Pope Benedict XVI  回勅 希望による救い カトリック中央協議会 (2008)
永遠のいのちとは(第 3 章)

30 page の中間部から一部を引用します。
「いのち」とは本当は何なのでしょうか。そして「永遠」とは本当にどのようなこと
を意味するのでしょうか。このことが突然明らかになったかのように思える瞬間が
あります。

32 page の最後から 33 page のほぼすべてを引用します。
わたしたちは、自分が捕らえられている時間を超え出なければなりません。そこから、
永遠とは、いつまでも暦の日付が続くことではなく、完全な満足を感じる瞬間のような
ものだと考えてみなければなりません。その瞬間、全体がわたしたちを包み、わたし
たちも全体を包みます。それは無限の愛の海に飛び込むのに似ています。そのとき、
時間は、過去も未来も含めてもはやなくなります。このような瞬間が完全な意味での
いのちであることを考えて見なければなりません。それは、広大な存在にいつも新たに
飛び込むことです。そのときわたしたちはただひたすら喜びに満たされます。これが、
イエスがヨハネによる福音書で述べたことです
(この後に、ヨハネ 16:22 が引用されています)。

昨日、上に書かれているその瞬間が私に訪れたように感じました。昨日、私が瞬間的に
感じたことは、今日読んだ、教皇様が書かれた上の文とほぼ同じ内容であることを
知って、安心することができました(錯覚ではないかという心配もありましたから)。
聖週間のこの時期、復活祭の直前にその瞬間が訪れたことは、不思議ですが、
復活徹夜祭に洗礼式が行われる意味もようやくわかったように思います。
神に感謝するとともに、指導してくださった神父様方、教会の方々そして上記の本を
書かれた教皇様と上記の本の出版に関係された方々に感謝します。