【イエス】 あなたは愛されているPart9 【キリスト】
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. あなたは神様の前に誰であるか、 あなたはどこから来てどこへ行くのでしょう あなたは何者なのか 互いに論じ合いましょう。 「我はありて在る者なり」 イエス・キリストは神です。 人に表現された神、人に表現された愛。 神は愛です。(愛の天使) 前スレ 【イエス】 あなたは愛されているPart8 【キリスト】 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1519026920/ >>46 おまいなんでエリエリのまちこ解釈を俺に披露した後にカルケドン信条コピペされたか意味分かっとらんだろ >>47 おい おっさん ゲッセマネの祈りでキリストは 杯を何に例えて 何を父に祈ったか 教えてくれや それが意味しとることはおまいは一格二性の基本信条ディスっとるのと同じだからな ゲッセマネの祈りは 死の回避を祈る 人間イエスの痛切な思いでした だからエリエリレマサバクタニになる。 十字架の受難は 人性イエスの意志、予定ではなく 神性イエスのそれであった。 はい喝破。 ほら、また関係ないことに論点をかえて煙に巻いて巻こうとするw キリストが十字架上の死を知らなかったネクペディアン説を主張した後に論破したら、両意論の話始めてカルケドンで論破したら、次はなんすか?w 議論というものは、テーマへの理解を深めるためにするものだったり、より良いアイデアを生み出すためのもので、 お互いに敬意を持って行う共同作業になりますね。 議論に勝ち負けはありませんから、勝ち負けにこだわる人や、 相手をやっつけてやろうという人とは、議論が成立しません。 議論以前の問題です。 勝ち負けがあるのは討論ですが、勝ち負けを判定するのは観客になります。 論客が自分で「俺の勝ち!」とか言うわけがありません。 論破とは、論理矛盾を指摘するものであって、言い張ることではありませんし、 最後にレスした人が勝ちなんてありません。 >>50 ネクペディアンでは神との唯一の乖離wが切なる願いになるん へー 793 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/22(木) 14:11:44.38 ID:PcJR3+yl なぜ両意論が重要かと言うと 神性と人性の意志が完全に乖離した唯一の瞬間が 贖罪だからです 人間イエスの唯一の自罪にして 我々の代わりに罪人のかしらとなり仰せた唯一の証が 「エリエリレマサバクタニ」なのです >>791 その通り アレイオス派が伊達に強勢誇ってた訳ちゃうねんな マリア人間説および単性的懐胎のネストリウス派要理に該当しうる書き込みは 直近半年間ゼロ。 こいつがウィキの浅知恵で前後不覚に牽強付会しちゃっただけ。 はい 二度目の喝破。 >>55 これもロンパー終わっとるわけだが、冷静になってもう一度読んでみ 837 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/22(木) 18:21:16.63 ID:EbTTAuBZ ネクザたんのキリストは神性と人性に分かれてる、という両性説を主張する そこまでは間違ってない しかし、両性説の「妄想解釈」のところから間違ってるんだな ネクザたんいはく、キリストは神性と人性に分かれてて、意志が完全に乖離したシーンがエリエリだ、と>>793 で語る その立場はエフェソス公会議で異端と認定されておりますん ネクザたんは上記勘違いについて丁寧に解説してるページを探して親切に紹介してあげたウェブページすら感情的になって読めないみたいなので、直接該当する箇所だけ紹介するね (あー不毛) --- カルケドン会議が「分かれず離れず」と表現するのは、神性と人性は「明確に分けられて」いてやがてまた「離れてしまう」としたら、結局は、今までの異端を繰り返すことになるからです。 「仮現論」のように、人性は「見かけもの」「一時的にもの」に過ぎないことになり、「養子論」のように、 神性は、部分的に付与されたものに過ぎないことになり、「ネストリウス」のように、神性と人性を「神格」と「人格」であるかのように完全に分離させることになるからです。 人様が善意で諭旨したったのに 不遜な態度で猛然と反発してきたり 身勝手な誤解で濡衣きせてきた上に ひとことも詫び入れない無礼者には 報復措置としてバチバチ追い込むだけですので 何のご心配にも及びません ネクザたんは短期記憶しか働かないらしいが以下のやりとり(いつもの斜め上質問)から始まっとるわけだが、ネクペディアンから見たら不遜な態度で猛然と反発に見えるんだろうなー 不思議なやつだよなー 728 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/22(木) 07:41:50.70 ID:qQM8u6c3 >>673 >イエス様は磔刑になると思ってなかったと思いますよ。 >どう見ても純粋ぽいですからね。 おいおい、マタイに普通に知ってるシーンがあるでしょ というか贖罪のために受肉したなら、知らないわけないと思うで 732 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/22(木) 07:51:57.58 ID:8FVjw2Y9 >>728 エリ・エリ・レマ・サバクタニ の意味わかる? >ネストリオス派の モプスエスティアのテオドロスは別方向に進み、 >キリストにおいては二つの本性(神性と人性) >二つのヒュポスタシス(「実体」つまり「位格」の意味で)が共存すると主張した。 本性と位格を同定してます これが三度目の喝破 1コリより 15:44 血肉のからだで蒔かれ、 御霊に属するからだによみがえらされるのです。 血肉のからだがあるのですから、 御霊のからだもあるのです。 これが四度目の喝破 >>60 ほら、そもそも俺が初めに語り出したわけで論点はその時点で語っとるのに論点わからず、結論が基本信条と異なる結果になっても、それでも 本性と位格を同定してます の一点張り つーかネクペディアン的には位格と本性は同じなんだなw やっぱ>>56 の内容が正しかったってことじゃんw ネクザたんが壊れてきたけど、御霊のからだは肉のからだじゃないからなw ネクペディアンの栄光のからだは肉のからだ!発言に関する自爆引用乙 そろそろ寝るわ ネクペディアン無神論派教義まとめとくな 1.栄光のからだは肉で出来ている 2.自由意志は異端である 3.霊魂不滅は異端である 4.聖化したら無謬 5.キリストは十字架上の死を知らなかった 6.だからエリエリで神を呪った 7.本性と位格は同定←new >>62 二つの本性、二つの位格が存在してると解説されてんだけど オメー的には神格から神性と人性が派生してるつー理解なん? >>63 キリスト教というのは 血肉無き復活を信仰するエホバ級カルトじゃないということです 子なる神の位格の始まりについてしりたければ創世記読めば 2性について知りたければ受肉のキリストを聖書を通じて知れば そうすれば一つの位格に二つの本性が宿っとることの腹落ちするんじゃない ラーメンについて知りたければ食えって感じ 0774 神も仏も名無しさん 2015/03/01 22:43:22 >>769 それは、獣の刻印云々は直近で起こる話しじゃなくて、あと何千年後の話しだと思ってるから 私の基本的なスタンスはこれ↓です キリスト人種(777)とサタン人種(666)を分ける表情に現れる特徴のこと サタンへ帰依するとロゴスが作用しなくなるので獣の特徴が表情に現れる 0608 神も仏も名無しさん 2015/03/01 14:16:01 ソロビヨフの予言が正しいなら獣は受肉してて、そろそろいい感じの大人になってるだろうな 0785 神も仏も名無しさん 2015/03/01 23:06:18 でも、ソロビヨフの予言が正しければ今世紀中にヒトラーのような人が生まれて世の中を掻き回す出来事はあるかもね これが五回目の喝破 >>66 キリスト教とエホバカルトが違うのなんて当たり前じゃん >>68 はいはい、サルベージお疲れたまでつ 頑張ったねー w >>67 オメーのネストリウス派理解を知りたいだけだから 神格から神性と人性が派生してるつー理解なん? >>69 