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【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践12 [転載禁止]©2ch.net
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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2017/11/05(日) 10:59:31.86ID:nydeKK4F
お釈迦さまの教えとヴィパッサナー冥想に関心のある人、実践している人、
体験や変化を 実際に経験している人、初心者、先達の方々、預流果の方々、
更なる成長を求めて語り合いましょう。

前スレ
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践11
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/psy/1425309691/

※ここはテーラワーダ仏教全般について語るスレであって、日本テーラワーダ仏教協会やそこの所属比丘についてだらだら語る場ではありません。
日本には他にも上座部仏教修道会、日本上座部仏教協会、日本ヴィパッサナー協会など多種多様な団体があります、
諸外国においてもタイ・ミャンマー・スリランカ・ラオス・カンボジアなど、国ごとの違いもあります。
そこを踏まえてご参加ください。
0413神も仏も名無しさん
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2018/01/20(土) 18:17:18.49ID:yedoJm4Y
>>412
ありがとうございます!
お布施した際には412様にも廻向させて頂きます。
助かりました(^^)
0415神も仏も名無しさん
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2018/01/21(日) 22:55:09.54ID:l4ddslQq
lifeh ack2c h.livedoor.biz/archives/51675806.html

普通の人は自分の意思で色や音をカットできないってマジ?
0416神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 01:58:45.88ID:T2wjw7YT
>>405
https://i.imgur.com/RLhojXq.jpg
このレビューは面白いな

中段の
主体を消せば客体も消えることが釈尊の悟りと考え〜こうした形でパーリ仏典は汚染されている
は正しい
どこまでも我がないとすると無色界禅定も無限後退に陥り非想非非想もそれをとらえている主体はなにかという矛盾が出てくるからだ

だから本当はデカルトの「我思う、故に我あり」が正しい
0417神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 02:15:25.48ID:1ANEMvnW
それ、頭で考えた答えだべ?
0418神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 02:17:11.22ID:T2wjw7YT
>>417
瞑想すれば我などないと実感したとしよう
ではそう実感した主体はなんなのか答えられる?
0419神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 02:18:07.58ID:T2wjw7YT
真理は言葉では表現できないから無記というのはなしね
主体は何か答えるだけでいい
0420神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 02:54:23.75ID:1ANEMvnW
>>418
意識と答える。
自我が生じる前の意識に、我とか彼とかはないし。

悟ったわけでもないので、それが最適解かと言われると
自分の分かる範囲の答えとしか。
0421神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 03:15:44.45ID:QFQsztgX
>>419
答えて貰えて良かったね
嬉しいね
0422神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 03:18:37.15ID:1ANEMvnW
阿羅漢果に悟る時に消える五上分結についても、慢(自他の区別)が
なくなるとは言っているが、慢が生じていた土俵は何だったのかということ。
涅槃は断滅論ではないので、無我も同様に断滅論ではない。

我が生じる前の状態を、我が想像しようとしても無理だと思う。
0423神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 03:24:05.60ID:1ANEMvnW
禅宗の老師が、まずは黙って座れというのを
昔はイラっとするエピソードだと思っていたのだけど、
それが一番早く答えに辿り着く方法だったのね、
というか、それ以外にないね。
0424神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 07:13:22.24ID:T2wjw7YT
>>420
意識というのは識蘊かな
それは無常であり苦であり無我であるもの
無常・苦・無我であるものをもって己の無我を実感してもその実感もまた無常・苦・無我である

そう言った無常なるものでは無我は観察できないとして結局は意識を完全に止める滅尽定(受想滅定)をもってして涅槃だとする
意識がないのに何故無我を観察することができるのかブッタゴーサにも説明はできなかったらしい
無我をもって無我を説く
仏教の持つ最大の矛盾の一つである


自他の区別は動物である以上あって当たり前
獣だって縄張りを持つし飢えれば他の動物を捕食するし異性に惹かれて恋のライバルを蹴落そうとする
0425神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 09:46:17.28ID:y22Y0tjV
>>422
>我が生じる前の状態を、我が想像しようとしても無理だと思う。

生物が高等になるにつれ脳が発達してきて我が生じた
0426神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 10:18:49.79ID:yiE9yDwH
無我を体験した感想ですが、無我がどんな感じかというと幻想を打ち破った状態という感じです。
自我は幻想だったんだなぁと。
そうして五蘊しか存在しないんだなということが感じられます。
なら、誰がそれを感じるのかというと、五蘊ですね。
そんな感じです。
0427おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/22(月) 12:00:12.61ID:+ieCMZyo
 
たとえば
おじゃるは
無明に依存している
色受想行識の仮和合だけど

 − これに対して −

(上座部も含めて?)
密教系とかの
地水火風空識の識は
大日如来の智慧の識で

この大日如来の智慧の識をもって

四神足の観神足
(大日如来の)智慧をもって
 → 依他起性している世界を観照していく

ちなみに、大日如来は
我所ではない・我でもない
0428神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/22(月) 15:26:34.61ID:h5IIGKPk
>>426
「アッギヴェッサーナよ、これをどのように思うか。人間の肉体(色)は恒常であろうか無常であろうか。」
「無常です、大徳よ。」
「それでは、無常なものは、苦であろうか楽であろうか。」
「苦です、大徳よ。」
「それでは、無常であり、苦であり、変異するものを、これは我がものである、これは我である、これは我がアートマンである、ということは正しいであろうか。」
「いいえ、大徳よ。」
「アッギヴェッサーナよ、それではこれをどのように思うか。感覚(受)や思考(想)や意志(行)や意識(識)[などの人間の心の部分]は、恒常であろうか無常であろうか。」
「無常です、大徳よ。」
「それでは、無常なものは、苦であろうか楽であろうか。」
「苦です、大徳よ。」
「それでは、無常であり、苦であり、変異するものを、これは我がものである、これは我である、これは我がアートマンである、ということは正しいであろうか。」
「いいえ、大徳よ。」
(マッジマニカーヤ、35:20)

ということで五蘊は我がものではなく、我でもなく、我が本体(アートマン)でもない
それを我と見做せば我見という
我見とは無明のことである

756 見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、<名称と形態>(個体)に執著している。「これこそ真実である」と考えている。
757 或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものは異なったものとなる。何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。
758 安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る。かれらは実に真理をさとるが故に、快をむさぼることなく平安に帰しているのである。
(スッタニパータ)

五蘊は非我なるものであり五蘊を主体として無我を観じてもその観察も無常・苦・無我である
無我という観念自体が無我なのである
そして五蘊は非我であるとか無我であるとかとらえる主体は何かと考えてみるとデカルトの「我思う、故に我あり」が正しいのである

無我を以って無我を観じることはできない(無常・苦・無我であるが故)
瞑想中に自分の自我を観察したとか五蘊の働きを観察したというのなら観察した主体があるのである
0429神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 16:22:58.49ID:IYl5mg+x
>>428
うん、瞑想してないな。
自我が頭で考えた答えだ。
0430おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
垢版 |
2018/01/22(月) 19:36:42.26ID:+ieCMZyo
 
>五蘊の働きを観察したというのなら観察した主体がある

スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
(大日如来の)智慧が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせる
1119
(大日如来の)智慧をもって
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って
無明している
すべて一切の諸法を『空性である』と観照せよ
21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが
(大日如来の)智慧をもって
激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ
  _  _  _

大日如来が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 大日如来の大悲・大智を受け入れる

大日如来は
我所ではない・我でもない
0431神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 21:39:29.74ID:T2wjw7YT
>>429
瞑想はしているが例えば瞑想中の雑念(自我)は無我(非我)であるというのは、
経典などでそういう知識を知っているから瞑想中に湧いてきた雑念を無我と観るように言い聞かせている、
そういう自分に気づいているのでなw
0432神も仏も名無しさん
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2018/01/22(月) 21:42:55.58ID:T2wjw7YT
>>430
あなたは真言宗ではなく五性格別を支持する唯識の方ではなかったのかな?
0433神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/22(月) 22:17:00.83ID:5MOijJd2
ご存知のように生命は無我が分からないから生死輪廻している。

反対に、無我を分かる時には、生命を超えているわけで、出世間の八正道の流れを感じることができる。
もう、生命を超えたなということが実感できる。

正直言うと、無我と共にある日常生活は、50%人間、50%非生命体で、私は人間卒業しかけだなというのを沸々と感じる。
0434おじゃる? ◆Ozyaruuowd4U
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2018/01/23(火) 00:20:29.64ID:VZ0Ijd4+
 
>あなたは五性格別の唯識の方ではなかったのかな?

おじゃるは
仮設としての
無明の暗闇に覆われて
たとえば中観自立派とかの
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である
  それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相(自性)を掴もうとしている想いが現れている

種子と現行の頼耶縁起を掴もうとしている想いが現れている

 − これを対処するためには −

法界体性智の世界から観照して
仏性からの智慧と慈悲の真如縁起をもって
平等性智の世界から → 依他起性している世界を観照していく

ちなみに法界体性智は
「主体である」という想いではない
「主体ではない」という想いでもない

「想う」という想いも手放して
「想わない」という想いも手放して
非想非非想も超えている
依他起性している世界を超えている

こんな感じであるらしい?
0435神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 12:00:02.34ID:XxrENJoS
{【《『「無我を観察する自己」を観察する自己』を観察するする自己》を観察する自己】を観察する自己}を観察する(以下延々と続く、何故なら無我だから

さあ瞑想している諸君
上記の矛盾に対してどう答えるのか
瞑想していれば答えが見つかるのだろう?
どうぞ答えてくれたまえ
0436神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 12:19:02.64ID:oU8XDBvW
誰が言ったんだったかな、昔聞いた言葉を思い出しちゃったよ
「われはある」の「われ」は結構あっさり消える
でも「ある」を消すのは難しい
長年瞑想しててもそれホント実感するよ
論理的には(仏法理論的にではなく)どうなれば消えるかは分かってるんだけどねえ
0437神も仏も名無しさん
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2018/01/23(火) 13:14:42.48ID:xDzhpjPN
>>435
それ、頭で考えてるべ?
我が生じる前のことを、我が一生懸命考えてる状態。
0438神も仏も名無しさん
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2018/01/23(火) 16:16:54.96ID:XxrENJoS
>>437
だから君が瞑想で得た答えを示してみなさい
それができるのならなw
0439神も仏も名無しさん
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2018/01/23(火) 16:28:57.41ID:Tk/2y4b5
>>435
無我を体験した人で私の知ってる人は、
無我の最中は無我に気づかないって言ってたね
後からそう表現できることだと
私はまだその境地まで行ってないのでわかりまへん
0440神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 16:30:08.77ID:xDzhpjPN
我が生じる前の意識に我はないし、
我が主体だというなら、我が生じる前に主体はないよ。

上で言ったことを言い換えただけだけど、これ、何度言っても同じことの繰り返しにしかならんよ。
0441神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 16:30:54.03ID:xDzhpjPN
言葉は思考だから、思考の外のことは表現できないよ。
0442神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 16:32:31.00ID:xDzhpjPN
大海に生じる波が、波の中をくまなく見ても、大海はそこにないからね。
0443神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 17:09:19.09ID:XxrENJoS
>>440
大嘘
離乳食前の赤ん坊ですら楽しい雰囲気を察すれば笑うしお腹がすいたら泣いてアピールする
それどころか胎児のころから我を有している
だから胎児教育が行われる
だいたいにして無我というのは我ができる前に退行することではない

>>441
それも嘘
仏陀もシャンカラも龍樹もマハリシもユクテスワもヨガナンダもみんなほとんどのことは言葉で表現している
0444神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 17:18:18.93ID:xDzhpjPN
月と、月を指す指でしょ。
0445神も仏も名無しさん
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2018/01/23(火) 17:40:40.37ID:XxrENJoS
>>444
答えになってない

>>435のような問題に対して聖者はちゃんと答えているのだからな
月を指す指で誤魔化すのならそれでもけっこう、君自身が月を指す指で>>435を説明できる?
0446神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 18:08:22.81ID:xDzhpjPN
>>445
できる。
矛盾してない。
君が矛盾していると思い込んでいるのは、私の問題ではない。
そこはどうしようもない。
指導者でもないし。
0447神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 18:10:07.58ID:xDzhpjPN
自我が主体だという前提が、そもそも錯覚にもとづく勘違いなので、
問題を判断する前提が間違ってる。
そこをなんとかできるのは、思考じゃなくて、禅による慧。
0448神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 18:15:31.25ID:xDzhpjPN
地球が平らだと信じ込んでる学者先生に、地球が球体だと理解してもらうには
言葉であれこれ教えるより、ロケットに乗っけて重力圏の外に飛ばして、宇宙から
地球をまじまじと眺めてもらった方が早い。
百聞は一見にしかず。
0449神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 18:17:21.63ID:xDzhpjPN
マハリシとか、クリシュナムルティとか、龍樹の罪は、
あんまり綺麗な指を公開したもんだから、月をみることを忘れる人が続出してしまったこと
だと思ってる。
立派な先生の語り口が立派すぎるのも考え物。
0450神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 18:43:35.06ID:XxrENJoS
>>447
無我を観察しているのは最終的に誰になるのか?
0451神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 18:50:03.22ID:xDzhpjPN
誰というのは、我とか彼が存在する認識の在り方が前提にあって
はじめて出てくる発想でしょ。

最終的な境地は分からないが、気づきが気づいてる。
観察が観察している。
働きそのものがあるだけ。
0452神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 20:22:39.48ID:XxrENJoS
>>451
ほうそうか、なかなか面白い「思考」だw
自分の考えに自信があるのなら5chではなくまずSNSなどで発信したまえw
0453神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 20:58:43.52ID:xDzhpjPN
言葉で説明するということは、まずその前に思考する必要があるし、
聞いた言葉を介して理解するというのも同様。
それは月を指す指。

瞑想体験そのものが月。
0454神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 21:01:30.21ID:XxrENJoS
>>453
それも合わせてSNSで発信したまえw
0456神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 21:02:37.29ID:XxrENJoS
>>451
>最終的な境地は分からないが、気づきが気づいてる。
>観察が観察している。
>働きそのものがあるだけ。

自分で何を言ってるか分かってないだろw
0458神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 21:04:40.07ID:FR8NXnrP
まあ、
そういう ブレナイ 所も御隠居の魅力ではあるけれどw
0459神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 21:47:56.14ID:wc9IHccR
無我にある時、不思議な事が起こる。
それは、この世に誰一人もいなくなるということ。
現象だけが流れるのを観る。
体験した人なら共感してもらえるだろう。
0460神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/23(火) 22:42:55.93ID:phWE4fNP
>>435
「無我を観察する自己」じゃと?
バカたれ!鼻たれ!ションベンたれ!
無我は結論じゃろうが!無我が判れば悟りじゃろうが!
悟りを観察とはとはたいしたもんじゃ
で、お前さんの無我は居眠りのことか
0461神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 00:10:25.59ID:CY+O50Km
>>460
黙って「聚思惟」で検索して出直してきなさいw
0462神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 01:00:52.33ID:B4f7dk3s
>>460
比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。
無我であるから、これはわが所有 ものにあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように正し智慧をもって如実に観察するがよいのである。
比丘たちよ、受(感覚)は無常である。・・・
比丘たちよ、想(表象)は無常である。・・・
比丘たちよ、行(意志)は無常である。・・・
比丘たちよ、識(意識)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。
無我であるから、これはわが所有にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように、正しき智慧をもって如実に観察するのがよいのである。


このような観察の勧めを仏陀は説いていたのだが(経典では)
で、その観察をしているのは誰かということを今は争点としている
0463神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 01:06:46.35ID:itEwxQV1
ブッダは、どうしたら分かると仰ってるの?
0464神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 05:52:33.02ID:leT8Ny+V
>>462
自我とは「私」という実感の事です。
私という実感は無くても観察は出来ます。
五蘊には機能として備わっています。

無我を体得するとは、私という実感、つまり幻想を破るという事です。

つまり、観察しているのは、私ではなく、五蘊だという事です。

>>463
ヴィパッサナー瞑想で分かります。
0465神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 06:19:20.68ID:leT8Ny+V
ヴィパッサナー瞑想で、観察するのもは勝義諦です。
つまり、本当に存在するもの。
言い換えれば、ヴィパッサナーでは究極の真実を観ていくわけです。

実際にやって見ると、そこにあるのは、心、心所、色だけで、自我はどこにもありませんでしたという結果に達します。
勝義諦を観察して、無常・苦・無我の真理を発見するのです。

そうして自我、つまり私という実感は錯覚でしたということに行き着くわけです。

それで、完全に私という幻想を滅したら生命は卒業です。
「私」の無い生命は、生命の資格を失います。
0466神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 07:11:57.69ID:v8yIcbuv
無我と忘我を混同しないよう注意が必要です。
無我(アナッター)は無我夢中の無我とは無関係です。

無我だからといって認識機能がないわけでは無いのです。
何度も言いますが、「私という実感」この幻想を破った状態を無我というのです。
0467神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 07:39:53.58ID:CY+O50Km
>>464
>私という実感は無くても観察は出来ます。
>五蘊には機能として備わっています。

>>462
>無我であるから、これはわが所有にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように、正しき智慧をもって如実に観察するのがよいのである。

ほう、この正しき智慧を持って如実に観察している主体は五蘊であると?
0468神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 07:49:39.49ID:CY+O50Km
>無我であるから、これはわが所有にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように、正しき智慧をもって如実に観察するのがよいのである。

(五蘊は悉く)無我であるから、これ(五蘊)はわが所有にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように、正しき智慧をもって如実に観察するのがよいのである。

五蘊が無我であるという観察を無我である五蘊でするんだ!(◎_◎;)
0469神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 07:52:19.04ID:CY+O50Km
>>466
>何度も言いますが、「私という実感」この幻想を破った状態を無我というのです。

幻想を打ち破っているのは誰なのかな?
0470神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 08:32:26.93ID:CCeEGTZ1
>>469
誰もいませんよ。
初めから誰もいません。
「私という実感」は幻想です。
あなたもわたしも、そもそも「誰」ですらないのです。
現象の流れがあるだけです。
0471神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 08:56:28.64ID:CY+O50Km
>>470
じゃあ無我という実感や観察も幻想ということだね
0472神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 08:58:54.78ID:CY+O50Km
>>470
>初めから誰もいません。
>「私という実感」は幻想です。

これを幻想ととらえているのは誰なのかな?
0473神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 10:01:07.06ID:ecMMyO16
問い自体に主客分離が入っちゃってるから誰でも回答不能と思われ
0474神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 10:10:11.31ID:wKv6syH8
>>472
とらえているのは五蘊です。
五蘊と自我が一緒くたになっているのが普通の生命です。
自我が無い状態は、想像すらできないでしょう。
0475神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 12:00:22.44ID:6OMgHvWe
>>465
>そうして自我、つまり私という実感は錯覚でしたということに行き着くわけです。

現実の立脚点にたてば、『私という実感は錯覚でした』という感覚自体が
錯覚に他ならない。
幾ら言う所の「悟った境地」に居たろうともこの現実は何ひとつ変わらない
のだよ。
よって、その『私という実感は錯覚でした』の境地に留まっていてはならない。
0476神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 12:31:00.95ID:bvtzmO2r
>>475
>『私という実感は錯覚でした』の境地に留まっていてはならない。


ご心配なく。
その境地には『留まる』という要素はありません。
もはや『誰が何かをする』に属しませんので。
0477神も仏も名無しさん
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2018/01/24(水) 13:57:13.47ID:Fk9zo8uj
>>476
>もはや『誰が何かをする』に属しませんので。

それもまた貴方の錯覚w
0478神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 14:04:48.71ID:VAdwv3VB
結局、その事実は何も変わってないけど、視点というか、
立脚点が異なるだけでしょ。
0479神も仏も名無しさん
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2018/01/24(水) 15:11:52.65ID:wKv6syH8
要するにこういう事です。

車を分解してみたらどこにも車の"本質"は無かった。
車は部品の集まりで、車という働きをする現象だけでした。

同様に私を分解してみたら、あったのはナーマとルーパ(精神と物質の流れ)だけでした。あったのは車と同様に部品だけでした。
どこにも私の本質である自我や魂はありませんでした。私という名を付けられた現象があるだけでした。

ということです。
0480神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 15:20:06.93ID:wKv6syH8
「私には自我がある。だから私には自我が分かる。」

というのは間違いです。

魚は一度陸に上がらなければ、水の存在を知る事は困難です。それと同様、自我を本当に理解するには、一度無我を体験する必要が出てきます。
「私は自我を知っている」と思うから、色々な誤解や無意味な思考ループが発生するのです。

