■毒盛■2ch版・世界救世教のスレ part18■常習■
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自観叢書第3編『霊界叢談』P.58、昭和24(1949)年8月25日発行
次に他の地獄界は総括的に書く事にする。修羅道は、俗に修羅を燃やすという苦悩で例
えば闘争に負け、復讐しようとして焦慮したり、自己の欲望が満足を得られないために煩悶
したりする心中の苦しみが生前からあったまま持続し、修羅道界に陥るのである。これらは
現界でも霊界でも信仰によって割合早く救われるものである。色欲道は読んで字のごとく色
欲の餓鬼となったもので、男子にあっては多くの婦人を玩弄物視し、貞操を蹂躙する事を何
とも思わず、多数の婦人を不幸に陥れた罪によって陥るのである。このため地獄においては
生前騙され、酷い目に遇った女性群が責めたてる。その苦痛は恐ろしく、いかなる者といえど
も悔悟せざるを得ないのである。そうしてこの苦痛たるや、生前罪を造っただけの女の数と、
その罪の量とを償うのであるから容易ではないのである。これによってみても世の男子たる
もの、自己の享楽のため女性を不幸に陥らしむるごとき行為は大に慎しまなければならな
いのである。右に述べたごとき罪は男子に多い事はもちろんであるが、稀には女性にもあ
るので、自己の享楽または欲望のため貞操を売ったり、姦通をしたり、男性を悩ましたりする
事を平気で行なう女性があるが、これらももちろん色欲道に堕ち苦しむのである。焦熱地獄
は放火をしたり、不注意のため大火災を起こし、多くの人命財産を犠牲に供する等の罪によ
って落ちる地獄である。蛇地獄は無数の蛇が集って来るので、その苦痛たるや名状すべから
ざるものがある。この罪は自己の利欲のため、多くの人間に被害を与える。例えば大会社の
社長、銀行の頭取等が自己利欲のため不正を行い、多数者に損害を与えたり、政治家が悪
政によって人民を塗炭の苦しみに陥したりする怨みや、戦争を起こした張本人に対する犠牲 者の怨み等々が蛇となり復讐をするのである。蟻地獄は殺生の罪であって、例えば虫、鳥、
小獣等を理由なきに殺生する。それが蟻となって苦しめるのである。それについてこういう話
がある。その目撃者から聞いた事であるがある時木の上に蛇が巻き着いていた。見ていると
数羽の雀が来て、その蛇を突っつき始めた。遂に蛇は木から落下して死んでしまった。そのま
まにしておいたところ数日を経て、蛇の全身が無数の蟻になったのである。その蟻が群をな
して幹を這い上り、その巣の中のまだ飛べない何羽かの雀の子を襲撃した。もちろん雀の子
は全部死んだのであるが、実に蛇の執念の恐ろしさを知ったと語った事がある。蜂室地獄は
無数の蜂に刺される苦しみで、その例として左のごとき話がある。以前私の弟子であった髪
結の婦人があったが、その友達がある時霊憑りになったので、ある宗教家の先生を頼んで霊
査をして貰ったところ、こういう事が判った。その友達の御得意であるある芸者が死んで蜂室
地獄に落ちて苦しんでおり、救って貰いたいため憑ったというのである。その霊媒にされた婦
人は、その頃某教の信者であったからでそれに縋ったのである。霊の話によれば人間一人
入れる位の小屋に入れられ、その中に何百という蜂群が、全身所嫌わず襲撃するのだそう
で、その苦痛に堪えられないから助けてくれというのである。この罪は芸者として多くの男子
を悩まし、大勢の妻君が霊界に入ってから嫉妬のため蜂となって復讐したのである。次に地
獄界は伝説にあるごとく、獄卒として赤鬼青鬼がおり、トゲトゲの付いた鉄の棒を持って、規
則に違反したり反抗したりする霊を殴るのであるが、これは肉体の時打たれるより痛いそう
である、何となれば肉体は皮膚や肉によって神経が包まれておるからで霊ばかりとなると直 接神経に当たるからで実に堪らないそうである。そうして地獄の幾多の霊がよく言う事に、何
程苦痛であっても自殺する事が出来ないので困るそうである。なる程自分達は既に死んでい
る以上、この上死にようがないからである。この点霊界は厄介な訳である。また地獄界を亡者
が往来する場合火の車に乗るのだそうである。地獄界の霊は自身の苦行または子孫の供養
によって漸次向上するのであるから、子孫たるもの供養を怠ってはならないのである。私があ
る霊を救い鎮祭してやると、間もなく私に憑って来た。その霊いわく。「今日御礼と御願いに参
りました。御蔭で極楽へ救われ嬉しくてなりません。私の嬉しい気持はよくお判りでしょう」とい
う。なる程その霊が憑依するや、私は何とも言えない嬉しさが込み上げて来る感じである。次
いで霊の御願というのは、「どうか再び人間に生れて来ないように神様に御願して頂きたい」と
いうので、私は不思議な事を言うものかと思いその理由をたずねると、「極楽は生活の心配が
なく実に歓喜の世界であるに反し、娑婆は稼いでも稼いでも思うように食う事さえ出来ずコリ
ゴリしたこと言うのである。これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬの
も楽しみという事になるが、それには生きている中に善根を積み天国行の資格を作っておか
なければならないという訳である。 >欲道は読んで字のごとく色
欲の餓鬼となったもので、男子にあっては多くの婦人を玩弄物視し、貞操を蹂躙する事を何
とも思わず、多数の婦人を不幸に陥れた罪によって陥るのである
++++++これなんかはイヅノメの渡辺総長がブラジルの布教所によく訪れていたんだが
現地で売春婦を雇い、店舗経営までしていたということもある。
川合輝明の息子はゲイで、教団職員の男女構わず手あたり次第に
性奴隷化していたのは有名。結局、エイズで地獄をみて、霊界地獄にいったけどな。
信者レベルでも、布教所でセックスして子供ができ、
布教所のトイレで出産してしまったという事件もある。
性的な紊乱と攪乱は雑食やっている以上必然的に発生する。
救世会館の脇で渡辺総長が野外セックスに興じていたというのも既知の事実。
それよりか、林真須美もMOAの信者だったが、毒盛り殺人の慣習を知り得ていたかはしら
んが、カレーにヒ素を混入させるやり方はMOA
的だろう。この場合はあっさりつかまる。
MOAの専従者でベテランであれば、何人殺しても証拠もなく、罪にも問われない。
裁判しても負ける採算のリスクすらないからな。 >目撃者から聞いた事であるが
>以前私の弟子であった髪結の婦人があったが、その友達がある時霊憑りになったので
>ある宗教家の先生を頼んで霊査をして貰ったところ
+++++
この論文のキモとなるべき内容ですが、
岡田茂吉という人は霊能者というよりも神様からメシアとしての
働きを託されたが、霊視能力というものはあまりなかった人のようです。
霊界の説明の殆どが何百年も前に書かれた往生要集などの内容からの引用であって、昭和30年と
いう明主様が遷化された年までの霊界の説明ではないもののようです。
50万年前からの霊視を受けたということもありますが、その内容にも明らかな誤りがあり、
疑わしい。
私が見せられた、専従者が赴く地獄界の一風景は今までにどこからも聴いたことも
みたこともないものであり、またそれを他人に説明したり、知らせたりすると
いうことがはばかられる内容です。
前にも言いましたが、雑食者というものは霊的伝導性が劣り、感知能力が乏しくなる。
徹底したベジタリアンになればそれは解消されますが、そんな信者は稀です。 >岡田茂吉という人は霊能者というよりも神様からメシアとしての
働きを託されたが、霊視能力というものはあまりなかった人のようです。
そんな事はない。霊能者ではない、霊視能力は全く無い。ましてや神様からメシアとしての
働きを託された事はない。自分でその様に吹聴しているだけです。 世界救世教責任役員会
教主様の4つの間違いとその背景について
⒈異質な思想集団のスタート
平成30年5月3日、4日の広島、大阪での主之光教団・いづのめ教区なる集会で、教主様は次
ぎのように述べておられます。「明主様がお説きになった、地上天国建設も、人類救済も、そ
の他の数々のみ教えやお歌も、そして、浄霊も、自然農法も、芸術も、また、明主様のご事蹟
も生き様も、そのすべての根底にある主神の思いは、私どもをご自身の子どもとする、という
ことであります。政治も、経済も、宗教も、科学も、あらゆる思想も、主神が私どもをご自身の
子どもとするために用意してくださったものであります。」このお言葉は、異質な思想集団の旗
揚げ宣言であると共に、教主様の長い間のⅯ氏との研鑽結果が、総括的に表現されたもの
と、解することができます。従って、このお言葉は、教主様自ら言われた十数年の積み上げた
結果が、結果的に明主様のみ教えから逸脱してしまったことを物語っています。 >異質な思想集団の旗揚げ宣言
***これらの教主様の発言のどこが、異質なのでしょうか?
元々異質なのは、主神様中心と言わず、明主様中心と唄いながら御教えにはただのスカタンで
しかない教団の方でしょう。暴力団や自民党と結託して、明主様信仰者を抹殺するという計画を
長いスパンで実行している教団が異質そのものなのですよ。明主様潰しの教団を基準として見る
から異質と映るのでしょう。 >明主様のみ教えから逸脱してしまった
教団が御教えに通達している学者ぞろいとでもいうのでしょうか。
ただ明主様中心と常に吠え続け、能無しと無法者、殺人鬼を養成しているのが
教団でしょう。
明主様中心であると口先だけでいうが、信仰者の仮面を被ったゴロツキなんですよ実態は。
痴愚・低能化した愚昧なる狂人(専従者)の集団が教団なんですからね。 即ち、この資料が表題としている「4つの間違い」の一つ、「結論の間違い」が、お言葉として
現れているものと理解しています。「本教の誕生」で、明主様は次のように明示されています。
「主神の御目的は、真善美完き理想世界を造るにあるので、それには、すべての条件が具備
しなければならない」「『私どもをご自身の子供にする』ことが、主神の御目的である」、しかも
教主様の言われる「ご自身の子供」は「メシヤ」を意味しており、この教主様のお考えは、明主
様が明示された「主神の御目的」と明らかに異なります。いま一つ、「宗教以上のもの」では、
次のようにみ教え下さっておられます。2 「救世(メシヤ)教こそ、時代を救い、万民をリードする
使命を帯びて生まれた宗教である。その第一は病気治しであるが、今日までこれほどの治病
力を発揮した宗教はなかったし、また美術館を建てたり、農業改良なども例はない。そうして
文学、芸術、政治、経済、哲学、科学等何もかも人間に必要なものは包含され、根本的に教
え論して実行している。本教の経綸を一口にいえば高度の文化事業である。」メシヤ教と命名
された本教の使命は、病気治しを第一にして、時代を救い、万民をリードするためである、と
明示されています。「主神が私どもをご自身の子供にするため」という教主様の考え方、方向
は明らかに明主様と異なるし、多数のキリスト教派の思想とも異なる、「異質な思想」と言わざ
るを得ません。 >明主様が明示された「主神の御目的」と明らかに異なります
主神の御目的は、真善美完き理想世界を造るにあるので、それには、すべての条件が具備
しなければならない
この御教えと、主神様と信者の関係が親子であるというお言葉とどう関係性が
あるのでしょうか。
信者が浄霊を通して多くの人々を導くという行為そのものがメシアに倣うという
ことであって、明主様の望まれた信者の姿でしょう。
対比されている文章同志で錯誤させられるような感じですね。
創価学会の池田大作の著作の論調にも似ている。 >「主神が私どもをご自身の子供にするため」という教主様の考え方、方向は明らかに明主様と
異なるし
子供にするためというよりも子供として認識されていると言う方がわかりやすいでしょう。
何かこう教団の言っていることは揚げ足取りというかコジケツに近いものを感じますよね。 >多数のキリスト教派の思想とも異なる、「異質な思想」と言わざるを得ません。
キリスト教の数ある中の一教派と明主様の理論が一致しているとでも言うのでしょうか?
それこそ教団のキリスト教に関する認識の浅さと無知を露呈している発言でしょう。
キリスト教の〇〇派と教理が一致していないから、異質な思想とレッテルを貼るのですね。
これこそ御教えに関して全く理解していないド素人の発言であって、教主様を批判するなど
もってのほかです。
焦点がずれている。あるいは意図的にずらしている頭脳感覚ですよね。 尚、明主様の経綸たる「高度の文化事業」とは、現代文明を一大飛躍させ、「霊を主とした高
度な文明」を築き上げる事業と解することができます。では、なぜ、このみ教えと異なる結果
に到達してしまったのか、その理由を求めることにします。その鍵は、29年9月13日、主之光
教団役員へのお言葉に見出すことができます。この日は、「東方之光」の調査の結果、Ⅿ氏
の存在が明らかになった翌日です。
⒉教主様が抱いていた間違った教団認識
教主様の二つ目の間違いは、以下に記す世界救世教に対する認識にあると捉えています。
教主様は、この29年9月13日、主之光教団役員懇談会の席上、「東方之光」の調査を、自ら
「尾行、盗聴、盗撮」と非難されると共に、Ⅿ氏を必要とする理由や、ご自身の認識等を、語っ
ておられます。その中で、驚くべき認識を、披瀝されています。
⑴教主様の教団に対する認識その1
「キリスト教で言っていることの本当の意味をやはり伝えないといけない時期が教団として、
伝えるというか、理解し受け止める時期がきたのかな、という気もしますね。」この認識は、Ⅿ
氏の存在が明らかになった「29年9月」という時期に対する認識、即ち、「これから」キリスト教
で言っていることの本当の意味を理解し受け止め、あるいは伝える、という「時の認識」でなく、
むしろ、それ以前から教主様は、「世界救世教はキリスト教で言っている本当の意味を、伝え
、理解し、受け入れる」との認識を持たれておられ、その思いを、この時に披瀝された、と受け
止めるのが自然であると思われます。この誤認こそ、み教えから逸脱した根本的な理由では
ないか、と思われますが、どうでしょうか。だから教主様は、聖書に精通するⅯ氏から指導を
受けつつ「キリスト教で言っている本当の意味」の理解に努めてきたし、そしてご自身が言っ
ているように、既に今日までに「その大切なことは、皆さんに伝えてきた」、これからも今まで
通りⅯ氏と共に、これを継続していきます、との認識を明らかにした言葉と思われます。現に
継続していることが確認されています。 >「高度の文化事業」とは、現代文明を一大飛躍させ、「霊を主とした高
度な文明」を築き上げる=高度な霊主体従の文明
>その中で、驚くべき認識を、披瀝されています
>この誤認こそ、み教えから逸脱した根本的な理由では
ないか、と思われますが
これらの文章は一部訂正していますが、不自然な句読点の打ち方や日本語としておかしい
部分を意図的につくり出している。創価学会の背後にいる連中のやり方と同じです。
まず、キリスト教で言っている本当の意味とは、聖書の真意でしょう。教主様が信者たちに
それを知らせていき、キリスト教の人達とも手を組んでやっていくべきであるということの見本
を示されている。明主様が望まれた大乗信仰とは将来キリスト教に近づいていく、それと
ほとんど似た存在になっていくと仰せられたことを実行されているだけですよね。
それを誤認だの驚くべき認識と教団ては捉えていますが、私からすると当然の発言だと
思います。教団を乗っ取りたい、教主様や宗家を追い出して指図されない組織として
理事長や幹部の私物化を図りたいのですからね。
わかりやすいと思いますよ。 ⑵教主様の教団に対する認識その2
さらに、「キリスト教のいう本当の意味を理解し、受け入れ、伝える世界救世教」であるべし、
という認識の前提と思われる教主様の教団に対する誤認もみられます。「僕は今迄、メシヤ
という言葉を教団は避けて来たと思うんですね。長い歴史の中で、それを出すと、キリスト教
と戦うんじゃないかということでね」「メシヤと言う言葉」を、教団が「避けてきた」という認識が
見られます。同時に教団が避けてきたのであれば、それを教主である自分がその姿勢を正
すという教主としての自負心、野心も垣間見ることもできます。そして、この拠り所に間違った
明主様への認識を置いていることが語られています。尚、「避けてきた」との認識について一
言述べるとすれば、それは、「メシヤという言葉」を避けたということでなく、「救世主・明主様
のご神格そのものが、世界救世教の信仰の中心にキチンと位置づいていなかった」というほ
うが正確であり、救世主・明主様のご神格やみ教えに対する教団の指針が、全教団的に充
分な理解に至っていなかった、というのがその実態であったと思われます。それは、長年に
渡る教団紛争の結果、締結された「和解合意書」にそうした反省の上に立った誓いとして
「明主様のご神格を明らかにし」とあることからも窺うことができます。 >教主様の教団に対する誤認
〇教団の教主様に対する誤認
>教主としての自負心、野心。
〇教団としての自負心、野心であって、自分達の正体を教主様に転嫁して
いるトリッキーな言い方になる。創価学会においても多用されている。
>間違った明主様への認識を置いていることが
〇まさに教団の誤認そのもの
>世界救世教の信仰の中心にキチンと位置づいていなかった
〇今でも中心が定まっていないでしょう。ミロクオオミカミという代行神であり、蛇神ではなく
主神様が中心ですからね。そうなっていない。
>全教団的に充分な理解に至っていなかった
〇いきなり自分達の非を認め始めるのも創価敵ですね。
>明主様のご神格を明らかにし
〇半世紀以上も教団を運営していながら、今だにご神格すらハッキリしない。
蛇神信仰で頭がやられているとしかいいようがない。 ⑶教主様の教団に対する認識その3
「明主様のこのメシヤとキリスト教のことについて、解決しなきゃいけない問題がある」
教主様は、このような認識を示されています。もし、このことが次ぎの「⒊」で述べるような、
「明主様がイエス・キリストの言った本質を究める」と言った問題であるならば、それは教主様
の誤認であって、教団の問題ということではありません。いま一つは、上記認識その2で触れ
ているような、「メシヤを出すと、キリスト教と対立しかねない」ということを解決しなければなら
ない問題と言っておられる可能性もあります。しかし、これも次ぎのみ教え通りに受け止め、
実践していくならば教団の問題とはならないと思います。メシヤたる明主様のご神格の受け
止め方や実践上の大切なみ教えですから少し長くなりますが以下に載せます。
「私は自分で“オレは救世主だ”とか、そういう事は言いたくないのです。つまり事実で見せる、
事実によって“なるほど”力と結果において“そうだ”という事を分かって、それが本当なのです。」
