死んだらどうなるか考えてみる。まず生きている空だで痛いいやの異体いや遺体は亡くなるけど異体は残る霊か霊には痛いはあ
るのだろうか多分テレビやラジオでも痛いは未だ実現出来ていないから難しい化。たぶん観るだけなら出来る霊かも、我々は現
実でも景色を見てる説きは善い例か?つまり霊となつても観るだけ受動的な観察は出来る鴨、それじゃ頭と眼と耳の様なものは
生き残る?のかも?仙人の様な修業すれば物質化も可能か?それが何の価値があるのだろう?まあそれぞれ好きなようにやるだ
けの妄想世界。でもこれからのテレビで見る聞くだけではなく匂いは簡単でも触覚温度感覚等はやろうと思うと大変だしあまり
意味ない。全然関係ない師匠からが禅かけの声が?出鱈目なだらだらな妄想は止めましょう。寝たあとで起きてネタこんなのし
か出ない。まあ我々はこの世うにドタバタなドラマを演じる役者には間違いないか?でもいい人も悪い人も役ならドラマには
ひっ用なのか悪い役のひとは人相が悪いわけでは無いのはドラマと違うけどでも役立っていると公には言わないルールになって
いる野鴨ドラマだから作者と演技者と鑑賞者の三者が同じなら立場解りすぎると面白くないし解らないと苦しいだけの役では
不味いから適当にわけわからなくても解るような微妙な所に僧いうぼさあつとした役立つのか役に立たない役の人が配置されて
いる野鴨作者と演技者と見る人が感同すれば心は満たされる野鴨でもなかなか我々は役に泣かされてでもそれがハラハラ観たい
という人がいるから解ってあげなくてはこれくらいでまあ良いかでも少しずつはまあ良いになれば満足化
?鬼和尚さんは下腹に卵?を気を集めさあ鳥として孵化させる野鴨でも私は小周天の行はすぐ飽きてホカホカ
をさまよい今は冬今朝は寒すぎ