十牛図の続き;(文献解説ではなく私見解。)
前述した見牛・得牛・牧牛・忘牛存人の段階の続き。

 悟りを開くためには必ずしも坐禅が必須ではない。
 ただ、その方が前後裁断しやすいということである。
 これらの段階に居る人は坐禅会に参加している人が多い。
 そして、その坐禅会の指導者(老師など)によっては、
見跡の段階でそれで良しと認めることがある。
 あるいはいくら参禅しても認められず、嫌になり
スピリチュアルや他の宗教へ流れる人もいる段階である。
 いずれにしても、悟ってはおらず、素人の域に過ぎない。
 
 以上、これらの段階の説明も、月をさす指に過ぎない。
 観察、本心、認識、意識、無我、非我、忘我、潜在意識、
一如、阿頼耶識、仏性、止観 等々の言葉に
 振り回されないようにご用心。 (^-^)