仏教】 悟りを開いた人のスレ278 【天空寺
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悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もする事。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
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俺もそうだったよ
死ぬのが怖くて怖くてたまらんかった
自分が死ぬのが怖いから、自分の大切な人が死について苦しむのが可哀想だった、なんとかしたかった
俺は突然サマーディになって、死の恐怖についてはほぼ解決したけど、人に伝えるのはまったく難しい >>336
うーん、色々言う人はいるし俺はどうなのか分からんのだが
「起こってる現象と思いを同一化せずほっておく」って言う人もいるし
「起こってることそのものになる、縁起と一つになる」って言われる人もいるし 人によって死ぬと言うことが、どういうことなのか、結構感覚的に違うんじゃないかな 「起こってること」と一つになるとき
それを認めるものはなく消えるとか言う人もいるね これが苦滅なのかな、とも
まあ修行せんとわからんな >>337
死について考えても経験できないし経験した人もいないからわからないだけだよ
あえていうなら生まれる以前を想像するくらい、それは理屈の上では自分が経験しているはずのことだから
時間は一方通行だからという理由でね >>341
だよなあ^^
生きてる人間も存在しないって...? >>338
目の前の世界が切り裂かれると思うと、この目がなくなると思うと、恐怖の絶頂
まあ、どうしようもないけども、なんと!
それを超える道があるという
ブッダは生死を乗り越えたという
なんと、かっこいいw >>337
自分が生きていると思っているから、他人も生きていると思うんだよ
自分は生きているとなんとなく思うよね?
それは俺もそうだったし
生きているとは何か?命とは何か?
深く深く考えてみたらいいと思う はじめはどーなることかと思っていたこのスレ、いいスレになったね。
いいと思う。 ではボクは日課の座禅します。
みなさん頑張っていいスレにしてください。
心より応援しています。 >>346
釈迦の悟りは正直よくわからんけど
死の恐怖はサマーディである程度解決するよ
全く無いわけじゃないけど、ほとんど大丈夫な感じになる >>315
死は死。
それ以上でもそれ以下でもないでしょ。
激流っていうのは心の現れ。 >>351
まあ確かに、心が動揺するわけですけどもね
最初から死を意識してなくて、死が来た時に、動揺しないとかありえないからさ
だから感覚を制御して、離れてなさい
貪ってはいかん、怒ってもならん、グチるなよ
と
まあ、要するに、自我活動を事前に、離れてしまって、不生に移行しちゃうわけでしょ?
なんもなくて、考えなきゃないやん
は
仏教じゃないでしょw まぁ、どうせ死ぬんだし、また、死ぬまで死なねーんだから、
余計な思い煩いしてもしょーもねーだろ? >>353
ええええええええ
マジっすか?
じゃあ、智慧とか布施とか、なにしてるの?w
考えなきゃいいやんって
最初から教えれば済むことやんか、それならw >>352
三界唯心でしょ?
死を意識するから恐怖も生じるんでしょ?
死を意識しなきゃ恐怖は生じないでしょ?
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
(自説経) >>347
仏教では生きることも苦しみなのかな。
ならば死は苦しみを終わらす楽しみなのかねえ^^ 考えないというのはめちゃめちゃ難しいですよ、特別な何かをしなきゃ不可能かもしれないレベルw
無の境地を目指して座って見ればわかりますよwww >>354
> どうせ死ぬんだし、また、死ぬまで死なねーんだから、
> 余計な思い煩いしてもしょーもねーだろ?
これが智慧じゃないの? >>356
生きているというのが観念なんですよ
その観念が自我そのものだとも言えます
それがすべての苦しみの原因だと言っても過言じゃないと思います
あなたはいつ生まれましたか?
母親のお腹から出てきた時ですか?
それは自分の記憶にはないですよね?
自分が自分だと自覚した時に、自分は生まれるんです
自分が自分だという自覚は、自分は○○ではないという自覚とまったく同じなんです
わかりますか? >>355
いやいやいやいやいや
それって
此っていうのは、肉体のことじゃないの?
彼は、まあ、死のことでしょうけども、、、
身体がわたしと、執着して快楽を貪っては、苦しんでるし、死に際して、悩むわけだから
考えなきゃ、は、ヤバイでしょwwww
何も超えてないやん、それじゃあ
ただ呆けてるだけやんかw >>357
> 考えないというのはめちゃめちゃ難しいですよ、
> 特別な何かをしなきゃ不可能かもしれないレベルw
> 無の境地を目指して座って見ればわかりますよwww
108ある煩悩の107を切り捨てて一つの煩悩になりきるんだよ。
集中する事、次念を継がない事。
禅宗でいう無字。
「ムー、ムー、ムー」って108ある煩悩の107を切り捨てて1になる事。 >>359
わかります^^
ならば自我がある限り、自我の消滅「死」の恐怖はなくならないと? >>358
そんなわけwwwwww
智慧とは、そのようなものな
わけ!
ないでしょうw
ウチのオカンでも、その辺の坊主でも、まあ会社の先輩でも、後輩でも
皆、知ってますよ
そんな程度ならwwwwwww
まあでかい寺の坊主も同じ答えでしたがね
しかし、考えなきゃいいとは、流石に言いませんでしたよ
わしも考えてみたけど、わからん
とは言ったけどさ
意味ぜんぜん違ってくるやんかwww 一度そういう集中状態の体験があると
今、起こってないことへの不安は自然となくなるとかもよく聞く >>362
どうなんだろうw
自我が無い状態を一度でも体験すれば死の恐怖がほとんど無くなるのは、俺の経験からわかりますけど
そのような体験がなくても論理的に考えて理解できれば大丈夫なんじゃないかとも思います、想像ですがw >>360
死に恐怖の根本は瞋恚。
その瞋恚は末那識が阿頼耶識を常・一・主・宰の自我と相分(影像相分)する事(痴,、無明)に起因し、
たゆまない意識(第六識)へのささやきかけから生じるんですよ。
それを受けた意識は、本来、様々なものが因縁仮和合して現象してしているに過ぎない自身を、常住
不変である自我と錯誤するので、当然にその消滅に対して恐怖を感情するんです。
(続く) うーーーーーむ
まあ、別にいいけどさww
もっと実質的なものだと思うけどね、ぼくは >>366
その体験は悟り!?
詳しく^^
寝る、のちほど^^ >>367
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ真空妙有教えてくれたでしょ >>359
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ愛する人が死んだら悲しくないですか? >>371
ですよね??
ですよね??
これは観念だ
考えてるからいかんのだ
忘れよ忘れよって
そんなん、なんか、ぜったああい
違うよねw >>369
悟りじゃないよw
悟りって苦しみからの解放だと思ってたけど、サマーディを体験してからの数ヶ月くらいは、苦しみまくりでしたからねw
>>371
その愛によるのでは
依存や執着のような愛だとすごく悲しいと思うし、慈悲のような愛だと、そうでもないと思う >>371
愛する人が優しくしてくれれば嬉しいし、愛する人に無視されたら悲しい
こういうのは苦しいですね
なんか暖かくて穏やかでゆっくりとした、そういう愛があるんですが
それは求めることがないので、苦しむことも少ないですよ 「一切法に於いて不取不捨ならば、即ち是れ見性し、仏道を成ず」
認めるでもなく認めないでもなく
考えるでもなく考えないでもなく
それが出来きったら「見性」とか「成仏」とかの何かが起こるってことか >>371
愛は死なないんですよ
愛する人が死んでも、その人を暖かく穏やかでゆっくりと愛するままなんですよ
ちょっとわからんかなww >>372
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ悟れば悲しくなくなるんでしょうかね 悲しいけど受け入れるのと
悲しくもなんともないのと
悲しいけど生まれ変わりを信ずるのと
悲しいけど極楽往生を信ずるのと
霊魂の不滅を信ずるのと
解脱して涅槃入りを信ずるのと
まあ、なんか様々な宗教によって、反応は違うんだろうけども、、、
なんも考えんは、ないw
ぜったいに、ありえんw
好きな人ならね 悟れば悲しくないんじゃないかなw
俺は悟ってなくても普通より悲しみはそうとう少ないと思うw
薄情だと思うかもだけど、俺からすれば悲しみまくる人のほうが薄情だなーと思うからさw >>376
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ傍にいなくてもずっと寄り添っている感じですか? >>379
悲しみまくる人の方が薄情ってのは面白い表現だね >>377
えええええええ
そんなん悟りじゃないでしょ、たぶんw
慈悲はどうなるの
憐れみなんて、全くない人やん
冷酷人間やんw >>380
うん、なんかそんな感じはあるね
要するに、死んでほしくないと悲しむのは、生きていたその人は愛していたけど、死んでいるその人は愛せないからだと思うw
生きていても死んでいても、愛することはできるからねw 悲しみまくるというのは死んだ人が失われたと思ってること
死は死としてその人が失われることは決してないってことが腑に落ちてれば
死んだひとと同じ愛にあり続けてる、そういう風に解釈したけど >>374
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ恋人や伴侶でも死んだら苦しまないのでしょうか? >>385
死んだらどうなるの?
もう笑わないし動かないけど、それでその人の存在は完全に消滅してしまったと思う?
その人は死んで苦しみの中にいると思う?
俺はずっと変わらずに一緒だと、心からそう思う >>386
∞ノノハ∞
川^〇^ハレいなくなっても寄り添ってならいられそうです
ありがとうございました 思い出は変わらずに生き続けるよ
だけど悲しいよ
勝手に涙がでてくるもんなんだよ
泣こうと思わなくても
泣こうと思って悲しむ前に、自然に、涙が流れてくるんだよ
なんも考えない、なんて、悟りはありえないw
それでも乗り越えるものが、あの人は涅槃入りしたとか、滅尽定に入ったとか
または、極楽浄土へ生まれ変わり、天国へ生まれ変わり、幸せにしてほしい
とか、なんか、反応あるでしょ人間ならw
まあ、いつも一緒というのは感じるけどさ
仏教で最高の人だったら涅槃入りして、二度と苦しみのない安心にいるのかな >>388
愛する人が半身不随になったら、愛する人が植物人間になったらと考えてみたら?
逆に自分が半身不随になったら、植物人間になった時に、それを悲しむ人が自分を本当に愛しているのか、それを悲しむことなく愛してくれる人が本当に自分を愛しているのか
自分の財産がなくなった時に、それを悲しむ人と悲しまない人とか >>379
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ身近にいればいた程悲しいですね
時間が解決してくれたって感じです
最愛の人なら正気でいられないかもです >>389
うーーん
悲しみは高度な感情だと思うんですよね
愛に近いようなもの
空だから、なんでも執着なしにしてるとか、も、なんか、、、
だから、元々ないんだからさあ
と言われると違うんじゃないのって思うの
人がぼくに対して、悲しんだりしてるのは、まあよくあることだけども、、、
うーーーーーん
空だけど、その空が、今、生きてるわけじゃないですか?
仮にだとしても、あるわけじゃないですかね
だから、一期一会とか、そういう深い話になってくのであって、最初から無、だから、無、であるものに執着なしにいましょう??
が違和感あるだけだよ
他の人がどのようにしていても、自分の苦しみは自分の考えからきてるのは、わかるよ
だけど生きてるし、好きな人なら悲しむのは別にいいんじゃないのかなあ
自然なことでしょう
自然なことは、自然なことで、その、そこが本来空、なんでしょ >>391
愛の種類なんですよ
我欲というか、そういう愛はめちゃめちゃ苦しいと思うよ
我欲のない愛は、たとえば愛する人と死ぬまでずっと会えなくてもそれでかまわないわけです
会いたいという思いは、それは自分の欲ですから
愛しているから会いたいと言うのは、つまり自分を愛しているとも言えます >>392
え!?
うーーーーむ
会えなかったら悲しいやんかwww
それが愛別離苦ってやつで、人生でも、かなり苦しむ部類のものでしょう
自分勝手だから、と、自分を抑えるのは、まあ当然ありますが、会いたいなあと思ったり、会えたら喜ぶわけですよね
まあ、恥ずかしいから、そんな素振りは見せませんがww
会いたいなあがなくなったら、その人のこと、忘れちゃってるかもしれんやんw
って、なんか恋愛話みたいになってしまったな、苦笑 >>367(続き)
要するに、死の恐怖を感情するを果とし、因や縁を逆観するって事となる。
それって、いわゆる十二縁起の逆観・順観と何ら変わらないでしょ?
つまり、様々なものが因縁仮和合して現象してしているに過ぎない自身なのに、
常住不変である自我と錯誤するので、その消滅に対して恐怖を感情してる縁起を
識る事じゃないのかな?
いろいろな方法があるけど、一つには、今この瞬間を生きることに集中すれば、
死への不安は生じないでしょ?
聖書にも「だから、明日のことを思いわずらうな。明日のことは明日自身が思い
わずらうであろう。」ってある。 >>367 やぁ〜い、バーカじゃき!おぉ笑位ジャン
そういうおしゃべりに 真理(さとり) は 無い、外道よ。 >>395 やぁ〜い、ばーかジャキ!おぉ笑いジャンキ!
まだ やってる。外道よ。 >>396.7
お前もしつこいよな。
化けの皮を剥がされた似非覚者の遠吠え・・・w 本来、因縁仮和合して現象しているに過ぎないないものを、常・一・主・宰の我と錯覚しているのが無明(痴)。
そしてそれをベースに渇愛し、必要以上に求めるのが貪、必要以上に排するのが瞋。
俺は悟りとか知らない。
が、まだ来ない未来に対して思い煩うのはあほくさいと思うけよ。
だからって刹那主義的(快楽)に生きるって事じゃないけど。 >>398-399 ばーか!お笑いジャンキ!
おしゃべりの延長上には、何があるというのだろうか。廊下は静かに歩きなさい、である。
坐るな、坐れば、自己満足する、だから、坐るな。絶望することだな、本を捨てよ。そして、坐るな。外道よ。 >>400
化けの皮を剥がされた似非覚者の遠吠え・・・w 583
迷妄にとらわれ自己を害っている人が、もし泣き悲しんで
なんらかの利を得ることがあるならば、賢者もそうするがよかろう。
585
みずから自己を害いながら、身は痩せて醜くなる。
そうしたからとて、死んだ人はどうにもならない。
嘆き悲しむのは無益である。
590
だから(尊敬さるべき人)の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見ては、
「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって、嘆き悲しみを去れ。
<仏説:スッタニパータ> 「彼は、また、その身の堪える限りの感覚を受けながら、
ただ<わたしはわが身の堪える限りの感覚を受けている>と知り、
そして、ついにその身の壊するに及んでは、
<わたしはいまわが命を終るのであるが、
これで一切の感覚を受けることはおわり、
もはやなにごとを享受することもなく、
わが身は冷たくなって、ここに遺骸となって横たわるのみである>
と知るのである」
阿含経典 「熟慮」 >>402 やぁ〜い、ばーかジャキ!おぉ笑いジャンキ!
がんばれ、がんばれ。 坐るなよ、外道よ。 211. 愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。
愛する人も憎む人もいない人々には、わずらわしの絆が存在しない。
212. 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる、
愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?
213. 愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。
愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?
法句経典 第十六章 「愛するもの」 より >>367>>395>>399
しっかり学んでいるのですね
失礼ながら驚きました。 さてと、農作物を送って、庭でも片付けて、明日から山の畑に行くかwww
今年はいつもより二十日以上も早く山にいけるわwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 片手の人の拍手の音を聞きなさい。?私は毎朝の習慣になり書き込みなさい。別に他の誰にも強制されていない
しあまり私の書き込み見るひともいない。少しは義理でみるぽ師匠や鬼さんが相手にしてくれるけど無駄な時間なのか
無駄ではないのか?また適当な事ネタにして、私は才能がないのでだらだら書き込みしかないので時間の暇をみつけて
無駄なかきこみして早く長く書き込み自慢したいのか?長いのはこじさんも同じでか?皆も忙しい時もあるけど無駄な
時間ネットやテレビや将棋囲碁やエロいDVDや普通の映画みて過ごすけど皆音無しい。あ公案の答えなのか適当不正解
僧の人は汗水流しながら公案する努力して何とか音声になり聞く耳の無い人を救い上げようとして苦労して説教する
大人しい仏の声はきこえず?また雑念に横道にそれた。もう時間が無駄にすぎた時間が無い書き込み少し短いけど
しかた無い切り上げるか少し残念な思い残るけど急げ急げでも仕事ひま?頭が次次と急がせるけど時間の無駄でも
交感神経が交換できなくて今は忙しい時と思えば自己満足で仕事したなあそれも申そうだ
忙しい私を見守るもう一人の私が居るきっと可笑し食いながらコーヒーも飲みながら
テレビの中の私を見ている人が苦しんでいるときにもうほっとけしか出来ない役立たず。
何か最後のは昔孝子さんがラジオで言っていたもう一人自分が見ているのパクリか
長い時間 https://www.youtube.com/watch?v=_uJQ-XnScno ゴータマの弟子たちはよく覚醒している。卵の母親たちは悪く徹夜している。 >>395
仮にある無常な世である
移ろわないものは何もない
ですから執着心をもつと苦しんでいる
渇愛に苦しむ
しかし、この苦しみがなくなったら
執着心がないのだから
他者がどうなろうが、知らん
となれば、おかしい
己の苦しみが、渇愛から来ているので、それを離れる
離れたところで、静けさとある
うむ、まあ、そうか
悲しむ必要はないかwww >>399
思い煩う必要はないね
でも、死、は無意識ってわけにはいかんね
坐禅して死に切ってこい
とか、
おもっきり重要なことだからね >>404
まあ、このへんも
あれだなあ
執着心だからねえ
でも、嘆き悲しまないで、無心にあるけども
だって、こいつ最初から無なんだから、どうなっても一緒やん
は同じ意味なのかなあ
悲しまないけど、、、
ああ、まあ、生きてるうちになんとか
ってことかな >>420
何をたわけたことを言ってんだかwww
今はフキじゃwww
そのあとはノビロとか菜の花とかだなwww
イチゴなんて6月じゃねーかwww
夏のイチゴは左程美味くないけどなwww
冬のイチゴは設備や金がかかってるんじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>414
もう一人の自分ね
観察してる人でしょう?w
これが分断のもとちゃうかな
これがないと、生きてるここだけちゃうかなw >>422
苺って六月なのーー???
てっきり春なら苺かと思ってたわw
まあ畑植えたら楽しそやね
おお、芽が出てきたあとかww
小学校以来ないわ 苺が芽を出した
おお、なんか嬉しい
これは自然なことだよね
そっから悪知恵が働くと、この苺、形が悪いから売れんかもしれん
けっ!
これがあかんのちゃうのw
いや、そういうのに振り回されると苦しむから、損得ね
やから、まあ、ふうつにしてるんがいいんでしょう
苺、食べたらなくなるけど、あー、うまかった
は、これは自然なこと
だけど
げ
苺、もうないやん
もっともっとーーー
があかんだけやろ?
あかんって言っても自分が苦しむからの話w 最初から苺見て
ふむ、この苺は無である!
執着心は捨てよう
考えないで、だべるのだ
考えないで
もともと無であるから、うまいとも、思わん
ふふ、
この舌の感覚も錯覚よ!
俺って悟ってるわー 426.
それは心理学であるよ。
それは宗教ではないよ。 >>417
>他者がどうなろうが、知らん
>となれば、おかしい
自他一如だからそれは無い。 >>407
あ?
坐禅しろ、坐禅!
坐禅だよ、坐禅!
坐禅!坐禅!坐禅! >>430
何が消えたんですかね
体も心も、そのままにあるのに
坐禅で何が変わったのでしょうね ハッタリジャンキーのイチビリ定期発作レスはスルーで(笑) >>432
坐禅をすると、自他の分け隔てに関わる脳内物質が少なくなると聞いております(ソース忘れ)。
唯識学では転識得智が起こるそうです。
末那識→平等性智
意識→妙観察智
その脳内物質が一定量を下回る(?)と意識の変革でも起きるんでしょうかね。
これは私の想像ですが、深層(末那識)で色即是空が、表層(意識)で空即是色が、つまり、真空妙有が覚知されるのだと思うんです。
絶対矛盾的自我同一性とか言うんでしょうか。 >>426
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ麦は無明って奴だからねw
コレ最高〜♪とか生きてて良かった♪とか喜怒哀楽全開wwww
笑っちゃおwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています