『大仏讃歌』レコード盤 パンフレットより
≡印度仏跡阿含の旅≡より抜粋(筆者 原田 進 映像ヤマト主宰)

「……時の流れは誰しもが持っている。ー 人間は時を離れ得ぬ
故に「苦の世界」に住むとさえ極言する人もいる。人は時の流れ
にステップをきざみ、自らきざんだそのステップを踏み外さぬか
と恐れながら日々を過ごしている。然し宗教者は違う。真の宗教
者はステップを突き抜けるのだ。
ステップを突き抜けるとはなにか。その姿を私は「桐山靖雄印度
仏跡巡拝の旅」ではっきり見た。
釈尊成道の聖地・ブッダガヤ大塔金剛宝座の修法で諦観の旅を得
、サールナートで釈尊初転法輪にお姿を拝した桐山靖雄管長が、
聖地・サヘト・マヘト(祇園精舎)を訪れた時、師の心気まさに澄
み渡っているとみえた。
酷暑印度、サヘト・マヘトにいま在るわが身と、いま尚、故国
日本に在るわが身と、師は師の魂の状態を二重に画きつつ生きて
いると見えた。全身全霊で生きているとみえた。これは言わば、
生きながらの大いなる転生ではないか。
転生の過程に於ける魂の二重化、つまり師自身の時間・空間・
存在そのものの二重化を、記録映画の監督としてその場に居た私
は、目の当たりにしたのだ。
第一に、師の過去から現在に向かっている時間ー
第二に、現在から過去に向って逆流する時間。即ち師の内なる世
界、その時間・空間ー。
第三に、この逆方向に流れる「時」の真只中に突然訪れる衝撃ー。
つまり私のみたものは、一つの人格、否、霊格に逆流する時間
・空間、その只中を直撃する異次元の時空間。その三つを同時に
併せ持つ、宗教者の資質と宿命だったのである。
……」
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かくして桐山靖雄は印度サヘト・マヘトで佛勅を受けた。
釈尊嫡嫡の霊示に打たれたのだ!
これが「印度仏跡巡拝の旅」の記録映画、
「おお、サヘト・マヘト聖なる地」のテーマである。
皆さんは、原田監督の追想文をどう思われますか?