>>234
キリスト教でも言うておるw

それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことを思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことを思いわずらうな。
命は食物にまさり、からだは着物にまさるからである。

空の鳥を見るがよい。
まくことも刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。
それなのに、あなたがたの天の父は、彼らを養っていてくださる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことを思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。
働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなた方に言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、
あなたがたに、それ以上によくしてくださらないはずがあろうか。

ああ、信仰の薄い者たちよ。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
・・・・あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

だから、明日のことを思いわずらうな。
明日のことは明日自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
(マタイ伝6章25-34)