救われるべきはキリスト教徒ではなかろうか
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彼らカトリック勢力は大航海時代でのインディオや
アフリカ、アジアでの虐殺でもう天国への階段を失った。
そしてプロテスタントの宗教改革でその信条といえば、
イスラムのモノマネしかできない戦争中毒国家になってしまった。
彼らを救う手立てはもうキリスト教にはない。
真に宗教的に救われるべきは現代のキリスト教徒なのではないだろうか。 キリスト教の神は邪神だよな
完全に邪神とサタンのマッチポンプだわ
マッチポンプ邪神と言っていい
キリスト教は絶対に一匹たりとも救われない ヨブ記を読めば分かる。
神とサタンはズブズブのお友達。 父=子=聖霊とサタンは表裏一体でコインの表と裏だよな
本当にユダヤ系宗教は邪悪だわ 最近疑問なんだよ
よく考えると神の裁きっていうのがやばい
それは言い換えれば私心と偏見でもって自分の気に入らない態度の人間に徹底して苦痛を与えて嫌がらせするってことだから
従順になるまでやるからなオイつって
これは「天罰」という考え方にも因果応報とかカルマっていう思想にも中国の「天網恢恢疎にして漏らさず」にも同じことがいえる
災難にあう人は前世の悪行の報い
癌や難病で苦しんでいる人もみんな悪人
悪いことをして神から裁かれて見捨てられてひどい目にあわされた結果、になってしまう
そこには愛とか憐みとか慈悲とか全くない
神や天や宇宙の法則的なものは自分の好き嫌いで簡単に人を殺す身勝手な独裁者
それを恐れてびびって恐怖でもって自分の行為を改めふるまいに気を付けるのが「善」であり「清らかな心」
独裁者のご機嫌をとるために感謝(笑)とかいってわいろを渡す行為が信仰
なんか違うと思う
どこの宗教にも救いなんかねえよ
じゃあ何が正解なわけ?といわれると全くわからないけどね Facebookで神道や仏教をシェアすると、欧米人がすごく反応する。 フリーメイソン、ユダヤ系宗教、暗黒は救われるべきではない
邪悪だ 黒いものを眷属にする神はぶっ殺されて地獄に堕ちろ、糞野郎
はっきり言って闇の子や糞土人には天国は用意されていない 監督不行き届きの責任者が無責任に地上に追い出した結果
大体神のせい 救われるのは真の主たるキリストの様な者だけであり
ヤハウェ=エホバ=アッラー=デミウルゴスは地獄に落ち
人は塵となって消える 全ては害であり不要物でしかない
人は本当の意味で救われる 16世紀に欧州を出発したキリスト教徒によって、、
アメリカ大陸のインディオやアジアの人々は組織的かつ、
意図的な絶滅政策に遭った(大航海時代)。当時のキリスト教徒
いわく「聖書を読めない奴は奴隷にしてもよい」のだとか。そして
彼らキリスト教徒はアメリカ大陸、アフリカ、アジアで
凄惨を極める殺人と性的搾取を開始する。しかしここで
疑問なのは、なぜそういった被害を多く受けた南米やポリネシアなどの連中が、
預言者イエスの再臨(キリスト教)なぞを信じているのだろうか?
彼らを殺し、略奪と強姦とペテンと疫病を広めた欧州のキリスト教徒を
イエスの再臨で地獄に落とすためなのだろうか?
この辺はどうなのだろう。なぜ彼らは欧州人の絶滅政策を放置した
預言者イエスを信じているのか。 私は個人的に、キリスト教徒達によって破壊された(それ以前は
イスラム教徒が奴隷狩りをしていたが)アフリカの人たちや、
人類の遺伝子的には絶滅してしまった南米のインディオの人たち、そして
白人により「発見」されたポリネシアの連中が、真っ白な
十字架を飾ったキリスト教の教会に一生懸命に通い、預言者イエスの
復活を求めて祈りを捧げている風景にものすごく嫌なものを感じる。
彼らは何に、何を祈っているのだろうか?
白人の神父が聖書を読んで、原住民が十字架にひれ伏す。
おいおい、それは逆だろう。おまえたちの先祖を虐殺し、女を犯し、
土地や言語を奪い、
おまけに宗教まで破壊したやつらの神を、なぜ祝うのか?
キリスト教徒なぞお前らをそもそも人間としてさえ思ってないのに。
彼らに対しこんな違和感を持つのは私だけだろうか。 加害的で不愉快な存在が神wwwww生意気すぎるだろヤハウェッホバッカスwwww まああれを放置してた事だけを見ても、少なくとも彼らの思うような存在がいない証になるだろう 日本人はこういう歴史を知っているのならたとえば、
「大航海時代」なんて呼称を用いるべきではないし、
サミットなる会合にも参加すべきではない。日本人は
敗戦後に白人の新植民地政策に加担していると、
他の有色人種の人々から思われていることを
知らないのだろうか?本人は知らなかったつもりでも、
アメリカなどが衰退した場合、他の人々から白人の
支配と暴力の強力な援助者として日本が振る舞ったと
いう歴史と記憶が残るのだ。冗談じゃないよ。 そして相も変わらずイエスの復活なぞを信じてる、南米やアフリカの
人たち。私は人様の宗教に口を出すようなことは慎みたいが、
本当に理解に苦しむ。キリスト教徒に祖先が根絶やしにされ、
女を犯されて生まれたのが彼ら南米・アフリカ・ポリネシアの
キリスト教徒の人々なのだ。おまけに人種差別までされて―
ところで、旅行本なんかでそれら南米などの地域を紹介するのに必ず
「この国はヨーロピアンの混血が〜%です」みたいな書かれ方をされている。
凄惨なキリスト教徒の暴力の結果を知らせたいのか、あるいは
まともな人種が多いですと言いたいのか、一体何のために
こんな数値を知らせるのだろう?自分たちの血さえも愚弄されてもなお、
イエスの再臨など信じる理由はなんだろ。本当にキリスト教というのは救われない者の
宗教だと私は思う。 レビ記には
「女と寝るように男と寝るものは死ななければならない」と書かれており、
キチガイキリスト教はそれを根拠にLGBTを差別するんだけど、
同じくレビ記には
「親に逆らう子供は必ず殺さなければならない」
と書かれているのに、キチガイキリスト凶徒はワガママだから、
約束を守らず反抗期の子供を殺さないんだよなあ。
地獄に堕ちること間違いなし!
あとすき焼き食うこと、化繊二種類の服を着ること、
野菜を二種類以上育てることも、タブー。
日本人は自動で地獄に堕ちるんだよなあ。 >>24
そりゃヤハウェ=エホバのした事を考えれば理不尽だしそうなのかもな あきらめろ。
1946年、いわゆるこの国の元年に、おまえら、すなわちバアルの国の民は
イエズス様に、アメリカという道具を使ってではあるが、ツボを、秘孔をと言っても
いいのだが、突かれているんだよ。
それが、じわじわと効き始め、英語ではact uponという熟語を使うけれども
つまり、それで、キリスト者に八つ当たりしたくなる者もでてくるであろうことは
予測がつくというものだ。 キリスト教は本当に救われない宗教だ。
世界中で虐殺をして今の地位を築いた
欧米白人のキリスト教徒たちは、一体なぜ
キリスト教徒で居られるのだろうか。 「大航海時代」以後、キリスト教徒の
侵略を受けた側が、侵略者側の信じる宗教を強制的に信じることになった。これは
ムスリム(聖書の神に絶対服従)の教義と同じだ。曰く「異教徒は
ムスリムになるべく折伏すべし。逆らうものは皆殺しにせよ」の精神ですよ。しかし
なぜ「汝の敵を愛せよ」のキリスト教がこんなことを
