2000年(主日B年) 5月28日 復活節第6主日
使 10:23b〜48  Iヨハ 4:7〜10  ヨハ 15:9〜17

復活された主イエスの記念であるミサを、今朝もご一緒にささげることが出来ることを喜び、父なる神に感謝しましょう。
感謝の祭儀とも呼ばれるこのミサは、洗礼の秘跡を受けたキリスト者の群に委ねられている権利でもあり、義務でもあります(ローマミサ典礼書の総則 3 参照)。

カイサリアの町に異邦人教会が誕生したその起源の物語りを、私たちは今朝の初めの朗読で聞きました。

「そこで、ペトロは口を開きこう言った。 “神は人を分け隔てなさらないことが、よく分りました。 どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。”」(使 vv.34-35)

異邦人であったコルネリウスという人が、この新しい教会の中心になって、ミサを司る司祭の役割を果たして行ったことであろうと、私たちは推測します。
この教会で使徒たちの福音が正しく継承されていくために、コルネリウスは第一の重要人物であったに違いありません。
洗礼を受けた人々の群である教会のあるところには、主から使徒継承の担い手として召された司教や司祭もまた必ず遣わされているのだということを、私たちは忘れてはなりません。

私たちがミサで聖書の朗読を聞くとき、神のことばはここに集まった “ミサをささげる群” に向かって語られます。
同様に私たちが自分の部屋で私的に聖書を開いて読むときにも、これは本来 “ミサをささげる群に向かって語られているのだ” ということを忘れないようにしましょう。

第二バチカン公会議後の典礼刷新によって、カトリック教会のミサが “感謝の典礼” と共に “ことばの典礼” を等しく重んじるようになったことは、たいへん重要かつ素晴らしいことであります。
それは “聖書から神のことばを聞く” ということが、ミサと固く結びついたことであって、特に感謝の典礼から切り離し得ないことを明らかにしたからです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より