(大爆笑)  やぁ〜い邪鬼、滋賀の 消防(しょう ぼう)ばーかジャキ!おぉ笑い蛇男ジャンキ!

どこかで聞きかじった丸暗記、まあ暗記科目が得意だった物覚えが、いいって事だけだろうに、それ 理解(りげ)   と言うよ。 つまりは、なぁ〜んにも わかっちゃいないってことだけどね。小理屈こじ付け、だ。ダァーホ!!

お坐りは目的が無い、なになに の 為に、と言う事がまったく無い、坐は坐、ただ 坐するだけ。

初関は透れ、それからのことだよ。

自分の姿が見えない、見ることができない、それが前方だけが見える構造の両眼を持つ者の共通項なのだけれど、上下左右前後、球場に伸びていく外界、わたしは数えることができない無数になる。なにかが そこに在るのじゃない、

遠いな、外道よ。 どうでもいい屁理屈で 自己正当化をしちゃえ、と自己と他を軽んじる。やぁ〜い、ばーかジャキ!おぉ笑いジャンキ!

やぁ〜い!愉快犯の消防(しょう ぼう)!ばーかジャキ!ぉ笑いジャンキ!初関は透れ(しょかん は とおれ)!

懇切丁寧に何回も何回も 決して坐るなよ〜、坐るなよ〜、と さとして来たが、坐らないを実践しない、できない.。バカのジャキには無理かぁ〜♪

坐禅から 坐禅と言う名詞を 奪ったもの、それ、それを何と呼ぶか?! 』

また、ある日、師弟がお茶をいただきながら相対(あいたい)しています。
新参の修行僧は、学びます、
山川草木国土悉有仏性 (さんせんそうもくこくど しつう ぶっしょう)

新参(しんざん)の修行僧が問います、門前の痩せイヌにはまさか仏性など無いですよね。
師が答えます、有。
この問答を物陰からこっそりと盗み見していた古参(こさん)の修行僧が師の前に飛び出してきて、新参の修行僧と同じ問いをします。
師が答えます、無。

師が問います。 この座敷に坐のままで 30メートル先のあのロウソクの炎を吹き消しなさい。

更に、言う。
片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい。