仏教】 悟りを開いた人のスレ278 【天空寺
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悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もする事。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
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仏教】 悟りを開いた人のスレ277 【天空寺
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1519893047/ 死を恐れないようにするには死を考えなければよいというのは卑怯者なんだよ
死に慣れ親しむことが死を恐れないためには必要
仏典で死を覚悟せよと説かれているけどね
ジャンキーは切磋琢磨して仏教について語らないじゃん。
自分の見解のゴリ押しばかり。「俺が正しい、お前が間違いだ」と自己正当化ばかり >>279
話の流れがあいまいになるから、まずアンカーを付けような。
で、俺がダンマパダを読んだことが無いとでも?
見ず聞かず言わざるよりも 思わざるこそまさるなりけり(良源) ってなw その先に進むためにはここから経典を読むということが始まる。
ブッダがJunkie‐Ooyamaのその先の道の道先案内人となる。 南無妙法蓮華経を唱えたら死は怖く無くなる?晃さん^^ >>283
死を目前にもってきて、乗り越えるのが、激流を渡ることであり、艱難辛苦な、悟りへの道ではないかwwww
考えなきゃない!!
これはw
どこの仏教なのか、だれか知ってますか?
ww アンカーつけるまでもないだろジャンキーの糞レスに
自分で書いたレスも分からんか?自分のレスも忘れる奴にあやこや言われる筋合いはない >>282
は?
妄想に振り回されるのと思考を使うのは主体においての自由の有無だろが?
大丈夫か? >>285
わからん^^
遺伝子を残せないこと、かな? 創価学会員は死ぬまで仏教という山の1合目で終わる。
Junkie‐Ooyamaは、もう山の5合目までは上った。
そこからは仏典を読む。そしてそこからはブッダが
Junkie‐Ooyamaを仏教という山の頂まで連れて行ってくれる。 考えないってのは対象を捉えないってことだから
捉えなきゃ無い、無いのが事実だってこと
それに気付くのが一つの悟りでもあるのかね 遺伝子は子によって受け継がれるもの
死によって途切れるものではないよ >>288
> 死を目前にもってきて、乗り越えるのが、激流を渡ることであり、
> 艱難辛苦な、悟りへの道ではないかwww
死は死でしょ。
わざわざ激流にする必要もないし、艱難辛苦な悟りへの道にする必要もないでしょ・・・ ジャンキーはまだ仏典を読んでも素直に吸収出来る器でない
頭も良くないし年齢的にも今生では無理でしょうな。
まあ奥さん子供を大切にして、これ以上馬鹿を晒さないで真っ当に生きることを祈るのみ 「死」とか「死の恐怖」を避けよう逃げようとよそに見てるうちは
「死の恐怖」はずっとつきまとうのかも たしかお釈迦さまは悟りを「不死の境地」って言ってたような。
意味わからん^^ 「不生の仏心」とかも言うね
生まれてないものは滅びようもないとかなんとか >>288
> これはw
> どこの仏教なのか、だれか知ってますか?
仏教の常識だけど? 生きているというのが幻想だと知れば死ぬというのも消えるだろw
仏教では基本中の基本じゃねーのかw
しらんけど >>300
それはその通りなのだが、その言い回しで語ると、普通の人は混乱するだけだ。
もっと単純に馬鹿みたいな簡単な言葉でそれを語る方がより相応しい。 肉体の観点から観れば
細胞レベルでは人は日々死んでいる
細胞も原子レベルでは消滅するわけではなくまた別の物質になる 「生まれてない」という言葉があれば
「生まれてない」という思いを捉えさせてそれを解釈したりしてもしまう >>295
そうなんか^^
輪廻するからな。
死は循環する通過点に過ぎんのかも。 死ぬのが怖いって人は生の終わりを想像するより生まれる以前を想像すればいいんじゃね?
生まれる以前と死後は同じだぞ >>302
でも「生」は「生」、「死」は「死」として何も変わらず現れるよ
「生まれてない」「死がない」とかの思いにかかわらず >>305
仏教における「生」の概念は非常に説明しにくく、実際に瞑想しその言葉にできないような意味するところを、
実際に自分で観て識ってはじめて理解できる。 >>308
人の認識ではな
波打ち際の泡が生まれては消えてゆくように
それが生死であると思うなら、それは生死だろうな >>310
でも「認識」のはたらき自体は決してなくならないと思うよ
「無明も無く、また無明が尽きることも無い」と言うし 無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死→......
という12心の作用の12縁起の中の「生」。
この「生」などの概念の把握は座禅、瞑想、定....によってはじめて把握できる。 >>292
信仰は自由でしょう
創価学会と言っても様々な人がいるんですから、一括りにしてしまうのはどうなのかな?
まあ、どのような教えなのかは詳しくはないですが日蓮宗や法華宗というのもありますし
法華経は、あの、道元さんも絶賛している大乗経典なので、素晴らしいもののはず >>311
波打ち際の泡が現れ、弾けて、消えてゆくのを認識するだろ?
その泡は生まれて、死んだと思うのか
その泡は大気であり海であり、一時的な現象だと思うのか
全然違うだろ >>296
死が激流ではないと言うのですか?
あなたの好きな人も、みんな、そうなってしまうんですよ?
考えないんですか?
亡くなった人がいたとして、見ないんですか?
単なる死でしょと言うわけないですよね
流石に >>313
だから、何の強制もしていない。彼は考える通りに生きれば良いだけの話。
創価学会の話は「譬え」である。
即ち、「なんみょうほうれんげーきょーと唱えれば幸せになれる」ということしか、
基本的に説いていないので、そこで一生止まり続けるのか、という意味で。
別に、それは信仰する者の自由です。 君はどう生きるべきかトカナントカの本が流行ってんのか。
反吐が出そうな題名で大きな御世話みたいな本だけど。
読んでみるか^^ Junkie‐Ooyamaくんに肩入れしたのは、「おおコイツ1日でそこまで来たか」という感激に、
嬉しくてついしゃべり過ぎてしまっただけ。 煙がくすぶって消えるように死ぬのが理想と
法華経にあったはず
大層な葬式とかは別にいらん派やな… >>314
「生」と「死」が現れるといったのは
この場合「泡が現れ、消える」現象自体のことね
「失われる」か「その時の状態の変化でしかない」ってのは現象自体の上の解釈だね
まあ、「死によって失われる恐怖」って点では全然違ってはくる >>318
悟りのヒントになること書いてあった?^^ 誰かを強いて教化しようなどという欲求や欲望はボクには基本的に存在しない。 辛いものが嫌いな人が、辛いものを食べている人を見れば拷問だと思うこともあるだろう
何も知らない高所恐怖症の人がバンジージャンプをしている人を見れば拷問だと思うこともあるだろう
死ぬ人を見て可哀想だと思うのも、同じこと
世界は自分の心が作っている >>323
どんな本でも、何かしらいいところはある
けど、まあ、ぼくとしては、つまらんかったw >>317
昔読んだけどその時はちょっと目が開かれた感じがした
自分という「個」と、世界・社会っていう「全体」の関係の視点を結構語ってる >>322の説明も難しすぎて一般の人はついて来ないと思われる(笑) >>325
よく考えたら、死んだ人って存在しないんじゃ・・・・・^^ 倫理や道徳的な語りが嫌いな人はそれこそ反吐が出るかもしれんけどw >>325
その通り、
1、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
<ダンマパダ経典>の初めの1句である >>329
そうだよ、それは生きている人も存在しないという意味でね >>316
それを真剣に信仰していれば、悟りに行けるかもしれないですよね?
