0878まあまあ ◆ru8v8m8nOg
2018/01/12(金) 16:06:35.41ID:q/rk751i前述した見牛・得牛・牧牛・忘牛存人の段階の続き。
悟りを開くためには必ずしも坐禅が必須ではない。
ただ、その方が前後裁断しやすいということである。
これらの段階に居る人は坐禅会に参加している人が多い。
そして、その坐禅会の指導者(老師など)によっては、
見跡の段階でそれで良しと認めることがある。
あるいはいくら参禅しても認められず、嫌になり
スピリチュアルや他の宗教へ流れる人もいる段階である。
いずれにしても、悟ってはおらず、素人の域に過ぎない。
以上、これらの段階の説明も、月をさす指に過ぎない。
観察、本心、認識、意識、無我、非我、忘我、潜在意識、
一如、阿頼耶識、仏性、止観 等々の言葉に
振り回されないようにご用心。 (^-^)