ローマカトリック教会20180220
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ほんとう利口な人間のとる行動 まず他者から「奪いつくす」。 搾取と浄化統合が完了したのちに 馬鹿に向けて「自発的に」「与える」ように誘導する あとは洗脳された忠実な手下が「自発的」に搾取を勝手にやってくれる 「仕組み」。というか手口。 うまいなー 人間は褒章「インセンティブ意識高い系横文字」を与えると何でもする 犬と同じ 所詮動物。 かとりっくは知的な承認欲求を刺激すると褒章「インセンティブ意識高い系横文字」がうまく機能する 「英語」 「芸術」 「哲学」 「ブルジョア」 「もてたい称賛されたい」といったところか 肥大しきって今更へりくだれない自尊心を満たしてあげるとなんでもするバター犬にできる 意外に調教と飼育方法は簡単だったりする どちらかというと神仏系ねずみ講のほうが現ナマ至上主義的なところはあるかもしれない そこらへん、うまく棲み分けて共存しようね。 まぁいずれにしても 「ズレ」 というのがすべてにおいて、 さながら宗教ビジネスにおいては根幹のキーワードであることをしっかり覚えておきたい 日本におけるシノギ・。 信徒の激減で魅力あるコンテンツをどうつくっていくかということが喫緊の課題 屋台骨の「愛」は世俗化にしたがって収益が伸び悩むだろう ソーシャルやメディアの多様性によりビジモスモデルそのものが個人の手に渡っているのが痛い。 「美術品転売」と「観光地の発掘・ブランドつくり」は今後も伸びが期待できる分野だろう ただ、調査や時間等初期投資の費用が高くつくのが痛い やはり東南アジアとシナ、旧キリスト教国植民地へのパイプにシフトを重きを向けるべきか。 カトリックの強みでありノウハウが蓄積されている労働力あっせん業 いわゆる、聖なる奴隷人身売買業である しかしながら、労働力の工業化、IT及びAIによる社会システムのパラダイムシフトが起こりつつあることが懸念材料なのだが… 親方バチカンの意図もいまいちみえてこないし。 不安を煽る材料はいっぱいあるんだけどねぇ。 この世はイカサマサイコロ 「どうしたいか・なってほしい」ということより重要なのは「どのように事実をつくりあげ認識させるか」 何事も調和。ズレたら終わり 死罪にならぬようくれぐれもまずは自分自身との折り合いをつけてね 世との折り合いはそれからでよい 痴漢の冤罪と対決して捕まるなど無謀。 一目散で逃げることが肝要 あなたは一体どのステージで十字架につけられたキリストを見るか 間違っても無謀なことはしないように ただの愚か者である 選択の自由が無きまま突如問答無用の死刑宣告されたときには成すべきことを成すときもあるのだろう ほとんどの人間は死刑宣告されるまで十分な時間がありながら後悔と絶望のうちに死を迎えるのだから。 確かな知と矜持、勇気があるか否かの問題だ。それが何者であるかは問われない そういう意味で一銭にもならない復古調の何某など各自公民館でコスプレ劇として上演すればよい。そこになんの価値もない。 しかしながら命を懸けているなら別だ。価値がある。 ほとんどの人間は現実逃避としての道具に使っている 偶像だ このように同じ現象でも全く意味合いが違ってくる。これらは物理学の一部として発展している >>312 全てのルールは性悪説に基づいて作らないと破綻する。 現実ではズルイ奴も居るからだ。 日曜日はキレッキレのファッションでキメてこんなにイケてる凄いわたしを演出。周りを圧倒 これでこそ正気でいられるコツ 人間の本質 正しい行い。 人は幻想”マボロシ”を追わないと生きていけない。 そしてひとつまたひとつ幻想”トキ”が消えていき絶望”ナミダ”する そしてまたあたらしい幻想”ユメ”をつくりだす(矢沢永吉とかB’Z風詩”ウタ” それが生きる知恵 イケてるワタシの演出をWasurenai ロレックスをはめて共に悲しむ素敵なwatakushi 大切なものを守るため、あなたはどこまで「悪」になれますか?(電通風イケてるきゃっちこぴー もちろんBill Evansは高尚で気取っていると忌避する。 というかしらない・ >ロレックスをはめて どうして己のこの肉体をそんなにかわいがる必要があるのか。 人以上に。 心もだ。どうしてそんなに己の肉体と心に、「人以上」の幸せを擦りつけようと するのか。 金無垢のロレをはめてつり革にぶら下がる者に そんなものは恥ずかしいから腕ごと切り落としてしまえ。 そしてその腕をアフリカに送ったらどうだ? 腕がない身障として電車の中で少しは憐れみの目を向けてもらえる 方がどれだけ幸せなことか、とニュー速板に書いてもう、10年は経つが やっと、このバアルの国の民も「その恥ずかしさ」がわかったようだな。 「あ。ヤヴァイ。死ぬかも」 そういった「死に体」からの切り抜けを学ぼう もちろん生前にマメな工作をしておかないと奇跡は起きない イケてる神父と全く愛されない神父に通じる 自分の考えなど襤褸に光る一点のシミ以下である こんばんは 今年の復活徹夜祭を区切りに 2ちゃん書き込みとカトリック生活を終焉させるマリア・マグダレイナです 理由はカトリックの衰弱化をはっきり目撃したから 修道院司牧依頼の協働宣教チームがエリートはカテドラル クズと無能と若造の司祭が残留していた 相手にするのは養老院レベルの教会。この修道会がカテドラルだよ カトリックはもう大阪では壊滅 自分以外最低でも50代だよ男女問わず 親しかった女子はみんな玉造 大阪はTVのロケ地以外全部高齢者ケアハウス 東京はどうなんだろ 雙葉の貴族と足立のゴミが共存。 まさしくカオス混沌 バットマンの世界 この世は矛盾に満ちている >>263 訂正 済みません The New American Bible, Revised Edition (NABRE) Released on March 9, 2011 the footnote of Exodus 20:5 * Yet it is known that … (およその意味) それにもかかわらず、 知られている、ということは、後の世代は、 おそらく、 受けるであろう、 (人間の本性を傷つける)悪い影響を (the punishing effects) 、 の、罪、の、前の世代、ではなく、 あやまち (the guilt)。 cf. Catechism 404 and 405. 人はどこまでも平等と考えられていないという前提だと受け入れられる。 キリスト教フォーマットは正直日本人には合わないと思うよ。 教会側としては骨の髄まで染みついたザパニーヅ封建社会は絶好のウマシカカネギマだがね キリスト教徒はイエスではなく、パウロに洗脳されているのです。 イエスは、人に石を投げることを、人権侵害としているのです。 自分たちが善だと信じることは勝手ですが、 それが反面、悪を対立軸に立てる必要を産むのが、パウロの思想なのです。 イエスを神とするから、悪が必要となるのです。 第二次世界大戦のドイツでは、ユダヤ人と同性愛者が悪にされ、 虐殺されました、カトリック教会は黙認していました。 そうした罪を悔い改めないと、この世に災いは起こり続けるでしょう。 パウロの罪は科学によって説明ができます。 同性愛者と偶像崇拝の因果関係は科学によって否定されているのです。 パウロの罪を悔い改め、十字架のイエスに謝罪しましょう。 税金(上納金)で飯食ってんだから支払いを渋るやつを追い込むのは当然だろう。 もしくは体制に反対する奴は迫害。 反体制側もいずれは権力を握って弱者から吸い上げるのだから嫌なら出て行けばよい。 神々からすると当然の論理 他人の土地を永遠の約束された土地と主張しカネで(買い戻した)ユダヤには正直脱帽 さすがキレッキレ父の聖所 門の扉はカネで開く 神々の一人である六本木のカト信者○○さん。 ミサの後はマセラティで3万/1hのプライベートジムに向かう 娘は雙葉。夫はPh.D 実にエレガントかつスマート。 姿は見えず調和のうちにおられ争いはない 無知と貧困こそ悪 ”思いもよらない変化を生み出すきっかけをつくらず何もしない地蔵” という前提付きだが 要するに小教区で何一つチャレンジしない傍観者のことだがね 清算するのは後悔のことばと嫉妬憎しみのことば 実力と勇気が生きる道 それを行わないものは他人のトイレの床を拭き続けて人生を終える 「できない」「やらない」負け犬の聖句。 神に背く行為とは「後悔」という一言に尽きる 人生は短い。悔いのないように生きたい 神と悪魔は一体。正義と悪も一体。 何事も信念があれば無意味付けとしての無残な死とはならない。 「底辺高卒のアホに特養の屋上から投げ捨てられてもだ。」 とは言えないので そんな人生にならないようするには何をなすべきなのか? これで多くの負け犬を引きつけられる。というシノギ方 父と子と聖霊のみ名によってアーメソ 主、イエスキリストのみ名によってアーメソ。 負け犬 「境遇を恨んで何もしない」 賢明な小1孤児 「成すためにどうすればいいのかを考える」 なるものが反社会的なものであろうが何者かは関係ない。神々はそれを理解し「神」にする 馬鹿は曲解して文字通り「コ〇ス」 所謂ただのシケた犯罪者になる。 とりあえず 「すごいですね」 「こんにちは」 「へーそうなんだ」 「ありがとう」 「すごいですね」 「おきれいですね」 で浮上できる。 間違っても妬む神(むかつく上司、学歴はピカ一のコノハゲーと愛知7区)に勝ってはいけない。 まぎれもなくお前はクズだからだ。 それができたらモノをばら撒く。 それができたら「やってみます「何かできることは」「お願いします」を自分の息子くらいの上司にも実行する それに加えて常に目標にむかって学習する。なんでもいいから目標をみつける 器質的な馬鹿なら精神科で心理検査をうける。 道が開ける・ あらゆる痛みを和らげる保険をかける。カネがすべてという一面の真理を受け入れる 大体それで人生好転する。 それでもやらないできないやつは心身両面で痛み苦しみ続ける悲惨な老後が待っている。 スキにすればよい 「成長 家族 やりがい 愛」 フランチャイズの合言葉 マクドナルドの仕組み=キリスト教=講。 コンビニの仕組み=自己啓発=講。 「ダメな自分からの脱却」で引き寄せ。 餌となる夢と希望を与え続ける 上納金で嵌め込み 未納の借金を人身で払わせる 宗教のしくみ キリスト者にとっての引きよせの法則は、自分が望むものを引き寄せるのではなく、神がわたしを引き寄せてくださる、ということです。詩編27:10 宗教の売り物は「不安と虚栄心」だぁー。 アホ共。やり方はわかったかね。 ノウハウとほんの少しの勇気でウハウハ。 言葉で引き寄せカネを毟り人心を買う行いを強制労働を自発的にやらせる こんなおいしい商売はない 神はウハウハ。 毟るか毟られるか それは自由 お好きなほうをどうぞ。 みんな上げてやりたいけど一定数の馬鹿がいないと成り立りませんから 所詮こういうものなんだよ。夢見がちのアホの負け犬諸君 その辺の折り合いをつけられない者は、 小教区ひとつから何も学ぶことができず失望し憎んで去る そして、家族社会会社人間関係すべてにおいてその傾向を持つ お前は神か? と 「気に入らないなら自分でやればよい」に帰結する 神になろうが、神を立てようが全く自由なんで是非リーダーシップを発揮してください それに気づかせてくれない周りの環境にはに憐れみの気持ちでいっぱいだよ。 人間って生まれた時点で哀しいよね。その時点で不条理だよね 不公平だよね。 わかるわー。無知な家族に無知な社会構造に無知な組織な ちょっとしたズレと気づきで大きく人生変わるもんなー 馬鹿でもあほでも幸せに人生を終えるただのラッキー野郎もいるもんなー 悔しいよな。わかるわー。 >>351 カトリックを信仰している国なんて、足立区の ゴミみたいな教養のレベルが低いのが多かったぞ! フィリピンや中南米、アメリカやヨーロッパの セレブは、カトリックを棄教しています リース業なんだよリース業 土地を占有してビジネスモデル指導料と賃料をいただきまーす 全世界に広がるロイヤリティ収入。 神は生まれながらの年金生活者 独立したきゃ金品はたいてM&Aしなってのがビジネス。 信徒の命を差しだせってのが砂漠のやり方。 もちろん品質を確保できなけれなリース契約はキャンセル 破門もくはあぼーん そういう「契約」なんだよ 日本人はこの面に関してのリテラシーが極めて低い パウロはまさにキリスト教という無事ネスモデルののユダヤ人創業者。 キリストの思いは全くもってうかがい知れない 義認するか否かは自由だけど。 >>349 カトリック教会に通って 真面目に献金を払っていたけど 何の実利はありません!日曜日は ミサに行っても時間の無駄! 自宅で、ゲーム、パチンコ、読書、 ジム通いなど、趣味に没頭している方が ましです! 心配するな 神は臆病なねずみよりも勇敢な狼を祝福する わたしについてきなさい >>370 なーんだ。