あるいは、夫にしてもそういうところは出てくるでしょう。
 夫から、「俺だって、今日は社外の人とゴルフをしなければいけない約束がある。
おまえが講演会に行くからといって、代わりに俺がゴルフをサボってご飯をつくれというのは無理だぞ。仕事の方が優先だろうが。
それがあるから、給料が入って、おまえたちは食べていけるし、宗教活動もできるし、息子だって大学に行こうとしているんじゃないか。
だから、俺のゴルフは大事なんだ!大川隆法先生が倒れたって、俺のゴルフのほうが優先なんだ」などと言われるかもしれません。

 すると、妻のほうも、「信仰心のない人ね!」などと言いたくなることもあるでしょうが、信者のなかには、そうした夫婦間の葛藤を経験した人も多いのではないでしょうか。
 ただ、そういうことはしかたがない面もあると思います。
「限られた数十年の人生のなかで、この有限の時間を何に使い、自分の今世の人生を輝かせるか」「どうすれば自分の人生は十分だったといえるのか」と考えたときに、値打ちを感じるものがあるのであれば、やはり、W選択”が働いてきます。
 そうなると、妻としては、「今日、自分がご飯をつくろうがつくるまいが、コンビニで買ってきたものを食卓に置いておこうが、息子の模試の成績はどうせ変わりはしないのだ。E判定はE判定、A判定はA判定で、どうせ同じだ」という感じになることもあるでしょう。
息子はW気分の問題”で母親に当たっているだけだということもあるでしょう。

 あるいは、夫のゴルフにしても、妻としては、「私が講演会に行こうが行くまいが、スコアは同じでどうせ変わらないのだ。相手に勝たせなければいけないときには自分が負ければいいし、自分が勝ってもいい相手だったら勝てばいい。好きなようにすればいいのだ」
という感じでしょうか。
 そのように、「純粋な愛」によって結びついた関係であっても、人生経験を深めていく間に、さまざまな行き違いや言葉のすれ違いはあるかもしれません。

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