そういう時は意識して意識レベル上げる
っていっても難しいんだよね…多少はしょうがない
普段は大人というかね、高潔な人物を装っても、幼稚な人格が意識の上ってくることもある
幼稚ならまだいいけどね、ゲスというかね汚物以外のなにものでもない何かが
でろ〜んと出てる人もいるし、おいはみ出てるはみ出てる…って言いたいことあるよww
男らしさの仮面(ペルソナ)被っている人の裏には、
えらく女々しい人格があって!することもあるし、実際マッチョなオカマっているし
本当に強い人は「俺は強ええんだぞ」と周囲を威嚇する必要ないんだよね
正義の仮面ってのもあるね、正義を装った攻撃とかね、正義の仮面を被っている人
って狭量な人が多いね、独善的っていうの??
エネルギーの流れ方でわかるんだよ、人のエネルギーも見えるから
その人の性格的な癖がね、出てる 究極的には、チャクラもオーラもエネルギーも幻っちゃ幻なんだろうね
現象界と一緒でさ、
神道では祓い戸の神(四神)がいて、まずは祓い清めから入る
神との交流の前に、神道って言うのは最もシンプルな形の宗教かもしれないな
民俗学を研究してみたいなと思うことがある、原始宗教ってのは精霊信仰と祖霊信仰が
メインかと思ったら、神道はちょっと違うって話がそれたな
仏教は知的な宗教だ、頭脳が発達し、様々な概念が生まれエゴの方も複雑化してしまい
神道のシンプルさを忘れてしまった、ACIMの分量だって広辞苑並みだからねww
概念に囚われているのが私たちの自我なら、時々最もシンプルな原点に戻るのも
いいのかもしれない >>544
では、人間は何のために生きてるのでしょうか?教えてください 私事書いて申し訳ないが、生まれる前から今までの人生、その延長である未来(仮)を
2年ぐらいかけて自時空間(自分だけの時空間)を辿ってみたいんだけど
人格は育ち方、つまりは大人や周囲の影響である程度決まる、勿論時々の社会情勢とかね
なぜこの環境でこの遺伝的要素(容姿含む)選んだか?選んで来てるね明らかに
多分のその前から続いている何かによって決まる
つまり死んでもエゴは消えないし、終わらないんだよ(リセットにならない) 進化向上する必要はない、だって私たちの本質は完璧なんだから
自分は肉体でも自我でもないんだーーー「天上天下唯我独尊−−」と言えるほど
悟ってないのよ、だから地味に今日も穴掘りww >>544目覚めるためじゃねの?本当の自分に、神の子である自分に
そのためには本質を覆ってる偽物が何をしているか知らなければならない
知るだけでも千年の時短、ただ理性による知的な作業だけで悟れるかな?
だから仏教には瞑想とか公案とかあるんだよ 正義を装った攻撃といえば山口メンバー叩きがそうだね
あれが無意識の罪悪感の噴出ってやつかな >>552
生きてる?
生きてないでしょ
寝てるの
早く起きてください❗w
555〜w
やられたわ 無意識で生きない、無意識で生きてる時ってのは、まるで夢遊病のようだ
人には慣れ親しんだ思考空間ってのがあって、意識レベルが下がると
どうもロボットのように自動的に物事に反応するようだ
確かグルジェフがそんなようなこと書いてたな…
歯を磨いたり運転したり…無意識でやってることがある、
つまり自動運転モードに切り替える、
自動運転モードは非常に便利なシステムなんだけど、意識レベル下げたままで
いられるから楽だし、エネルギーの節約になる
しかし、普段の生活でも無意識のままだとどうなるか?気付かない人になる
同じようなことばかりを考え、毎度毎度同じような反応をし、周囲の反応や
情動に気付き難くなり…つまりはボケ、意識レベル下げっぱなしだとボケになる
ってこの光景どこかで見たような、国会とかww
それに意識の深いところ、湖の底の方って堆積した土とか泥で濁っているよね
この濁って見通しの悪い部分が無意識、これを浄化しなきゃならない
でもって意識の深いところには、インナーチャイルドなんてのもいるんだよ
抑圧された感情が意識の深いところにあって…とにかく自分の心をどれだけ
澄明にするか?清めるか、奇跡の前には浄化が必要ってのは真理だ
その奥の方に源泉(創造のエネルギー)これが、無意識の層を通ると汚れてしまうが
これこそが愛であり叡智であり癒しであり、源泉かけ流しの湯だからね
気功でいくら汚水(エネルギー)を回しても、汚れたエネルギーじゃ治らんのよ
源泉にたどり着かなければ いくらでも出て来るなわたしの頭の中にも汚泥がたまってるなww みなすべて山口メンバーが悪〜いw
アイツが悪いw
すべてアイツが悪いんだ
悪いのはすべてアイツだ〜💢
僕じゃないから😪 やっぱりACIMに傾倒しちゃう奴は・・・が多いね。 神が罰するのを恐れて逃げてるとかこじつけとしか思えない
頭が悪いからかもしれないけど
エゴが罰しあうからこの世と関わりたくないし、神、愛の元に帰りたい 問題は、この時間と空間の世界が、本当は夢なのに現実だと思い込んでいることなのです。 チャリンコでずっこけて右手骨折しちゃったけどこれも夢なんだろうねトホホ >>566
痛いの痛いの飛んで行け〜💫
お大事に😉✨ 肉体はエゴの象徴であり、
エゴは分離の象徴である
つまり実際にはおきていない この世界はエゴが作ったものだから
すべては罪悪感という毒を持っている。
だからこの世界のすべてのものを相手にするときは赦しで毒抜きをしなければならない。
この世界で色々問題を起こしている人は赦しという毒抜きをやらないから罪悪感という毒に苦しめられているのである。 風邪ひいたわ
昨年も10月にひいた
なぜか気候のいいときにひく
毒出しのためかな🍀 🌞🌞🌞🌞🌞赦しforever🏵??🏵??🏵??🏵??🏵?? リストカットとか過食嘔吐とか自傷行為する人のことが理解できない(怒りも哀れみも感じない)、自分に全くない概念を持つ人達のことだから、それらも投影だと言われても納得しかねる状態だった
でも自分の先延ばし癖を考えると、自分の状況を確実に悪くするがどうしても繰り返してしまうものという意味では自傷行為そのものじゃないかと気づいた
見えている物に対して何も思わなくても、見えている以上は自分自身の内側であるってことなのか 悪い癖は誰でもあるよ
何にもない人なんてまずいないだろ 5chに書き込む癖が治らないが、治す必要性を特に感じないw JACIMの新刊本の出版が遅れてるみたいだね
本来ならもう出ていてもおかしくない時期なのに この世界は神との分離感を繰り返し繰り返し
様々なバリエーションで投影して見ているだけだ
それに気づくたびに繰り返し繰り返し神との融合感に戻らないといけない 赦しドカーンとか非二元ドカーンとか世界はないドカーンとかみんな兄弟ドカーンとか
神の子は一人ドカーンとか夢見る者は一人ドカーンとか自己攻撃ドカーンとか
レベル1の教えを日常に当てはめるからわからないんじゃねえ?
たとえば
@むかついたら、怒る
A怒って変えてもらえばければ、訴える
Bダメなら泣く。友達、セラピスト、ペット、聖霊に相談する。
C凹む。フラッシュバックになる。恐ろしいイメージを見る。
D感情が解放される。体が軽くなる。別の運命になる。
E次の出会いはさっきのよりマシ。そこでもう一度同じ話をする。
Fレスポンスが変わる。正義が働く。
G自分が成長を始める。同時に、急速に癒しが始まる。
H時間の過ぎ方と使い方が変わる。人生行路が今までと違う。
I知覚が変わっているが、もう当たり前で気づかない。
これくらいのことを通って、一回ずつ一箇所ずつシナリオが置き換わるので、
今日赦せる赦せないじゃなくて、赦しのプロセスに乗っているかを重視するといいと思う。
と言ったそばからレベル1翻訳するわ。
じつはレベル1のほうが直観的には把握しやすいんだ。
それを時間をかけてレベル2に浸透させるという
「自分が自分のジーザスになる作業」がいちばん難しい。
レベル2自体はじつは子供の頃から自分でできているケースが多い。
変な癖とか面白い趣味とか好きなセリフとかつい買ってしまうキャラとか見てみな。
どうしても揃えたいグッズとかマシン、つねにリピするサプリかジュース、
行ってみたいところか何度も行くところ、手放せない本か絵かCDか手紙。などなど。
大長編作ったから頃合いを見てリリースするよ。
相当分量があるので役には立つだろうけど出し切るかがわからねえ。 人は奇跡講座の中の三つの
階梯についても同じように
述べることができる。
間違えた心は物質的な世界を
物質的な目を通して見ることである。
それが自我のすべてである。
つまりそれはコースの中の
私たちの罪悪性、私たちの罪深さ、
私たちの他者へ投影し、
共食いし、そしてほしいものを
得るために殺す必要の見かけ上の
実在に基づく、自我の力動とそして
特別性がなんであるかについて
詳説する文章のすべてである。 これへの訂正、正しい心は、
イエスが物質的世界を、自我の
思考体系を見ること、しかし
