「人の幸福と不幸のどちらを願うか」が人間の方向を決める

 死んで浮かばれていない人、例えば、交通事故で亡くなったり、急な病気で亡くなったりして迷っている人の霊が出てくるのは、よくあることであり、おかしくも何ともないのです。
ただ、その奥にあって、そういう霊たちを地獄に引きずり込もうとしたり、あるいは、そういう霊たちを、ある家庭に解き放ち、その家庭をもっと不幸にし、目茶苦茶にしようとしたりする霊人がいます。
 そういう事を本当に計画的に考え、後ろから操っている霊人がいるのです。
 こういう者と対決することもありますが、やはり、許しがたいものはあります。
 自分一人が不幸であることについては、多少、受け止めなくてはいけない面はあるかもしれませんが、自分が幸福になれないときに、せめて、他人を不幸にし、それを嘲笑って快感を味わおうとする人が、世の中にはいるのです。
 それは、例えば、自分はお金儲けに成功しなかったけれども、他人がお金儲けに失敗したり、破産や倒産をしたりしたら、「ざまを見ろ」と言って喜ぶ人です。
あるいは、自分の病気が治らないときに、隣の誰それさんがガンになって死んだと聞いて、「ざまを見ろ」と思う人です。
 そのように、他人の不幸を見たら、胸がスッとしたり、「許せる」という気分になったりする人は、やはりいると思うのです。
 ただ、「これは、人間として考えて、やはり最低の心だ」ということを知らなくてはいけないと思います。
 環境や政治制度、周りの影響によって、自分が幸福になれないこともありますし、たまたま家庭に恵まれないこともありますが、自分が恵まれないこと、あるいは、現在、幸福感を得られないことには、何らかの理由があることもあります。
 そういうことも、やはり、よく考えるべきです。それをもって、「ほかの人の不幸を願う心」のほうに向かっていくようであったら、これは、いわゆる「悪霊」や「悪魔」の気持ちに通じていくものなのです。そのことは知らなくてはいけません。

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