マハーカルナー禅師の潔白を検証するスレ Part 4
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504>>
最近、ミャンマーのセヤドー方の経歴を
WEBで見るようになった。MK効果。
身にやましいことがなく、慙愧を知るならば、
質問に答えればいい。
第三者が検証できるように、
HPで、文章で。 504>>
寂静・涅槃は、<何もしない事>なのではない。
聖者は、不動心で、慈・悲の行いを実践する。
それが通用しない時は、不動心で、<捨>をする。
それが通用しない時は、不動心で<遠離>する。
寂静・涅槃は、それを目指す仏教徒や聖者に、
慈・悲と、不動心があるか、ないか、
が問われるのであって、
「何も行動しないでいい」「だまって見ていろ」という
のは死人の事。仏法ではない。 >>517
まだMKを信じている方の発言でしょうか。
もしそうなら、悪用された仏法によって
思考停止させられてることに気づいて欲しい。 他人に対して思考停止しているというが
あなたこそ思考停止していないか。 仏法を悪用しているだの、仏法をろくに知らない凡夫の分際で
ましてや出来事に直接関与していない外野の分際で
どうこういうことは恥ずかしいと思った方がいいと思うよ。
聖者だというなら別。 >>521
おや?
すべてに感謝、感謝だったのでは?…
やっぱり感謝できるものと、できないものがあるんだね >>523
感謝感謝って言ったのその人じゃなく私、
全ては法にしたがって生きるだけなんで感謝しかないでしょう。 >>524
ありゃりゃ、話つながってると思ったんだけど勘違いでしたか
失礼しました
> 全ては法にしたがって生きるだけなんで感謝しかないでしょう。
これまったく同意なんだけど、今ここでそれを言うとMK氏にも感謝なのかって思われちゃうから…
前に自分もやりましたw
感謝するのは法に対してであって人じゃないんですよね 良き事があればその事に感謝。
自分に都合の悪い出来事があれば私の業を引き受けてくれた、それをした人に感謝。
誰が悪い訳でも無いんですけどね、此の世は >>526
> 自分に都合の悪い出来事があれば私の業を引き受けてくれた、それをした人に感謝。
いや、
法によって起きたことだからという視点で法に感謝はわかるけど、
法によって起きたことだからという視点で人に感謝はおかしくね? >>86
大変
興味深いです。その発言は動画か文章として保存されてないのでしょうか? >>134
見えてしまっただけでなく、意図的に見せたのでしょうか? >>500
ソースは?テラワーダで仏を目指すって初見だけど >>531
いやいやいますよ、ここでは仏陀といってもいいんだけど、
正自覚者といったほうが厳密かな。
阿羅漢は今世でなれるけど正自覚者は今世ではなれないので
(教義上テーラワーダが残っている間は現れない)
そうとう後、弥勒仏陀(菩薩)が次の正自覚者というのは大乗と一緒。
正自覚者になろうとするお坊様はそれこそ戒律完璧に守るし
頭陀行十三全部やってたりね。
テーラワーダの中でもちょっと特別な感じだね。 >>533
う〜ん、テーラワーダって現代の学術的なやり方と違って
ソースソース言わないから正直そういわれてしまうと困ってしまうんだが
(学者の人はそのやり方でもできるけど)、
とりあえず
http://tipitaka.org/romn/cscd/s0513a1.att0.xml
こことか
http://tipitaka.org/romn/cscd/s0511a.att1.xml
こことか言っとけば良い?
訳は勘弁してね、専門家じゃないから >>534
ありがとうございます。日本語の本には出てないのでしょうか? >>535
う〜ん、注釈書だからなぁ。
ジャータカはなんと全部(!)出てるけど、
他はあったかなぁ。
自分で調べてみて。 >>536
経典には出てこなくて、上座部のいずれかの国の注釈書ということでしょうか?すみません。もう少しヒントください >>537
違う違う、
三蔵はもちろん、注釈書、副注釈書と副々注釈書の大部分までは
テーラワーダのすべての国共通、
それ以降はそれぞれの国のオリジナルのものがある(ごく少数例外あり)。
ミリンダ王のはミャンマーでは三蔵扱い、他の国は注釈書扱いだったっけかな。
アビダンマッタサンガハは副々々注釈書くらいだっけ?
まあとにかく専門家ではないから公の場に書くのは怖いんですわ。
なのでこの辺で。
といって逃げる… >>538
わかりました。ありがとうございます。調べてみます 500>>
南伝菩薩道(英語版で、The Great Chonicle of Buddhas )。
作者:The Ven. Migun Sayadaw.
後、パオサヤドの「菩提資糧」にも似たような説明が。
自分で探しなさい。 500>>
他人に<ソース、ソース>言う前に、自分で勉強しなさいよ。
インターネット探せば、いくらでも見つかるだろ。 アンカーの付け方間違ってるの今後は直して欲しい
>>500 OK
500>> NG
あと付け先もちょっと違うような… パオサヤドの「菩提資糧」は<菩提樹文庫>に載っている。日本語。 お釈迦様じゃあるめぇに瞑想「だけ」では全てはわからんよ
ソース(笑)
http://tipitaka.org/romn/cscd/s0201m.mul0.xml
ここの2番、7つ見出しがあるじゃろ?
瞑想というのはこの7番目なんじゃ
これなら日本語訳があるぜぇ
調べて読んでみるがよい 頭で考えると別々のもの、矛盾した概念に思えるものが
無分別智の視座から見ると、全く矛盾していなかったことがわかったり、
そういったことは、慧が出てくるまで瞑想を進めないと分からない。
思考概念と次元が違うので。 これ以上、苦しむ人が現れませんように。ただそれだけ。 >>551
四禅まで行ってそれからヴィパッサナーやってるんですね。
流石です。 まともなお坊さんかどうかの、日常的な判断基準としては、
戒律を護っているかどうかで判別できると思う。 その為には、在家であっても比丘戒律をひと通り読んで内容を把握しておくことが役立つはず。
別に暗記、暗唱しろとは言ってない。 個人的な意見として、戒律が根付くことなしに、
その先の道が根付くとは到底考えられない。 戒律は難しいから、在家が口を出すべきじゃないと思いますよ。
現実問題テーラワーダの国以外では227は守れないし。
わかりやすい例として服の問題がある。
三衣以外着てはならないが、寒い国では不可能。
神通身につけてでも守れ、というのなら話は別だが(笑)、
戒律の意味がわかってない人がいかにも言いそうな話だ。
お金も、町のお坊さんには現実的に無理。
お付きの人がいればいいが、そのたびに在家に迷惑かけるのは本末転倒。
もちろん在家としてはそれをサポートするべきだと思うのは良いこと。
それぞれの宗派や国によって戒律に関しても独自に決めていることがあるが、
それによって経典は変えられないので、全サンガに周知、
というわけにはいかない。
ここら辺は裁判ネタにもなってるね。
そもそもアーナンダ尊者が従者につく前の二十年間は
戒律といえば「諸悪幕作…」しかなかった。
あとのは誰かがいろいろしでかしたからできたわけだし。
でももちろん戒律を守ることは良いことだし、
戒律を完璧に守っている山で修行するお坊さんを尊敬するのは良いこと。
しかし戒律をもってきて人を攻撃するのは良いこと?悪いこと?
ちなみにパーティモッカは注釈書も読まないと意味わかんないよ。
よくいるんだ、注釈書読まずに適当なこと言う奴。
またソース出す?(笑)
まえ言ってたパーラジカはここな。
http://tipitaka.org/romn/cscd/vin01a.att2.xml
なんのためのパーラージカか、よく書いてある。
そのまた注釈書がここ
http://tipitaka.org/romn/cscd/vin01t2.tik0.xml
経典だけ読んで適当な解釈されても、ねぇ 戒律で人を裁くというより、
仏法で人を騙すことが問題だということでしょう。
今回の事案が示していることは。 戒律を守れないなら、自分がテラワダの衣を脱ぐべきであって、
衣を脱がずにテラワダの戒律を変更するべきではない、という立場です。 どうか五戒と人間としての社会的道徳だけでいいから守って欲しい。
また被害者が出ることのないように。 >>559
そんなこと言うと、日本では衣が着られなくなってしまう。
現代ではどうしても、戒律を厳守すると俗世間と衝突を起こすことがあるんですよ。
だからそういうことができるように在家がお布施して環境を整えてたりするじゃん、
たとえば前に出てたアーチャン・チャーの寺なんて。
だからそういう森林派、というのかな、
そういうお坊さんたちはありがたいんですよ、
戒律を守ることによって戒律を後世に残しているし。
それはあなたのおっしゃるとおり。
しかし法要したり町の家族の問題解決したり子供のしつけしたり
争いの調停したり在家に仏法教えたりする町のお坊さんは
社会のこと知らないとそんなことできないし、
そこでどの戒律までは大丈夫かは本人が決めてるわけではないんですよ。
こういうお坊さんがいないと仏教は滅びるし、
外国となるとさらに難易度は格段に上がるので、
外国でについてはお坊さんに聞けばどこからどこまで、というのは
聞けると思いますよ。
でもこんな環境になったのはここ数十年のことなので、
まああなたのような意見があるのも当然だとは思います。
しかし私はそれより新しいところに仏教を広げることのほうが
良いと思うなあ。
きっと、あなたがもし出家したら在家の相手なんてしてないで
森の中で修行するのに向いているのでしょう。
そういう人がいるのもありがたいことです。 >>559
追加。
前の文、自分で見ても長すぎだね(笑)
なのでこれで最後。
> テラワダの戒律を変更するべきではない
これはその通りですね。
だからパーティモッカは変えないし、
パーリ語三蔵、注釈書、副注釈書他は絶対に変えない。
翻訳だとどうしてもパーリ語の原意から外れてしまうところがあるし、
でも翻訳しないと我々にはわからないから助かるんだけど、
やっぱりパーリ語で変えずに保存してくれてあるから
それが残る限りそこから翻訳すれば意味が変わってしまうのを
少なくとも最低限におさえられる。
それと同様に、明文化されていない僧団の伝統もある。
そこもちょっとわかってあげて下さいな。
仏教を伝えてくれるのは、お釈迦様の時代から続く僧団なんですから。 クムダセヤドーからご意見を頂けるかも。この問題、解決するといいですね。苦しみがなくなりますように。 「戒律を守れないなら、自分がテラワダの衣を脱ぐべき」って部分には決して触れないのなw いや前から不思議なんだけど
この件って何か苦しむ要素ある?
もしあるとしたら典型的な二の矢だと思うんだが…
そういうの受けない様になるのが仏法の実践なのでは? >>561
「だからそういうことができるように在家がお布施して環境を整えてたりするじゃん、
たとえば前に出てたアーチャン・チャーの寺なんて。」
↑
日本にアーチャン・チャーのお寺があるのですか…? 問題は非常にシンプル。
四大戒律違反は、告発側の誤認でない限り、
即時、サンガ追放。
衣など、多少融通がきく部分はある。
タイの山奥の寒い地方の比丘は、衣の下に
茶色のベスト(衣からはみ出さないようなタイプ)
を着ているし、帽子もかぶるし、靴下も履く。
仏陀の時代は時計がなかったので、現代の比丘も
腕時計はNOだけれど、懐中時計を衣の下に
忍ばせている比丘はいる(待ち合わせなどで、
時計は必要かも)。
良心と常識に照らして、戒律を守れないならば還俗
すればよい。
サンガと比丘は、清浄でなければならない。 アビダルマをパーリ語で滔々と説明できても、
いつ出家して、いつ還俗したのか、
正式の比丘なのか、賊住なのか
自分自身の位置づけもできないなら、
何をかいわんや。 >>532
> >>531
> いやいやいますよ、ここでは仏陀といってもいいんだけど、
> 正自覚者といったほうが厳密かな。
> 阿羅漢は今世でなれるけど正自覚者は今世ではなれないので
> (教義上テーラワーダが残っている間は現れない)
> そうとう後、弥勒仏陀(菩薩)が次の正自覚者というのは大乗と一緒。
> 正自覚者になろうとするお坊様はそれこそ戒律完璧に守るし
> 頭陀行十三全部やってたりね。
> テーラワーダの中でもちょっと特別な感じだね。
菩提資糧 p54
生きている仏陀の前で発した至上願だけが効力がある。世尊が般涅槃を証した後、仏塔の前、菩提樹の下、仏像の前、辟支仏の前、または仏弟子の前に発した至上願は、無効である。
要するに現代では不可能ということですな 「比丘達よ。
君達は戒をそなえ、戒条を守って住しなさい。
戒条による防護によって守られ、行為と行動の領域をそなえて住しなさい。
わずかの罪に対しても恐れを見て、もろもろの学処を受持して学びなさい。
それ故に、私達は学ぶべきである
「私達は戒をそなえ、戒条を守って住します。
戒条による防護によって守られ、行為と行動の領域をそなえて住します。
わずかの罪に対しても恐れを見て、もろもろの学処を受持して学びます」と。
私達はこのように学ぶべきである。 >>571
そうそう、その通り。
菩薩の誓願は現代では不可能。
その時点で阿羅漢になる能力があって、正自覚者の前で
「私は将来正自覚者になります」と誓願する。
正自覚者の前での誓願のみ有効。
> 生きている仏陀の前で発した至上願だけが効力がある
ここね。
お釈迦様も、28仏前だっけ、その仏陀のまえで誓願し、
その正自覚者が「こういう名前でいついつに正自覚者になる」と予言する。
それが、それからの26の仏陀のうちの、3分の2くらいだったかな、
同じように予言を受ける。
残りの3分の1くらいの仏陀とは確か会ってない。
第四禅定に入ると過去が見える、っていうでしょ?
誓願を思い出すから、その輪廻の中で修行を積む、
その人たちが今もいる、ということなんじゃない?
または誓願の前に阿羅漢になる能力はつけなきゃいけないから、
その時点で十波羅蜜を完成直前には持っていかなきゃならない
(今世中とは限らない)。
逆に今世で預流果になってしまったらもう正自覚者になるのは無理。
正自覚者になるには三十波羅蜜が必要で、
阿羅漢になるのとは段違いの難易度。
未来永劫正自覚者は無限に現れるわけだから、
現代に正自覚者になる!という気持ちで修行している人は
何人いるかはわかったもんじゃない
(いつか正自覚者になる誓願をするんだ、という気持ちになるのは自由)。
現に弥勒仏陀(いまは菩薩。兜率天にいる)は
お釈迦様のもとで出家していて、予言も受けている。
と、こういう話はすんげぇ宗教っぽいからあんまり話したくないんだけどw
一応テーラワーダの国共通の認識ね。
在家がそこまで知ってるかどうかはわからないけど。 >>573
訳語の違いは突っ込まないでねw
サヤレーのは中国語からだし
私のはパーリ語と日本語の大乗用語のちゃんぽん。
ただ、Buddhaというと仏陀のことはもちろん
正自覚者のことも阿羅漢のことも
(今言うべきではないかもしれないけど外道のグルにも)
指すので(そこは文脈による)、
厳密に訳そうとするといろいろ問題が起こるんだよねぇ。
なのでそこは、ちょっと多めに見てね。
「(厳密に言うと)その単語は違う!」ってのは無しで、お願い… >>569
>パーリ語で滔々と
単語をローマナイズされたパーリ語で並べているだけで、
パーリ語の文法にのっとっているわけでもないし、
パーリ語を話しているわけでもないんだけどね。
>>573
>と、こういう話はすんげぇ宗教っぽいからあんまり話したくないんだけどw
いや、分かるよ。
サマディ経験者なら、分かるでしょ。
そうでないなら、人間の常識の外側は理解不能だと思うけど。 >>575
> 単語をローマナイズされたパーリ語
すまん、俺もそうだ(爆)
ビルマ文字、シンハラ文字、タイ文字(他)のパーリ語はまったく読めない。
ま、もともと文字はなかった言語だから、
ローマ字でも何の問題もないと思うけど
(大きな声では言えないが、ビルマ文字から起こしたものと
シンハラ文字から起こしたものはほんとにビミョーに違う。
ここだけの内緒の話な。ほんとにビミョーな違いだから。
実は第六結集では(僧団内)裁判にまでなった。
在家が勉強するにははっきり言って何の問題もないが、
お坊さん方はそこまで必死になって一文字変えるかどうかで争う、ということ)。
気になる方はこちらをどうぞ
http://tipitaka.org/mymr/ >>576
リンクでビルマ語ってオレはビルマ語わかるんだぞという自己主張が滲み出ててキモい ちなみに >>576 と私は別人なので、憶測で同一人物だと断定して
決めつけられても、ワイはどうしてあげることも出来ない。 >>577
???
どゆこと?
私の頭がおかしくなったのだろうか、
すまん、ほんとに日本語の意味がまったくわからんのだが?
わからんくたってリンクぐらい貼れるぞ?
うちの環境はビルマ文字が出せるんだぜ!ってのがキモいってこと?
うち出ないけどww ローマナイズされたパーリ語でドッサドッサ言われても、ドッサは出ないのに
ビルマ文字のリンクを張られるとドッサが出てしまうの?
やっぱり、破戒僧というか、偽比丘から影響を受けない方がいいと思うのだがなー。
名前を隠した勧誘の仕方にしろ、行いや思考に確実に悪影響受けてると思う。 >>581
ローマナイズにこだわるねぇw
とりあえずすぐにはドッサは出てこなかったが、
パオセヤドーの
https://www.youtube.com/watch?v=jDVtUyzQ_RE
これの最初と、アリヤダンマ長老の
https://www.youtube.com/watch?v=0W2hO7Nr65U
1:00くらいから。
同じこと言ってるけど、発音違うのわかる?
西洋準拠のローマナイズ発音は
シンハラ文字で書かれたパーリ語と一緒に読むと一致。
他の言語はちょっと違う。
それでもそれぞれの言語でのパーリ語発音も何百年の伝統があるから。
それぞれの国の人にローマ字のを見せると、嫌がるよw
日本語がローマ字で書かれているようなもんなんだろうな。
それでも読ませると、ローマ字でもそれぞれの国の発音する。
シンハラ発音に近づけようとする人もいるし。
どうしても嫌ならスリランカのお坊さんから教えてもらえば?
ただ「経」のスリランカだからおそらくアビダンマは教えてくれないけど。 >>583
てっきり禅師だと思ってたぉー
びっくらこきまろ‼ >>573では十波羅蜜じゃなくて三十波羅蜜?、と思いきや、こういう事だな。
大乗目指していないので通り過ぎてた。
23 皆さん、(燃燈仏の許で)誓願して以来の、如来の十波羅蜜・十上波羅蜜・十最勝波羅蜜と
いう三十の波羅蜜、五種の大放棄、世間のための行・親族のための行・仏陀になるための行と
いう三種の行、最後の生の受胎・出生・出家・苦行・菩提樹下の結跏趺座における魔の征服・
一切智獲得・転法輪・九種の出世間法なるこれら一切仏徳を観察し、ヴェーサーリー(毘舎離
)の三重の城壁の間において夜通し護経を誦えられた尊者アーナンダ長老のように慈悲心を起
こし、
24 私たちは、一兆の世界に住んでいる神々がその威力を受け、都ヴェーサーリーで病気・鬼神
・飢饉より起った三種の恐怖を速やかに消滅させた護経を誦えよう。
宝経 ラタナ・スッタ
中村先生の「ブッダのことば」(PTS版)では抜けている。 >>576は何やら秘密めいた書き方をしているが、
伝承の過程で、書写に次ぐ書写で、語彙の脱落、錯誤、etcで各国字版三蔵間にズレが生じ、
結集時にそれらの照合が行われ、その違いを注記書きしているというだけの話だと思ひます。
それぞれの国で経典本文では自国の伝承を優先させて注記に各国版を示しているのでは。
ダンマパダは(コピーさせて頂いた)ミャンマー字版を持っているが、本文語彙中にミャンマー文字で
1,2,3,...と数字による注があり、本文下の欄外に注1はタイ版、シンハリ版では...になっている等、
相違が明記してあります。
(と、思ったがもう読めなくなっています)
因みに「六方礼経」の中の同じ文が、例えばミャンマー字版には否定辞があるのに、シンハリ字版には
無いとか、
「それじゃ意味が正反対になりますね」と突っ込んだら、ミャンマー僧が何か言っていたのは昔。
もう忘れました。
紹介のWEBページには注部分は見当たらないようだ。 >>586
ん?つまりどういうこと??
PTS版と春秋版の注意書きを読んだのね。
勉強することは良いことですわ。
リンク先のアリヤダンマ長老が一番最初に言ってるのがそこだね
(それと似た文言、といえばいいだろうか)。
そこはお経じゃなくて護経を唱える前に言う定型文句なので
あってもなくてもどっちでも良い。
前に出したところもそう。お経ではないところ。
そういうところは実は結構あるよ。
転法輪経の神々の名前のところとか。 >>587
> それぞれの国で経典本文では自国の伝承を優先させて
> 注記に各国版を示しているのでは。
その通り。
なぞめいた書き方した覚えはないが、ここまで簡潔でもなかったなw
> 十波羅蜜じゃなくて三十波羅蜜?
三十波羅蜜のことも十波羅蜜と言うからややこしいんだけど、
ここは間違いないよ。
十波羅蜜、上十波羅蜜、最上(最勝)十波羅蜜。
阿羅漢になるには十波羅蜜を完成させればいいけど
正自覚者になるには三十波羅蜜。
伝統的に祝福するときによく出てくるから。 >>587
> ダンマパダは
ダンマパダはやっかいで、
理由は知らないがなぜかいろんなバージョンがある。
番号が違ったり、vaとかcaとか違ったり。
> 因みに「六方礼経」の中の同じ文が
これは知らない。
そうなの? もうひとつ。
最勝波羅蜜の中に最勝布施波羅蜜がある。
命のお布施ね。
命をお布施しなきゃいけないから、
この面からも誓願してそのひとつの生まれだけで
正自覚者になることはできない。 >>586
すまん、これで最後。
> 大乗目指していないので
みんななぜか大乗を目の敵にするけど、共通点やっぱり多いよ。
無常、苦、無我が違うだけで
(ここ違っちゃいかんやろ!とは思うけどw)、
正自覚者に至る段とかは一緒じゃないかなぁ、
宗派にもよるかもしれない。
でわ。 大乗というより、正定のない、従って慧を欠いた、知識理解だけの形骸化した仏教には、もはや興味がない。
大乗(菩薩)を卑下するつもりは毛頭ない。
ただ、八正道を修めずに、本当に菩薩になれるのか?という疑問はある。 危険ですね。活発化してるし。wiki見れば判断できるだろうけど。 > 大乗目指していないので
と書けば
>>みんななぜか大乗を目の敵にするけど、
と妄想炸裂。
「したがって我々は、今日存在しているゴータマブッダの教えの下で、
正自覚の悟り(Sammaasambodhi)、独覚者の悟り(paccekabodhi)、第一弟子の悟り(aggasaavakabodhi)、大弟子の
悟り(mahaasaavakabodhi)、一般弟子の悟り(pakatisaavakabodhi)という五つの悟りのうち、自分に相応しい悟り
を誓願し、比丘出家の波羅蜜を実践して行く努力をしなければならないであろう。」
[南方上座部仏教儀式集 仏書林 中山書房]
大乗の悟りを目指すか小乗の悟りを目指すかは個人の選択の自由なんだ、と言う事が大乗至上主義者には
理解の及ばない事かも知れません。
世間では「大は小を兼ねる」と言いますが、こと仏教では大乗仏教の中に小乗はなく、小乗仏教と言われて来た
上座部仏教の中には大乗も小乗もあります。この点で「大は小を兼ねず、小が大を兼ねる」のです。
私は大乗(=正自覚者の悟り=仏の悟り)と大乗仏教(小乗を否定した大乗至上主義仏教)とを区別して書く様に
しています。
因みに紹介のWEBページを改めてローマ字版で見ましたが注はありました。対象の語彙の後ろの青字が
注部分で、「六方礼経」もざっと見ましたが該当するものは見付けられませんでした。
第六結集版のミャンマー三蔵を見て話した事なので、数十年前の事ですが細かな記憶違いはあっても
大筋は書いた通りです。時間のある方は調べると分かるかも知れません。 今更ですが、旧法友会に参加して菩提心が目覚めました。
禅師には大変感謝してます。 前にテーラワーダの信頼がどうとか、法友会の合宿よりクムダセヤドー合宿の方が良い食事が取れて〜と言った書き込みしたけど、今思うと過剰反応し過ぎたね。
冷静さが大切 他人の破戒の可能性について
ここまでもりあがれるなんて、どんなけ未熟者の集まりなんだよ、情けない。
何のため瞑想なのよ。
これが東南アジアの仏教国ならサンガの信用問題だから、議論は当然だが、
日本じゃそこまで意識する必要はないじゃん。
合理的な反論がないなら、静かに距離をおくのが、仏教者ではないのでしょうか。 あと、日本人にとっての戒律は、自らの日常の気付きのための きっかけ として主に理解すべきだろう。瞑想の際のみ、気付きを意識してもあかんやろ。
サンガの運営規則 と捉える必要はない。そんなもんは普通の日本人はピンとこないし、悪事さえ働かなければ、サンガなんて関心がないんだから、信用問題もヘチマもないんだよ。
律を守るか否かは完全に個人の問題であり
その上で、学ぶべきものがあれば付き合えばいいんじゃない。 仏教徒とは、三宝に帰依し、仏陀から授かった戒律(最低でも五戒)を守っている人のこと。
三宝とは、仏陀、仏法、僧伽のこと。
そして僧伽とは、戒律を護持する比丘集団のことを指す。
とすると、戒律を守らない個人に隷属することは、仏教徒の基本的な姿勢からはずれていまいか。 サンガに属さない個人が、帰依の対象である三宝のサンガたりえるのだろうか? 南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経 》602 603
多分ネタでふざけて書いてるんだろうけど、一応マジレスしとく。
パーラージカを犯すような人には隷属する必要もないし、帰依する必要もないでしょう。
本人を非難したいなら、面と向かって一度だけ言いなよ。それで関係を絶てばいい。
こんなところで、ゲスイ噂話して自らの品格を堕落させんなって言ってんの。悪業作んなって言っての。
それとね、日本には仏教伝来以来、サンガなんて存在しないの。だから帰依するか否かの基準は、多くの場合、各僧侶の資質によるしかない。
私が日本人にとって戒律は、サンガの運営規則としてとらえる必要がないって言ったのはそういうわけ。
思うに、日本において在家と出家を区分する事が出来るとしたら、それは個人が自らを律するために持戒しているか否かであると思うんだけどいかがでしょうか。 そんなこと言ったって、そもそも本人がテーラワーダの比丘として振る舞っていたからね。
周囲の人間たちも、そのつもりで布施や奉仕をしていたし、戒律への配慮もしていました。 ただの破戒なら個人の問題で済みますが、
彼が行っていることは詐欺行為ですから、そこが問題なのです。 【全部、言っちゃうね。】今頃カルチャー転換ですか?無駄ですねw
http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2691
殺人事件まで起きました。飛び降り自殺まで起きました。
何故?カルトだから。
そこまで凄惨な事件が内部で起こらなければ自身の間違いを正せない?
ここまで来てしまったら、もう終わりなのです。
「幸福の科学」は最初から、教祖親子の嘘で始まりました。
元々は、「中川力=仏陀」「中川忠義=教祖」「中川隆=霊媒」で始める予定でした。
教義内容の概要は、「エメラルドタブレット」のパクリ、
その他、読書で得た知識の継ぎ接ぎによる完全パクリ教団です。
つまり、この教団は、立て直しようがないのです。
教祖は悪魔(裏宇宙の邪神)・ナイアーラトテップの分身に過ぎません。
ライトサイドの軍事魔獣が、政治利用されて、裏宇宙に放逐されたのです。(核廃絶のようなもの)
それが「一千億年の孤独」の意味です。
根本仏に孤独は存在しません。
絶対世界に、二元的思考はないのです。
嘘から始まったカルトを正すなら、原点から正さねばなりません。
つまり、最初から嘘である為、それを正す行為は、全てを消し去る行為となります。
そう、一切合切を消し去らねば、正すことが出来ぬほどの闇なのです、「幸福の科学」は。
信者さんたちよ、職員さんたちよ、皆さんが善良な人間としてとるべき態度は只一つ、
退会すること、この間違ったカルトへの信仰を捨て去ること、完全に縁を切ることです。
それしかないのです。
そして、それが正しい判断です。
大川隆法は
悪魔(裏宇宙の邪神)・
ナイアーラトテップの分身です
仏陀ではありません
宇宙神ではありません
エル・カンターレなど存在しません
そもそも地球系霊団最高大霊
というポストもありません
息をするように嘘を吐く大川隆法は
只の「魔物のキレッパシ」に過ぎません >>608
面と向かって言うか、黙って距離をとるかは、人の自由で、どっちが正しいとかじゃ無いでしょ
噂話のことをゲスいと表現するとか感情入りすぎじゃないの
その感情も業の駆動力ですよ >>608
× 比丘の破戒
○ 偽比丘による詐欺
当初、比丘の破戒問題(パーラージカ問題)として出発した本件ですが、
実際に起きていることは、偽比丘事件であって、詐欺行為ですから、
防犯のための注意喚起の呼びかけが為されている
そういう風に理解して下さい。
問題の捉え方そのものが違うのです。 》613
承知しました。
自分は日本でサンガなど成立するはずがないとたかをくくっていました。皆さんが真剣にサンガに向き合って活動してるとは思わなかったのです。
それとこうした掲示板のイメージやかつて出会ってきた僧侶の程度の低さが相まって、皆さんがゲスイ噂話に行じてると勘違いしてしまいました。
お許しください。
ただ、信用問題である以上、注意換気の呼び掛けは不可欠ですが、「深淵を覗くものは深淵にまた覗かれている」事には自覚的になった方が良いかもしれません。
自ら堕落を招かないようにご精進下さいませ。 あと、偽比丘詐欺事件なら、雑誌のサンガや可能なら、大手メディアに事の顛末を表明した文章を掲載してもらった方がいいでしょう。
社会的な了解事項として残しておかないと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています