V・メッソーリ 著 吉向キエ 訳 信仰について 
ラッツィンガー枢機卿との対話  ドン・ボスコ社 1993 年

第六章 道徳の悲劇 「社会に反するのか、それとも教導に反するのか?」

初めの部分を引用します。
「すでに主流となったこのメンタリティは教会の道徳の土台そのものを襲っている。
というのは、さきに指摘したように、もし教会が自己に忠実であろうとすれば、時代
錯誤の不愉快な異質の集団に見える批判に自己をさらすことになる。そこで、いまだ
’’信用される存在’’であろうとする西欧の倫理神学者たちは、二者択一を迫られること
になる。すなわち、現代社会への不同意か、教導への不同意かのどちらかを選ばねば
ならないかのように。教導への不同意を選び、その結果、カトリシズムと、出回って
いる考え方の間に妥協できそうな理論や体系を求めようとする者の数は、問題の取り
上げ方、問題意識に応じて多かったり、少なかったりするのである。しかし、教会の
教導と’’新しい’’倫理神学間のいまやこのギャップは、分裂という結果を生む。という
のも、教会は学校や病院を通じて、今でも、特にアメリカでは社会的に重要な役割を
果たしてきているからでもある。そこでは過酷な二者択一を迫られる。すなわち、教会
は自らが奉仕し続けようとする社会が許容した価値に妥協し合意を見いだすか、それと
もおのれの価値(そして教会の意見では人間をその切実な要求において守る価値)、
に忠実にとどまる決意をするか、その場合には社会との格差によって窮地に陥る、
という二者択一である。」

お世話になっているある神父様から倫理神学は大変難しいと聞きましたが、この本の
第六章を読んだだけでも、その事を強く感じました。私に対しては、カテキズムを
繰り返して読むことが大切であると感じました。