霊的な観点からである。それが
彼がひんぱんに反映という用語を
使って話すところである。それが
彼が愛はこの世界では不可能だが、
赦し、愛の反映、は可能であると
言うところである。彼はここで聖性の
反映について話す、それが聖なる関係
である。彼は聖なる瞬間について
話す。彼はこの世界で聖性は不可能なのに
聖なるという言葉を用いるが、しかし
背なる瞬間とそして聖なる関係は
真実であるものの反映である。
再び。彼は自我の思考体系を観ている、
二元的思考体系を、霊的な観点から、しかし
彼の書き方、その提示のされ方、そして
私たちがそれを実践するよう求められている
やり方は私たちがここにいるかのようにである。
それは物質的な世界を見ることだが、しかし
ヴィジョンの瞳を通じてである。それは
まだ二元性の世界の中にある、つまり
まだ幻想であるということである。 一つなる心は霊的な世界を霊的な視界で
視ることである。これは天国とは
いかなるものであるかを直接的に
取り扱う文章の中に認識することができる。
それらはたくさんはない、なぜなら
私たちにはそれらを理解するすべがないからである。
これらは奇跡講座において真実とはなんであるか、
実相とはなんであるか、非二元性とはなんであるかを
私たちに述べる文章である。あなたが、少なくとも知的には、
それを理解するとき、あなたは幻想とはなんであり、
二元性とはなんであるかを理解できる視座を得る。
それがあなたを文章をその文脈から取り外し、
あなたが意味させたいように意味させるために歪めるという
間違い、そしてそれはつねに真実を代価にしてあなたの特別性の実在を
保証するものである、それに陥らないように助けてくれる。
あなたが真に一元性とは、実相とは、そして非二元性とは
なんであるかを理解するとき、あなたはその間違いを犯さない。
あなたはそのときコースの中の正しい心の叙述のすべてを
コースの中で聖霊の役目に関する叙述のすべてを、
そして奇跡の役目と赦しの役目に関するものを
理解する視座を、文脈を、枠組みを手に入れる。
もしあなたがその視座をもたないなら、あなたは
イエスが語ることを文字通りの真実だと思いなす。
それは字義通り真実であると受けとられてはならない、
しかし彼は私たちにこのレベルで話さなければならない
なぜならそこが私たちがいると私たちが思っている場所だからである。 おじいちゃんが死んで嬉しくなっちゃってさw
楽そうだったよ。
みんな「あーこんなふーに死にたいな」って言ってた。 ジーちゃんバーちゃんとっくに消えた
と〜chanも消えた
カーチャンはまだいる。 この世界は分離だらけの自我ワールド
この世界では人間はすべて分離しているように見える
分離だらけのいかれた世界を赦しによって修正していかねばならない この世界ってのはわたしたちの信念を経験する世界だから、わたしたちの心が分裂していれば
次々に分裂していく世界を見るだろうね、統一した心なんて誰も持っていない
(誰もってのは言い過ぎかもしれないが)
浮かんで来る想念に振り回されている限りはそうなるもんね、必然的に
想念がどこから浮かんで来るかすらわかってない
その信念体系ってところから浮かんで来る、しかしその下には深い心の働きがあって
それは隠されている=エゴ(または間違った心)の防衛システムを
理解する上で役に立つ、そして同時に信念体系を入れ替えるってこともやっている
わたしがいた神道系の真我の顕現を目的とした小さな集まりで教えていたことも
似たようなことだった、勿論使うワードは全く違うし、概念もちょっと違うのだけど
やってることは自分の心が(自我が)何を見ているか、何をしているか
心鏡の行ってのがあったんだけど、何の先入観も持たず操作もせず、
ひたすら自分の心を正直に見つめるってことを続ける
そして本心(真我、本質、大いなる自己)を覆い隠している嘘、欺瞞、そういうものを
一枚一枚剥がしていく、あああれちゃんとやっておくんだったな ACIM的な表現なら、キリスト(神の子、神我)の顕現が目的
それを覆い隠している自我とは何かを知り、それがどう自分を欺くかを観察する
ひたすら観察する、嘘を排斥すれば本心に戻る、本心を歪める心の働きを観察する
ACIMは同時に間違った信念体系を聖霊の信念体系(神の正しいイメージ)と
入れ替える、潜在意識を変えていく、こっちの方が親切というか現代人向けだけどね
現代人は頭が納得しないと、行動しない(やらない)続けない