マモン(富)の誘惑に負けてセレブの生き方に活路を見出し 掛け軸の民(創価学会員)に成り下がった、花より団子のかつおさんですか。 >>372 創価学会じゃないけど 創価は実利はあるけど 脱会が難しいし脱会しても自殺に 追いやられるまでストーカーと嫌がらせが あるから入会するべきではないね 創価じゃなくても実利のある宗教は 世の中にはいくつか存在します カトリック教会に行っても信徒同士の 横の繋がりも実利もないから 行くべきではありませんだから欧米や中南米の カトリック教会は信徒激減していて おまけに、性的虐待などのスキャンダル まみれですからね! かつおさんは棄教した後に、どうしてカトリックの周辺を一定の距離を置いて うろちょろしているのか。そして時折、何故に石を投げるのか。 かつおさんの高性能の潜在意識(霊魂)が瞬時に、意識で思い込もうと していること、「掛け軸」や「ほーかね」や「どーってことないよ!」 は間違いであるという判定を出しているからではありませんかね。 己の霊魂が後ろ髪を引くから、それをかつおさんは忘れ去りたいんだ。 それで、時折出てきては、カトリックに対して、己自身の霊魂に対して 石を投げたくなるのではないかな。とそう分析してます。 あと5年もつかな。「やっぱり俺が間違ってた」と 泣きながら戻ってきそうな気がしますw >>370 実利を求めるな。耐え忍べ。あの世では神の栄光が! と民を騙して奴隷を作るのがカトリックの伝統的役目。 日本人のご先祖はそれを見抜いてザビエルを追い返した。 >>320 司祭を批判するなんてもってのほか!!という圧力があるよね。 スポットライトスポットライト。欧米のことだけど。 コンビニ 居酒屋チェーン スポーツ興行 SNS 海外ドラマ ファストファッション 最近の手口。 うまいなぁー。 しかしながら実は「シェービング用品」と「紙おむつ・生理用ナプキン」というのが、 神の道具のなかでも安定した金鉱脈であるということを知ってもらいたい。シブい McDonald'sよりも息が長いことだろう。 「キーワードはあまねく世界に広告(宣教内容)掲載可能な普遍性を帯びた日用品」=宣教だ カネを落とすのは悔しいが実際必要なものといったところだ。そして必要になるよう世のなかを誘導し仕組む。 これこそ「揺さぶり」「引き寄せ」「自発的に」「行動するように」「仕組む」だ アメリカの神々は蓄財せずに神のものは神のもとに帰すひとが多いというのは幻想に近い 「求めよー。」「忍耐。」これに尽きる やくざは長い収監前にボロ株を買う この意味わかるな・ >>342 そりゃそうだろ 洗礼志願者のデータ見ると、男31% 女69% 40代50代が57% 60代以上が34% 30代7% 20代2% ただしイタコ芸のおっさんに関しては天才的であると言わざるを得ない 短期間であそこまで成長させた実績は尊敬に値するし カトリック信徒としてもあの惹きつけ方は是非見習いたいところだ >>348 第二次世界大戦のドイツでは、ユダヤ人と同性愛者が悪にされ、 虐殺されました、カトリック教会は黙認していました。 本当ですか? 熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System Title: ドイツの生命倫理論議にみられるキリスト教ならびに同教会の果たす役割に 関する研究 Author(s): Bauer, Tobias Issue Date: 2010, Type: Research paper ttp://hdl.handle.net/2298/14609 (pdf file free) cf. pp. 22-23. 議事堂前でデモをすれば政権が変わるとか思ってるバカどもがいるのなw 民意を正確に知れるのは選挙だけ。 韓国のようにデモで政権が変わるのは民主主義ではない。 世論調査もメディアによる操作だから信用ならんね。 若い頃モテるのも災いよ。気が散って勉強できないから。 だから、不細工の医者と美女が結婚してますわな。 で、不細工の医者は金をもってるから浮気。美女の奥さんの方は思ったほど 幸せではなく意地悪な顔に。ますます自分の生き方を正当化したく 色を濃く出す。これを読みながら、ああ、いるいる。あの人がそうだ、と。 感情的な調子で罪悪感を語り揺さぶる。 まず最初に覚えるべきテク こんなことでも結構釣れる >>372 死後の救済を説かない創価学会は宗教とは呼べない。 