>>731
スマナサーラ氏は

「バーヒヤ、見るものは見ただけで、聞くものは聞いただけで、感じたものは感じただけ、考えたことは考えただけでとどまりなさい。
そのときあなたは、外にはいない(対象に捕らわれないという意味)。内にもいない(心の中にも執着・煩悩が生まれないという意味)。
外にも、内にもいないあなたはどちらにもいない(解脱の状態)。それは一切の苦しみの終わりである」
http://www.j-theravada.net/howa/howa35.html

と解釈していたけどこの解釈はどうなんだろうね?
スマナサーラ氏の解釈というよりもあるいはテーラワーダの共通解釈なのかもしれないけど

ストレートにこの世への執着もあの世への執着も捨て去っている境地に達している(この世とかの世をともに捨て去ると同じような感じ)の方がしっくりくる

あるいはスッタニパータ第5章 7、学生ウバシーヴァの質問の中の
1074 師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(生存するものとしては)数えられないのである。」
1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
この辺のニュアンスに近い表現であるとも言えるかな
俺の解釈だけどね