十年以前に創価の寿命は尽きている。
他の日蓮系統の教団も弱った。
ユビキタス氏の意見は創価を批判せよと強調するが、今更ながら
世の中にアレと一緒に無用と認識が広まる教団に関して何を言うべきだろう。
倒れる壁を蹴るのは無意味。
法華信徒に向けてなら桐山師が法華経の解釈を分析的に記述する、あの法華経解釈を成した、
密教入門の内容であり、法華経の龍女成仏が日々に題目を励んだから成仏したのではないと、
明瞭にその内側を法華経自体から素直に引用、淡々と解説した件である。
それが討論の対象になる。
此れは、法華経解釈の権利争奪戦とでも言うべきだろう。
有名な小樽問答とか言う対向論議が昭和の昔にあったと聞き及ぶ、此れをわたくしの怠慢故に理解する気もないのが残念カモシレナイ。
その小樽問答の本質は、法華経の解釈権争いと認める。だからして勝った勝ったと創価は天下に宣伝したのだ。
さて、反論不可能と臍を噛む、深山氏などの投稿者は桐山氏の素行不良を探し非難を作文する群と判ず。
桐山氏の論に反論を投げ掛けられる学僧は、日蓮正宗の前の法主阿部日顕氏程の学が必須と
思うが、その文章は、わたくし程度の学力ではまったく理解不可能であろう。
解りやすく言うと、
誰でも一読了解出来る、桐山の法華経解釈は出鱈目との論が有れば善いのだ。


五時八教は他の大乗経典にも通低するので論がぼやける、日蓮氏に言及するならば、
法華経本文その物を都合勝っ手に読み替える。
題目を上げる意味の取り違え、日蓮氏の真言密教の成仏と日蓮が信徒に
向けて説いた即身成仏の違いを説明せずに逃避する。等々
桐山師は、日蓮の提唱する題目そのものを否定しておるではないか、と為る訳。
わたくし自身の見解では、法華経で成仏するのは無理と観るし、初期密教が混入した部分が
龍女の件であろう。あれが当時のインド仏教常識ではあるまいか?と思った程だ。
詰まり、あれほどにまとまって文章化されるのは、必ず流行の後に為る。
他所でも記述したが、法華経からはもう何も汲み出す水はない。
尽きた井戸としか見えない。合掌