無我が分からないなら、自我も本当の所は分かっていないと覚えておいて下さい。
0481神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 15:20:41.50ID:itEwxQV1
頭の良し悪しじゃないからね。
明晰な論理思考を極めても、月は見えない。
指をはっきりみたり、指を分析することはできるけど。
0482神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 15:25:40.34ID:itEwxQV1
「父母未生以前の本来の面目如何」

禅宗の方法論には詳しくないけれども、きっと、
これにどう回答するかで、禅の進み具合が測れるでしょう。
0483神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 15:44:26.98ID:AsJ183wO
>>479
では、この点を説明して下さい。

>私の本質である自我や魂はありませんでした。
>私という名を付けられた現象があるだけでした。

その事を自覚認識した今の自分は「私という名を付けられた現象」ではなく、
私の自我であり魂ではないのでしょうか?
0484神も仏も名無しさん
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2018/01/24(水) 15:45:17.63ID:CY+O50Km
>>479
君のその思考もまた錯覚ですw

>>480
それも錯覚ですww
0485神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 16:14:13.26ID:WIb1ytWF
「余の辞書には錯覚という言葉しかない」
ナポレオン・ボナパルト
0486神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 16:18:48.24ID:itEwxQV1
・思考を通して生みだされた概念を言葉で述べた場合
・観察によって洞察された事象を言葉で述べた場合

前者は、自我が自我の中に生みだした概念。
後者は、自我が生まれる土壌が、自我が生みだされている事象を観察し、それを言語化している。
0488神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 16:20:22.15ID:itEwxQV1
言語化した時点で、概念も観察結果(事象)も、
言語と思考という同じ土俵に乗せることになる。
0489神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 16:20:59.12ID:itEwxQV1
だから、禅の師匠はただ「座れ」と言うのでしょう。
0490神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 16:25:41.17ID:itEwxQV1
「地球は丸い」と考えて、「地球は丸い」と述べたのか。
「地球は丸い」と観察して、「地球は丸い」と述べたのか。

前者は唯の思考概念だが、後者は観察結果を述べている。
どちらも言語を介して思考される。
従って、観察しない人にとっては、区別がつかないだろう。
0491神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 17:31:17.69ID:R4Ff9L9V
>>483
無我にある時、「私」を失います。
「私」を失った時、残っているのは五蘊のみです。
(五蘊とはつまり、精神と物質の流れのことです。)

単純な原理ですが、生命には理解できないようになっています。
なぜなら一切の生命は「私」を前提に存在しているからです。
「私」を失うとは、生命ではなくなるという事です。
だから、「私」を失った時、生死輪廻からの解脱が起こるわけです。

お釈迦様のダンマは、生命が、生命を超えるためにあるのですね。
0492神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 17:34:07.23ID:CY+O50Km
>>490
お前は帰納法と演繹法とを知らんのか?
古代ギリシャ人が何故地球が丸いことを発見したかというとな…

ってか>>490のその思考も君の自我が生み出した錯覚だけどなw
0493神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 17:35:45.61ID:CY+O50Km
>>491
お釈迦様のダンマは五蘊は無我(非我)です
しかしそのダンマも錯覚ですw
0495神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 18:01:14.45ID:itEwxQV1
>>492-493
結局、仏教は間違ってるという主張がしたいの?
(無我で無我を説明とは矛盾である、等)
0496神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 18:02:04.96ID:itEwxQV1
もしも悟りが思考の産物なら、瞑想する必要はぜんぜんないよ。
机に向かって書物を読み、思考するだけでいい。
0497神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 18:10:21.20ID:itEwxQV1
あるいは、ブッダは正しかったが仏典は改竄されてるのだ、
そして現代の仏教徒は、改竄された経典を奉じていると、
そういう主張がしたいのかな。

経典に書かれているのは文字だよ。言葉。
月を指す指。
瞑想は月の観察。

科学的姿勢の基本とは、理論+観察による確認でしょう。
瞑想は名色の観察なんですよ。
0498神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 18:14:12.82ID:itEwxQV1
文献学的に経典を分析して、経典は改竄されているけど、ブッダは
正しく悟っていたはずだ、と。
そして、自分はブッダの悟りを理解していて、経典の間違いを指摘
できるぞと。
思考を通して悟りを理解しているぞ、と。
ブッダってやつは、なかなか理性的だったもんだ。
おれはそれが分かってるぞ、と。

こういうわけでしょ?
0499神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 18:15:27.15ID:itEwxQV1
哲学としての仏教
思考の延長にでてくる結論としての悟り
それが悟りなんだ。
ブッダが到達した境地なんだ

(おれはそれが分かってるぞ)
(瞑想している仏教徒は分からんだろうがな)

と、こういうことだよね?
0500神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/24(水) 18:47:26.90ID:CY+O50Km
>>495-499の一連のレスは個人の思考が生み出した錯覚を綴っているだけですw
0501鬼婆
垢版 |
2018/01/25(木) 01:01:40.79ID:WKPG8NlC
思考とは「自分はこのように考えた」ということじゃな
そんなもんはアホの妄想なんじゃから仏教は哲学者も思想家も相手にせん
アホがゴヤゴチャ妄想(思考)したところでロクなものしか出てこんからな
一切の思考を排除して観察して発見するのが瞑想じゃ
0502神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/25(木) 02:46:09.53ID:MVXbXTTX
>>501
それは貴方の思考が生み出した妄想、錯覚!!
0503神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/25(木) 10:40:10.21ID:vgVssdHC
余談ですが、私は今までに四八方の宗派や会社バラバラの霊媒師や占い師にあたってきましたが、そ
の人々は邪神不動明王やシヴァ、阿含宗や桐山に非常にだまされやすい!あなた方が吹き込まれて悪だと思ってるものは
善人で不動明王(シヴァ)などが実は本当の古代から続いてる古代から騙してる悪なのです。釈迦達、アマテラス、マリアもこれにだまされてる。善人のほうの邪魔他をしている。
よく東洋系の不動や阿含宗や桐山の術を見破るものを同伴させること。
その洗脳をさっさとどけ、自主的によくよく弁償してくること。そして不動や阿含宗や桐山こそいみきらい何万年分
も弁償とって抹消する対象とすること。
さもなくば強制的に3倍〜7倍ぐらい弁償を取られてひどい目にあい抹消されるでしょう。
0504神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/25(木) 10:43:38.44ID:ILjuwrSD
>>503
すまんが、言ってる事が良くわからない。
文章を推敲しなおして、初めて読む人に明確に意図が伝わるよう、
改めてうpしてほしい。
0505神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/25(木) 19:44:37.11ID:z650Xjl6
瞑想は毎日続けなければだめ?悟った人以外はやめたら元通り?
生きること自体を瞑想化せねばならぬということ?
0506神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/25(木) 19:53:43.85ID:MVXbXTTX
>>505
道中の工夫 禅

でくぐってみよう
0507神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/25(木) 20:28:58.07ID:6zEGbDjT
変換ミスであることを祈る   >>506
0508神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/25(木) 23:26:54.80ID:wArYgDqH
動中の工夫やね
しかし道中もなかなかそれっぽい響きですな
0509神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/25(木) 23:57:03.89ID:MVXbXTTX
失礼、動中の工夫でしたw
しかし 道中の工夫 でもちゃんとそのまんまでヒットするw
0510神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/27(土) 23:37:55.19ID:lp0zxcbh
>>506
どうもです、あとで読んでみます。

仏教と断捨離やミニマル的なものって親和性が高いように思うのだけど、いきすぎると「端から拒絶する」みたいな態度になりませんか?
端から期待しないことは諦めの肯定かもしれないが、可能性の否定ではない
シンプルに必要最低限って生き方はそれはそれで素晴らしいと思うのだけど、なかには単に面倒なのは御免みたいな人もいる
出合う前から出合いを避けるような生き方は違うのではないか?
最近そのようなことをよく考える
0511神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/28(日) 00:16:11.68ID:J93i+Gnt
世の中が便利になって
調べりゃなんでもわかるし
シュミレーションもできるし
無駄な幻想を抱かなくなったんだろう
0512神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/01/28(日) 00:59:23.89ID:eWQMk/ka
「○○だから○○しない」は正しい生き方だけど「どうせ○○だから○○しない」は違いますよね
こういう時代だとそれらをごっちゃに考える人が増える気がする
自分も少しそっちに行きかけてたので書いてみた

>>511
少子化が心配です
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