ただやってみろ、ってのは昔のやり方、体験から学ぶというやり方
どっちがいいのかはわかんねww 信念体系が入れ替われば、体験する(((世界)))も変わっているという仕組
でもって、いわゆる「引き寄せ系が」やっているのは↑だけなのよ
信念体系が変われば、確かに変わるかもしれないが
その奥に隠されている心の働きを理解しなければ、結局はエゴが邪魔をするw
信念体系ってのは、幼少期に周囲の大人から植え付けられたというか
引き継いだ概念と個人的経験から導き出したものが交じりあっている
その奥があるんだよ、まだ言葉というツールを使いこなせなかった頃
感情を処理しきれなかったために残った傷とかさ、これが結構厄介だったな
エゴがエゴを守る仕組みとか、本当の自分をひいては神を遠ざけるいくつもの
システムを突破するのは至難の業だ、一回の人生じゃ_、ACIMは効率が良い あれ、読み返したらかなり文章がおかしい…書き直すか?スレ汚しになるから
やめるか?つか寝るか せっかくコースに出会えたんだし、
この人生でできるだけ神に近づきたいよな やっとコースに出会えたんだし
この人生で必ず
神に完全復帰するべ^^ 私達が日常必死こいてやっていることは、「薄める」ことなのかもしれない
例えば根源的な感情と言われる「恐怖心」、これがない人はいない
死への恐れが根本かと思ったら、それ以上に生きなければならないことの恐怖の方が
大きかったりするのねww、つまり人の生き死にを超えたところにもっと根源的な
「恐怖心」が横たわっている、潜在意識の奥の方に…
この恐怖心を薄めるために、人は色んなことをする
恐怖=死というが根強い概念としてある(本当は死を超えたところにあるように思うが)
日常生活では、死を連想させるものを遠ざけているよね
保険に入るのも、健康の為に運動するのも、がん検診やら人間ドッグも、
恐れを薄めるためにやっている、愛のためじゃなくて恐れを薄めるために
結婚する人もいるからね、仕事だってそうだよ、その仕事への愛?や献身のためじゃなくて
恐怖を薄めるためにやっている、根源的な恐怖が神との分離の幻想って奴だ おっと昼飯つくる時間だな、続きは夜書く時間があれば 奇跡のためには協力しないとダメだ
神レベルでは兄弟はみな同じだから
肉体レベルだと能力などが異なってるから協力するのに気がひけることがよくある
例えば大谷に一緒に本気で野球しようと言われても能力に差がありすぎて気がひけてしまう
神レベルでは皆同じで能力に差がないから協力することに遠慮したりする必要はない みんな罪悪感を投影するために努力している。
努力して上にいけば下にいる者に対して無能、怠け者と罪悪感を投影できる。
上下という格差は罪悪感投影ゲームになるから自我にとって都合がよい。
神の世界には上下の格差などない。 この世界の悪はすべて自我の命令で行われてるだけだ
ヒトラーも自我の子分でしかない
聖霊は自我という悪の親分、本丸に対して赦しを行うべきで
この世界の小悪党に使うものではない みんな、コースの学習歴ってどれぐらいなの?
ちなみに私は丸4年ぐらい。 自己肯定感を全く持てなくていつも自信が無くて人とばかり比べていて
毎日死にたい気持ちが止まらない。自分がなんの役にも立てていないことでさらに
生きていても何の意味もないように思え、病気や体の不調や身内の体の痛みですら
何もしてあげられないことに罪悪感を覚える。皆どうして自分に自信を持っていられるのか。
コースで少し良い気分の時もあるが、何か苦しいことがあると絶望感のほうが強くて
あっという間にエゴにやられてしまう。何の仕事もしてないので自分が無力と思えて
これでもし病気になったりして何もできなくなるとさらに自分の存在意義がわからなくなる
だろう。どうしたらこの無間地獄から逃れられる?一時赦せてもまたしばらくすると
ぶり返す、ここ何年もこの繰り返しだ。何かこの世でやって意義のあることや楽しいことも
ないし、ひたすらこの感情を赦す作業をしていればいいのか…、
それが今生きている意義なのだろうか。 実際、今絵を習っている。びっくりした、見える人なの?w
でも絵を上手く描けてもこの世の物質のことなので何かむなしいんだよね。
そういうと形あるもの、人、すべてむなしくて。コースを知るとこの世がむなしくならないか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています