2006年(主日B年) 5月14日 復活節第5主日
使 9:26〜31  Iヨハ 3:18〜24  ヨハ 15:1〜8

「神の子イエス・キリストの名を信じ、 ・・・・・ 互いに愛し合うこと」(Iヨハ v.23)とは、
共にミサをささげるために集まる会衆が、「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました」(エフェ 1:7)という信仰と感謝のうちに一致団結することを意味しています。
そのような福音理解と信仰を、使徒たちは今も聖書を通して現代の教会に語り続けているのです。
この使徒たちの福音が際立って証言される場がミサ典礼であります。

昨年閉幕した “聖体年” は、故ヨハネ・パウロ2世の “教会生活の中心にある聖体(ユーカリスティア = ミサ)を見つめ、キリストから再出発しよう” という呼びかけで始まりました。
6年ごとに米国で行われているギャロップ調査の昨年の集計によると、信者が何をカトリックの中心と考えているかは、前回はサクラメント(秘跡)が第一であり、貧しい人々の救済が第二であったが、
今回は貧しい人々の救済が第一となり、第二はサクラメント(秘跡)ではなく、復活のイエスへの信仰となったと報告されています。

現代のカトリック教会はいわば末期症状の中にありますが、その原因の第一はミサ典礼が久しく使徒たちの福音が証言される場ではなくなっていたことであると言わなければなりません。
人々、特に現代の若者たちが、キリストの言葉(ロマ 10:17)を聞くことの出来ないミサに見切りをつけたと言うべきでしょう。