何か今年はやっと何か暮れで、やっとたどり着いた山あり谷あり兎に角ここでは書く気が無く他に振り回されネタも
しょうがなく書かされたなあ何かネタくれ書く気あまりないで?斎藤恵一さんのぐだぐたコピーするかノルマ達成?
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/LB-zen-00.html  第0問「慧能の逆説」
 禅を確立した大鑑慧能(だいかんえのう)はいった。「長時間座禅をして、心をひとつのことに集中させるというのは、
禅病であって本物の禅ではない。ひとつのことに集中しようとすることは執着なのだ。心は動くようにできている。ひとつの
ことに執着しないからこそ、自由な境地でいられるのだ」 では、何によって悟りを開くのか?
「座禅ではなく、心によって悟りを開くのである。だから、迷う心に悟りなど開けるはずがない。まして、
座禅が禅の目的などではないのだ」 だが、われわれは、迷うからこそ悟りを開きたいと思う。そのために座禅をする。
 しかし慧能はいう。迷うから悟りが開けないのだと。座禅では、悟りなど開けないのだと。座禅ではなく、(
迷わない)心によって悟りを開くのだと。 だが「迷わない心」とは、すでに悟っているということである。
こうなると、どうどう巡りである。座禅ではなく、迷わない心で悟るというが、迷わない心とは、悟っているということだ。
 ならば、いったいどうすればいいのか? 写し終わってほとんど意味無いぐだぐたで反省は猿状態だ
人間として生きる事は地球の家巣の中から宇宙に頭も少ししかでられず坐禅して僧は暮れるだけ我々の頭は金無いで暮れる