「私は今更自分が救世主だとも、再臨のキリストとも言わない。なぜなれば昔から今日までず
いぶんそういう名乗りを上げた者もあったが、みな煙のごとく消えてしまったからで今日それを
唱え出したところで、偽キリスト、偽救世主か大山師くらいにしか見られないのは分り切った
話であるからである。要は実際問題であって、今後私の仕事の上に於て、救世主的救いの力
を発揮するか、キリスト再臨的威力を表わすか、弥勒や観音の力徳を顕現するか、天照大御
神としての光明を放つか等によって、信ずる信じないを決めればいいであろう。つまり全世界
の人々が公正なる批判の眼をもって観てくれれば私は満足であり、それ以外の望みはないの
である。」このみ教え通りを実践することは、キリスト教との対立を生むことにならないと思い
ます。しかし、敢えて言えば救世主の救いの力の発揮、救世主であることを事実で見せるの
は私ども一人ひとりであり、世界救世教であり、そのための課題は未だ山積しているのでは
ないかということです。 >明主様がイエス・キリストの言った本質を究める」と言った問題
〇これも日本語としておかしいですよね。別に問題でもないですよ。
>メシヤを出すと、キリスト教と対立しかねない」ということを解決しなければならない問題と
言っておられる可能性もあります
〇またまたおかしな日本語ですね。シドロモドロになるとこうなるんですよ。明主様がメシアである
といったところでキリスト教の方から対立視されるかというとそんなことはありません。相手にされ
ないでしょう。ただの教団の妄想・誤謬・誤認でしょうwww
>教団の問題とはならない
〇教主様の考えておられることや発言が教団の問題とはならないということですが、これもおか
しいwww 教主様と一体となって歩んでいくのが教団でしょう。初めから教主様を村八にする計画
だとこういう言い方になりますね。 ⒊教主様が抱いていた間違った「明主様」への認識
教団に対する間違った認識の前提に、明主様に対して教主様が抱いていた、あるいは抱い
てしまった間違った認識があると思われます。これが大変重大な三つ目の間違いと捉えてい
ます。「明主様は、万教帰一といい、数多ある教えを救う教えこそ、メシヤの宣らす教えなり
けり、のお歌もある。要するに、いろいろな宗教があるけれども、その中で中心に貫いている
ものがある。それを自分が示すんだよということ、だから特に強調していらっしゃるのはキリス
ト教ですよね。メシヤ教というふうにするくらいですから。だから、いわばイエス・キリストが言
っていた内容の本質を自分がその神随を明主様がその神髄を自分が究めるんだということ
でもあると思うんですよね」ここに、教主様が抱いていた「キリスト教に対する明主様の認識」
を見ることができます。この教主様のこの認識の間違いこそ、「神の子・メシヤとして新しく生
まれる」という「全く新しい信仰」の源でないかと思われます。何故、教主様の認識が間違い
と言えるのか、その理由を以下のみ教え等に求めることができると考えています。
⑴「平和の英雄」
現在の如き文明の進歩発達は、人間の次元で言えば、物質面は、英雄と学者の功績であり、
精神面は宗教的聖者の功績であった、と明主様が説いておられます。この精神面の功績で
は、イエス・キリストが主役であったことを明主様が認めておられます。しかし、こうして進
歩発達を遂げてきたものの、これ以上の期待はもはや掛けられないと明主様は率直にその
思いを述べられています。そして、「現代文明」の一大飛躍によって、一層高度の文明を築き
上げる時が到来し、神は明主様にその根本を明確に知らせ、大いなる力を与えられたと説い
ておられます。この論文からも、イエス・キリストが言っていた内容の本質、神髄を明主様ご
自身が究めるというようなことは考えられないことです。 >間違った認識があると思われます
〇急にアバウトな言い方になってる
>これが大変重大な三つ目の間違いと捉えています
〇適当なアバウトな思い込みに対して大変重大な内容っておかしいだろ
>いろいろな宗教があるけれども、その中で中心に貫いているものがある。それを自分が示す
んだよということ、だから特に強調していらっしゃるのはキリスト教ですよね
〇明主様が中心となる宗教がキリスト教であると言っていることを認めている。
>いわばイエス・キリストが言っていた内容の本質を自分がその神随を明主様がその神髄を
自分が究めるんだということでもあると思うんですよね」
〇知的障碍者の文章ですね。意図的に読者の信者を攪乱するための文章で創価学会でもよく
やっています。非常によく似ている。 >ここに、教主様が抱いていた「キリスト教に対する明主様の認識」 を見ることができます。
この教主様のこの認識の間違いこそ、「神の子・メシヤとして新しく生まれる」という「全く新し
い信仰」の源でないかと思われます。
〇到底、読むに堪えない文章です。
>この論文からも、イエス・キリストが言っていた内容の本質、神髄を明主様ご自身が究める
というようなことは考えられないことです。
〇これもおかしな内容なんだが、ますます適当な教団の解釈で教祖がいっていることとかけ
離れている。聖書の真意を具現するということでその通りでしょう。この蛇神教団はイエス・キリ
ストを恐れているのでしょうね。キリスト教で蛇は悪魔の化身ですからね。 教主様が言われたいことってのは、
>イエス・キリストが言っていた内容の本質、神髄を明主様ご自身が究めるというようなこと
などというおかしなことではないでしょう。明主様は小乗信仰から徐々に大乗信仰に移っていく
と教えられた。三代宗教中、小乗であり経の教えが仏教であり、大乗にして緯の働きがキリスト教
であると仰せられ。したがってキリスト教という主神様が主宰されたユダヤ・キリスト教的に
近づいていく、聖書を読み説諭によって導いていく形態になっていく、
要するに、御教えというものを毎週日曜日に講釈師が説諭していくというやり方
ですよね。こうなっていくと申されたのであって、まさしく教主様が大乗信仰の正道を歩まれようと
しているということですね。 ⑵「救い主と贖罪主」
この論文で、明主様は、時期の関係で、キリストも、釈尊も説けなかった真理がいよいよ開示
されることになったことを告げておられます。それは、いよいよ「悪の期限」が来たので主神の
直接的力の発揮となり、明主様という人間を選び善と悪の根本義を開示されたと説かれてい
ます。イエス・キリストが説けなかった真理を、主神に選ばれた明主様が神智として説くという
のでありますので、明主様が「その本質、神髄を究める」必要はない、ということになります。
⑶「デパート教」
この論文で、明主様は、本教には、キリスト教、神道、仏教をはじめ、儒教も、哲学も科学も芸
術も悉く包含されていることを明らかにされています。注目したい点は、明主様が「その中で
も特に力を入れているものに、科学の面では病気と健康、農耕法と別の意味での芸術等で
ある。」と説かれていることです。端的に言って、お言葉のようにキリスト教を特に重視してい
るような言葉は見当たりません。 >キリスト教を特に重視してい るような言葉は見当たりません。
〇これはもう、教団の4つの間違いとその背景について
に変更した方がいいね。話にならない。
>>787
の文章のように、明主様はキリスト教という宗教を最重要視されている。カトリックと
プロテスタントに関して説明している論文もありますからね。
教団の超誤認ですね。ヤツラのいっていることは片っ端からバキバキ折れるような
細くて弱い程度の理論であって、ゴマカシとインチキでしかない。
ゴーストライターを雇っているのでしょう。本当の信者ならこんなキチガイじみた文章は書けま
せんよwww >この論文で、明主様は、本教には、キリスト教、神道、仏教をはじめ、儒教も、哲学も科学も芸
術も悉く包含されていることを明らかにされています。
論文と言うほどでもないと思うが、本教は、キリスト教、神道、仏教をはじめ、儒教も、哲学も化学も
芸術も悉く取り入れ、参考にしている事は明らかである。何故なら後世であればあるほど前世のものを
取り入れる事が出来るから。 ⑷「『東方之光下巻』
明主様の著作活動として、『東方之光下巻』では「口述」という項を設けています。ここでは、
明主様が論文の執筆にあたっては神の代行者としてこれを説くという厳然たる姿勢で臨んで
いたと紹介されています。拝読すると、その執筆のお姿は御書「神智如泉」の通りであったで
あろう、と拝察されます。これらから明主様は、キリスト教の歴史的な役割の偉大さを高く評価
されていることは感じ取れますが、しかし地上天国建設という経綸上明主様がとりわけキリス
ト教を重視され、その本質、神髄を究めようとされるみ心は感じられません。また、普通人と
違って「神智如泉」の明主様には、その必要も無いとも思われます。上記の論文以外にも、
「世界救世教奇蹟集序文」、「浄霊とは何か」、「墳墓の奴隷?」等を拝読しても、同様の思い
が致します。この日、教主様はこの認識に関連して次のように述べています。「キリスト教は、
イエス・キリストがメシヤだって言っているんですよね、そしたらだから僕が言っていることは、
全然受け入れられませんよ、キリスト教では破門みたいになっちゃいますよ。そうでしょう。
そんなこと。破門みたいになっちゃいますよ。」キリスト教世界では受け入れられない、破門
みたいになることを承知の上で、「真の神の子・メシヤとして、新しく生まれる」を訴えている
教主様。そして、その理由はメシヤ教を開教される等「キリストのいう内容の本質、神髄を、
明主様が究めようとしておられるから」と受け取れるお言葉になっています。しかし、教主様の
明主様の「キリスト教に対する認識」は、大変な間違いがありました。そう思う時、これは長年
にわたりⅯ氏とほぼ毎週会い続けていることの正当性を主張するための後付けの理由かも
しれないとの疑念さえ沸いてきます ⒋間違った「メシヤ教」の究め方「明主様は、ご自分の
宗教をメシヤ教とされたということは、もうこの意味を究めていかないと、我々信者の務めで
すよ。全信者の。これをやんなきゃいけないと思うんですよ。僕は。」ここに異常にテンション
の高い教主様を見ることができますが、「メシヤ教」の意味を求めることは、信者の務めだ、
この問題意識は極めて大切だと思います。しかし、そうであればどうして私ども信徒と共に
「メシヤ教開教の辞」、「救世教とは何ぞや」、「私は真理を書く」等々のみ教えに、そしてご事
蹟にさらには事象として現れる事実にそれを求めようとされなかったのでしょうか。しかし、現
実は不幸なことに教主様はただお一人でⅯ氏とだけでこれを究めようとして来られました。
そのご努力には敬意を払いたいと思います。しかし、それだけにただお一人でⅯ氏とだけで
取り組まれ、その過程で気づいた大切なことを誰とも相談、協議することなくいきなり教義と
乖離するお言葉として信徒、社会に訴えられたことは残念でなりません。 >しかし地上天国建設という経綸上明主様がとりわけキリスト教を重視され、その本質、神髄
を究めようとされるみ心は感じられません
〇究めるというよりも聖書などの言う真理を霊的治病力も含めて具現化されたのが明主様だ
からな。一貫して御教えの浅読みと基礎的・広範な宗教に関する知識・知見に著しく乏しいか
らぶれまくりの感覚で教主様を誹謗しているだけの誤認教団。
>また、普通人と違って「神智如泉」の明主様には、その必要も無いとも思われます
〇仏教、キリスト教の土台に建つ理論だよ。
>明主様の「キリスト教に対する認識」は、大変な間違いがありました
〇教団執筆者の大変な間違い。
>Ⅿ氏とほぼ毎週会い続けていることの正当性を主張するための後付けの理由かもしれな
い
〇教主様を追い出すという目的のための後付けの説明だろ
>ここに異常にテンションの高い教主様を見ることができます
〇おまえが、教主様を追放して信者を私物化するという最下層のテンションだろ。
>それを求めようとされなかったのでしょうか
〇御教えに照らし合わせず都合のいいように張り合わせているのは教団
>そのご努力には敬意を払いたいと思います
〇アメとムチ、服従と背反を使い分けてる。その正体はムチと背反である
>大切なことを誰とも相談、協議することなくいきなり教義と乖離するお言葉として信徒、社会
に訴えられたことは残念でなりません。
〇教主様の真っ当なご意見を明主様潰しのゴロツキ教団の検閲を通す必要はないだろ この「メシヤ教の意味の究め方」を四つ目の間違いと捉えています。これまで、Ⅿ氏の存在が
明らかになった直後、平成29年9月13日のお言葉に対して見解を述べてきましたが、実はそ
の約1年前に、いづのめ教団教区長たちに教主様は自らの考えの核心部分をストレートに訴
え、イエスかノーの選択を迫っておられます。しかも、それを資料化し「教主様の意志」として
全国に発信しています。そのお言葉とは、「メシヤという言葉をお受けしなければならないと
考えている。神様が、我々人間をご自分の子どもとするということがあっての赦しですし、また
神の子となるというのが、我々にとっての救いですからどうしてもその『赦す』ということの媒体
である『メシヤ』という言葉は何を置いてもやっぱり大切にしなければならない。」ここでの核心
的な考え方は、神様の側は我々人間をご自身の子供にするという赦しがあるが、我々人間の
側から言えば我々が神の子になることが救いである。即ち救われるとは神の子になることだ
と述べていることです。だから赦す媒体である「メシヤ」という言葉は大切にすべしと指導され
ています。 「だから、ここで我々としてはやはり決めなければならないことがある。我々は今まで通り『明
主様だけがメシヤだ』と言い、いわゆる明主様を神格化した形として明主様を信じていくのか。
それとも、明主様は人類のひな型として人類一人ひとりの目指すべき立場の『神様の子供た
るメシヤ』となられたという明主様を信じていくのか。要は明主様だけがメシヤということを信じ
ていくのか。それとも我々もそのひな型に結ばれて神様の子供たるメシヤという立場を全うす
ることを目指すということを信じていくのか。どっちかを決めないといけない。イエスかノーの問
題である。自分で分かっても分からないでも、先ずどちらかを決めないといけない。これを曖
昧にしてこの先進んでいけない。」教主様は、この時には後に触れる平成21年2月4日いづの
め教団立春祭でのお言葉のように、救世主たる神格を有する「メシヤの実体」には触れてい
ません。ここでは「メシヤの実体」を「天国の福音書序文救世教とは何ぞや」という「天国の礎
宗教上」の冒頭のご論文に求めてみましょう。「主神は私に対して目的達成に必要なあらゆる
智慧と能力を附与せられ、しかも超人的神力をも授け給うたのである。そうしてこの神力なる
ものは人類の経験上未だかつてなかったものであるから、とうてい想像は不可能である。現
在私はこの力を自由自在に行使し、無数の奇蹟を現わしている。」このように、「メシヤ降誕」
を告げられた明主様は、このご論文でかつて人間が経験したことのない想像不可能な「神力」
を自由自在に行使されるメシヤたるご自身を語っておられます。 >イエスかノーの選択を迫っておられます
>@『明主様だけがメシヤだ』
〇いやいやそんなことはないでしょう。キリストも仏陀もメシアですよ
>A明主様は人類のひな型として人類一人ひとりの目指すべき立場の『神様の子供たるメシヤ』
となられた
〇これも日本語として狂っている。明主様が神の子・メシアである。それに倣おう。メシア活動
のモデルが明主様である。
>B我々もそのひな型に結ばれて神様の子供たるメシヤという立場を全うすることを目指す
〇神の子メシアである明主様に倣って信者個人がメシアを意識した活動をする。
>どっちかを決めないといけない。イエスかノーの問題である
〇決めるも何も@はあきらかに間違い。AとBはまほぼ同じだからな。
>自分で分かっても分からないでも、先ずどちらかを決めないといけない
〇アホかこいつは。自分が理解して、納得してから判断するにきまってるだろ。これは
教主様批判文をまかされたヤツが、自分でよくわかっていないが、とにかく教主様を
こき下ろさねばという意思・信念がむき出しになっている言葉だろう。 教主様は、「メシヤとは分霊の存在の実体」(平成21年2月4日)であるのだから、「分霊を給る
人間」全ては、このみ教えにあるような、人間が経験したことのない「神力」を行使する「メシヤ
の立場を全うすることを目指すべき」と諭していることになります。そもそも、救世教の教義上
も、実態上も成り立たないこの自説に立って、教主様は、「メシヤは明主様一人か否か」と、
「分かっても、分からなくても、どちからに決めなさい」と迫っておられるのです。率直に言えば、
「教主様である私が言うことを、分かっても、分からなくても、受け入れるのが、皆さん方の立
場ですよ」と迫っていることになります。この時点では、Ⅿ氏の存在が明らかになっていませ
んから、主之光教団役員に吐露されたような「認識」も披歴されておられません。そうしたこと
を伏せたままで、単刀直入に、イエスかノーかと迫ったことになります。今日の異質な思想集
団の旗揚げには、「僕として」の、いづのめ教区長達が必要だったということなのでしょうか。
この平成28年11月30日のいづのめ教団教区長への核心的な指導に続いて、平成29年9月13
日の主之光教団役員に対する認識・心情の披歴があります。そして、平成29年11月23日上記
いづのめ教団教区長の主導による平安郷集会への出座、お言葉に続きます。さらに平成29
年12月22日、いづのめ教団御生誕祭を途中退席させてまで強行した前代未聞の熱海・後楽
園集会への出座、お言葉が積み上がっています。明けて平成30年5月3〜4日、広島、大阪で
の異質な思想集団の旗揚げ大会に繋がっています。 >分霊を給る人間」全ては、このみ教えにあるような、人間が経験したことのない「神力」を行使
する「メシヤの立場を全うすることを目指すべき」
〇実に的を射た内容であり何等、疑念や批判をされるような意味合いは無いですよね。
>救世教の教義上も、実態上も成り立たないこの自説
〇救世教の教義の本質そのものですよ。教主様こそが大乗信仰の理想的集団として、牽引
していくべき方向をしめされていて、それを実態活動に移されようとしていますね。東方之光
こそ、実態は破壊活動が主導であり邪悪な蛇神にコントロールされている異質かつ反社会的、
魔界のガバナンスに従っている思想集団ですね。
>今日の異質な思想集団の旗揚げには
>異質な思想集団の旗揚げ大会に繋がっています
〇東方之光は教主様が異質な思想であり、その組織組みを画策されていると決めつけて
いる。これは創価学会とほぼ同じ手法あり、東方之光の組織実態そのものを教主様に押し着
せしています。東方之光の正当性を誤認させるために何度も繰り返し書かれているという
ことです。 ⒌これらの背景にあるもの
異質な思想集団発足を主導した教主様の4つの間違いについて、率直に述べてきましたが、
ここでは誰もが抱く思い、即ち「なぜ教主様はそうなられたのか」その謎を解く手がかりを求め
てみることにします。
⑴平成29年11月23日平安郷集会でのお言葉
「私は、自分の人生を歩んでいく中で、どうしてもそこのところに、もう入っちゃったんですよね。
そこをどうしても求めていかないといけないというところに入っちゃったんです。」
と述べられ、上記の「そこのところ」について、
「そういうご自分と神様が一体化した状態でしかも完全な信頼をもって明主様は神様にお仕
えする生き方をされたと。その肝心な神様と明主様の関係。ということは神様と人間との関係
であり神様と私ども一人ひとりの関係。このことについて本当にね、明主様は私どもにどうい
うことを気づかせてくださろうとしているか。」と述べられています。当然のことですが、重大な
局面に立って教主様は人生を振り返りつつお言葉を述べていかれたと拝察できます。 ⑵上記、平成29年9月13日主之光教団役員へのお言葉
少人数のこの会合では平安郷でのお言葉より、より具体的に「私の人生の歩み」を述べられ
ています。
@僕自身の環境、知らない内に明主様の孫として生まれた。生まれた時は何が何だかわか
らないわけです。段々育つと自分自身のお祖父ちゃんはこういう人だと分かってきます。
A救世教の先生とか、参拝につれていかれて救世教があるそれでお祖父ちゃんがいる、み
教えがある、それで段々と成長する。
B僕は当時は何も意識がなかった。あんまり深く考えていなかった。これから自分はどうなる
んだろうみたいな話しは。だけどもお祖父さんが言っていることは、一体何なんだろうというふ
うに思った。明主様が仰っているのは一体なんだろうか、段々そう思うようになったんです。
Cそういう中で大学の頃、友達が今僕があっている人(Ⅿ氏)が、神様とは人間って一体何か
等、いろんなことを話す。そういう中で僕も同じ疑問をもつようになった。彼は聖書、キリスト教、
ユダヤ教、旧約聖書、新約聖書に興味をもち、そこから気づかれたことを話す。それでずっと
続けている。 D僕が専従して継嗣になって時の川合総長から海外で比較宗教学を勉強せよと言われて、
イギリスに行きキリスト教の勉強をさせられたし、指導教授が仏教で、仏教も学んだ。
Eこういうふうな中で、メシヤ教を開教されメシヤという言葉を使われる明主様のみ教え、思い
ってなんだろう、と思うようになった。
F僕はラッキーだったと思う。明主様のこのメシヤとか、キリスト教のことについて解決しなけ
ればならない問題がある。それを解く鍵を彼(Ⅿ氏)は提供してくれて。彼はもっと広い視野で
いろいろ見て神様の思いということを知ることができるキッカケを与えてくれる。だからこれは、
続けていきたいと思っている。この時に語っておられる「神とは何か、人間とは何か」という教
主様の基本的な問題意識について、平安郷では、「神様と明主様の関係」、「神様と人間の関
係、神様と私ども一人ひとりの関係」という言葉で表現しておられます。「そこに入っちゃった」
教主様にとって、広い視野からこの根本命題と共にキリストとか、メシヤについての問題解決
の鍵を提供してくれるⅯ氏は、これ以上ない貴重な存在であるのでしょう。 ⑶ある人に語られたお言葉
今年早々、教主様はある人と懇談し、思いの一端を話されています。その要点は次のようで
ありました。
@お言葉は、「思わされたこと」を口にしたものであり、特別な「根拠はない」そういうものに
「掴まれちゃった」感じである。
A「生まれ変わるんじゃない。新しく生まれたわけです」について、今の段階ではこの話題を
「避けたい」。今は教義の話はしないほうがいい。そうしないと何も始まらない。
B私の理解と認識を超えたものがあるわけだから説明は難しい。だから自分を信じている人
たちでも、わかるように説明することはできないと思う。
C私の経験とか、ものの観方、考え方は非常に狭いと思っている。
それを「超えた方」がおられると思う。だから自分が理解するとかしないを超えて「その方」に
従わないといけないみたいなものがある。
D私が納得できるから人に話す、そういうわけでもない。納得できないというよりも、超えてい
る、理解と認識を超えている。でもそう思わされることについては、お受けして話している。 私の考えとして出しているわけではない。
E私を信じるかどうか、まずそれがないと何も始まらない。この人は、この懇談内容を今日ま
で口にすることはありませんでした。それは想像さえできなかったお言葉にショックを受けた
からです。しかし広島、大阪の集会にみられる異質な思想集団の立ち上げを見て敢えて言葉
にしたということです。この時の「掴まれちゃった」とか、平安郷での「そこのところに入っちゃっ
たんです」は大変気になるところですが、それはともかく「明主様のみ心は教主様の強い意志
を通して私たちに伝えられる」、また、「教主様のお言葉は唯一絶対無二の拠り所」と叫ぶ人
たちは、この教主様のお言葉をどう受けとめるのでしょうか?お言葉が出される背景やお言
葉の内容がどうであれただ一点、教主様は世界救世教の教主であるが故にその教主様が
唱える「全く新しい信仰」――教主様自身も教主様を無条件に信ずる人たちも、誰も説明でき
ない――これを、信徒の皆さんに押しつけ信徒の皆さんに満足な説明もなく、いづのめ教区
に移籍させるようなことが平然と行われる世界救世教は明主様の願う教団でしょうか。教主様
の歩まれた人生がなぜにこうなってしまったのか、そのことも含めて教団の歩みをこの機会に
こそ精査し、み教え、ご事蹟を求め直して改めるべきは勇気をもって改め、明主様のご経綸に
叶う世界救世教、明主様が願う本来の信仰を求めて再出発すべき時ではないでしょう >想像さえできなかったお言葉にショックを受けたからです
〇信者のほとんどが高齢のおばちゃんであり、御教えに関して無知蒙昧である。したがって、
教主様が大乗信仰へと大きく舵を取られるという発言はショック以外の何物でもない。このショック
という言葉を東方之光は教主様がプッツン系の精神感覚に嵌ってしまったと印象付けたい
のでしょうね。
>この時の「掴まれちゃった」とか、平安郷での「そこのところに入っちゃったんです」は大変気
になるところです
>お言葉が出される背景やお言葉の内容がどうであれ
〇この二つの文章を対比させてみるととても面白いですね。東方之光が前後の文面や脈絡
にとらわれずに、教主様がプッツンしてしまったのだと錯覚させようとしているということが
見え見えです。 >教主様が唱える「全く新しい信仰」――教主様自身も教主様を無条件に信ずる人たちも、誰
も説明できない――これを、信徒の皆さんに押しつけ
〇説明してもわからない人達に説諭しても始まりません。何等抵抗なくとらえることができる
教主様のお言葉を、異質でありプッツン系のアンチ明主様組織である東方之光が、自分たち
ケツが汚れていて、臭いのこの匂いの正体は教主様であると決めつけ押し付けている。それ
がよく読み取れますね。
>平然と行われる世界救世教は
〇山口組の指導のもとに平然と殺人をおこなってきた暗殺団。東方之光。
>明主様の願う教団でしょうか
〇何を聞いてもわからない・知らないと笑いながら答える戦場者の集団の東方之光が
こういうことを言っていいわけはない
>教主様の歩まれた人生がなぜにこうなってしまったのか
〇教主様がなぜプッツン系のわがままな精神病者になってしまったのかといいたいのでしょう。
その気持ちはよくわかります。教主様はアンチ明主様の専従がいれば、追放します。蛇霊憑き
の東方之光はこの権力を怖れているのです。どんな無法且つ理不尽な行為も誰からも罰せられ
ない。それが東方之光が望む救世教の姿です。
>み教え、ご事蹟を求め直して改めるべきは勇気をもって改め
〇この文章は愉快ですね。自分達の信仰の理論などが間違っていた場合に自らを訂正し、
更正させていくということに勇気がいるということですからね。いかな明主様と逆行しているかと
いうことが明瞭にわかりますね。
>本来の信仰を求めて再出発
〇これも大笑いできる文章です。半世紀近くも教団がやってきて、今更本来の信仰ですか。
こんなヤツラに教主様を批判・非難する資格などありませんよ。 訂正
〇説明してもわからない人達に説諭しても始まりません。何等抵抗なくとらえることができる
教主様のお言葉を、異質でありプッツン系のアンチ明主様組織である東方之光が、自分たち
のケツが汚れていて、臭(くさ)いこの匂いの正体は教主様であると決めつけ、押し付けている。
それがよく読み取れますね。
〇この文章は愉快ですね。自分達の信仰の理論などが間違っていた場合に自らを訂正し、
更正させていくということに勇気がいるということですからね。いかに明主様と逆行しているか
ということが明瞭にわかりますね。 ⒍改めて気になる「お言葉へ」について
冒頭で「異質の思想」について「本教の誕生」、「宗教以上のもの」に基づいて総括的に私
どもの見解を述べました。ここでは教主様の説かれる「世界救世教とは」「世界救世教のマーク」
と、それに関連する具体的なお言葉に対してその異質性に言及しておきたいと思います。
>総括的に私どもの見解を述べました
〇断片的に教主様に偏見が持てるように編集してみました。どうですか、うまくできて
いるでしょう。というのが正しい。
>教主様の説かれる「世界救世教とは」「世界救世教のマーク」
〇上記の文章の中で、マークという単語は一度もでてきませんね。
いきなり関係ない言葉を挿入してはぐらかしたい。躓きの石としての言葉でしょう。
>異質性に言及しておきたい
〇信者の皆さんが教主様は異質であると強く思い込むように原稿を書きました。が正解。 このスレを見ると信者は何かに憑りつかれているようにしか見えない。明主様とか教主様とかキリストが云々とか。
誰でも宗教とおかしな関わり方をするとおかしくなる様だ。もっとも信者はおかしくなっている事に気付かない。
オウム真理教の信者も救世教の信者も同じ要素を持っているのだろう。それは何かといえば洗脳に気付いていない。 なかなかいい指摘だね。君の指摘は。私も信者だが、救世教という宗教は洗脳されている
部分もかなりあるんだが、それに気づいたり抜け出したりすることがとても難しいんだ。
教祖は頭のいい人だからね。
神様だから騙すのがうまいんだなんて発言もある。
とくに、昔から天国の礎っていう一巻物の教典があるんだが、これは専従者に都合のいいよ
うに教祖像をイメージさせるのに使われたきた。この教祖の仮像から真像に移れないでいる。
平日から動いている信者って、時間に余裕のある主婦くらいしかいないから、それも子育てから
解放されている年齢なんだな。そういう人たちで活動が行われてきた。そこで御教えの話とか
ほとんどやらないんだな。教団のいいなりだよ。男性活動者がいたとしても、議会議員なんか
がペコペコ頭を下げるのがおもしろくてやってるみたいなのしかいないよ。
そんな中で、職員による信者の殺人が行われたとしても、誰も騒がないんだな。
大体、蛇神しか祀っていないから、こうなるってのが本質なんだけどな。 >そんな中で、職員による信者の殺人が行われたとしても、誰も騒がないんだな。
大体、蛇神しか祀っていないから、こうなるってのが本質なんだけどな。
へえ〜、職員による信者の殺人が行われるのか〜。
邪神しか祀っていないのか救世教は。殺される信者は大変だな。知り合いの信者に教えてやろう。 天理・大本・救世教のキッズを集めてスクール開校したら?
いまは黎明期なので時代に柔軟に合わせて。
もちろん英語の授業は無し。昼食はすべて自然農法で作った和食。
デザートも無農薬の果物。二世・三世の信者は喜んで入学しそう。 今年は三月に、専従者Sによって毒殺されたG婦人(70代)の命日があります。
この方には、息子さんと娘さんがいる。しかし、両人とも活動はされていないです。
夫は信仰には無関心だったようです。
さて、どうやってSによる犯行を伝えていくか。
亡くなる前にどういう症状が出ていたかなどがわかればかなり確定できます。
細菌入りのお茶を飲まされた可能性が高い。
その際に特殊な症状があります。
G婦人がなぜ殺害されたのか。それは私が殺されそうになったことを話して相談していた
からです。非常に正義感の強い真の明主様信仰者でした。
この方が生きていたなら、この先ずっと専従者Sを追及し続けていたことは間違いありません。 専従者Sは、G婦人の一周忌の席にも平然と出席するのでしょうね。
この男が斎主をやったというのも私からすると、殺人犯が弔いをするという
ことになり、苦々しい思いがします。
多くの皆さんが信じられないと思いますが、宗教内部で日常茶飯事のように殺人が行われ、
殺人犯である職員が全く検挙されていない。
こんな宗教が現実に存在するということです。
私も専従者Sがそこまでのことをためらいもなく実行できる鬼畜で
あるというところまでは、認識ができていませんでした。霊的には示されていた
のですが、その視えているものが、殺人に手を染めてきた過去を背負っている
人間に特有のものであったというところまでは見抜けませんでした。
それも霊的経験の浅さということもあります。 実は、幾人かのメンバーの方々にこの葬儀の際に不思議な出来事があったことは
伝えてみました。そして、その後、集会所に行った際にSがいる中で、G婦人の墓参りに行った
時のことを話しました。私とG婦人に深い因縁のある証ととれることがありました。それをSは聴い
ていたのですが、じっと下を向いて無言でいました。
Sは白髪も薄くなり、気持ちも落ち込み私がメンバーとかわす世間話を無言で聴いているのみ
です。日を追うにつれて殺人犯である可能性についてメンバーが知るに及んで、Sは追い詰め
られていくことを感じているようでした。そういう話を拡げている私に対して、何等の反論も
返答すらしてきません。これもSが実行犯であるという証でもあります。 蛇神家の一族
殺人鬼と食べられる虫人間の世界
殺人鬼=専従者 虫=信者 地上蛇天国
美しい蛇神の世界
病・貧・争絶無の蛇世界 バイオテロでいま話題のMC救世教って、このスレでいいの? バイオテロ いい表現だなぁ
歴代総理も関わってるからね 中曽根、海部、橋本、羽田
とか80年代は勢ぞろいだったな。
元・警視総監の下稲葉とかな
やりたい放題殺し放題やってきてる
90年代初頭まで山口組三代目 田岡氏の長男 田岡 満氏が最高顧問だからな
これって掘り下げるとオウム真理教をはるかに超えている死体置き場かもしれんよ
公安は何やってたんだろ この組織の実態つかめてなかったんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています