■毒盛■2ch版・世界救世教のスレ part18■常習■
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大本教の宣伝ビラを御覧になられて、ハテナこれは私の神様と同じような事だと興味を
覚えられて、この講演を御聞きになられて益々興味々覚え、終に綾部まで御出掛になら
れて、出口王仁三郎師に御面会の段取とはなられたのでありました。明主様を御覧にな
ると出口師は「岡田さん、あなたがねえ、仮にコップに水を入れ、これが薬だから飲めと
言えば、それが薬になるんやぜ」とさすが当代としては一流の霊格者たる出口師、遂に
明主様の大神格者で在らせられる事を即座に見破られたのでありました。私が大本教に
入信してから数年の間は、実に信仰は小乗的で、固苦しい極端な程禁欲的であった。
勿論食物もその通りで肉食も厳禁されている。彼等に言わせると四足を食うと血が穢れ
るとの事である。そうして大本教の重要行事として一年に一度、丹後の高砂冲に冠島沓
島といふ二つの小島があり、それは大本教の根本神国常立尊という神様が修業された
行場であるというので、多勢の信者が船に乗って参拝するのであるが、其際も皮製の鞄
は厳禁している。というのは四つ足の皮は海の神様がお嫌いになり海が荒れるからとい
うのである。処が私はどうも理屈に合わないような気がする。何故なれば、肉食もその皮
もいけないとしたら、外国人を救う事は出来ないではないか。大本は世界人類を救うとい
う建前と矛盾しているという訳で、私は入信前と変りなく、肉食もし、特に大本へ行く時は
洋服を着たものである。其頃洋服を着るのは多くの信徒中私一人であったので、それが
為洋服の岡田さんとして有名になったものである。又本部へ参拝に行く時、数人で汽車
へ乗った時など食堂へ行くと、決って私はサンドウィッチを食べる。外の者は驚いて種々
忠告するが、私は只笑うのみであった。然しそれから数年位経た頃から信者も漸次変っ
て来て、私が脱退した頃は、肉食も洋服も世間一般と同様になった事は勿論である。
以上の訳を説明してみるが、教祖出口直子刀自は、経の教で小乗的であるに反し、出口
王仁三郎師は大乗的緯の教であったからである。然し、王仁三郎師は緯になり過ぎ経を
閑却された為、彼の様な法難を受ける事になったのであろう。 【出口なおについて】
大教の教祖様の出口なお刀自は経の信仰、つまり小乗信仰です。ですから実に厳しいので
す。そこで教祖様は「イヅの御霊」とも言われたのです。「イヅ」というのは厳しいのです。それ
から聖師様の出口王仁三郎は緯で、「ミズの御霊」です。教祖様は経、聖師様は緯だという
ことになっていたのです。それで最初は「イヅの御霊」つまり厳しいやり方によって失敗した
わけです。ですから教祖様は始終きちんと坐って、体を少しも乱さないのです。しかし厳し
いと言っても、やはり神様ですから愛はあります。だからその厳しさを人には強要しない
で、御自分で守っていたのです。おもしろいことがあったのですが、教祖様はどんな人にも
同じような待遇をされるのです。それである信者が“教祖様はどんな人にも同じ待遇をさ
れているが、やはり好きな方と嫌いな方があるでしょうが、それを伺いたい”と言ったとこ
ろが、“ワシも好きな人と嫌いな人が大いにあるが、そういう別けへだてをすると、嫌いな
人は非常にいやな思いをする、それがつらいから同じようにしている”と言われたのです。
御自分には厳しくても、人には厳しくしないという、そこにやはり神様としての愛がありま
す。ですからお筆先に“大本は世界の型であるぞよ”というのがありますが、確かにそうで
す。それで東洋は精神的ですから、「イヅの御霊」で、それが失敗したのです。それで西洋
文明に負けたのです。ところが西洋文明も緯ですから、それによって失敗するわけです。
そこで東洋の精神文明と西洋の物質文明の両方がきっちりと結ぶことが、今言う伊都能
売(いづのめ)式です。 明主様が側近に話されたこと
「今でも人間は四時間労働で生活できるように創られている。
できないのは、一部の人間が自己の為に搾取してるから。
そして最後の審判では、金持ちは通過できない。」
今の八時間労働は、もうじき終わる。
最後の審判は、早めていただきたいですね。 明主様御教え 「ミロクの世の実相」 (昭和27年御執筆)
「これをまず国際上から説明してみるが、世界各国の国境は、現在のままではあるが、
実質的には撤廃されたと同様になるのである。つまり隣国に対する権力は平等となる
以上、侵略などは絶対なくなるというよりも、侵略の必要がなくなるのである。ここで侵略
について少しかいてみるが、今日までは侵略にも止むを得ざるそれと、そうでない侵略と
の二つがあった。前者の方は例えばある一国の人口が益々殖えるので、国土が狭くなり、
ために過剰人口のはけ口を求めなければならないが、それを快く受け入れる国がないと
したら、どんな手段によっても、そうしなければならない事になる。ここに戦争にうったえざ
るを得ないのであるが、ミロクの世になれば、そういう事情は絶対起らない。というのは
世界には広漠(こうばく)たる原野を抱えて、人口稀薄の国はいくらでもあるから、日本の
ごとく国土狭く、人口過剰な国家があるとしても、簡単に解決されるのである。それは世界
議会があって、いかなる問題でも、慎重審議の上可決する。もちろん今日のごとき自国
本位の、我利的根性など全然ないから、いかなる法案も正しいものである以上、円満に
成立するのはもちろんで、一ヵ年何万人でも、過剰人口はそれぞれの国家へ公正に配分
され、争いの余地などあり得ないのである。これがミロクの世の世界議会であるが、しか
しそうなっても各々の国には、その国の国会もあるにはあるが、今とは違い議員の素質
も立派で、自利的観念を棄て何事も世界的人類愛的に解決する。従って現在の議場の
ごとき、甲論乙駁(こうろんおっぱく)、喧々囂々(けんけんごうごう)たる場面などは更に なく、何事も説明だけで、和気藹々裡に即決されてしまうので、時間なども今日の十分の
一にも足りないであろう。そのような訳で会期も三月に一回くらいで、一回の日数は半日
ずつ三日くらいで済むであろう。これにも理由がある。それは法律というものが非常に少
なくなる。いうまでもなく法律なるものは善人には必要がなく、悪人に対してのみの必要
品であるからで、悪人のない世界となれば、そうなるのは当然である。このような議会を
頭において、現在の議会を見たならどうであろうか、忌憚なく言えば文化的野蛮人の集合
場といってもいいであろう。ここで世界議会の事を別の面からかいてみるが、近来アメリカ
において、唱導されている世界国家というのがそれであって、この説が出たという事も、
ミロクの世の近まっている示唆であろう。そうして世界議会とは、今日の議会を世界的に
拡げたものと思えばいい。もちろんその中心の首脳者こそ、今日の大統領と同様で、すな
わち世界大統領が出来るのである。この任期は三年であって、もちろん世界各国の議員
の中から銓衡員(せんこういん)が選ばれ、大統領を選ぶのであるが、その議員はその国
の人口数に割当てられる。つまりこれが世界議員である。それから今一つの後者の侵略
者であるが、その時代はもはや世界各国は武力がないので、戦争は不可能となり、前述
のごとくすべて合理的平和的に、人口調節が出来る以上、これをかく必要もない訳で
ある。」 明主様御垂示 「将来における言語の共通化について」 (昭和24年7月3日)
信者の質問
「将来各国語は一様になってしまうでしょうか。」
明主様御垂示
「まあ、一様になることになるんですがね・・・いまよりはずっと一様になりますよ、そして
ずっと先にはみな一様になってしまいますよ、世界が一つの国になるんですからね。
しかし、言葉を変えるってことは難しいことですからね、そうすぐにはゆきませんよ。」 明主様御講話 「労働三時間」 (昭和10年5月1日)
「大光明世界ができると、人間は三時間働いただけでも食うものに困らなくなる。今日の
交通機関や、衣食住などとても善美になるんであります。庶民一般も非常に立派な着物
を着る。立派な家屋に住むことになるんであります。今日の労力の少なくとも半分は、
軍備とか○○○とか病気のため、あるいは機械のために費やす。」
明主様御垂示 「労働は一日四時間」 (昭和23年12月28日)
信者の質問
「労働時間について論議されますが、健康と労働について・・・」
明主様御垂示
「労働時間はいまに一日四時間でよくなります。そういう方法をだんだんに発表しますよ。
農業だって無肥料でやれば一日四時間働けばよい。この間も白菜に堆肥を二回やった
だけで一貫五百匁のがとれたのです。だから万事そういうふうになってくれば、朝から晩
まで働かなくてもよくなるのです。」
明主様御講話 「労働時間は半日になる」 (昭和27年7月17日)
「もし悪がなくなったとすれば、仮に泥棒もなくなるし、また第一健康法なんかだいぶ変わ
る。これは昔神様から知らされてますが、窓なんかずっと大きくなって風が入るようになる。
戸締まりなんかいらない。汽車や電車に乗っても用心する必要はないし、それから一々、
契約書とかいろんな難しい書類を書いて、判をベタベタ捺す必要はないし、金銭の取り引
きも実に簡単です。それからこれを書いてしまったら、病気以外のことも書きます。経済上 のことでも、元値がいくらで利益がいくらということを、ちゃんとみな公表しますから、駆け
引きはいらなくなる。いろんなことについて実に明るく簡単になる。そこでどうしても人間
は勤める人も、一日ではどうしても多過ぎるから半日になる。半日になってお昼で家に帰
るのです。弁当もいらない。それで午後は自分のしたいこと、楽しみをすることになる。今
の人間は食うために働くのですから、朝から晩まで働かなくてはいけない。そういうふうに
神様が人間を造ったのではない。ですから働くということは、楽しむために働く。幸福な良
い生活、歓喜の生活をするために働くというものですから、まるで違うのです。そうしてそ
んな食うために働くと、一日中、朝から晩まで汗水たらして働くということは、無駄なよけ
いなことをしているから、それだけ働かなければならない。例えば戦争です。戦争という
ものがあるからどうしても軍備をしなければならない。それには金や物資がいるから働か
なければならない。それから悪人がいるからいろいろ苦しめられる。そういうものを防止
する機関がいる。それから病気を作ることも善と信ずる悪です。病人ができたりいろんな
ことで、それに必要な物資だとかいろいろなことも、人間が働いて作らなければならない。
そういうことで悪に対して、悪というもののために人間が働かされ苦しめられていること
は、たいへんなものです。悪がなくなったら、世の中は実におもしろい世の中になります。
自殺する者はなくなります。そうしてみんな長生きする。百以上は楽なものです。つまり
自然に死んで、病気でということはなくなります。早死にとかは病気のために死ぬのです。」 ※明主様は自然死というものを礼賛されているようだ。いわゆる老衰ということだが、これが
自然であり安楽な死に方で結構ということだが、実際、100才近い老衰という実情を
体験されたことはないのだろうか。
老衰死というものは植物人間が動いて反応するようなもので、生きながらにして死んでいる
状態のことをいう。これもまた悲惨な状態だ。
90過ぎても呆けず、働いていて知人、知り合いと親しく夜寝て明日には臨終してたってのが
いいだろう。 明主様御教え 「健康と寿命」 (昭和27年御執筆)
「私はこれから医学を全面的に批判解剖してみるが、その前に健康と寿命についてかか
ねばならないが、現代医学が真の医術であるとすれば、病人は年々減ってゆかなけれ
ばならないはずであり、それと共に寿命も漸次伸びてゆかなければならない道理である
ばかりか、そうなるまでに数百年で充分であるのはもちろん、現在最も難問題とされてい
る結核も伝染病も全滅するし、病気の苦しみなどは昔の夢物語になってしまうであろう。
ところが事実は全然その反対ではないか。としたら真の医学でない事は余りにも明らか
である。そうして次の人間の寿命であるが、これも造物主が人間を造った時は、寿命も
ハッキリ決めた事である。もっともこれについても私は神様から示されているが、最低百
二十歳から、最高は六百歳は可能という事である。従って人間が間違った事さえしなけ
れば、百二十歳は普通であるから、そうなったとしたら実に希望多い人生ではないか。
しかもただ長命だけではなく一生の間溌剌たる健康で、病気の不安などは消滅するので
あるから、全くこの世の天国である。では右のごとき間違った点は何かというとこれこそ
驚くべし医学のためである。といったら何人も愕然(がくぜん)とするであろうが、人間は
長い間の労苦が実を結び、仕事も一段落となり、社会的信用も出来ると共に、子や孫な
ども増え、人生最後の楽しい時期となる。そうして種々の経験や信用もあり、それを生か
して世のため人のため出来るだけ徳を施す事になるのである。それが十年として九十歳
になるから、それ以後は冬の季節となるから、静かに風月などを楽しみ、余生を送れば
いいのである。しかし人によっては活動を好み死ぬまで働くのも、これまた結構である。
以上によってみても、四季と寿齢とはよく合っている。この見方が最も百二十歳説の裏付
けとしては好適であろう。この理によって医療が無くなるとすれば、右のごとく百二十歳ま
で生きるのは何ら不思議はないのである。 溌剌たる健康で、病気の不安などは消滅するので
120才まで生きたとしてこういう状体は有り得ないでしょう。
ほとんどの人が耳が聞こえずなんとか見える。
なんとか思い出せる。なんとか歩ける程度でしょう。
こうなると生きている方が不幸になります。 私が言いたいのは雑食をしているとほとんどの場合が人生の末路において
悲惨な状況が現出するということです。
幸福な晩年と臨死を迎えたいのなら
少なくとも中年の内から食生活を改善すべきだと思います。
そして、死後、安楽を得たいなら正しく神仏を祀るのが早道です。 専従者。これは厄介な連中です。
信仰者では無いです。そして人間ではなく蛇霊であり、
霊長類ではなく爬虫類です。
正しい、祭壇を祀ることによりこの真実の姿が見えてくるのです。 最近かなり不倫が広がってるようにおもうが、
これを説明してみたい。
そもそもセックスとは霊界から子孫の霊子を召喚する儀式と言えるだろう。
したがって遊びでセックスをしてはいけないということだ。その際、神仏が働くので
神仏に無用の仕事をさせることになるので罪重となる。
さらにお互いの先祖たちはこの行為に対して憂悲し、憎むのでこれも
霊障となる。
簡単に言えば不倫漬けの人間は八方塞がりの人生となり、
晩年において正常な人生からはかけ離れ、
結局不倫淫靡な行為の全てにおいて後悔せざるを得なくなる。
まれに順調に見える人生があったとしても、霊界に入ってから、
罪の重さに苛まされ続けなければならなくなる。 明主様御垂示 「不倫な夫婦の子供に浄霊は効果なし」 (昭和23年5月28日)
信者の質問
「女権尊重の叫ばれる今日、離婚ということについて・・・」
明主様御垂示
「今度「信仰雑話」という本を発行するので私も「夫婦の道」について少し論文を書いてみた
んですが、いままでの信仰はいろいろと間違ったまま続いてきた。私は本当のことを知らせ
たいと思って「夫婦の道」を書いたんですが、これが判れば離婚ということも問題なくなる。
(井上先生「夫婦の道」を朗読)
だから離婚なんかあるべきではない。もっといい女を妻に持とうと言ったってできるものでは
ないんです。祖霊は男女の不倫を一番嫌います。不倫な夫婦の子供は御浄めしても効きま
せんよ。それですぐ判る。」註 「御浄め」とは、当時の浄霊の名称)
明主様御垂示 「不純関係による子の精神病」 (昭和24年8月8日)
信者の質問
「私の指導している信者の息子で、本年二十八歳の男、十九歳の時より神経衰弱となり脳病院に半年程入院しましたが、
何等変化がないため断食法を十五日続けましたところ、白痴状態となり、現在迄持続致しております。
平常は非常に無口で、絶えず指先を動かし、着物等は殆ど破ってしまいます。
なお、本人の母は、三歳の時家出し、現在生きているそうですが住所は分りません。
現在の母は継母で、父は後妻の外に妾を持っており、殆ど妾の方におります。
なお、霊的関係がありますでしょうか。また、浄霊にて治るでしょうか。方法を御教示をお願い申し上げます。」
明主様御垂示
「精神病である。父親と妾との関係である。
浄霊だけでは難しい。
父が入信してかような関係を絶たなくてはいけない。(祖霊が息子に憑っている)」 岡田茂吉師の論文には
セックスは子供をつくるためだけにあるのではない楽しむことが真理だ
とありますが、この文章が勉強会で出ました。その時に専従者が朗読したの
ですが、この内容に関して意図的に無視をしていました。ようするに自分でも
おかしい内容とわかっているが、教えにはこうあるということでスルーしたとい
うことですね。
セックスを楽しむなどということはナラズモノであれば自然にやり続けることですので
言うだけ意味がないでしょう。またキリストやブッダの教えにも反する。
教祖の教えは神からの示唆・啓示の部分と、教祖が真理として信じている理論から
憶測で書かれている部分とある。性交嗜と肉食・雑食嗜の内容は真理ではない。
性的妄想を排除し、正食に親しむということが真理であり、
この実現は難しくもあり時間もかかる。が、幸福ということであれば
真幸福への道で本当・本物の幸福が味わえる道である。 曹洞宗の僧侶たちの中で花粉症やアレルギーに悩まされていた修行僧が禅寺での
穀物採食の食生活により、それらが改善され発症しなくなっている。確かにニキビ顔の僧侶と
いうのは見たことがない。腸内細菌との関係で免疫が正常化されるそうだ。
https://kafunq.com/nhk-cho/#i-7 >>116
禁欲過ぎても駄目だしルールを外れて奔放過ぎてもダメという事です。
イズノメと言うことですよ。人間はどちらかに偏りたがるので。。 教祖は禁欲ということを禁忌しているフシがある。
確かに寒中の水浴とか、天台宗における何千回も
礼拝したり、草鞋で何十キロも走る。あるいは土をほって
洞穴で水だけで過ごすなど。意味ないよね。
こういうことと、正しい食事、性的欲求を同じに考えてはいけない。
教祖は菜食で病気が治った経験から言ってるが、少々、穀物採食の年数が浅かった。
私自身八年かかりましたが、この体が軽くなる快感は2-3年程度の菜食ではわからない
んですよ。
それと雑食とセックスと関係があり、浄霊していて雑食していると
性欲は暴発するくらい強くなりますからね。
両極端を制して中庸をとるということと食生活と性欲とは別物と
考えた方がいい。 それと雑食と霊的清汚と関係ありますからね。
雑食は霊体が濁り、鈍調な霊動となります。正食では霊体は清明さが顕常化し、霊動は
俊敏・機敏さを取り戻します。
また正食による霊魂の清明さは霊光を大きく力強く輝かせる。
これにより、他人に憑依しているよからぬ悪霊などを感知し得る
ようにもなります。さらに自分自身を悪霊から解放することにもなりますね。
専従者は皆、自分には邪霊は憑いていないと公言しますが、それらを把握できていないだけで、
ただの思い込みのレベルです。信者も含めて、大概の人達には霊障がある
と思った方がいいですよ。 明主様御教え 「狐 霊」 (昭和22年2月5日発行)
「日本の霊界においての狐霊の活躍は特筆すべきものがある。そうして狐霊は好んで○○宗
に接するが、それはその経文を聞くと狐霊の通力が増すからだと、狐霊が言った事がある。
その宗の行者もまたよく狐霊を使って霊験を得ている。病気治しや当てもの等を行うが、病気
治しはある種の病気に限るので、それは病原である霊が狐霊より下位である場合、それを追
出し得るからである。ところが狐霊は病気を治した後なかなか手を引かない。それは治った
御利益を利用し、その人を自己の利益に役立たせようとするが、それは自己を祀らせる事で
ある。多くは野狐であるため稲荷に出世したいからで、治病に骨を折るのである。狐霊は、
人間をして精神病者たらしめる事を最も得意とする。さきにも説いたごとく、万物の霊長たる
人間を自由自在に操るのであるからおもしろいに違いない。よく行者輩が種々の事を当 てる
が、それはこういう訳である。行者の前へ伺いを乞う相手が坐ると、行者の御用狐が相手に
憑依し、頭脳に侵入する。そうして相手の意志や記憶、希望等を探知し、直ちに行者に憑依
し報告する。そこで行者は「貴方はかくかくの事を考えているんでしょう」「かくかくの事があっ
たでしょう」などといわれるので、生神様のごとく信じてしまう。また行者が相手に向かって
「いつ頃あなたは、こういう出来事があるから気を付けなければいけない」という。するとその
言のごとき事が出現するので吃驚し、ついに帰依者となる。これは最初予言する時、御用狐
を相手に憑依させておく、狐霊は予言通りの時を狙い、言うた通りの事をするのである。
この方法で成功し、生神様のごとくなっているものもある。狐霊には稲荷の狐と野狐との二種
がある。前者は稲荷大明神と崇められ、中には眷属も多数で、狐霊界の王者ともいうべ きも
のもあり、各所にある有名な稲荷はそれである。しかるに野狐は失業者であり、浮浪人であ
る。野狐禅や野人などという言葉は、これから出ているのであろう。従って食物や住居に
困り、狐霊仲間では巾が利かないから、早く稲荷に祀られるか、稲荷の眷属になりたいので
ある。そうして人間に害悪を与えるのも野狐の方が多い。狐は老狐ほど通力が強く、有名な
稲荷大明神の本尊は大抵数千年を経たものである。また人間と同化した狐霊は子孫を守護
したり、産土神の御用をする等、良狐であるが、人間の不行届等のため立腹した場合人間を
苦しめる事がある。老狐は白色で産土神は白狐に乗じて馳走するのである。ここで、稲荷の
由来について簡単に説示するが、伝説によれば、その昔天照皇大御神が豊葦原瑞穂国を
豊穣の地となさんため、豊受明神に命じ、四方の国原に稲を間配らせ給うた。その時豊受
明神は多くの狐を使役し、稲穂を各地に播かしめた。故に稲荷とは稲を荷ぐという意味であ
り、また稲を生らせるから飯成りという説もある。その功によって各地に神として祭ら れたの
である。故にその土地の農民が感謝礼拝及び豊作の祈念をすべきで、それが稲荷の本来で
ある。しかるにいつしか逸脱して、稲荷の信仰が乱れ、農事以外の商売繁昌や花柳界の人
事等、私利私欲的祈願の的となったのである。」 人間の霊を段々占領すると、顔までが狐のようになって来る事もあります。人間を巧く騙す程、
狐の社会では名誉になるのであります。狐には、稲荷と野狐との二種あって、稲荷は祀られ
た狐であり、野狐はいわばルンペンであります。この野狐は絶えず祀られたくて策動している
のであります。日蓮宗の行者は、行を積むと狐が見える様になり、狐と交通する事が出来る。
そうして野狐を招んでは、あの病気をお前が治したら稲荷に祀ってやると言うと、狐は祀って
もらいたさに一生懸命に治すのですから、病気が治ると必ず祀らされるのであります。野狐で
も稲荷でも非常に沢山居て騙すのが巧い程出世をするんであります。狐にも種々名前が
ある。日蓮宗の行者などはよく名前を付けます。眷族というものも沢山居る。穴守稲荷などは
何万と居る。これは多く花柳界を専門にやっております。旦那を招ぶとか色男を招ぶなど巧い
ものであります。狐の偉い奴程騙すのが巧妙であります。東京では穴守と王子、関西で は
伏見などでありますが、穴守の方は花柳界へ、王子の方は一般的の方面に活動して居りま
す。豊川あたりの狐は生活に困らないので、割合悪い事は少い。豊川の狐は金儲けが専門
であるから、豊川稲荷の信者は、金は儲かるが・・・病気や外の不幸が多いのは事実であり
ます。又、南無妙法蓮華経を聞く程神通力が増すのだと、狐からよく聞いた事がありますが、
御題目を唱えると狐が沢山集って来るのは事実であります。それらの為に、日蓮宗にはどう
しても狐憑きが多く狂人が多いのであります。狐は人間の頭脳を占領して踊らし面白がって
いるだけであります。又、人間の生命を奪る事が好きで、実に簡単に自殺させる。そして、一
人でも余計に殺せば名誉になり、仲間から偉いとされるのであります。人間一人殺す位は訳
ない事で、汽車往生や三原山へ飛込ませたりするのも多くはそれであります。又、人間の
思って居る事を容易に知るので、行者などがよく物を言いあてますが、あれは行者に使 われ
てる狐が先方へ憑るのです。すると狐は速くにその人の気持や記憶が判るのです。それを今
度は行者に憑って知らせる。行者はその通り言うからあたるという訳なんであります。ですか
ら過去は判るけれども未来は全然判らぬ。行者など随分物を当てるくせに下らない生活をして
いるのは、未来が判らぬからであります。よく手を上げたり、首を振ったり、異常な恰好する
のはほとんど狐霊の憑依であります。そして「吾こそは八幡大菩薩だ」の、「何々大明神」
とか、ふるったのになると「天之御中主大神」だの「天照大神」など言いますが、あれらは皆、
狐が好い加減な事を言って騙すのであります。本人は自分で自分を買被り、自分が天照大
神だの、天之御中主大神だのと思込んでしまうので実に危険であるから、神憑りは行らない
方がいいのであります。 ※※※
現在の日蓮宗においては狐との関連はほとんど無いでしょう。
江戸時代あたりに民間信仰との関係でそういったことがあったかもしれませんが、
日蓮さんの時代に宗祖が狐霊とのなんらかの交渉があったということは
書物で見たことがありません。日蓮宗に狂人が多いということだが、これはあたらない
でしょう。私自身調査しましたが、日蓮上人は日本で最も偉大な聖人のお一人であり
日本人として揶揄していいような存在ではありません。
つい最近になってのことですが、岡田茂吉師ご自身の人生において狐霊によって様々な
不運と苦悩を味合われた可能性が高いことが出てきました。
この話はかなりヤバイ話なんですが、教祖の前半生が霊障に
満ちた病苦と絶望であったという事実があります。このことと狐霊との関係について
一切考えたこともありませんでしたが、それがかなり近しい繋がりを知らされました。
私自身、信者ですので教祖は神の使いでありメシアであるという認識ですが、上記の文章の
狐の部分に教祖をあてがうとかなり合致してくる。
信者に毒盛する専従者を野狐としてもつじつまが合ってくる。
こういった話は極めて危険な霊威と関係してきますので
早合点などしてはならないと思います。 こちらは教祖が描かれた観音様です。
http://art7.photozou.jp/pub/487/239487/photo/21135911_624.jpg
通常、観世音菩薩様をこのような形で目にするということはあり得ない
と思います。
つい、先日になりますが、
まだ日が浅いので明確なことは言えませんが、
このお姿の存在がどういうことなのかを接触し知りえました。
これもかなりヤバイ内容です。
一言でいいますと、この観音様に見える存在は狐霊と連動しているようです。
全く同じ姿ではありませんが、ほぼ同じでした。
これは観音様のようだが、別の存在とのことです。
真相は知りえませんが、これだけでも危険な内容だと思います。 三代教主様の夫である藤枝氏も早逝している。
三代様は未亡人として晩年まで過ごされた。
岡田家にまつわる、不浄な霊的因縁というものがあるようです。
明主様の前半生における不遇と悪夢が狐霊とその関わりのある存在に
よってもたらされたと考えられる。
岡田茂吉師の人生の夜昼転換は光の玉を主神様から
授かったことだろう。治病力をさずかり全てが順調に流れ出した。
浄霊という神秘力による。・・・この力は万能であると宣伝されていた。
私が思うに、この治病力は阿弥陀仏の十三光と同じく、人間を正常化させる
光の中の一種であると考える。病気を治す力は偉大である。だが、人生を幸運に
導いたり、邪霊が近寄れなくなるような聖浄な霊力とは違うということ。
したがって、教祖も狐霊などによる影響が完全にとれていたかというとそうではない
ように思う。論文中の誇大妄想的な内容であったり、右でも左でもないという解釈が困難な
理論。また相矛盾する内容。また科学的に見たあきらかな誤謬や、雑食や性的指向性
の曲論など。
信者が迷い、苦しみ、人生が凡人以下で終わるしかない運命など。
教祖の救世の大業を進められた部分と、生来、終始、狐霊等の霊障が
付随し続けていた真実の姿というものが感じ取れる。
教祖の晩年は認知症が進行し、白痴化していた。
霊障が無いのならこういった晩年にはならなかっただろう。 節分全面禁止
二月三日に豆まきをした人は、
最後の審判で落とされると思って下さい。 関連団体 公益財団法人岡田茂吉美術文化財団
一般財団法人MOA健康科学センター
公益財団法人農業・環境・健康研究所
株式会社MOA商事
株式会社MOAインターナショナル
一般社団法人MOA自然農法文化事業団
新田記念統合医学研究所
協力医療法人・クリニック 公益財団法人というのは、
社会公共のために役立ち、その福祉を増進するに足る活動をしている
ということで税金の徴収を免れているということの
ようだ。
自然療法や無農薬栽培を推進していながら、
その職員たちが暴力団とつながっていたり、
活動を共にする有志の方々で気に入らないとかいうことをきかないと
いう理由で毒物を摂取させて病院送りにしているということになれば、
これは反社会性を含み、犯罪組織としても機能しているということで、
公益財団の認可を取り消されて値もおかしくないだろう。
ましてや、教団に金銭を献金あるいは寄付すれば救われるなどと
教えているのだから、詐欺商法としての側面もある。
他人を精神・肉体共に健康に導こうとしいる専従者たちが、
精神に異常をきたしていてそれにきづいていないのだから、
尚更、タチが悪いだろう。 専従者が、御教えあるいは宗教に関してプロフェッショナルかといえば
それには値しない。初心者のごとく、御教えをただ音読するのみで
深読みしたり、研鑽あるいは分析的に考えているかというと彼らにとって
そういった頭脳の使い方は苦痛となっているようだ。
食に関しても、食育といって他人を指導していく立場にありながら、
全く調理・料理の類はできないだろうし、生け花に関しても同じで
様々な流派に関して研究したり教えたりということを一切せず、
また知識も無い。作法も無い。一輪花という認知症の老人には効果が
あるとおもうが、一般的に知的障害者の枠に収まる程度のことをやり続けている。
宗教に関して、仏典の所有すらなく、参考資料ももたずが当然のことと
なっていて、よくて聖書の一冊ある程度だろう。
これで御教えを教えるというのだから、気が違っていると思われても
仕方ないだろう。
美の世界というが、かれらが所有している尾形光琳の屏風があるが、
専従者が琳派に関してなにがしかつっこんだ説明ができるかといえば、
それも無い。美術全般への興味や関心すらないのだ。
全てが素人の範疇を出ていないのであって、それをおかしいとも
改善すべきとも考えていない。
彼ら、専従者は霊的病人なのだが、自らは健康そのものと自負して
やまない、そんな存在なのである。 信者にしても同じだろう。
他人を幸福にすることによって自分が幸福になるという方程式をおしえられている。
これをすべてに応用しているにすぎない。
自分が美術にくわしくなるには他人に美術館に赴くことをすすめてやる。
自分は素人でよくわからないが、食事を教えることによって自分がくわしくなれる。
御教えも神様にお任せして放っておけばくわしくなれる。
霊的にもご神体を祀って、浄霊だけしていれば綺麗に清まるなど、
特に献金すればすべて物事が順調に推移し、霊的にも清まると考えている
この悪癖は染みついている。
各人に様々な未成仏の不浄な霊が取りついている人たちの集団としか言いようがない。
浄霊していると悪霊は憑依してくるんですよ。
背中にガッツリ貼り付いて一緒に清まろうとするんですよ。
だから信者には不吉・不浄な霊たちは先を争って憑依している。
専従者になるとおひかりが強いので邪霊でもかなり太いのが
常時、貼り付いてます。蛇専従ってのもそれだと思います。
それに気づいている人はほとんどいないでしょう。 箱根の救世教は教団名を元の
「メシヤ教」に戻したら?いい機会だと思うし。
外国人も入信し易いし、呼び易い。 みんなで団結して東方の光を救世教から隔離するか、
飲まれるなら解散しましょう。
信仰は教団に頼らなくても出来ます。 東方の光の連中は川合輝明を川合先生、川合先生と言って尊崇してるが、
こいつが総長の時代に、月給が200万円だった。
その立場を利用して、不動産関係でのリベートを受け取っていたりと私腹を肥やす
自己中心的な体制を造っていた。
この時代に川合輝明は自邸として豪邸を建設しているが、
その総額は40億円ともいわれていた。ジャーナリレストたちからの口撃に
輝明は銀行から借りたなどの作り事を並べていた。
こういう状態で新生派(いづのめ)の松本康嗣氏が金銭疑惑を取り上げ、
川合輝明の再建派と分離抗争状態となった。 抗争以前に、川合輝明は右翼の松本明重という人物を教団に引き入れた。
外事対策委員長として、ヤクザや左翼、右翼などとの問題を解消するために呼び込んだのだが、
こいつが行った一元化という本部支配の体制により、多くの大教会は分離分派して
いった。その理由は、今まで稼いだ全財産を本部によこせという無謀なものだった。
松本明重は三下の本性を発揮し、月に2-300万の遊興費をつかうなどが
当たり前となり、数千万の浄財を使い尽くしていた。
最終的に平安教団などの自分の宗教を打ち立てたことにより、岡田斎三代教主様により
永久追放されている。この際、多額の浄財を手切れ金として支払ったともいわれている。 こういった経緯から、東方之光では、教主様は飾り物でいい、意見を聞いたり指図を仰ぐ必要
は無いとしている。
信者を騙すため、教主様にお伺いするとその責任が教主様に及ぶので仕方のないことだと
しているが、これは信仰者としてはあり得ない発言だろう。
人事権を教主様が握ると、派閥の私物化ができなくなる。
やりたい放題やれば教主様に首を切られてしまう。
だから教主様は教団の運営に口を出してもらっては困るということだろう。
教主様に敵意、疑念を抱き、その素行を調査するなど、もはや信仰者ではない。 実際に、東方之光の専従者と話をしてみると、どうしょーもない低能で、
何かに取りつかれている状態なのだが、本人たちは気づいていない。
満面の笑顔で天国にいけますと発言している。
完全にプッツン系なのだが、
これが治癒していくようなシステムは何もない。
本物の馬鹿は自分で気づかないということなのだが、
他人から言われても信じられないという真正の馬鹿者としか言いようがない。 やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信
この記事で問題になった通称やりすぎ防犯パトロールの問題ですが、これは創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会などの住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から始めており、その結果、多くの住民組織で、役員が創価学会員であるという状況が生まれた
・防犯パトロールは地域の住民活動ですので、担い手は住民組織です
しかも防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表として役員が出席する為
防犯活動や防犯パトロールに対して、創価学会が間接的に影響力を行使できるようになった
・防犯パトロールは住民が行っている為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられ、トラブルになっていたのですが、
創価学会はその緩さに目をつけて、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせの対象者を不審者や要注意人物にでっち上げて
防犯パトロールをしている住民らに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防犯パトロールは地元の警察署との緊密な連携によって行われる為、警察署の幹部 を懐柔してしまえばし放題できますので
創価学会は警察署幹部を懐柔して創価学会側に取り込んでしまい、不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに加担させました
・主に当該警察署に勤務すると考えられる創価学会員の警察官を動かして、恐らく非番の日だと思いますが、職権自体がないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせて、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り、
防犯とは名ばかりの、ただの嫌がらせ行為を住民らに行わせた(防犯協力と称して依頼して回っていた警察官の正体は所轄勤務の学会員警察官です)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回っています
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕です
詳細は下記スレをご覧ください
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ --------------------------------
私が以前から指摘していたことに
ロータリークラブが、防犯パトロール
の車両を寄贈しているということがあり、
地域で犯罪を画策し、実行に移している組織が
そういったものを寄贈するという行為は偽善であり、
善の仮面を被って活動するための一つの方法だといってましたが、
これと同じことを創価学会でもやっているようだ。
ロータリークラブと創価学会は慈善団体と新興宗教という違いだけで、
裏側はマフィアの下請けにすぎないということです。 世界救世教というものも、
自民党という裏社会の傀儡組織を支持し応援している。
市議や県議といった連中の後押しをしているのもいうまでもないが、
結局そういう連中とつるむことによって、
明主様信仰など微塵も無い連中と手を組むことになり、
お互いに利用しあうので、貸し借りをつくることにもなる。
そうすると自民党のいうなりにならなければならなくもなる。
こうなると、裏社会の傀儡組織の子会社のようになってしまう。
自民党にMOA議員という連中がいるが、こういうやつらが
やれと言えば、専従者は信者を暗殺したりすることにもなるし、
事実やってきている。
これでは、闇宗教と同じだが、実態はそういう組織であると
いうことになる。 私が思うに、救世教にも非常事態が発生した時に駆け付けられる
人員あるいは部署というものがあると思われる。
東方之光にはチンピラのような連中が雇われているのだろう。
専従者が連絡すれば、そういう連中が、すぐにセンターに足を運ぶようになっているのだろう。
いわゆる応援に来てくれというヤツだ。
不思議と、専従者の中には190センチから2メートル近くある大男が、
存在する。こういう連中をなぜ雇うのかというと、若いヤクザと同じでなんらかの格闘をするに
も有利であるし、誘拐する際にも二人もいれば抱えて車に連れ込むことができる。
信者でチャカを持っている人は存在しないから、大柄でジムで鍛えたり、格闘技を少し学んで
いるようなのがいれば事足りる。
おそらくというか、自分の身辺にもおきていることだが、そこまでオウム真理教に
酷似した性質を帯びているということだ。
それと療院というものができており、一流の医師も多数存在している。
やろうと思えば、睡眠薬で眠らせたり、誘拐して毒殺し、自殺に見せかけるという
ことも巧みに実現できる体制があるといえるだろう。
また、それを平然となんのためらいもなく実行指示できる、育成され熟練した
専従者も充分人材ができている。また、暴力団とのつながりもあるから、
行方不明にしたり、監禁したりすることも簡単な仕事だろう。
身元不明の遺体が海に浮かぶことがある。そんな時に、こういう宗教が絡んでいると考えて
みることも必要だ。 知ってる範囲だと、
山口組、住吉会、会津小鉄会とかだな。
菱は田岡三代目と教祖が面識あったし、
'80年代の分派抗争の後に、その長男である田岡満氏が
相談役になってる。
これは予測だが、関東二十日会とか浅草寺でケツやってる
稲川会なんかも繋がってるだろな。
まぁ、ヤクザは親分同志で盃かわしてれば
親戚だし、同盟関係にあるからね。
極東会とか国粋会は山口組に吸収されてたと思うが。
ちょっと話は古いけどね。 いずのめの専従達が東方の光の転覆を図るだろうね。東方の光は頭が弱いから。 いづのめでも大して変わらんだろ。
教主様中心とは言っているものの
明主様をないがしろにする方向だったよ。
新生派の時代は。
再建派(MOA)は、理事長を中心として、教主様を有名無実にして
教団を私物化している。
いづのめスレにしても誰も出てこないし、書き込みを禁止してるんだろうな。
MOA=東方之光は昔からヤクザが入ってるからな。
まぁ、河合とかの世代はヤクザ映画全盛の時代でそれに感化されて
地でやってたってことなわけで、ただのガキ共でしかないわけ。
昔のガキが秘密基地つくって、遊んでたのと変わらんよやってることは。
地上天国つくるつていう触れ込みで集めた浄財を自分たちの収入にしてるって
だけのクズの集団だよ。 キミはよくわかっている。
正直二者択一は厳しいよな。 いづのめもMOAも専従者はその派閥の趣旨に合ったことしか言えない、考えられない
縛られた連中だからね。
かといって信者だけで勉強会をやれるかというと、そういう発想は専従者からは
出てこないし、実際、それができないようにしてきている。
地域のことは地域のことでってことで、地元で勉強会をやればいいと
いうことにしかならないな。
明主様に対して真直ぐに正しい解釈ができるのは信者たちだけだからな。
そういう力が増していくことを専従者も恐れているだろうし、望んではいない。
先達たちがやってきた野放図なやりたい放題を欲しているのが専従者たちだ。
彼らが地獄の無期刑務所にいることも知らされず、ただ馬鹿そのもので邁進している。
それ以前に、世界救世教は犯罪者の集団と化しているのだから、公安や警察、
週刊誌やメディアから監視されるべき存在だろう。
その実態が暴露されれば新興宗教内部の暗殺犯の巣窟として、世間を賑わすことになる。 明主様が遷化されてから63年間が経過している。明主様は霊界に戻られた。
アホの専従者は、明主様はきらびやかな、金ぴかの御殿に住み、朝、昼、晩と美食に
舌鼓を打ち、骨董や芸術の趣味を満喫して
一日中遊んでいると思っている。
しかし、そういう方ではない。霊界ではやはり娯楽に漬かっているような方ではない。
霊主体従ということで、霊界の地獄界の階層を無くしていく救うための活動をされているのです。
ですから、亡くなった信者の方もそういうところで御用をするわけですね。
これはあくまで罪を犯さなかった信者のことですが、専従者で私腹を肥やし、
無神論に信念が宗旨替えして歪悪な精神に堕して過ごしたものたちは
あの世の刑務所に入るしかないのです。あの世で専従者として働くこともできませんね。
際限なく刑罰を受け続けるというのが、霊界生活の実情です。 どうやら岡田茂吉師のみを祀っていると不運・不遇の人生を歩むようになるようだ。
確かに御教えにはそう書いていない。信仰を長くやってると面白いことに気づかされる。
岡田茂吉師の人生は元から不遇であり、44歳まで無神論者として固まっていた。
そこから180度考え方が変わり、有神論者となった。しかし、ただ漫然と信仰生活ということだけ
を考えてみると、ご昇天される72歳までのたったの28年間の信仰生活ということになってしま
う。古い信者でも40年の信仰歴という人たちは沢山いる。神信仰歴では教祖よりも信者の方が
長いという滑稽な現象がおきる。これは笑いごとではないのだが、いろいろなことを長年
考えている内に、教祖の教えの謬点や欠点、あるいは明らかな間違いを発見してしまうと
いうことがおきている。確かにすべて教祖のお陰なのだが、結果的に、部分的と言えども
師匠を上回るということになってくる。こうなるとそういった気づかされた内容に関してはなんらか
の補填なり修正なりが必要になる。
こういうことにも専従者は全く気付いておらず、御教えについても日々考えず、事務的な日々を
送っている。はっきりいって彼らは邪霊(蛇霊)憑きだ。背後でコントロールされている、魔界の
専従者となっている。しかし、本人たちは丸で無頓着で感知できないでいる。
話をしてみると長年専従者をやっていながら、何等の霊的経験も持っていない。
奸智・邪智に長けた蛇そのものと化している。 御教えをただ棒読みして理解したと思い込んでるって方が、
何十年やってんだ?
教団の浄化という名の、ヤクザの抗争についても考えず
御教えの研鑽? 無究無熟考が常識の専従と信者って
これって偉大なジョークですよね?wwwww 大丈夫だよ。今に分かるから。東方の光のダメなところは薬毒論を無視してしまっている所。
御在世当時の奇跡が今なぜ起こらないのか、遡って考える必要がある。
どこかで神の教えをねじ曲げて伝えてるからだよ。
それを他の神を祀らないからだとか全然方向違いである。昭和に一度戻ってやり直さないと。 いづのめですか?
なぜ、いままで書き込みがないのかな?
そんな話はここで何回もやってるでしょ。
東方之光の専従者は無神論者が信仰者を演じているようだ。
私が、教団内での経験から分析するとそうなるんだな。
元々、川合の時代からヤクザとつるんだ連中で
若いころよく見て影響受けたヤクザ映画の延長でしかないんだな。
そんな低レベルの連中が信者さんの浄財を自分の財布として使えると
いうことがパラダイスでしかないんだよ。
MOAの専従者は、蛇憑きの霊病者であり、慢性的殺人犯であり、逃げて
つかまってないだけなんだな。教主様だってほんと関係なくなったとしたら
殺されるわな。 書き込みが無いのは毒盛りとか言われても確証が無いなら何と書いて良いかわからないからだろ笑 それぐらい分かれよ。。証拠は見つけたのか? 東方の人はどれくらいで薬使うの??
インフルエンザくらいでも薬使う? 薬使うとかいうレベルではないんだよ。
MOAなら具合わるくなったら、療院行ってみてもらって、
癌なら、病院紹介されて手術ですねって経緯だな。
ほとんどの人がそれで死ぬよ。
療院での連続浄霊で治ると思ってる人もいるんだろうけどな。
そこには優秀な医師もいるんだけどね。 実際、専従者は信者が癌になったとしても何等有効なアドバイスもできないし、
自然療法についても漢方薬についても全くと言っていいほど
学んでないからね。話にならない。
だから必然的に療院の医師たちに率先してアドバイスもできないし、
また研究もできない。 全てにおいてズボラな連中なんだな。
当然のごとく、社会の病気(悪人やその組織)についての学びも
皆無であって、頭脳自体がアニマル化しているし、それに
気づいてもいない。
丁度、仏典について興味も関心もなく、学んでもなく、認識も浅いのが僧侶やってるとか、
バイブルを研究することもなく、イエスさんにも興味なしの牧師みたいなもんで、
ヤブ医療関係者であり、金儲けのために宗教儀式やってるってだけの栓無しで、ダダ漏れ
の連中だから。いづのめでも同じだけどな。 東方の信者が全員、教団の指示に従ってるとでも?
明主様が、
「親戚でも薬を飲んだ人は助けない」と云われているのに? 信者でも薬を何十年も飲んでないって人は沢山いるよね。
でも寿命は延びてはいないんだよ。
明主様ご自身が72歳だったからね。
信者で90歳以上生きてる人は少ないかもね。
これ薬毒論と浄化論だと深いことがあるんだよ。
専従も信者も知らないことがね。
それが短命の理由でもあるんだけどね。 明主様の薬毒排除論って
風邪ひいたら高熱出して、大汗出してってやることによって、熱で薬毒が
汗から出ていくって感じなんだよね。
そんで、明主様ご自身が歯の治療でつかった薬毒を自己浄霊で溶かし続けていたんだけど、
これって20年間やり続けていたんだよ。
これで
気づく人もいないとおもうけどな。 72才の理由はメシヤ教のHPにも書いてあるけどミクラタナの神様より御垂示で納得出来たよ。
他の掲示板にも書いてあったけど救世教は御在世当時から比べて変態になってしまったと。
あれこれ理論や理屈、人間が考えた嘘の御経綸を振りかざすうちに全然違う別物になってしまった。
そりゃ病気も治らんし御守護も無いよ。 ミクラタナって言葉は一切二派閥の中では使わないな。
ウメキとかいう分派でしか言わないよな。
それってすごい違和感あるよ。 その時私の体内に入られたのが最高最貴の○○○○○の神様であって、出所早々散花結実
の書を千枚かいて主なる信者に頒(わか)ち与えたのも、その時の経綸によったのである。
この〇のところがミクラタナということかな。
それって大本文献とか、神道文献とかに出てるとこあるのかい?
ウメキ氏が勝手にあてがったんだとおもってた。 御倉板挙之神(ミクラタナ)の神様に関して側近であった井上茂登吉先生にだけ話されていた。それをみろく神教の先生が聞いて救世教の幹部も知ったけど知っただけで何もなかった。
古事記にちょっとだけ記述が有るが持つ者が高天原の統治権を与えられるとする御頚珠(みくびたま)にかかられていた神様だよ。
イズノメ神皇様が持たれていてスサノオの尊が欲しがり武力で奪い取って本格的に夜の世界になったと言うこと。 いづのめ神皇様は言うまでもなく日本の天皇の祖であり前世は絶対善の
国常立之尊様でありメシヤ様の前前〜世である。本来この国は武力ではなく
徳によって治めると言う事。その本来の日本人の宗祖である神様を私達は
信仰していていよいよ明後日、平成30年3月3日メシヤとして降臨されたので
メシヤ降誕本祝典としてそのお祝いをします! 皇大神宮さんの御倉に高く棚に祀られている神様ということだろうな。
その辺の話はほとんどしないからあまり調べたことないんだけどね。
イヅノメは伊豆能売で伊豆=明清=浄だね。で伊豆能売神=速秋津比古神+速秋津比売神
ということのようだ。
MOAの専従なんて、日本神話に関して丸っきりド素人以下だと思うよ。
こういう話を勉強会でやっているなら発展の見込みはあるだろうな。 『天之御中主神・高御産霊神・神御産霊神は造化の三神で、表現し奉る術の無い即ち個性を
持っておられないから拝むことができないので、天照皇大御神様を以て主神の表現神とされた
のであり、その天照皇大御神様の救世の代現神が伊都能売神様であられる。』
『世界御統治の為に、天照皇大神は別な神になられるのは前述の通りな訳であります。
それでは何の様な神様と御成り遊ばすかと言うと、前記系図の如く国常立尊及び伊都能売
大神となられるのであります。其事を今一層分り易く申せば、如何に世を救はんとなし給うと
雖も、天照皇大御神としては御神格上、直接人類を救わせ給う事は不可能であらせ
られるのである。畏れ多き例えながら、一天万乗の大君としては直接御手を下され、人民を
労わらせ給う事の難く重臣を代わらせらるると同一の理である。 天照皇大御神は、主神の
表現神であらせられ、最尊最貴の御神格を具し給い、一あって二無き大神であらせられ、
・・・国津神たる国常立尊に審判の権を与え給い、・・・又一方、伊都能売之大神に対し救世
の力を与え給いしにより、ここに同神は観世音菩薩と化現され、絶対の慈悲を以て、一切衆
生を救わせ給う本願を立てられ、今日に至ったものである。』
『観世音菩薩の御本体は、如何なる御方かと申すに、実は畏れ多くも、天照皇大御神の慈悲
に依る救世の代現神であらせらるるのである。それが為、仏菩薩という下位に墜ちられ、
如何なる卑下階級と雖も無差別的に救いを施させ給うのである。之を憶えば、天祖大神の
大慈大悲なる、洵に感激の極みである。』 楳木の弟子引っ込んだなw
メシア教なんだろうけどさ。なんか俺には怪しいモノを感じるんだよね。
楳木代表が理論武装して鉄壁ならここに書き込んでないとおかしいけど、
ほとんど黙り通しだな。
御教えの素読みでなくして、その成り立ちについて、環境だったり参考文献だったりまで
さかのぼるんだよ。
ほんと、やる気のないヤツラって御教えをそのまま繰り返しているだけだからな。 メシア教じゃなくてメシヤ教ね!本祝典で疲れてるので暫し休憩 笑
上の先生方が2ちゃんねる如きに書き込むわけ無いじゃん!笑 理論武装?理論武装は完璧の上にも完璧だけどそもそも信仰は理論や理屈ではない!
イヅノメは伊豆能売で伊豆=明清=浄だね。で伊豆能売神=速秋津比古神+速秋津比売神
ということのようだ。
これどういう意味?そう言う論もあるとネットにあったけどどこからそう思ったの? それって基本中の基本なんだけどな。
理論武装が完璧とかってのもな。
白帯でかかってこいみたいなな。
そういうの多いんだわ。御教え読んで救世主になりきるヤツがな。
ろくに専門的知識もないのに、神格を得たと錯覚してるヤツラ。
霊的経験のゼロ。
話してみるとほんとバカ面で笑顔つくる職人みたいなな。
なんつーか、社会に合う歯車用意してないんですよみたいなな。
ぶっちゃけ、センター長からアホそのもので困惑してるんだわ。
やつらの実態は無神論者だしな。
まっ、それより問題なのは、その超越した愚心ゆえに、
平気で人殺してきてるからな。マジで、何人やってるかわからんよ。
いずれ、引き摺りだすわ。テレビで大々的にその醜悪且つ恐悪なやつらの
犯罪の証拠と共に民放各局が大騒ぎになるからな。 その後の救世教って分裂を繰り返してんのかな?
随分前に関わってたことあるけど。
大本教の話しと魔方陣のサイトがあったけど、
あれは面白かったな。
仕組みってのは、
世界も日本も動かすけれど、
個人の日常が仕組みの中にある。
それを見て対話しながら歩む。
本ばかり探してもねえ。 同じ信仰もってると、相手が今、どういうレレベルにいるのかってことはよくわかるんだな。
こことここを変えてやれはいいとか、
自分の過去にさかのぼればいろいろなことを教えてやれて
運命も大幅に改善していくことができる。
しかし、過ぎ去ってしまえば、自分が人柱のように、
十字架を背負わされていたことに気が付く。
他人に有益な知識、経験を教わりたかったが、
自分が苦しめられながら体現していくしかなかった。
だから、専従者も話せば話すほど閉口せざるを得ないし、
また自分を変えていくしかない状態に追い込まれる。
ヤツラは蛇だからな。そいつらが神仏をおそれず、敬うようになるには
ほど遠い年月がかかる。その以前に死ぬけどな。 のちに三代教主夫妻が川合氏から脅迫され涙していたところに、唯一信頼されていた○○理事だけが三代教主より呼ばれたときの会話。
○○「(前略)明主様が御晩年に、『川合は魔の働きをする』と仰せられた、と聞いているが、困った男だなあ。」
御筆先「天のみろくは水晶の館に一夜を宿し、 天に帰りて再び地上に降りて火の守護をいたすぞよ」
昭和30年2月17日 奥様は、柩前祭で、かつてメシヤ様がロウソクについて夜の世界に使うものだからダメだと仰ったものを、御神前にロウソクを灯してしまった。 20日祭後、奥様はメシヤ様に神式の戒名を作っもらい「自観大明主之命」
として祭っていたが、さらにメシヤ様の御神格を神様の使いの「エンゼルであった」
と発言し、そしてメシヤ様の御神名を無くし、神道でどこの宗教も使っている教祖
「おしえみおや」と呼んで祝詞をあげることにしてしまった。
理事長「ただ明主様のお腹の中には、主神が降臨されて、御経綸されたまでだ、
それで主神だと言ってもようございます。だから、御神体は明主様を拝んで、それでいいのです。」
奥様「それだけは勘弁して欲しい。明主様がお書き遊ばした五六七(みろく)様
のお姿を通して拝み、明主様は教御祖(おしえみおや)として拝めばいい。」
大草管長「明主様が主神でないということは、もとから思っとったよ。」 30日祭で、奥様は正式に式典で、「早くも三十曰祭となりました。この席で一言申し
上げたい事があります。明主様をメシヤ様とか、ミロク大神に成られたと仰って
下さるのは有難く思いますが、それは贔屓(ひいき)の引き倒しと申すもので、
間違いであります。明主様は、言わば大エンゼルであります―――」と
発表してしまった。このエンゼル発言をうけて離脱した教会も出た。 昭和31年に、奥様は、新宗教の法案改正を消極的に恐れ、また同じころ、ある祠邪教的宗教に
たいし文部省から淫祠邪教的宗教にたいする解散通達を出したことなどにたいし、たまたま山梨
で医療問題が起きていたことを危惧して、裁判をしてでも正邪神戦える者はすでに教団に残って
おらず、奥様が選んだ御教え集「天国の礎」以外の出版や拝読を一切禁止、機関紙にも病気治し
的御蔭話の掲載を禁止、祈りの浄霊になってしまった。
3月、「奥様と教団」の改悪にたいし、堪忍袋の緒が切れた信者グループが、日光殿の『日の出
観音』像、メシヤ会館の『千手観音像』を持ち出して燃却するという事件が起こった。 信徒は次々とやめていき激減し、年末には、たった4万弱の信徒数にしてしまったのである。
32年3月に、奥様はメシヤ様が命名された世界救世(メシヤ)教をリニューアルし世界救世
(きゅうせい)教にしてしまった。これにより、「メシヤ」という御名を御呼びすること
は、教団および信徒から完全に無くなったのである。
32年6月15日に、二代様は、第三天国までの人格しかないにもかかわらず、御神体の御神
格と同格以上でなければ揮毫できないミロクオオミカミ様を、文字も変え、「大光明真神」と
書いた御神体に切り替え。
二代夫婦が御写真を改造し「神ではない人間教主」として床から外し、全国の御写真をあつ
めさせて焼却し、メシヤ様が命名された重大な意義ある教団名を、世界救世(きゅうせい)教
に変更して「おしえみおやぬし」と唱えさせる教義に変更。「御守り」は二代様が揮毫していた。 世界救世(きゅうせい)教 教規
第一章第一条「世界救世教は、大光明真神(みろくおおみかみ)を祭神と仰ぐ」
第一章第三条「世界救世教は、岡田茂吉師を教祖と仰ぎ『おしえみおやぬしの神』と尊称する」
新宗連理事の大石氏が竹内崇元をつれてきて、明主様の言葉を取り次ぐとされ、「明主様は神ではない」という発言を二代様は信じ切ってしまい、メシヤ様の御神名、教団名、など次々と撤去していき、もぬけの空にして、中身は大本教と神道を参考に変更した。 社会迎合で8月20日に御教えを改ざんした『天国の礎』発刊し、以外を拝読すら禁止とする。『薬毒論・医学誤謬論』
『浄霊で病気が治る』という「根本経綸」を説くことが禁止された。『御神書』ではなく『御教書』と呼ばせる。
「御浄霊は病気治しの業でなく、祈りである」「明主様のお説きになられたものが、時の人々から理解されず、いかにも
本数が独善的であるとか、排他的であるとか、と言われるような誤算を招くとすれば、これは教団にとりましても、又、
社会にとりましても、問題をひきおこすもとともなるわけでありまして、これではあたら明主様のご意図に反する結果に
なってしまいます。そうなっては、まことに申し訳ないことであります。そこで、私が教主就任以来、このことに思い
を至し、たくさんの御教書の整理に没頭いたしてまいりまして、ようやくその第一回目がここに出来上った次第でご
ざいます。これからは、御教書を「天国の礎」と名付けまして、順次皆さんにお出しすることに致しました。
従いまして、今日迄、皆さんが持っておられます御教え類は、一切これを非公開とし、布教育成上に絶対用いないよう
厳守して頂きたいのです。教団の発展には、統制のとれた指導体系を遵守することが資格者としての第一の使命でありま
すので、この点、必ず乱すことのないよう、あえて御注意申し上げるものであります。」 真摯に御神業をしてきた教会長たちは次々と反発し、離脱していく。
初代教育局長の瑞光教会々長・市川昭氏は、メシヤ教の御神業が骨抜きされてしまった「天国の礎」をみたとき、
くたばれ、救世(きゅうせい)教!」と嘆いた。
36年二代様が昭和36年(御帰幽前年)出雲大社へお参りにいった際、お供した信者の多くが、二代様から素盞嗚尊の
霊が出て、大社の方へ入っていったのを、多数信者が霊視された。二代様は拝殿に入り参拝した。
弱体化した教団にトドメを差すべく、外部より顧問が入り、この後延々と教団は外部から大激震に見舞われ、奥様も
その後継者も自ら蒙るのであるであるが、しかし、最高のトドメとは、メシヤ様の『御教え』『浄霊』を隠すだけで
なく、メシヤ様が創造された『地上天国のひな型』にまで手を染めたのであるから、その後の教団は内部から脆くも
崩れ去り、これは大本教三代様と救世教三代との会話を掲載した内容からも事の大きさを幾分かは窺えるが、以降も
社会を巻き込みながら大混乱を起こしていくことは、むしろ当然の理ではなかったかと思うのである。 これだけぶち壊してたら御在世当時の奇跡が起きないのは当然。。
いまいづのめも混乱してるけど本来のまともな教団になれば良いな。。 まぁ、いろんな言葉尻をとらえて判断するのも正確
じゃない。本当に御教えに興味があるならこういう
ところに出てきてもよさそうなものだが、誰も出てこない。
最も、根本的なことは全派閥についていえることだが、
明主様の言葉というものは、例えば、親鸞さんや日蓮さんが
霊界でどうだという話は、出口聖師から伺った話であり、
明主様が霊視された内容ではないよね。こういうことが
沢山あるんだよ。霊界がどうだという話はダンテ・アリギエリのように
霊界を巡ってきたということではないよね。想像の部分もあるし、
明主様に見えていない霊が一般人に見えていたなんてこともある
くらいだからね。
明主様は食生活について、中途半端な悟りの段階にあった
ということが言える。これはただそれだけではなくて、信者を狂わせて
いることになる。簡単にいうと、言葉尻で霊主体従というが、雑食をしている
以上個人レベルでは体主霊従のままだということだ。
したがって、専従者が何十年信仰しようが、霊的な悟り
はほとんど得られない。結果として、神仏など存在しないという化身論者の
思考に落ち着くわけだろう。
形だけ、口先だけ、芝居のように儀式を行っているだけ
のゴミ人間なんだな。浄霊するゴミ人間な。
ヤツラが霊界でとうなるかとかさ。信者もだけど、
もう取り返しはつかないけどな。 化身論者→無神論者
まぁ、このままだと教団がというより、専従者信者共に
霊界に逝ってから悲惨なことになるのわかってるからな。
てか、マジでみんな天国逝かれるとおもってるんだろう
けどな。
もう手遅れなんだが。 メシヤ教のやつらも考えなおした方がいいぞ。
おひかり授かったから天国にいかれるなんて教えは無いからな。
ぶっちゃけ、神棚祀らなきゃ神縁も無いし、仏壇祀らなきゃ仏縁も無い
死んだら神道では、帰幽。仏式では成仏だが、
救世教ではどちらにも当たらない。神道からのパクリで帰幽といってるが、
真実際には、蛇霊に導かれて、その巣穴に連れていかれるからな。
地獄の各階層で、受刑霊魂やら、妖怪にかこまれながら、
そいつらを救うために働かされるってこと。
俺は絶対にそんなところにはいきたくないからな。
そういう手段をとってるわけ。
メシヤ教だろうが、神慈秀明会だろうが同じだよ。
救世式祭壇以外にちゃんと仏壇祀っている人もいるから、
そういう人は妖界に連れていかれずに逃げられると思うよ。
まぁ、信仰によるけどな。 その内部資料はもう見れなくなってるぞw
落ちないとこでもう一度upしてくれw
まぁ、どっちにしろ、三派にしてもどこを
とっても狂ってる連中だからね。
いづのめは、東方之光と会合やるときは
ヤツラが出したお茶なんか飲まないように
してるんだろうな。
でないと、東方の連中の毒盛で、いづのめの幹部たちが
消えているなんてことにもなりかねないからな。
まぁ、医療関係者+ヤクザ+専従者(精神異常者)
という魔のトライアングルってのが恐すぎるからな。
このトライアングルの中に蛇霊が居座ってる。
まぁ、オウム真理教みたいに、監視体制を政府で
やってかないとな。 二代様直筆の御神体「大光明真神」を支持してる教団と
布教所時代の御神体「五六七大神」を支持してる教団が
合併しても、また揉めるのではないかと。
明主様直筆の聖地の為だけに揮毫された御神体「大光明」を持つ
東方に所属して教団とは緩く、療院は無視でいいんだよ。
六月十五日と十二月二十三日という大祭の参拝対象が最重要。 今度事件起こしたら、警察から解散させられるって大分前から
言われてるんだな、東方之光は。
内部暗殺の証拠集めて、警察に密告したら、即解散だろ。
おまえも、その証拠集めに協力しろよ。
犯罪組織に加担する気か? 大本教の教えに薬剤を排除するとかなんとかの記述は見たことがないよね。
そりゃ当然だろう。出口聖師の時代には、科学的に造られた薬剤も、化学肥料も添加物も
農薬すら無いと思うよ。薬といったら漢方薬でしょ。
それに関して話すと長くなるんで省くけどな。
二代様のご神体が当時、どれだけ強いおひかりを放散していたか、知ってる人は知っている
だろう。そして、その当時、爆発的に信者が増えてたんだよな。
教主様を通して、明主様が働かれている証拠だよ。
東方之光の連中はこの霊力を怖れている。明主様と教主様と揃うとみ光が強くなるので、
蛇霊が委縮するんだな。活動ができない。だから、教主様は象徴で実行力があって
もらつては困ると言い続けている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています