少し補足しますと、

>仏教的視座で、外部存在として「神」を建てるのがNGとのことですが。

まあ、仏教的視座で外部領域を設定するのはNGなんですが、これは、釈迦の教説
とはズレが生じる・・と言う意味です。
仏教と言っても色々あって、例えば日本人に馴染みの深い「真宗」などは、
極楽浄土を言いますしねw

しかし、私が外部領域を「無条件に」許容すると、議論そのものが無意味化して
崩壊する・・といったのは仏教的視座とは無関係です。
これは単に全ての議論の原則を述べたに過ぎません。

外部領域を仮設するには絶対に外せない条件があります。
それは、この世界の知見に基づき、そこから有意に構築された理論・・・
そして現に成立した知見、観測事実等に矛盾しないということです。
(例えば、リサ・ランドールなどによる「膜宇宙」などがそうでしょう)

現実の知見の縛りを離れて、無条件に外部領域を設定することを受容するのであれば
全ての言質、証拠、論理、証明、主張、結果・・・・全てが無意味となります。

(無条件の)外部領域の設定はあくまでも「信仰の範疇」なんです。