> 坐禅と云う名詞で呼ぶのは「遍計所執性」によるからであり、それは「依他起性」よって成立してるに過ぎない。
  それが分かると「円成実性」が看えてくる。つまり、言葉の虚構性と実在の関係を戒定慧のプロセスを経て体得・知覚するんだよ。 』

遠いな、外道よ。 どうでもいい屁理屈で 自己正当化をしちゃえ、と自己と他を軽んじる。やぁ〜い、ばーかジャキ!おぉ笑いジャンキ!


> 三島由紀夫の思想に触れもしないでwww 』

ピエロに思想など、ない。


>  ある意味三島先生の心配は現実になりつつあるな。 』

オイッ!無意味な 「ある意味」とは、なんだぁ!?ピエロが先生?ドン・たわけ!外道よ!


> フーッ て蝋燭を吹くモノマネは禅じゃねーし、そんな猿真似  』

やぁ〜い!愉快犯の消防(しょう ぼう)!ばーかジャキ!ぉ笑いジャンキ!初関は透れ(しょかん は とおれ)!

懇切丁寧に何回も何回も 決して坐るなよ〜、坐るなよ〜、と さとして来たが、坐らないを実践しない、できない.。

バカのジャキには無理かぁ〜♪


坐禅から 坐禅と言う名詞を 奪ったもの、それ、それを何と呼ぶか?! 』

また、ある日、師弟がお茶をいただきながら相対(あいたい)しています。
新参の修行僧は、学びます、
山川草木国土悉有仏性 (さんせんそうもくこくど しつう ぶっしょう)

新参(しんざん)の修行僧が問います、門前の痩せイヌにはまさか仏性など無いですよね。
師が答えます、有。
この問答を物陰からこっそりと盗み見していた古参(こさん)の修行僧が師の前に飛び出してきて、新参の修行僧と同じ問いをします。
師が答えます、無。

師が問います。 この座敷に坐のままで 30メートル先のあのロウソクの炎を吹き消しなさい。

更に、言う。
片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい。