カントは理論理性の範囲内では物自体は認識できないと言ってたはずだよ
単に実践的に要請されるというだけで

その後のドイツ観念論は物自体に直接言及せずに
カントの「主観による構成」という側面に依拠しながら
実質的に壮大な観念体系を築いていったわけで
それがゆえに認識論的な厳密性は、後のフッサールやマッハで
もう一度主題化しなければならなくなった、と俺は理解してるけどね