2006年(主日B年) 5月21日 復活節第6主日
使 10:44〜48  Iヨハ 4:7〜10  ヨハ 15:9〜17

福音が語られ、聞く者に信仰が生まれて救いを受けるのは、聖霊の働きであることを理解しましょう。
この福音、信仰、聖霊という三つの密接な結びつきを、使 10:44〜48 の物語りは見事に描いています。

私たちは自分が洗礼の秘跡を受けたことを、決して単なる自分の決断のように考えてはなりません。
それは聖霊の御業であって、「恵みにより、信仰によって」 与えられた 「神の賜物」(エフェ 2:8)です。
ですから “洗礼は、カトリック教会とまだ完全に一致していない人々をも含めて、すべてのキリスト者間の一致の土台を成しています”(カトリック教会のカテキズム 1271)。
また聖霊の御業であればこそ、“洗礼は一回限りのもので、繰り返すことは出来ないのです”(同 1272)。

ですから、キリスト教の他派から信者がカトリック教会に移る場合にも、“すでに洗礼を受けたという事実、またはその有効性が真に疑わしい場合” 以外には、再洗礼は禁じられています(儀式書/成人のためのキリスト教入信式 p.155)。
救いが信仰と切り離せないのであれば、そして信仰が福音から切り離し得ないのであれば、私たち一人一人は正しく福音に耳を傾けなければなりません。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉(使徒たちが伝えた福音)を聞くことによって始まるのです」(ロマ 10:17)。
洗礼は、決してペーパードライバーの免許証のようなものであってはなりません。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より