救われるべきはキリスト教徒ではなかろうか
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彼らカトリック勢力は大航海時代でのインディオや
アフリカ、アジアでの虐殺でもう天国への階段を失った。
そしてプロテスタントの宗教改革でその信条といえば、
イスラムのモノマネしかできない戦争中毒国家になってしまった。
彼らを救う手立てはもうキリスト教にはない。
真に宗教的に救われるべきは現代のキリスト教徒なのではないだろうか。 聖 書(作り話)を 信 じ て る 馬 鹿
195コメント スレタイの救われるべきというのは確かにそうだけどそれは無理
なぜなら
デタラメを真理だとうそぶいて教団を運営し始めたその瞬間から嘘を守る苦行が始まるから
神の名を騙ってるならなおさら後戻りできない
神の権威というのは無知なバカ信者相手には絶大なんだろうけど諸刃の剣でもある
間違いを認めるということは神を否定することになるからそれはできない
教団の権威が揺らいでしまうから教義に間違いや誤りがあっても後から修正できない
正せないから間違いだらけのまま突っ走るしかない
「神は人間を創造した後に恐竜の骨を地中深く埋めた」
どんなに笑止千万な苦しい言い訳であってもつじつま合わせのために嘘で嘘を塗り固め続けるしかない
宗教が説くように嘘は罪だというならキリスト教は(もちろん他の宗教も)すでにとてつもない罪を犯している
救われるには改める必要があるがもう引き返せないところまで来てるので改められない
つくり話の迷信を神の権威でデコレートした時点で未来永劫続く罪が確定してしまったということ パウロが意味不明の膨大な書簡で言っていることを一言でまとめると
「馬鹿野郎コノヤローくたばれ!」
となる。
パウロは、感情が先走って論理が無茶苦茶になるところは日蓮に似ている。
しかし思想そのものは親鸞にそっくり。
摩訶不思議な野郎だねwww パウロ
「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたち(パウロとパウロの信奉者)が、あなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。」 (ガラテヤ1・8-9)
日蓮
忍性(良観)が住職とするお寺が火災に遭った時。
『王舎城事』
今生に法華経の敵(忍性のこと)となったから、皆の人の見せしめとするようにと梵天・帝釈・日月・四天等に申しつけてあったのです。私が法華経の行者であるか否かはこの火事の一件をもって見ればあきらかです。 パウロ
「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」
(コリントT 11・1)
日蓮
『十一通御書』「わたしは日本一の宗教家です。お経の中でもわたしのことを第一人者と呼んでいます。わたしは外国の侵入軍を撃退できる大将です。あなたはすぐわたしの弟子になりなさい」 アガペー愛がわかるかわからないか
創造主にアガペー愛があるという事に信仰を持てるか持てないか
そこが救われるか救われないかの違いになってくる アガペーとは、「愛」を意味するヘレニズム時代のありふれたギリシャ語の名詞。
よって「アガペー愛」は「マウンテン山」や「アイランド島」と同じく、重複表現。 >>645
使えないAIみたいな事言ってないで少しは考えろ
その調子だと親からも愛されなかったようだな >>646
気に食わないことを言われたからって、すぐに発狂するなよ。
自分の書いたレスをもう一度じっくり読んで見ろ。
論理的に滅茶苦茶だぞ。 >>647
アガペー、ストルゲ、フィリア、エロス
そのうちのアガペー愛が非常に難しいという話だ
意味わかってないなら無理にレスしなくていいよ そもそも多神教の方が良い
始まりも終わりもないんだから… キリスト教の他にも宗教はたくさんあります。
楽園なんて他の宗教でも神話でもたくさんあります。
神様は沢山いるし、他にも宗教はたくさんあります。
聖書の神様だけを信じる必要はありません。
聖書じたいが改竄された偽りの書物であり
現在のキリスト教に救いがあるかは分かりません。 >>653
誰に言ってんの?最後は分かりませんで終わるし。
おまえにはね、芯がないの
1番中途半端なんだよ、愛でも信仰でもビシッと確かなモノを持たんかい まあ>>653の意見がド正論だわな
聖書の神なんぞ自在性も何もあったもんじゃないし >>655
愛の無い自在性はエゴだよ、周囲の人を不幸にする
旧約聖書などは愛とエゴの違いすらわかっていない 今、霊的な目で二千年の風景を振り返ってみると、
そのベツレヘムの小さな農家の馬小屋のなかに、
聖霊の光が燦爛と輝いているのが見えます。
何と清らかな、何と聖なる夜でありましたでしょうか。
12月24日の夜は。外には、雪が降っておりました。
午前中から雪が降りはじめて、かなり大きなボタン雪となりました。
そして、夕方の五時半頃まで降ったでしょうか。
大きな雪だったので、地面に十センチぐらいも積もりました。
そうした夜にイエスは生まれたのです。寒い寒い夜でした。
まさに、聖夜そのものでした。
そして、天上界からは、祝福のメロディーが
色々と奏でられたのです。
私は、その情景を今でも目にありありと思い浮かべることができます。
(大川隆法) >>648
相変わらず支離滅裂で何を言いたいのか不明な書き込みだが、要するに俺を応援しているのか?
俺は>>645で
>アガペーとは、「愛」を意味するヘレニズム時代のありふれたギリシャ語の名詞。
と書いた。
もっともありふれたものが、その意味内容を尋ねようとすると最も難しい。
「聞かれなければ分かっている。しかし聞かれると答えられない」典型が「愛(アガペー)」だ。
ありふれているが故に、一番難しい。それはまさにその通りだ。俺も賛成だ。
ためしに数種の国語辞典で「愛」を引いてみればいい。バラバラな答えが書いてあるから。
言語学者の鈴木孝夫だったかが言っていたが、「石」はありふれている。そしてそれゆえに「石」の定義は極めて難しい。
あとは、用語法の問題だけれども、君の言う「アガペー愛」をギリシャ語に翻訳してみな。絶対にできないから。 >>658
エロス(eros)
エロスとは、本能的な愛、肉体的な愛、主に男女関係における愛のことを指します。 求めるかのような男女の間の恋愛を表す愛の概念です。
フィリア(philia)
フィリアとは、友人の間の友愛のことを意味します。 友人の間での友情、信頼や結束、連帯感などを表す概念です。
ストルゲー(storge)
ストルゲーとは、親子や兄弟の間の家族愛のことを指します。 血縁に基づいた強い家族愛を表す愛の概念です。
アガペー(agape)
アガペーとは、無条件の愛、無償の愛を意味します。 キリスト教的な自己犠牲をいとわない博愛主義を表す愛の概念です。 >>658
他の3つと違いアガペーが難しいと言っている
見返りを求めない愛、無私の愛とも言われる
キリスト教世界は二千年間アガペーとは何かと考え続けて結局わからなかった
見返りを求めなければやっていけない生きていけないのが我々だ、わからなくて当然なのかも知れないがイエスは万物の父である創造主はアガペー愛であると教えた、それをキミに考えて欲しかったのだ 今、霊的な目で二千年の風景を振り返ってみると、
そのベツレヘムの小さな農家の馬小屋のなかに、
聖霊の光が燦爛と輝いているのが見えます。
何と清らかな、何と聖なる夜でありましたでしょうか。
12月24日の夜は。外には、雪が降っておりました。
午前中から雪が降りはじめて、かなり大きなボタン雪となりました。
そして、夕方の五時半頃まで降ったでしょうか。
大きな雪だったので、地面に十センチぐらいも積もりました。
そうした夜にイエスは生まれたのです。寒い寒い夜でした。
まさに、聖夜そのものでした。
そして、天上界からは、祝福のメロディーが
色々と奏でられたのです。
私は、その情景を今でも目にありありと思い浮かべることができます。
(大川隆法) >>659(=660)
>アガペー(agape)
>アガペーとは、無条件の愛、無償の愛を意味します。 キリスト教的な自己犠牲をいとわない博愛主義を表す愛の概念です。
残念ながら珍論・奇論にしか聞こえない。キリスト教徒以外は愛することができない、とでも言っているようだ。
それでは、イエスの時代のギリシャ語で、上に引用したような特殊な意味でなく、ごく普通の意味での「愛」は何と言ったの???
(馬鹿らしいので、先回りして答えを書くと、「アガペー」と言ったんだよ。もしも違うんだったら反論してくれ。)
なお、時代を下って現代ギリシャ語でも、ごく普通の意味での「愛」は「αγαπη」と言う。
(但し発音は「アガピ」。)
そもそも、イエスの時代のギリシャ語話者の庶民が、ごく日常的に「愛」を語るときに、
そんな神学者がこねくり回したような珍無類の概念を表す言葉を使う訳がないだろう?
あの時代のギリシャ語話者は恋愛ひとつ普通に出来なくなるぞ。
あ、そうそう、あと一つ、「アガペー愛」って、ギリシャ語で何て言うんだ? >>661
見事な自分ageと自己陶酔のサンプルだ
クソカルトの教祖の頭の中ってこんなんなんだな おそらくは旦那とセックスするまでは処女が
処女妊娠に神格化されたんだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています