宇宙意識・すなわち(1)欲望(2)死の恐怖(3)社会的義務というわけです。また未来の仏陀が己の目的を追求するために坐
った<不動の地点>という概念も意義深いものであり、これはブラック・エルクの言う「世界の中央」に対応しています。そこか
ら彼が「聖なる作法にのっとって」万物を見た場所です。それは地理的な場所ではなく、諸々の生命を苦悩と悲惨へと誣いる妄
想的な欲望、恐怖、関与の渦動から開放された者の精神状態なのです。T・Sエリオットの「バートン・ノートン」の一説にそ
れが表現されています。  まわる世界の静止点。肉でも、肉でないものでもなく、そこからでもなく、そこへでもなく、その
静止点に踊りがある。しかし停止でもなく、運動でもない。それを固定点と呼んではいけない。そこに過去と未来が集まる。
そこからの運動でもなく、そこへの運動でもなく、登りでも、降りでもない。静止点、その点がなければ踊りは無いのだ、ある
のはただ踊りだけだ。私たちは、そこへ行ってきたといえるだけで、何処へとはいえない。どのくらい長くとも言えない、そん
なことを言えば、時間のなかにそれを置くことになるからだ。実際的な欲望から解き放たれた内面的な自由、行為と苦しみから
開放され、内面的と外面的な強制から開放されながら、しかも恩寵感につつまれて静止しながら動く白い光[・・]
?個の用に着た我々は人間としてノルマ果たす責任があるし気楽に生きられない今此処を有る苦しかない見回り半の降りにで
精神も動物から人間に成長したけどその上のチャクラもあるのやらででもまあええかで?我々は意識的にレベル他覚内視
でもまあ得絵化