>>581 ここら辺が微妙な味わいなのよなぁ、財を出す方は捨心と共に
   悪因縁を共に差し出すわけ、それを受けた側が即座に
   受けた法施として寺院経営の諸費用に回すなら良いが、己が身に
   財を引き寄せて好き勝手なワタクシ事をすると罰が被るわけ。
   こういう手合いを、信施の横領者 と申すそうです。
   >>580 仏滅後数百年経過してどこの誰が創作したか判らん文学的な 
   お経の題名を唱えて功徳は在るか?と疑う人には効果も功徳も無いのですよ。
   私が中学生の時に世界史年表インド史を引っ張って見出し、経典が成立年代順に記載されて
   いることを知った時は驚きましたね、なあんだ家にお経を上げに来る坊さん法螺吹いとる。
   と素直に理解したですよ。 至極の大乗 オマエ等よく言うって思うのです。無恥でしょうか。
   七葉窟の第一結集 当時のわたくしは、けっしゅうと読みましたね。餓鬼ですからそれ成り。
   その後第二結集、第三結集まで人々の活動を理解したが、それ以後のお経の成立過程には佛味が薄く
   なったもんだろうなぁ と思いましたね。
   この学習ゆえに、桐山師の初期著作の骨子をすぐに理解しました。
   さてその後に些か違う見解を得てしまいましたが其れは言いません。
   仏教での新義、新説は必ず仏陀釈尊に立ち返っていると主張するのが最もなわけです。
   日蓮に立ち返るってのは如何か?それアカンやろ とアッサリ言いますよ。.