まあ、悟ってないから、分からんけども
しかし、別にキリスト教でも何でもいいんですからwww
仏教ではというより、悟りはとかいうより、つまるところ、不幸が少なくなればよい
と、まあ、それも、人それぞれかww
ごめんw >>325
まあ問題にならない人は別に仏教なんてしなくていいんじゃないの?w
ぼくは、死ぬのなんて想像しただけでも、ありえんほど恐怖だから、いろんな人に聞いて回ってからの仏教だったけどなあ >>322
最終的にその現象自体は放っておくことになるよね
苦楽がなければそこで解決しちゃうからもう疑問がない >>332
死んだ経験した奴は生きてないっていう意味で言ったんだけど。
生きた経験した奴も生きてないのでしょうか^^ >>335
俺もそうだったよ
死ぬのが怖くて怖くてたまらんかった
自分が死ぬのが怖いから、自分の大切な人が死について苦しむのが可哀想だった、なんとかしたかった
俺は突然サマーディになって、死の恐怖についてはほぼ解決したけど、人に伝えるのはまったく難しい >>336
うーん、色々言う人はいるし俺はどうなのか分からんのだが
「起こってる現象と思いを同一化せずほっておく」って言う人もいるし
「起こってることそのものになる、縁起と一つになる」って言われる人もいるし 人によって死ぬと言うことが、どういうことなのか、結構感覚的に違うんじゃないかな 「起こってること」と一つになるとき
それを認めるものはなく消えるとか言う人もいるね これが苦滅なのかな、とも
まあ修行せんとわからんな >>337
死について考えても経験できないし経験した人もいないからわからないだけだよ
あえていうなら生まれる以前を想像するくらい、それは理屈の上では自分が経験しているはずのことだから
時間は一方通行だからという理由でね >>341
だよなあ^^
生きてる人間も存在しないって...? >>338
目の前の世界が切り裂かれると思うと、この目がなくなると思うと、恐怖の絶頂
まあ、どうしようもないけども、なんと!
それを超える道があるという
ブッダは生死を乗り越えたという
なんと、かっこいいw >>337
自分が生きていると思っているから、他人も生きていると思うんだよ
自分は生きているとなんとなく思うよね?
それは俺もそうだったし
生きているとは何か?命とは何か?
深く深く考えてみたらいいと思う はじめはどーなることかと思っていたこのスレ、いいスレになったね。
いいと思う。 ではボクは日課の座禅します。
みなさん頑張っていいスレにしてください。
心より応援しています。 >>346
釈迦の悟りは正直よくわからんけど
死の恐怖はサマーディである程度解決するよ
全く無いわけじゃないけど、ほとんど大丈夫な感じになる >>315
死は死。
それ以上でもそれ以下でもないでしょ。
激流っていうのは心の現れ。 >>351
まあ確かに、心が動揺するわけですけどもね
最初から死を意識してなくて、死が来た時に、動揺しないとかありえないからさ
だから感覚を制御して、離れてなさい
貪ってはいかん、怒ってもならん、グチるなよ
と
まあ、要するに、自我活動を事前に、離れてしまって、不生に移行しちゃうわけでしょ?
なんもなくて、考えなきゃないやん
は
仏教じゃないでしょw まぁ、どうせ死ぬんだし、また、死ぬまで死なねーんだから、
余計な思い煩いしてもしょーもねーだろ? >>353
ええええええええ
マジっすか?
じゃあ、智慧とか布施とか、なにしてるの?w
考えなきゃいいやんって
最初から教えれば済むことやんか、それならw >>352
三界唯心でしょ?
死を意識するから恐怖も生じるんでしょ?
死を意識しなきゃ恐怖は生じないでしょ?
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
(自説経) >>347
仏教では生きることも苦しみなのかな。
ならば死は苦しみを終わらす楽しみなのかねえ^^ 考えないというのはめちゃめちゃ難しいですよ、特別な何かをしなきゃ不可能かもしれないレベルw
無の境地を目指して座って見ればわかりますよwww >>354
> どうせ死ぬんだし、また、死ぬまで死なねーんだから、
> 余計な思い煩いしてもしょーもねーだろ?
これが智慧じゃないの? >>356
生きているというのが観念なんですよ
その観念が自我そのものだとも言えます
それがすべての苦しみの原因だと言っても過言じゃないと思います
あなたはいつ生まれましたか?
母親のお腹から出てきた時ですか?
それは自分の記憶にはないですよね?
自分が自分だと自覚した時に、自分は生まれるんです
自分が自分だという自覚は、自分は○○ではないという自覚とまったく同じなんです
わかりますか? >>355
いやいやいやいやいや
それって
此っていうのは、肉体のことじゃないの?
彼は、まあ、死のことでしょうけども、、、
身体がわたしと、執着して快楽を貪っては、苦しんでるし、死に際して、悩むわけだから
考えなきゃ、は、ヤバイでしょwwww
何も超えてないやん、それじゃあ
ただ呆けてるだけやんかw >>357
> 考えないというのはめちゃめちゃ難しいですよ、
> 特別な何かをしなきゃ不可能かもしれないレベルw
> 無の境地を目指して座って見ればわかりますよwww
108ある煩悩の107を切り捨てて一つの煩悩になりきるんだよ。
集中する事、次念を継がない事。
禅宗でいう無字。
「ムー、ムー、ムー」って108ある煩悩の107を切り捨てて1になる事。 >>359
わかります^^
ならば自我がある限り、自我の消滅「死」の恐怖はなくならないと? >>358
そんなわけwwwwww
智慧とは、そのようなものな
わけ!
ないでしょうw
ウチのオカンでも、その辺の坊主でも、まあ会社の先輩でも、後輩でも
皆、知ってますよ
そんな程度ならwwwwwww
まあでかい寺の坊主も同じ答えでしたがね
しかし、考えなきゃいいとは、流石に言いませんでしたよ
わしも考えてみたけど、わからん
とは言ったけどさ
意味ぜんぜん違ってくるやんかwww 一度そういう集中状態の体験があると
今、起こってないことへの不安は自然となくなるとかもよく聞く >>362
どうなんだろうw
自我が無い状態を一度でも体験すれば死の恐怖がほとんど無くなるのは、俺の経験からわかりますけど
そのような体験がなくても論理的に考えて理解できれば大丈夫なんじゃないかとも思います、想像ですがw >>360
死に恐怖の根本は瞋恚。
その瞋恚は末那識が阿頼耶識を常・一・主・宰の自我と相分(影像相分)する事(痴,、無明)に起因し、
たゆまない意識(第六識)へのささやきかけから生じるんですよ。
それを受けた意識は、本来、様々なものが因縁仮和合して現象してしているに過ぎない自身を、常住
不変である自我と錯誤するので、当然にその消滅に対して恐怖を感情するんです。
(続く) うーーーーーむ
まあ、別にいいけどさww
もっと実質的なものだと思うけどね、ぼくは >>366
その体験は悟り!?
詳しく^^
寝る、のちほど^^ >>367
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ真空妙有教えてくれたでしょ >>359
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ愛する人が死んだら悲しくないですか? >>371
ですよね??
ですよね??
これは観念だ
考えてるからいかんのだ
忘れよ忘れよって
そんなん、なんか、ぜったああい
違うよねw >>369
悟りじゃないよw
悟りって苦しみからの解放だと思ってたけど、サマーディを体験してからの数ヶ月くらいは、苦しみまくりでしたからねw
>>371
その愛によるのでは
依存や執着のような愛だとすごく悲しいと思うし、慈悲のような愛だと、そうでもないと思う >>371
愛する人が優しくしてくれれば嬉しいし、愛する人に無視されたら悲しい
こういうのは苦しいですね
なんか暖かくて穏やかでゆっくりとした、そういう愛があるんですが
それは求めることがないので、苦しむことも少ないですよ 「一切法に於いて不取不捨ならば、即ち是れ見性し、仏道を成ず」
認めるでもなく認めないでもなく
考えるでもなく考えないでもなく
それが出来きったら「見性」とか「成仏」とかの何かが起こるってことか >>371
愛は死なないんですよ
愛する人が死んでも、その人を暖かく穏やかでゆっくりと愛するままなんですよ
ちょっとわからんかなww >>372
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ悟れば悲しくなくなるんでしょうかね 悲しいけど受け入れるのと
悲しくもなんともないのと
悲しいけど生まれ変わりを信ずるのと
悲しいけど極楽往生を信ずるのと
霊魂の不滅を信ずるのと
解脱して涅槃入りを信ずるのと
まあ、なんか様々な宗教によって、反応は違うんだろうけども、、、
なんも考えんは、ないw
ぜったいに、ありえんw
好きな人ならね 悟れば悲しくないんじゃないかなw
俺は悟ってなくても普通より悲しみはそうとう少ないと思うw
薄情だと思うかもだけど、俺からすれば悲しみまくる人のほうが薄情だなーと思うからさw >>376
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ傍にいなくてもずっと寄り添っている感じですか? >>379
悲しみまくる人の方が薄情ってのは面白い表現だね >>377
えええええええ
そんなん悟りじゃないでしょ、たぶんw
慈悲はどうなるの
憐れみなんて、全くない人やん
冷酷人間やんw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています