1は1ではない、と言ってるんだよ、それ。真理(さとり)。


意味が分かる、と言うのでは、お勉強になってしまう。
真理(さとり) は、お勉強しないでね、と注意喚起をうながしている。これとあれを分けない三歳児になれ、と言う。

以心伝心を営業のカンバンにかかげる禅宗が、著作権で向こう50年間のひだりうちわ と右扇風機、で解説本(かいせつぼん)の出筆出版のなんと多いことか。
いったいどこに、以心伝心があるというのか、学僧さんたちは。

僧侶の資格を取るためには、宗派の大学を卒業し、僧侶になる資格試験に合格しなければ、仏教と言う手段でプロとしておまんまは食っていけないし、
寺を持つ住職にはなれない。
僧の仕事とは何かと問われたある層は、言う、引導を渡すことです、と。
なるほど、葬式仏教だ。

明治政府が立法した戦争従事者兵隊さんを仏教を変容させ、檀家の息子たちを兵隊として送り出した見返りとしての妻帯もできない。

禅は何かの役に立つのか、と問われれば、何の役にも立つことは無い、と答える。

まずは求める、真理(さとり)を求める、ことから始まる。

さとれば、求めることが無い、さとったからである。

1は、 1ではない、

ここを透ってください。