この明主様の教えの不思議というのは、観音、観音と言うけれども、観音経を読みなさいとは
絶対に言われないことである。そして、岡田茂吉師の描かれる観音像には額のところに阿弥陀仏が
描かれているものは見たことがない。また、天界の教えの中で阿弥陀仏は兜率天にいるとある。
これは日蓮さんが説かれた理論ではないのか。西方極楽浄土を否定しているのかもしれない。
岡田茂吉師がとくによく言われるのは、信仰上最も重要なことは誠であり、誠以外にないとして
いる。これは完全なパクリで浄土・真宗で言われる阿弥陀仏信仰で最重要視される至誠心と
いうものの真似だろう。自分自身を阿弥陀仏の位格に置き換えている。

他の宗教についてどんどん調べなさいといわれているが、単純な人たちにとっては
他宗教など全く必要がなく、害悪であると思わせる教えの内容になっている。
神社やお寺すら軽視し、蔑視する感覚は信者に根付いてしまっている。

信者たちはメシア病にかかっている。ただ手をかざし、明主様と言い続けることが信仰であると
思い込んでいる。