>>465
>そうして自我、つまり私という実感は錯覚でしたということに行き着くわけです。

現実の立脚点にたてば、『私という実感は錯覚でした』という感覚自体が
錯覚に他ならない。
幾ら言う所の「悟った境地」に居たろうともこの現実は何ひとつ変わらない
のだよ。
よって、その『私という実感は錯覚でした』の境地に留まっていてはならない。