血肉無き復活を信仰してる河童仏教はエホバレベルなのです >>70 >神格から神性と人性が派生してるつー理解なん? (いつも通りだが)まずこの質問が斜め上www この斜め上質問でネストリウス派理解の何がわかるっつーんだwww ネクザたんはプロテが好きみたいだからこれでも読んで質感を「感じ」れば?w http://ru-teru.blogspot.jp/2013/02/blog-post_8875.html?m=1 >>71 霊のからだの話は(ネクザたんが引用した箇所含めて)聖書が語っとることで、それをエホバ異端とか言われても、ネクペディアンにとってはそうなんだろうなーでFAよw >>72 みたいな感覚は変な強調されてる変な教会で変な洗脳に合わない限り、聖書読んだら自然と持つもんだと思うわけ そもそもプロテに興味あるなら聖書嫁や、で個人的にはFAなわけよ 聖書読まずにプロテ興味ありまーすなんて、ラーメン食べたことないけど豚骨ラーメンに興味ありまーす、詳しいでーす、なんなら豚骨ラーメン愛好家をロンパーでヌッコロしまーすと言っとるようなもんだと思うで >>72 ルター派はシンプルに 「神の子と人の子を別々にするネストリウス派を斥ける」としてんだけど おめーの場合、ネストリウス派の位格と本性は どのような相関性? 包摂? >>73 血肉の体に復活の御霊が宿る、というのは 河童仏教において異端なの? >>76 ほんとおまいだめな、わざわざ括弧付きで感じろ、と書いてるのになー 位格と本性の関係性? 本性においては、神性において父と同一本質のもので人間性において罪以外はわれわれと同一本質のもの 神性においては、この世の前に父から生まれた 人間性においては処女マリアから生まれた この二つの本性は混ぜ合わされることなく、変化することなく、分割されることなく、引き離されることがない これら二つの本性は各々の本性の特質は保持されたまま、唯一の位格、唯一の自立存在に共存している 位格は一つで二つの位格に分けられたり、分割されたりはせず、 唯一・同一のひとり子、神、ことば、イエス・キリストである はい、これが答え ルーテル派の人の記事と同じ内容だろw >>77 おまいあほだろ 血肉のからだの「血肉」はからだの実質を指しとる それに対比される御霊のからだの「御霊」も同様に実質を指してる 実質とは「からだの実質」のことだ 聖書の中でキリストは口を酸っぱく地に属するものは朽ちると言っとる通り 御霊のからだとは言葉通り「御霊(で出来た)からだ」のことだw >>78 >2つの本性は唯一の位格に共存してる つーことは、ネストリウス派においては 第二位格に神格と人格が共存し かつ神格に神性と人性が共存する という理解でいいの? >>79 御霊でできた体ではなく 御霊の宿る血肉の体、とパウロは言ってんだけど 血肉の体は栄化しても朽ちるの? >>78 の内容は一つの位格と二つの本性の話し ようするにカルケドン信条なんだけどw ネトリウス派の語るprosponはhypostasisとは繊細な意味で違う概念である可能性が高く、そこまで繊細な話に入ると色々と調べないといけないから興味がわけば後日勉強する 今日の話で言えば>>56 の意味合いで二つの位格の概念について引き合いに出した 二つ位格を引き合いに出した理由がネクザたんが人性イエスが神性イエスを呪う、みたいな基本信条に反することを言い出したから >>81 ツッコミどころがありすぎるからいちいち説明しないけど、栄光のからだでググって一番上にヒットしたページのURL置いとくわ 中身見てないけど、十中八九、真逆のことが書かれてると思うで 中身見てないのにそう言えるのは真逆なの知ってるから 以上 http://eiko-church.com/ogikubo/ 「栄光のからだに甦る」%E3%80%80中島秀一師/ >>82 論拠が曖昧なまま他人の言説を否定したことに関して 真摯に詫び入れるべきでは? >>83 ろくに開かないで貼ってるから ブーメランさく裂すんだよ 栄化すれば血肉の体は朽ちないと思うけど それを否定する聖句か聖伝でもあんの? >>84 >論拠が曖昧なまま他人の言説を否定したことに関して >真摯に詫び入れるべきでは? 論拠も趣旨も明確だけど 論拠と趣旨において否定したわけだから、その論拠と趣旨において否定内容は理解されるべきだろ その上で、ネクザたんがそれでも人性イエスは神性イエスを呪う!と思い続けたければどうぞご勝手に、でもそれはキリスト教の正統とは関係ない、という客観的な事実を把握してればいいんじゃない >栄化すれば血肉の体は朽ちないと思うけど 読んで見たけど、書いてるじゃんw なんで血肉(地に属するもの)が朽ちないと思ったの?w V.キリスト者の栄化の実際 (42〜55) 1.朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、 2.卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、 3.弱いものでまかれ、強いものによみがえり、 4.肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえる。 聖書は「肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」(50)と教えています。主の再臨の際、キリスト者は「朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられる」(52)です。ここにキリスト者の希望があるのです。 >>85 後日持ち越しの論拠など現時点で信ぴょうに値しないと思いますが 又、人性イエスが神性イエスを呪うなどのような戯言を 一言も言ってません。 >>85 キリスト者の栄化の実際として 1コリ 15:44を挙げてます 死を回避しようとした「ゲッセマネの祈り」と 死を前にした「エリエリレマサバクタニ」は 人の予定、意志する所だったか否か 単意説に陥らぬよう イエスのヒューマニティを省察するのも宜しいのでは? と助言申し上げた迄です。 >>86 >>87 >又、人性イエスが神性イエスを呪うなどのような戯言を >一言も言ってません。 うんその単語では言ってないけど、エリエリを 「神性と人性の意志が完全に乖離した唯一の瞬間が 贖罪だからです。人間イエスの唯一の自罪」とは言ってましたね どちらにせよ俺の中では同じ意味です ヒューマニティの強調するのはいいけど、だからこそ、基本信条から外れてますよ >キリスト者の栄化の実際として >1コリ 15:44を挙げてます うん、言葉通り、「霊のからだによみがえる、肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである」と語ってますね>>79 に書いてある通りだと思われ ゲッセマネのシーンについてはエリエリと同じくらい語ることあるから今日はやめとくわ おやすみなさいませ >>88 >俺の中では同じ意味 脳内変換を止めましょう 死を回避しようとした「ゲッセマネの祈り」と 死を前にした「エリエリレマサバクタニ」は 人性による行動様式(意志)か、はたまた神性による行動様式か 率直な所見を伺いたい。野卑な批評はしません。 >肉のからだがあるのだから霊のからだでもある その通りです。霊肉は不可欠です。 「霊の体」って一体何だね。幽霊のことか。体は「肉」に決まっている。 「霊の体」はイエスの誤り。霊とは体を維持するソフトに過ぎない。 キリスト教の根本的な誤りと人間の大殺戮の原因は、イエスのこの誤りにある。 >>91 肉体のない命などないぞ。イエスの誤りを繰り返すな。 イエスは殉教したのですか? イエスの死は殉教ですか? 「掟に殉じた」のですか? やはり違うでしょう。「愛に殉じた」と思います。 弟子たちを愛し愛し愛しぬいたゆえに、「お前たちを生かすために俺が死ぬ」というのが イエス様がなさったことです。決して、イエスは弟子たちに殉教を求めないはずです 隠居は、このハレサクに感動したのかw イエス様は律法無視の常習犯ですからね。 殉教されるはずがありません。 >>89 「自罪」ではあるんだよね?面倒だからそれでけで十分だわ。 >>78 に書いてる通りキリストの人性は「罪以外」は我々と同一であり、無罪性のキリストが人性により罪をおかす、みたいは発想がイミフなわけ あと行動様式が神性からくるか人性からくるか、とかまた意味不明なことを言ってるけど、贖罪を完了させるための行為なのだから「等しく両方」だと思われ >その通りです。霊肉は不可欠です。 ネクザたんは「からだ=肉」って認識なんだなw だから霊のからだは霊肉になっとるわけだw まずその認識がどこから生まれ、なぜそんなに強固にこびりつかやうになったか今度教えて >>90 ネクザたんもそう思ってるみたいね 三位一体を常識で理解しようとしてイミフと言ってるのと同じなのでしょうがないねw 栄光のからだも信仰によってしか理解できない、と言われてまつ ネクザたんもご隠居も定義上、理解できないと言われてるので安心してくだちゃい 二人には関係ないだけでつ σωμα ソーマ キリストのソーマとしての教会という表現があるが 教会は、教会堂という建物のことではなく 信ずる者たちの集いのことだ。 この場合 肉のソーマが、教会堂なのであれば 霊のソーマは、信ずる者たちの集いのことだ。 我々の人の場合はどうか 肉のソーマは、この肉体であり 霊のソーマは、我々のいのち、主体的な意思のことだ 隠居よ、学べよ r-=ニ二二ニ=-、 (ヽ∠ イ|/ レヘ|ヘ!\!ヘ /) (((i ) / (゜) (゜)| ( i))) /∠彡 /\ |_ゝ \ ( ___、 / \ ,__ )安心してくだちゃい |  ̄▽ ̄ ̄/´ 二人には関係ないだけでつ | / >>94 だから、晴佐久が言ってる「横方向の宗教」は、彼がイエスを信じる限り 無理だと、私は言っている。彼は、すべての問題が「イエス自身」で あることを理解していないし、理解するつもりもない。 「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」。 何だこれは?イエスは己の苦しみを、罪のない者にも味あわせたい のか。イエス以外の者は、イエスのような犯罪者ではないから、苦しむ 必要はないのである。イエスには、人間に対する愛など一かけらも ないことが、この一句からでも明らか。晴佐久は、このことも指摘 できなかった。晴佐久は、己が狂わせた500人の洗礼者に対して、 どう責任をとる積りなのか。 本当に恐ろしいのは、晴佐久のような説教者だな。俺もあやふく 騙されるところだったw。 >>100 >晴佐久神父の講演は良い 「横方向の宗教」とはハルサクの【横割りの宗教】のことか 横の象徴がイエスだぞw 隠居はイエスに対する嫉妬と憎悪で、要が読めてないな ・・・ハルサク講演録・・・ カトリックは1960年代の第二バチカン公会議を経て、 普遍主義的な透明感のある教えを極めようとしていますが、 その一方で、その反動からか、「教会の他に救いなし」を地で行くような 原理主義的なカトリックもまたあるように見えます。 しかし大多数は、透明に近いカトリックであると信じたい。 透明になると横同士つながることができるのです。 対話することができるのです。見通しがいいからです。 一緒に物事を見たり考えたりすることができるわけです。 各宗教の透明な者同士の連帯が生まれてきます。 いわゆる横の線です。これが私の言う横割りの宗教です。 ある意味、この横の線で見てみると、同じ教派でも、 この透明と黒は別の宗教のように見えます。 この透明な者同士の連帯、普遍主義同士の連帯をきちんと やっていけるようにするのが私の仕事であると思っていますし、 またイエスこそがこうした普遍主義の徹底をやっていたのではないでしょうか。 ・・・ >>101 なに、w >晴佐久神父の講演は良い 自分からネタを振っておいて、撤回かよwww >>97 三位一体は、その決定時から、キリスト教内部においても殺し合いが あったほどの問題だ。そして歴史は、三位一体が誤りであったことを、 如実に証明している。 現代人ともあろうものが、すんなりと信じるほうが異常であることを 自覚せよ。 タテ社会のカトリックにあって、横の宗教連帯を担って生きる というのがハルサクの十字架を背負って生きるということではないか。 イエスに倣って、ハルサクは自分の職分を果たしているでしょ。 キリストは…私たちの卑しい身体を ご自分の「栄光ある身体」と同じ形に変えてくださるのです。