言い出すのか・・・・・・・・ 大体神秘体験というものは見えないうんこが付いてましたという話 かつてキリスト教徒によって奴隷化(文字を読めないものは奴隷にしてもよい)に
遭った地域がなぜ、キリストなど信じるのだろうか? 欧州から出立したキリスト教徒がある日突然、我々の島にやってきた。そして
我々を遠くから撃つ杖(銃のこと)で殺し、捕まえた女を「劣った人種を
優生人種にするため」という理由で犯し、子を産ませ、そして彼らは
よく目立つ高原に真っ白な十字架を立ててこう曰わった「罪深き汝ら、
その罪を認識せよ。そして救世主・イエスが復活する日を信じよ。
悪しきものは地獄に落とし、善良なものは天国へ昇らせるであろう」である。 我々は植民地化の中で「キリストとは悪魔の使いなのか?」と問うた。
そしたら彼らは「違う。正義の神だ」という。
ではなぜこんなひどいことをするのかというと
彼らは「祈りなさい」という。 土人「何に祈ればいいのか?」
キリスト教徒「神とその子(イエス)と精霊にです」
土人「何を祈ればいいのか?」
キリスト教徒「あなた達が救われるために」
土人「救われるとは?」
キリスト教徒「天国に行くことです」
土人「天国にはあなた達が行くのか?」
キリスト教徒「もちろん」
土人「なら我々はそんなのは信じないほうがましだ」 イエス・キリストは悪魔と天使に
そそのかされ死んだ
ただそれだけ キリスト教徒が虐殺や略奪を恣にした場所で原住民に
キリストの救いを説くその了見が、仏教徒の私には理解できません。
なぜそれらキリスト教的に救いがたいことをし、今も
植民地にして征服したまま(あるいは保護領という実質的な植民地)で
原住民を豊かでない土地に追いやっておきながら、
キリストの再臨などを信じろというのか?
キリスト教徒は何を狙っているのだろう。
キリストが再臨でもしたら、征服者のキリスト教徒はどうなるのか。
考えたこともないのだろうか。 現在も偉そうに、といえば失礼なのかもしれないが、バチカンの教皇が
世界中を説法して回っている。彼の話を思いっきり省略すれば
「キリストを信じればうまくいく」ということだ。確かに彼らの信徒は
うまく行った。世界のすべてを征服し、人種差別までして。だけど、なぜそれを、
なぜそんな事を犯した土地で行えるのか?私には不思議でならない。
虐殺者を放った教皇など
刃物で殺されてもおかしくないし、生卵を投げつけられたって同情されまい。
事後的に教皇庁はコンキスタールの略奪行為を認めてたのだから。
だがなぜかおかしなことに、侵略された側の原住民が、こんな
与太話宗教を信じているのだ。
どういうことだろう?まず教皇側は実は原住民を馬鹿にしてるのではないだろうか?
「俺達はこんな非道な侵略をしたが、なあにアイツラは文字ももたないウスラ
バカだ。一つありがたい教えでも広めてやろう」 非常に無礼だが、私にはそうとしか思えない。そうでもなければ
たとえば原爆を落とされてキリスト教徒に虐殺され、征服された「直後)
アメリカの兵が強姦や略奪を行っていた最中)」の日本に、
改めてキリスト教を布教に来る宣教師など、良心があればいないはずだからだ。 かつてのキリスト教徒は「救世主など待てんのだ」とばかりに挙兵し、
挙げ句世界中を征服し、キリスト教的な天国への階段を失った。
そして非征服地において、なぜか虐殺側のその行為を正当化させる
精神的主柱であるキリスト教徒の教えを信じている現地の人達。
両者ともに救われないと考えるのは私だけだろうか?
キリスト者側からの反論を望む。 >>42
いや単に彼らが蛮族と呼ばれていた頃の本能を正当化する為のものでしかないよキリスト教なんて
殺して奪う これが彼らの本質で抑えられない
だからそれでいいんだよって言ってくれる神様を自分たちで作った
そしてそれ以来、以前と同じようにずっと殺して奪い続けてる >>48
いいえ 子と呼ばれるものつまりキリストの魂だけが真実です
三位一体など寄生虫の戯言です 仏教徒として、などと上から目線でしたね。仏教徒も宗教的理由から
積極的に戦争と政治に参加し、殺戮を行っていたのは我が国では
鎌倉時代以降有名な話だし、仏教徒だけが倫理道徳的に優れているなどと
言うつもりはない。現代では石原莞爾などが法華経の理想を実現するために
支那を侵略しているし、公家側の浄土宗と武家側の禅宗に別れた日本は、
欧米で例えればカトリックとプロテスタントの抗争の先駆者でもある。 だが流石に殺した場所で「我々の神を信じれば救われる」と
組織的に日本の仏教界が布教したという話は聞いたことがないし、
それを信じている人たちがいまだに現地に存在している、と
いうのもまた聞かない。中共や南北朝鮮が戦後に主張している
政治的な流言は別としても。もし、そんな話があったら仏教界とて
同じ穴のムジナである。かつての日本国内では宗派の争いを政治家に
持ちかけ、戦争の勝利で以て公的宗教としてこれを都合良く広めるという
運動はもちろんあった。信じなければ救われないと積極的に
活動している日蓮系の宗教だっていまも相変わらず同じことをしている。
だが殺害した場所で信じろ、とまで言ったかどうかは・・・・
アイヌの場合はどうでしたっけ。アイヌの伝統的なカムイ信仰は
強制改宗させられたと敗戦後にマルクス史観がこのように
唱えていたような気がしましたが。 >>47さん
ところで私は「白人を宗教や政治の話で誹り続けろ」といった論は持っていません。
というかなぜ近頃の連中はそういう過去の否定的な事実に対し、
白人にだけ突っかかるんです?同じような人種差別をインドは今もしているし、
最近はなぜかアフリカ系の人たちがアジア系を差別している(この話は
俺も内心当然だと思っている。アジア系の欧米での生き方はとても尊敬されるような
ものじゃないからだ)。
なぜ白人にだけそんな話をするのか? それは俺を含めた有色人種のすべてが「白人だけは倫理道徳的に
可変的であって、未来に期待できる人種だから」と心の片隅でそう思っているからだ。
だからこういう宗教や過去の虐殺で彼らに石を投げ続ける。インド人やアフリカ系には
言わない。期待できないからだ。白人だけがまともだと、本心はそう
思いっているから白人だけ突くのである。私は本来一神教や白人と自らを
分類しているような連中は>>47さんが指摘しているものだと普通にそう
捉えている。それらは彼らの宗教であり、性質だからだ。そして私は白人なぞに
一切期待しない。そういう宗教を千年以上に渡って信じてきた連中にそれを
やめろというのは、むしろこちらが彼らと同じ正義の味方病に罹っていることを
証明するだけだからだ。私はこのスレで言いたいのは、現在のキリスト教徒は
その教えから見て救われないはずなのに、なぜ、未だに信じているのか、というその
一点だけです。 あともう少し。
カトリック教皇は近年ナチスがどうのこうの、といった話でユダヤ人に
謝罪した。十字軍の蛮行も。だがおかしなことにインディオの虐殺や有色人種を植民地にしたり、
奴隷貿易(イスラムもしてた)をしたことについて謝罪したという
話は聞いたことがない。
と思って探してみたらこんな記事
【国際】中南米征服の歴史「謙虚に謝罪したい」 ローマ法王(朝日)[7/11] [転載禁止]©2ch.net
1 :のり弁当大盛り ★:2015/07/11(土) 10:35:33.50 ID:???アスンシオン=田村剛
2015年7月11日05時43分
南米を訪問中のローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は9日午後、ボリビア東部サンタクルスで、
15世紀以降のスペインなどによる中南米征服の歴史に触れ、「謙虚に謝罪したい」と述べた。
教会の布教の一方で先住民の虐殺や奴隷労働があった負の歴史について、歴代法王より踏み込んだ
表現で謝罪した。
先住民団体の代表らを前にした演説で、法王は「神の名の下に、先住民に対したくさんの深刻な
罪が犯された」と発言。「はっきりと言いたい。アメリカ大陸征服の際、先住民に行われた
犯罪行為について謙虚に謝罪したい」と語った。
会場には、先住民出身のボリビアのモラレス大統領も同席。会場は大きな拍手に包まれた。
一方で、法王は「先住民の側に寄り添って布教を続けた司教や司祭がいたことも覚えていてほしい」
とも付け加えた。
スペインやポルトガルによる中南米の植民地化の歴史では、キリスト教の布教が強く関わった。
1992年には、当時の法王ヨハネ・パウロ2世がドミニカ共和国で過去の征服を謝罪した。
(アスンシオン=田村剛) 謝罪したい、・・・謝罪「したい」ね。これは法的に教皇庁などの
これからの態度を拘束するといった、効果のある謝罪だったのだろうか?
それと「先住民の側に寄り添って布教を続けた司教や司祭がいたことも覚えていてほしい」
って、なんだろうこの上から目線。先住民からすれば「ご主人様が我々のことでお悩みになろうが、
幸せになろうが、とっとと出ていってくれ」なはずである。やはり
根本的には彼らキリスト教の司祭に「先住民みたいな薄ら馬鹿にこんなことをして何が悪い」という
思想があることがわかる。
こんな与太話宗教をなぜ南米やインド、そしてアジア各地、アフリカなどは
信仰しているのだろう。理解出来ない。 >>54
キリスト教離れってのは、
アメリカであった。
ヒッピーってのもその一つ。
東洋思想に傾倒した西洋人はいた。
とっくに、キリスト教は呆れられた。
ただ、キリスト教の異常さに気が付いた人は、
アンチキリストとして悪魔のレッテルを貼られるから、
何とも迷惑した。
それを意識して、
インド教やタオイズムや仏教や神道などに染まる事で、
アンチキリストではなく、
キリスト教とは別の○○だ!と主張した。 もはやキリスト教や白人に敵対するアンチイエス、666、サタン、ルシファーのほうが正義に思える
救われるのはキリスト教や白人ではないものだろう フリーメイソン、キリスト教など白人とユダヤ人よ、お前たちは月や宇宙ステーションや北極やエベレストに行き旗を立てがそこに座をもうけ住もうとゆーのか
アーメン、あなた達は地底にある地獄に堕とされそこが永遠の住まいとなるだろう >>57
違うと思う。
よりたちの悪い形でキリスト教が復活したのでは?
ヒッピーなんてあくまで白人至上主義の延長線上にいる若者にすぎない。
なぜってそれは
「自分は白人でありながら、東洋人なんてくだらない人種を理解できている」という
天下り的な想いでいい気になっているだけだから。その証拠は
白人のどこかの歌手と「アジア人の」女のつがいがなぜ、それらの
連中の精神的主柱であったのかでわかる。その逆、白人が女性で
アジア人が男性なら絶対にこうはならないからだ。それは
白馬事件になるだけだ。あくまで白人の身分から降下してしまった
堕落の快楽がヒッピー文化の意味なのである。 人種も何もまともな奴とそうでない奴がいるだけだ
そしてまともでない奴が圧倒的多数というだけだ >>60
そりゃ、
大衆文化の批判とその根底にある分析の悪い側面と良い側面の分析がなきゃね。
初めから白人憎しがあれば、
彼らがキリスト教に縛られて息が詰まり、外に出た事実を、悪い側面の事例だけでみたら、
貴方にあるねは、
白人は何処までも傲慢で差別主義で、
悪だと言いたいだけになる。
クリスチャンなんてものは、
既に流行らないよ。
日本人が神道だ!って外国人から見たら思うだろうが、
真剣に神道教徒をやってる日本人は少ない。
なんとなくお祭り、
なんとなく初詣。
キリスト教と白人を批判するのは良いけど、
白人全員を悪いと考えたら、偏見だよ。 白人憎悪ではないですね。前も言いましたが白人にだけ
道徳的な振る舞いを求めるものは、白人に期待をしているだけだ。
他の人種ではだめだが、白人ならできる、そういう深層心理がある。
ある意味でそれこそ白人至上主義者なのである。それと
彼らが傲慢で独善なのはそのとおりですよ。なぜならそれが
彼らの根本宗教だから。一神教はみなこんな感じですよ。
インドにおけるイスラムだって同じ。「自分以外はみんな間違っている」
という考え方でイスラムは生きている。キリスト教のプロテスタントは
イスラムの活き方に影響を受けているのですよ。だからこそ
平気で戦争のときに「神」という言葉を使って正当化する。これは
そもそもイスラム教のやり方なんです。キリスト教が侵略戦争で
神意をこじつけるなんてことはまずない。なぜならそんなやり方を
イエスは良しとしていないから。 >>63
八葉蓮華の教え。
白人でも善人もいれば悪人もいる。
キリスト教の良い所もあれば、
悪い所もある。
一点だけに絞って、
白人は皆が傲慢だとか決めつけたらダメだよ。
キリスト教は異常なカルト。
でもキリスト自身は正しいとか言ってるの?
キリスト教は×
キリストも×
キリスト教の神も×
白人も×
って感じなの?
貴方の考えをまとめて教えて♪ 白人という妄想に基づく分類に従い、そう自称している者たち(最近は
アーリアンと言い始めた。白人と同じ意味)は
ダメですよ。これは近代的人種差別の分類ですもの。ちなみに
古代の人種差別はインド世界におけるヴァルナですね。同じく肌の色が
薄いものが黒いものより優れているという思想。白人至上主義は
インドを征服した英国がこれに影響を受けて進化論と共に人種の
優劣を唱えたとか。当時の人種優越論はまた科学的な思想でもあった。
そしてキリスト教はダメ、といか、あんなの龍樹の教えがユダヤ人の
救世主思想に結びついただけで、あまり高度な宗教とはいえない。
浄土教と同じ流れにすぎない。別に信じようと信ずまいとどうでもいいですよ。 「救世主が現れて天国と地獄へ振り分ける」という
教えはゾロアスターの善悪二元論→龍樹の信じれば救われる教→浄土教(誰でも天国)
→キリスト教→イスラム教
という感じに分かれただけです。
そして現在のキリスト教は思いっきり矛盾している。誰よりも
積極的に人殺しをするものが、誰よりも信じている。そして信者の
そういった行為(戦争中毒)をやめさせられない限りにおいてダメな宗教と言える。 当時のユダヤ人がいうイエスの復活神話に関して私は独自の論を持ってるんだけど、
言わない。イエス自身はなにかの神輿だったとだけ。
それでキリスト教の神はまた旧約聖書の神でもあるわけで、アメリカマンなどが
戦争を正当化する際に「神によって云々」と唱えてるときの神はこちらの神なんでしょう。
だからこそ私はプロテスタントはイスラムの二番煎じに過ぎないと
言ってるんです。イスラムもまた神によって戦争と破壊を正当化するからだ。
そういう点で彼らの神を彼らが信じようと信じまいと私には関係ないです。
悪いとか良いとかといった話は無関係。 フリーメイソンだろうがキリスト教だろうが白豚は鬼畜、畜生なので地獄に堕ちます 私自身は神を信じてます。そうじゃないとこの世が存在することに
説明がつかないから。そして、この世に来てしまったのは自分の意思であって、
神様は関係ない。神はこの世を創ったが、私に来てくれなどとは
おっしゃられていないと思うから。私が勝手にやってきて、この世の
楽の実を食い、苦しみを得、また楽の実を食い苦しみを得、その繰り返しに
なっているのは自分のせいだ。神様は関係ない。 >>69
>私自身は神を信じてます。そうじゃないとこの世が存在することに
>説明がつかないから。
この世は誰かが造ったのでなければ存在しない、というなら、神も誰かが造ったのでなければ存在しない。
神がおのずから存在する、というのなら、この世がおのずから存在するのもまた当然の道理である。 そう考えると自分自身が神なのだ、という結論に達することさえもありえます。
私があるから、この世がある。私は過去の私を追いかけてるに過ぎない、と。 この神の後退(この世を造った神を、造った神、を造った神、を造った神・・)は
神なる存在は自分自身さえも造った、ということで決着がつくかもしれませんね。
この世の無始無終はそういう構造からなる宇宙を誰かが造ったことによって成立し、
それ以前は混沌であり、順番の前後、存在の有無など関係ない世界だった。
道教だとこのようにこの世の始まりを捉えてましたっけ。 私は前もどこかで主張したことがあるけど、
この世は誰か(普通は神さまという)が
混沌(物事の順番も物理法則もめちゃくちゃな状態)から
この世の物理法則や時間などを設定したんだと
考えてます。たとえば無始無終を表すのに車輪がよく
たとえとして使われますよね。車輪には前後がない。
同じようにこの世にも始まりも終わりもない。輪っかになっている。
そしてその時空の車輪は、混沌さんの身体からそれを
構成する部品を誰かが取り出して、
組み立てて、創り出したんだと。それをこの世というのだと。
私はそう考えてます。この説だと無始無終や神の後退も
明らかにすることができるでしょう。どうでしょうか。 そのような設定の違う様々な宇宙があると仏教やバラモン教では
早くから唱えられましたよね。そしてこの私達が住む宇宙はシャカの
世界だとか維摩経で書かれてました。この世界の設定から逃れれば
この世界の苦楽と無関係になれる。それが解脱だとも。 結局造物主は愚かで残酷なデミウルゴスだという事でそりゃあ解脱してまともな世界にいくか消滅したいよな
この世の残酷性から目を背けるように人間社会の日常が夢のように広がっている
まさにマトリックス 結局、宗教ってみんなこの世が嫌いで逃げ出したいってことなんだよな
この世は邪悪で不条理で不義な悪だよ
支配者や金持ち以外は逃げ出したくもなるだろ この世は悪でもなければ善でもありません
使い方によるのです はあい。
例えば塩。
あの、しょっぱい塩。
一般的な人は食塩を300gをいっきに摂ると死にます。
しかし塩は人間が活きるのになくてはならない(以下略
これと同じです。 これは私の解脱に対する見解です。
シャキャムニは最初、ジナ教徒を見倣って苦行をした。
それは「苦しむことを繰り返すこと」であった。
そしてその後シャカはその苦行を「無駄なこと」だと悟った。
なぜ?
人にはそれぞれ立場(初期位置)があるからだ。 この世の中を、
自分の位置から鑑みて、
苦楽の繰り返しの生じない安置を見出し、そこに住まうことが
解脱だと考えます。
この世を悪だと思うものは余計な善を為し、
この世を善だと思うものは余計な悪を為した。
いずれも妄想。 >>80
苦しまなければ救われないとゆーのは救い主をこの世の霊や人類が苦しめるから救い主が自分より苦しんでない奴は救わないとゆーからじゃないか
自分が救い主だとして想像してみろ
自分より幸せなやつや金持ちを救うか? >>82
臭いものには蓋をするって事で カメラで言えば見るものを限定してるし
そもそもそれすら許されない存在がたくさんいすぎて一般化できない
苦しみは確実に存在しラッキーマン以外にはこの世界は残酷で今日生きるにも犠牲がある
日本人はまだいいよ こう言えるだけぬるい所にいれるって事だから言えるうちは恵まれているんだよ
生きるって事は略奪 そしてその生を肯定するとすれば見ないフリか感じない心で生きてこうということ
この世界はその安置を破壊する諸々の害が混じってる そして自分も他者(あらゆる生き物)にとってのその一つとなる
これを否定できる奴は実に運が良く鈍感であるというただそれだけ
脳で言えば扁桃体(共感 恐怖などを感じる部位)の機能がない方が幸せ >>84
しばらく考えてみたけど意味がわからなかったごめんね
>>86
必要な苦しみは苦しみと言えないのかもしれませんね
たとえば病気の時の苦い薬
意図的に自分に苦しみを与え、次の快楽を
期待するたぐいの生き方は自らに余計なことを
なしているということで安息の地ではない 歴史上一番大嫌いなのはナザレのイエスであり
一番大嫌いな宗教はキリスト教だな
キリスト教徒は地獄に叩き堕としてやる 無か個以外救われんわ 他者なんていらんかったんだね キリスト教は大乗仏教や龍樹の「信じれば救われる」という教えが、
ユダヤ人の手によってローマ世界(地中海と
欧州内陸部)に伝わったものだと思ってます。
キリスト教はそして、仏教と同じく「やられたらやり返せ」という
行動を禁止します。かの「汝の敵を愛せよ」という教えは仏教の
因果律と同じことです。 >>91
汝の敵を愛せよってのは、
左の頬をの話しと対になっていて、
嫌味なんだよ?
誰に向かって言ったか?
ファリサイ人に対して言った。
ファリサイ人にとっての敵を愛するってのは、
憎しみを向けてるキリストの事。
これも宗教板のスレで良くある出来事。
○○経を信じる人に反対意見を言うと憎しみの目で見た発言をされる。
○○教団を信じる人に○○教団の矛盾を指摘したら、敵を見る様な態度になる。
左頬は右手の掌で叩く事が出来る。
罰するにも宗教的戒律があるらしいよ。
右頬を叩くにはどうのこうの。
詳しいのは検索してみてね。 ううん、私にはよくわかりませんね、そのあたりのことは。
パリサイ派の人々というのは、古代ローマの支配を肯んじる人たちであり、
敗戦後の日本で例えればアメリカ軍がいないと何もできないと
主張してるような自民党と財界に相当する連中と思います。
あなたの話を用いれば「自民党よ、お前たちの敵である野党の
話を許諾せよ」ということでしょうか。 俺が歴史上一番大嫌いなのがナザレのイエス
一番大嫌いな宗教はキリスト教とフリーメイソン
日本史上一番の大売国奴は坂本竜馬
明治維新は地獄のはじまりだったと思ってるよ >>93
キリスト教徒を批判するとしまいには、
魂のない人だとか、
地獄に行く人だとか、
自分自身の知恵に従い神の意思に逆らう人だとか、
批判を受け入れて反省しないケースが多くある。
その時に残念な気持になる。
クリスチャンからしたら、俺(私)の素晴らしい信仰を否定じゃがって!
となる。
その時に神の掟に従っているのか?
自分自身に都合の良い信仰を作りだしているのか?
答えはキリスト教を傘に着たエゴイズムエゴイストになっている。
預言者達を追い払ってのは貴方達であるってのも、
同じ事を示してる。
神の掟=聖書
聖書に従う=神に従う。
神の命令を預かる人=預言者。
殆どの預言者は故郷を追われた。
キリストが死んでから拝む様になった人が断然多い様に、
預言者も生前は疎まれた。
つまり、毎度、神に従う民と自分自身を言いながら、
神の使いを否定する。
だから、主よ〜主よ!と祈っても私は知らないと言う、となる。
墓石の様だと言うのも口先だけで中身は死んでいる、と言う意味。
八部衆さんが、
誰かを真剣に違うよ〜と指摘しても、
逆恨みして敵対視されてしまう時がある。
その時に、
貴方の敵対視してる私を愛して受け入れるべきなのに、
という呟き。
聖書はセリフの背景を風習やら祭りの時期やら、
考慮して読まないと訳解らなくなる。
自分自身の保身の為に真実をネジ曲げて敵対視するのは、悪い事。
だから、ちょっとその憎む気持を口先で唱える神への忠誠に見合う、
歓迎(愛)をせよ。
キリストに対して敵対視する人に言った言葉。 悪魔、悪霊、悪人、悪行、悪事は神の民にとっては敵対視するべきもの。
忌み嫌うべきもの。
だから、無抵抗主義でもないし、本当に敵=悪を愛せよなんて言ってない。
このシチュエーションが脱落して、
言語体系の崩壊定義をキリスト教の名の下に広めてしまった。
自民党が野党の意見に耳を傾ける姿勢になれ!ってのでも大まかに良いと思うよ。
嫌味、反逆、大胆不敵、敢えて敵を刺激する。こういう行動パターンは釈迦仏にはないよ。
仏教的にはキリストと日蓮は似てる。
時の権力に楯突いて処刑された人と処刑されそうな寸前までいった人。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています