(つづき)
しかし、ヨハ v.13 の 「大きな愛」 とはキリストの愛のことであって、決して一般的な道徳上の愛ではないことに注目しましょう。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ロマ 5:8)、
「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまずに死に渡された ・・・・・」(同 8:32)、
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。 ここに愛があります」(Iヨハ 4:10)、
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハ 3:16)という “キリストの愛” に、会衆が共にしっかりととどまることが、
「キリストの掟」、「互いに愛し合いなさい」(ヨハ v.12)なのです。

復活のキリストは、この福音の宣教のために使徒たちを任命し派遣されました(ヨハ v.16)。
私たちは聖書を通して、この使徒たちの証言を聞いているのです。
誤解してはなりません。
私たちは聖書を通して現代風にイエスの教えを学んで、現代的キリスト教を再構築することによって、昔の使徒たちを乗り越えることが出来ると考えるなら、それは間違っています。
復活のキリストは、今も使徒たちの証言を通して、罪の赦しの福音、神の国の福音を現代の私たちに語り続けておられるのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より