>>136
隠居の唯物論に反駁するために一例を挙げておこう  ( 俺は良心的でありたいと思っているからね

一台の「荷車」が存在(実在)していたとする。
その荷車を分解して一個一個のパーツにしてみる。
すると、車輪、車軸、台座、外枠などに分解され、更に分解するならば、木材や金属材などの細かい部材となる。

では、それらが「荷車」であるかというなら、そうではない。
車軸は車軸であり、更には木材でしかない。
つまり、部材やパーツの総和が荷車になるわけではないのだ。
個々の総和が荷車という存在(実在)ではないということだ。

では、個々の総和に何が加われば荷車となり得るのか。 (ここが重要なところ)

その決定的な負荷要素とは「設計された構造」なのだよ。
そして、その「設計された構造」とは物質なのではなく「思想としてのロゴス」なのである。

各パーツや部材以前に「ロゴス」が存在していなければ、荷車は荷車として存在(実在)し得ないという事実に気付かなければならない。
では、「ロゴス」は、物質(モノ)として存在しているだろうか。
そうではない。ロゴスは物質(モノ)として存在しているのではないのであって、かつロゴスは存在であり実在しているのである。

この一例を、よく考えて唯物論の欠陥を悟るべきなのだ。

人体の構造とて、DNAにある設計に基づいており。DNAの塩基配列とは先在するロゴスの表出であると知るべきなのだ。
だだ物質存在にだけ囚われるロゴス(更にはイデア)の存在に思いの至らない唯物論は明らかに欠陥がある。