(フィリピ3:21) つまり、キリストの復活した身体が「栄光ある身体」イコールなんすよ 三位一体についての論議は最終的かつ不可逆的に解決されております、すなわち 神ヤハウェは父と子と聖霊の三位一体であります! にもかかわらず、イエスの神性に異議を唱える愚かな反日韓国人のような方が此所にも出没しますね バンナとよしお いすらえるの残党らしい。 >>109 このひと、アホウだよ 三位一体を夫婦に喩えて「夫」と「妻」とは別々の人格だが夫婦として一体のように 父子聖霊の「一体」を捉えている。その理解は、三神論的です。 そうではありません。「夫」と「妻」とが別キャラでありつつ 同時に「同じ神」なのです。別でありつつ同時に同じ。 そういうことは、同次元では不可能です。人の次元では不可能。 しかし神の次元では霊的に可能なのです。 >>105 三位一体の決定の際は、軍隊まで導入した、暴力による政治的決定。 神とは一切関係ない。 三位一体がなければ、キリスト教による殺戮は10分の1に減少した だろう。神の資格を欠く、ナザレ村の大工の気の狂った子倅を、ことも あろうに創造主と同格に祭り上げるという冒涜の行為によって、人類の すべての悪が発生した。 なので神学者は存在論的二次元を示しました οὐσία 神はοὐσίαにおいて一である。 ウーシアとは「それがある」というエイミーという動詞の名詞化です。 「本質」と訳されるますが、原義は「あること」です。 υπόστασις 神のυπόστασιςは父子聖霊の3がある ヒュポスタシスの「ヒュポ」は「下に」という接頭語で 「スタシス」は「ἵστημι 立つ」という動詞の名詞化で「静止」という意味です。 霊的な次元、本質的な存在としては、神は一であり 同時に 肉的な次元、下に立っている、具体的な存在としては一なる神が父子聖霊という 三キャラで立ち現れているということです。 このυπόστασιςというあり方を理解できないで、父子聖霊という演技をしている のかという見解は間違っています。 父子聖霊はちゃんと独立、別々あり、同時に神は一つである。これが神のあり方なのです イエス・キリストは根源において真理なんだよ。 まあ私は仏教も勉強しちゃうけどね。 >>113 皇帝が決定せずとも、太古なる昔から三位一体なんですよ。 >>115 あなたにオススメの本 「隠された歴史そもそも仏教とは何物か」副島隆彦著 「仏教に魂を託せるか、その全体像から見た問題点」正木弥著 後者はビプリア書房 〒760-0005 高松市宮脇町1-14-21 TEL 087-833-1923 定価500円 消費税と送料は別です。 キリスト教は「人間の罪と弱さ」の解決 仏教は自尊、知恵の探求 >>118 仏教は、ほとんど人を殺していないが、キリスト教およびそれに起源するイスラム 教、マルクス主義、ナチスは、数十億人の人を殺した。両宗教には、巨大な相違 がある。まず、この相違の原因を、開祖の心理状態から解明せよ。 >>96 >無罪性のキリストが人性により罪をおかす、みたいは発想がイミフ 自ら人にへりくだり 神から離れるという罪を背負われました >等しく両方 完全なる人の意思を有してるので 「死の杯を取り去って下さい、今死ぬことの意味が理解出来ません」 「我が神よ、なぜお見捨てになったのですか」 と父に哀願し 完全なる人の身体を有してるので力尽きます。 >「からだ=肉」って認識なんだなw 1コリ道理、「御霊のやどる血肉」 現代世界憲章3にも 「身体的生命を軽視することは許されない。 身体は神によって造られ 最後の日に復活するものだから 良きもので 栄誉に値するものと思わねばならない」 とされます。 ネストリウス派神学における本性と位格の体系に関するレポートを 期日を設け提出する事 これはカッパに課せられた道義的責務です >>116 イエスは、わずか2000年前に、大工のヨセフとその妻マリアとの間に生まれた 人間。14歳ころ統合失調症を発症して、己が旧約の神になるという野望を抱いた 単なる気違い。イエスを身近に知るその家族、郷里の人々、仲間のユダヤ教徒は、 イエスが気違い、悪霊憑きであることを知っていた、 知らぬは無知なクリスチャンだけ。 >>107 そうすね、故サロメパイセンはトマスのシーンを持ち出して肉の身体なり!と言ってましたね ちゃんと話したら納得してた、というか僕の趣旨は理解したって感じになりましたが >>120 >神から離れるという罪を背負われました そのネクザたんの主張に対して、それがムリぽって話しを論拠と共にしてるんだけどね >完全なる人の意思を有してるので 完全なる人の意志を宿していることと、神の意志から離れることは何の関係もありません、というか子なる神、三位一体の神の概念的にムリぽ >1コリ道理、「御霊のやどる血肉」 御霊のやどる血肉だったら御霊の人のからだと同じじゃんよw そもそもIコリには肉と霊の対比から肉のからだもあれば霊のからだもあるんよ、と語られとるんだけどな ネクザたんの栄光のからだ理解のためによいページを見つけた http://www2.biglobe.ne.jp/ ~remnant/044karadano.htm ここ、面白いよ >>120 問題が分かり難いのですが、 これを説明するのに、こちらを説明しておかなければと言う具合に 広がる事はしばしばあります。 まちこさんの繁栄教で問題になっていた、事と同じでしょうか? イエスは、無実ですが、罪を被ったのだから、罪人の性質となって 地獄に行き、そこから神に助けられて、復活したとか、 そういった話だったように思います。 サタン=悪蛇が十字架で処刑されたことになるとか。 イエスが罪人にならなければ贖罪にならないのではないか、 だったと思います。 で、まちこさんの話も今出ている話も、その証拠として「エリエリ・・」 が、取り上げられていて、罪人の叫びとして解釈されていて、 そのことについて、話している内に「人間だもの」「神だもの」(?_?) みたいになってきて、イエスって、誰だったっけまで来て 三位一体も関係しての話になっているということかな。 モヤシのお好み焼き作った\(^o^)/ http://imepic.jp/20180223/442680 @ 1袋分のモヤシをザルに入れて、2〜3cmくらいにパキパキ折り、水洗いした後、皿に並べてレンチン! A ボウルに薄力粉50g、カツオダシとか昆布ダシとか、ほんの少しの塩とかテキトーに入れ、 水とモヤシから出た水分を合わせて50ccでマゼマゼします。 B Aに、レンチンしたモヤシ・卵・サクラエビなどを入れて、軽くザックリ混ぜます。 C 180度くらいに熱したフライパンに流し入れ、フタをして2分。 D 裏返してフタをして2分。 E お好み焼きを皿に取りだし、フライパンに卵を落としてテキトーに広げてから、お好み焼きを戻し、フタをせず2分。 F 裏返して、フタをせず1分。 G 温めておいた皿に乗せ、ソースドバー、青海苔ドバー、かつおぶしドバーで、出来上がり。 溶き小麦粉はツナギだと考え、足りないくらいがちょうどいいです。 キャベツのほうが美味いが、安いモヤシだってそれなりに美味いのだ。 マヨネーズは異端です。が、許されるだろう。 >>126 >ムリポ なぜ? >完全なる人の意志を宿してることと神から離れることは別 なぜキリストは完全に死なれましたか? 完全なる人であるからこそ神から離れ、果て得るのだと思います >同じじゃんよ 彼我の主張を整理しますと ワイ「霊肉復活」 カパ「霊復活」 これでよろしいか? >>125 アドレス見ただけで避けますわ >>126 (まちこさんら)プロテスタントの特性と無関係です 本題は「人性イエスは贖罪を(いつから)予定していたか」です イエスが悪魔憑きなら他の教祖もみんなそうだろうに。 そういえば こんなん見つけた ギリシャ=ロシア正教会がアメリカ聖霊派の淵源であるのは定説だけど カルヴァン主義および繁栄の福音の贖罪の観とまで通底してたんだね プロテスタントと正教会は霊的合同教会たちあげれるわ 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである(マタイ26:38)」という ゲッセマネでの主の言葉をどれほど重視してもしすぎることはありません。 この瞬間、イイススは霊的な死の体験の中に突入しました。 ディオクレイア府主教カリストス・ウェア 「正教の道」 http://www.orthodox-jp.com/george/msj2.htm >>126 直接はイコールの話ではないですが、同じ文脈の話ですね まちこさんの主張は罪を代わりに背負ったのではなく、罪(サタン)の性質そのものになった、でした ネクザさんの主張は人性、神性にわけて、人性が罪を犯した、という解釈になります カルケドン信条はその神性と人性が真逆を意志する、みたいなことがありえへん、という内容なので、その点について先日ネクザたんと話してた感じです >>131 神を語る創唱宗教の開祖は、例外なく精神障碍者だが、「俺は 神(の独り子)」などと最大限の妄想を有する重症患者は、イエス以外 には見当たらない。現代の精神医学では、この妄想のみで、統合失調症 の診断を下す。 >>130 >なぜ? カルケドン信条説明したけどそれで分からなければ諦めるしかないね >なぜキリストは完全に死なれましたか? 肉は朽ちるので肉のからだが死ぬのは人として普通のことかと >これでよろしいか? よろしくない この前説明したのにまた同じこと言っとるなw >アドレス見ただけで避けますわ そうか >本題は「人性イエスは贖罪を(いつから)予定していたか」です この前、(おそらく)受肉する前から、と答えたよな そして、(少なくとも)弟子に十字架上の死を語った時は知っていた、とも答えたよな >>135 十字架贖罪論は、専らパウロの発明。イエスには、その意図は念頭にも なかった。そもそも、己が罪人として処刑されたイエスが、他人の罪を 贖うことなどできるはずがない。イエスを信じれば、罪は深くなるばかりだ。 精神病患者のイエスをおもちゃにして遊ぶのは、いい加減で止めよう。 >>133 カルケドン信条を採用してるカルヴァン派において 「父の呪いと報復を受けた(キ要綱およびウ教理問答)」 と解かれてます あなたはカルケドン信条の成立理由を 把握しかねてるようですが 非カルケドン派というのは全て神単性説なのです (人単性説は既にニケアやエフェソスで断罪済み) どういうことかといくと、 「キリストの人性は0%だから父と離れることは無い!」 というプラトニックな連中が断罪されただけなのです >>135 カルケドン信条とはエフェソスへのカウンター すなわち アレキサンドリア系の神単性、神単意論への 断罪であることを理解しましょう これによりアレキサンドリアとアンティオキアは 手打ちに至るのです >肉は朽ちる 罪なる肉、すなわち完全なる人だから朽ちるのです >受肉する前から 受肉前に人は存在しません -- † 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。 そして、そこから入って行く者が多いのです。 (新約聖書 マタイによる福音書7章13節) -- >>136 そうやね。👰 イエスは念頭に無かったから これも、パウロの発明よ💞 根拠は聖書学者の本詠んだら、今や常識ですよ💞😄 >>138 では、贖罪論の根拠となるイエス自身の言葉を、聖書から挙げて見よ。 こんな重大なことは、「・・・のために」の一言では済まんぞ。 >>135 >よろしくない では、おたくさんが思い描いてる対立構図を 簡潔に明記してください でも、 イエスの最後の絶叫には、イエスの奥義が隠されているわー✴ 愛の超越性の典型だもん🎵 記号表現そのものですよ💞 そのもの事態の超越性は未だに把握されていない♪🍻 >>138 この前紹介した記事にそこらへんの説明されてるし、俺も説明してで >>139 >罪なる肉、だから朽ちるのです ワハハw ネクザたんは「栄光なる肉」が栄光のからだだ、それは朽ちないと言いたいわけだなw まぁ思いたければいいんでない? >受肉前に人は存在しません ネクザたんのなかでは受肉する前のキリストは神性イエスで受肉した後は人性イエスにバトンタッチされるのな やっぱネストリウスの主張と同じやんw もやしは異端カルトです ちゃんとキャベツでお好み焼きを作って食べなさい! マヨネーズとソースとかつおぶしとは三位一体であり 神聖にして侵すべからずです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる