2003年(主日B年) 5月18日 復活節第5主日
使 9:26〜31  Iヨハ 3:18〜24  ヨハ 15:1〜8

使徒パウロは他の使徒たちとは違って、生前のイエスによってではなくて、復活のキリストに出会って使徒として召されました。
使徒とは主イエス・キリストによって直接に召され、福音の宣教と教会造りのために遣わされた人々であります。
この使徒たちに委ねられた福音宣教は、決して 「人から受けたのでも教えられたのでもなく」(ガラ 1:12)、十字架と復活の主に由来していました。
ですから一人一人の使徒はそれぞれの個性と特質を持った別々の人たちではあっても、その宣教する福音は使徒たち全員に共通するもの、そして使徒たち全員で共有するものでなければなりませんでした。

パウロが復活の主から使徒として召されて数年後に、エルサレムの使徒たちのもとを訪ねて滞在したのは、このためでありました。
使徒言行録に記録されているパウロの異邦人伝道における大きな働きが、他の使徒たちと異なる 「別の福音」(ガラ 1:7)を宣教することとならないための、いわば準備的な作業であったと言うことが出来ます。

「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」(使 v.31)

代々の時代の教会の信仰は、それが使徒たちの宣教の上に固く立つものである限り、正統的なものであると主張することが出来ます。
いつの時代でも、教会にせよ信者個人にせよ、その信仰がいかに自発的主体的であっても、使徒たちの宣教とは別に独立して直接にキリストと繋がっていると主張するとき、それは正統的なものではあり得ないのです。
現代の教会も、使徒たちの宣教を通してその源泉である復活のキリストに出会い、聞き、その枝として連なることによってだけ、正統的な教会であると主張出来るのだということを理解しなければなりません。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より