程度の低いおまじないだよね。 あの邪教は日本で信徒数が多いけど。 全ての人間に利益でもあったのか? 「ご利益なんて無かった」という証言のほうが多いんだがw 死後の救済や善悪を説くキリスト教を世界中の人間が信仰しても破綻しないが、 現世利益を追求する邪教を世界中の人々が信じたら論理的に破綻する。 全ての人間が勝ち組になることは不可能だから。 ゆえに、創価学会は偽の宗教である。 過去にとりつかれて酒や向精神薬でごまかしているところはきっちり治療して晩節を汚さないように生きよう 治療方法があればの話だが なければ”神”に祈る これが正しいk”神”の使用方法 ここで独り言喋ってる人気持ち悪いね リアルでもこうなの? 神父になろうとしたけど、なれなかった人が大抵こうなる ちゃんと神父さんは適性を見てるんだよ 神学校脱落のひとは最悪だ 東方の隠遁修道士かシャルトルーズで引きこもってブツブツ独り言言ってれば イケるんじゃないの? 司祭になる前の経歴の酷さにあきれる。司祭は反社会的な人間がなるものかね? >>374 カトリックは、神父、シスター、 高位聖職者にならないと 実利がないよね 一般の信徒になっても何の実利がないから 教会なんて行くべきではありません 日曜日は自分の趣味を持って 趣味に没頭している方が充実した生活が 送れます >>387 カトリックを棄教したけど 創価ではないからね! 創価はストーカーをしたり人権侵害の宗教ですから 久しぶりに、私の WebSite の 「聖書講義」 に小論をアップしました。 キリスト教の再定義というテーマに対する私の神学的立場を解説しています。 http://www.kuwaei2000.com/Study/2018/2018.html >>397 読みにくいので、適当にばらしてくれませんか? 北海道函館市の元町カトリック教会とハリストス正教会の鐘の音 https://youtu.be/inua1iZ3BxY 2000年(主日B年) 4月9日 四旬節第5主日 エレ 31:31〜34 ヘブ 5:7〜10 ヨハ 12:20〜33 ヘブ vv.7-8 私たちが馴れ親しんで来た20世紀のキリスト教は、“イエス・キリストの死と復活” や “イエス・キリストによる罪と死からの救い” というような、キリストの福音の “死に対する戦い” としての面に、理解が足りなかったと言わねばならないと思います。 「激しい叫び声を上げ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ ・・・・・ 」 という主イエス・キリストの歩まれた道は、ミサに集まる一般の信者たち自身の実感からは、縁遠いものだったのです。 日本だけではなくて、キリスト教を我が国に伝えてくれた西欧の世界でも同様に、「激しい叫び声を上げ ・・・・・、死から救う力のある方に祈る ・・・・・ 」 というようなことは、久しく教会の信仰からは忘れ去られて来ているのです。 私たちの身近なところでこれまで行われて来た数々の教会の葬儀のことを思い起こしてみれば、そこで人々が “死” をどのように考えて来たかが分かります。 そこでは “死は、大祭司である十字架と復活のキリストによらなければ、そこから決して救い出されることのない永遠の滅びである” ことなど、全く語られはしませんでした。 私たちの救い主イエス・キリストは、しかし、私たちを罪と死から、神の怒りと裁きから救う大祭司となるために、「激しい叫び声を上げ、涙を流しながら、」 御自身を十字架のいけにえとしてささげてくださったのです。 (つづき) エレ vv.31-32 このエレミヤが語った “新しい契約” という言葉を、新約聖書は ルカ 22:20 と Iコリ 11:25 で、主の晩餐におけるイエスの聖別の言葉の中にとり入れて伝えています。 第二バチカン公会議によって刷新された私たちのミサ典礼書では、そこに採用された四つの奉献文において、主の聖別のことばが聖書の記事からの編集によって、すべて同一であるように作られました。 「皆、これを受けて飲みなさい。 これは私の血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて罪の赦しとなる、新しい永遠の契約の血である。 これを私の記念として行いなさい。」 神とイスラエルとの間のかつての古い契約が破られて死んだように、救い主イエス・キリストは私たちの罪のために死んで、その血による “新しい契約” を教会に与えてくださいました。 キリストの十字架は、この世を支配していた罪と死を滅ぼして、御自分の民である教会に永遠の命を与えてくださるのです。 「信仰の神秘。 主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。」(記念唱) アーメン。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 総理大臣でもないヤツらが、偉そうに指図ばかりしてやがる。 香山リカから小泉元首相まで、お前たちは総理ではないだろう。 人格障害のクズは自己と他者の区別を付けないというが、 総理大臣はお前たちではない。 自分の意のままに操りたいのは傲慢の大罪である。 カトリック教会は、暇と金に余裕がないと行けないよね。 最初は教会に救いがあると思ったが、 ミサは神秘効果は初めのうちだけだ。 教会奉仕してもおまんま食えない。 愛?ねーよ、そんなの。 祈りましょうw。で済まされるだけ。 新興宗教の方が、仕事紹介してくれたり、色々世話焼いてくれるから 同じ魂をうるのにも、実利がある方がいいぞ. >>405 カトリックを信仰している国は、 フィリピンや中南米などの教育のレベルが低く 後進国が多いだろ! フィリピンと南米のカトリックの国に 行った事があるけど足立区のゴミ以下の 貧しく治安が超悪く教育のレベルが低かったぞ! >>405 カトリックを信仰する自体、負け組の 道を歩む事になるから >>408 フィリピンやブラジルのスラム街に住む人達 は定期的に教会通いをしている信徒もたくさん いるけど、 残飯やゴミを漁り、ドブ水を飲んだり、窃盗や強盗に手を染める者もいます カトリック教会は、実利のない宗教である証拠です! 2006年(主日B年) 4月2日 四旬節第5主日 エレ 31:31〜34 ヘブ 5:7〜9 ヨハ 12:20〜33 キリストの救いは、信じる者を 「死から救う」(ヘブ v.7)救いです。 “死” とは、神の怒りによって “滅ぼされる”(イザ 6:5)ことであります。 詩篇は “人を塵に返す” 神の怒りを畏れることを教えました(詩 90)。 “死” は神による創造の祝福の対極にあって、いわば神から不要品として捨てられること、“罪が支払う報酬”(ロマ 6:23)であります。 使徒パウロは 「死に定められたこの体から、だれが私を救ってくれるでしょうか」 と述べた後に、直ちに続いて 「私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」 と、キリストの救いを賛美しました(ロマ 7:24-25)。 この “死から救う救い” のために、キリストは人間と同じ者になられ(フィリ 2:7)、私たちに代わって(父なる神への)従順を学ばれました(ヘブ v.8)。 キリストの受肉と死と復活は、神がその救済史の中に計画された御業であって、「私たちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦され」(エフェ 1:7)、その完成である 「秘められた計画」 にあずかる者とされました(エフェ 3:3-6)。 (つづき) 現代の通俗的キリスト教は、人々を “神の怒りへの恐れ” から遠ざけるような仕方で、“死” に対応して来ました。 私たちが従来見て来た葬儀はその典型であり、今日論じられている末期医療とか安楽死ないし尊厳死の問題も、すべてその方向性によっています。 “死” を怖くないもの、安らかで美しいものと思わせることによって、効果的に人々を “神の怒りへの恐れ” から遠ざけて来ました。 キリストの救いが、信じる者を 「死から救う」(ヘブ v.7)救いであることを、「来るべき怒り(終末の裁き)から私たちを救ってくださる」(Iテサ 1:10)救いであることを、再び学ぶことは教会に提供されている四旬節の恵みであると知りましょう。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 辞めない頭下げない謝らないブレる カトリックの鑑 財務相。 2009年(主日B年) 3月29日 四旬節第5主日 エレ 31:31〜34 ヘブ 5:7〜9 ヨハ 12:20〜33 「人の子が栄光を受けるときが来た。」(ヨハ v.23) 「栄光」 という言葉が、新約聖書ではイエス・キリストと結びついて、特に終末論的意味合いで用いられているということに注目しましょう。 受肉されたキリストは、その受難と死を経て、栄光に入るべきことを(ルカ 24:26)、早くから弟子たちに語っておられました(マコ 8:31,9:12,10:32-45)。 福音書を読む人はだれでも、受難物語りがイエスの姿を、悲惨で哀れな犠牲者ないし殉教者としてではなく、そうではなくて、勝利へと向かって進んで行く神の子・救い主として描いていることを、強く印象づけられます。 特にヨハネ福音書は、イエスの十字架の時が 「栄光を受ける時」 であることを強調しています。 しかし、人は信仰を与えられて初めて、「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る」(IIコリ 4:6)ことが出来ます。 異邦人がユダヤ人と共に福音に与る者となるのは、主の十字架と復活の後でした。 ヨハ vv.20-21 にギリシア人が登場するのは、その時が今や迫っているということの象徴でありました。 (つづき) 「今こそ、この世が裁かれる時。 今、この世の支配者が追放される。」(ヨハ v.31) 神の怒りは、神が正しい裁きを行われる終わりの日に、最終的に現れるのですが(ロマ 2:5)、今や主イエスはその受難と死によって御自身がその裁き主となる決定的な時を迎えておられました(使 10:42、IIテモ 4:1)。 教会の時は、すでに決定的に、「御子を信じる者は裁かれない。 信じない者は既に裁かれている」(ヨハ 3:18)時となったのです。 ですから、主の受難と死が、私たちキリスト者にとっては決して単なる過ぎ去った昔の出来事ではあり得ないように(ガラ 3:1、ロマ 8:34)、神の裁きも、キリストによる救いも、現在の事実であり、また将来の希望なのです(ロマ 5:1-2,8:11、Iテサ 5:9)。 ローマ・ミサ典礼書の奉献文では、その第一のエピクレーシスで “御子わたしたちの主イエス・キリストの御からだと御血になりますように” と祈ります。 しかし、それと同時に私たちは、主イエスが間近に迫った御自分の死を、古きイスラエルに代わって御自分の教会との間に立てられる新しい契約の行為であると宣言されたことに、心を向けようではありませんか。 「こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。」(ヘブ 9:15) 今年も教会は過越の祭儀に備えながら、会衆一同で声を合わせて歌います。 「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。」 アーメン。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 臨終の霊魂のための祈り http://tenshikan.jp/inori.htm *煉獄の霊魂たちがマリア・シンマに言うところによると、人々の霊魂の救いのために 祈る人があまりにも少ないので、多くの霊魂が失われていくということです。 もし毎朝・毎晩、免償を与えられている次の祈りを、三回の「めでたし」とともに、その日 死を迎える人たちのために唱えるなら、多くの人々が救われることになるでしょうと。 その祈りとは、次のようなものです。 「ああ、霊魂を焼き尽くし、愛に燃えさかるいとも憐れみ深きイエズスよ、あなたの聖心の悶えと、 汚れなき御母のお苦しみゆえに祈願いたします。今臨終に悶え、まさに今日(または今晩)死ななくては ならないはずの地上のすべての罪人たちを、あなたのおん血によって浄めてください。臨終の苦しみに 悶えるイエズスの聖心よ、どうか死に臨んでいる人々を憐れんでください。アーメン。 (この後に「アヴェ・マリアの祈り」(旧い名称だと「めでたし」「天使祝詞」)を三回唱える)」 梅宮辰夫のけがなどどうでもいいし稲村亜美の痴漢騒動などどうでもいいし高橋由美子のマジイキなどどうでもいい がメディアでは大事件だそうだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる